日曜日は一ヶ月ぶりのライブだった。
三百人が収容できるライブハウスは満席となり、鬱屈な日曜の夜を地上の星が照らしていた。
スマホの画面に奪われていた視線も、今は彼女たちに注がれている。
正直に言えば、全体のパフォーマンスは酷い。
でもファンは大目に見てくれる。
それに甘えてるからか、三井たちのやる気は以前と変わらなかった。
坂井も日を追うごとに集中力がなくなってきており、他のことに気を取られているように思えた。
だが、千人集めることができれば本気でやると約束してくれた。
もしそうなれば、憧れていた人たちと肩を並べることができるかもしれない。
いつか誰かの光となって道を作れるかもしれない。
証明したかった。
アイドルというものを通して、人は変われるということを。
こんな自分でも変われたから、あなたも変われる。
殻に閉じ込められた人たちに、蓮見はそう言いたかった。
ライブが終わると握手会が行われた。
五人はステージに並び、流れてくるファンを見送る形で握手する。
通常だと一瞬で終わるのだが、プレミアムチケットを持っている人は1分ほど会話もできる。しかも一人一人だ。
十名限定で、ファンクラブに入っている人のみが抽選で当たる仕様になっている。
プラス一万円するのだが倍率は高く、SNSでは落選した人たちの嘆息を漏らすつぶやきがいくつか散見された。
所持している人は最後に回され、他のファンが束の間の喜びを味わっている姿を眺めることができる。
その瞬間は優越感に浸れるらしい。
自分は選ばれし者で、特別な人間。
そんな気持ちさにせてくれると、当選したファンが言っていた。
「千佳ちゃん、今日も最高だったよ」
「ありがとうございます。また来てくださいね」
蓮見が握手で見送ると、人の流れが途切れた。
隣を見ると、高梨が握手しながらファンと喋っている。
ここからがプレミアムチケットの当選者だ。
蓮見の後の三人は、長時間に及ぶ見送りに疲弊した様子だった。
「まだ終わってないよ。ファンの人たち見てるから」
蓮見が三人に向かって囁くと、三井はため息を漏らした後に笑顔を作った。
他の二人もアイドルに戻り、客席に残っているファンに笑顔で手を振る。
「くるみ、もっとダンス頑張らないと」
高梨と握手しているファンの声が耳に入った。
彼は初めてのライブから通っている古参だ。
名前は片山と言い、今年で五十を迎えるらしい。
地下アイドル界隈では有名な人らしく、彼の影響力はそれなりにある。
SNSでもよく蓮見たちのことをつぶやいてくれるため、片山経由でファンになってくれた人もいた。
だが厳しい言葉も多く、他のメンバーは嫌っている。
「そうだよね。片山さんが見てくれてるなら、くるみもっと頑張る」
高梨は握手している手を自分の胸に当て、上目遣いで甘えた声を出した。
「その意気だよ。次は期待してる」
片山は鼻の下を伸ばし、視線は高梨の大きな胸に釘付けになっている。
その後も説教じみたことを片山は言っていたが、高梨はぶりっ子と胸を駆使しながら言葉を躱していた。
「これからも応援してね、片山さん」
高梨はウインクで見送ると、片山が蓮見の前に立った。
「お久しぶりです、片山さん」
蓮見は両手で片山の手を握り、満面の笑みを浮かべる。
「千佳、もっとみんなを引っ張っていかないと。このグループは千佳でもってるようなものなんだから」
片山がそう言うと、隣に立つ三井が舌打ちをした。
殺気のようなものを肌で感じたが、蓮見は笑顔を崩さず対応を続ける。
「ごめんなさい。もっと頑張りますね」
「俺は千佳を見に来てるけどさ、ライブってなったら全体を見るわけ。他の四人のパフォーマンスじゃ、この先やっていけないよ。だからこそセンターである千佳の存在が大事なの。それと、もっと個人のファンを増やさないと。グループが大きくなるかどうかは千佳の頑張り次第だからね。俺みたいな影響力ある人間が宣伝してるから、それなりに人は集まってくるけど、千佳自身ももっと頑張らないと。俺に頼ってばっかりじゃダメだよ」
他のメンバーが言及されたことで、蓮見は顔を曇らせた。
正直、どういう表情をしていいのか分からない。
たぶん自分は褒められている。褒められているからこそ、笑顔が作りづらい。
アイドルは組織だから、全体の結束力も必要になってくる。
今も関係性は良好ではないが、これ以上メンバーのやる気を削ぎたくなかった。
その考えが心を迷わせ、ぎこちない表情を顔に描いた。
「ファンの前でそんな顔しちゃダメだよ。アイドルっていうのは、どんなときでも笑顔でいないと。くるみを見なよ」
隣に視線を送ると、高梨は笑顔でファンと話していた。
握りしめるように掴んでいるファンの手は、大きな胸に当てられている。
「あれくらいしないと。握手会の対応次第で、ファンとの距離を縮められるんだから」
片山はそう言った後、握手している手を蓮見の胸に軽く当ててきた。
驚いた蓮見は、突き放すように手を離す。
「ダメだよ。そんな反応しちゃ。これから新規が増えてくれば、こんなことをしてくる人間もいる。俺みたいに純粋に応援してる人だけじゃないからね。上手く躱せないとファンになってもらえないよ。アイドルっていうのは、どんなときでも笑顔で返さないといけないんだから」
蓮見は近くにいた事務所のスタッフに視線を送るが、目を逸らされる。
片山の影響力を考えれば、ファンでいてもらった方がいい。
お金はそれなりに使ってくれるし、界隈での宣伝力もある。
ビジネスという視点で見れば、片山に注意するよりも蓮見が我慢した方がいい。
屈辱的ではあったが、怒りを堪えて無理やり笑顔を作った。
「ごめんなさい、急なことで驚いちゃって。片山さんはそんな人じゃないですもんね」
「そうだよ。俺は蓮見千佳っていうアイドルが好きで応援してるの。いやらしい目で見たりとかしてない。そこらのファンと一緒にしなでよ。色んな人間がいるって分かってた方が、対策も練れるでしょ? 全部千佳のためにやってるんだから」
分かってる。全部嘘だということは。
でも笑顔以外で返すことができなかった。
純粋な気持ちでアイドルをしたくても、ビジネスとして成り立たなければ理想すら語れない。
悔しかった。アイドルファンに、アイドルを汚されたことが。
握手会も終わり、五人は控室へと戻ってきた。
蓮見と坂井は鏡が取り付けらた壁側の方に腰を下ろし、中央に置いてある長テーブルには他の三人が着く。
坂井は控室に入るとすぐに鞄からスマホを取り出し、何かを確認するように画面を見ていた。
坂井との時間が、今はスマホに奪われてしまった。
二人の間にも二席分の空白が置かれており、結成当初よりも距離が遠くなっている。
最近ではあまり話しもしなくなり、蓮見は孤独を感じることが増えた。
「マジ、片山ダルいわ」
「それな」
三井と木本は顔を顰めながらグチを零した。
先ほどまで笑顔を施していたアイドルは素顔を晒し、言葉のメイクを剥がす。
「説教はウザいし、触り方はキモいし、マジでなんとかしてくねえかな」
「でも、あいつ宣伝力あるじゃん。追い出すのは無理じゃね?」
「だから厄介なんだよ」
「胸触らせればいいよ」
高梨はスマホを見ながら、無表情で言った。
まるでそれが当たり前かのように。
「イケメンならいいけど、あんなオッサンに触らせたくない」
「マジ、それな」
「別に減るもんじゃないからいいっしょ? それに見てみ」
高梨はスマホの画面を三井と木本に見せた。
「くるみちゃんのパフォーマンスは発展途上だが、アイドルとしての熱意を感じる。この先に期待」
三井が読み上げるように声を響かせた。
「くるみのファン?」
「片山がさっき投稿したやつ。あいつさ、胸触らせると褒めてくれんだよね。おかげでフォロワー増えたわ」
「マジ? 増えるならなら私もやろうかな」
「それな」
怒りが湧いた。
片山にもだが、そんなやり方で数字を重ねている高梨にも。
「そのやり方は違うんじゃないかな」
蓮見は胸に溜まった苛立ちを抑えながら、三人に向かって言葉を投げた。
「は? ファンが増えるんだからいいっしょ? ちゃんと貢献してるじゃん」
「もっとアイドルとしてのプライドを持とうよ。売れればいいってわけじゃないし、誰かの光になれるような存在じゃないと意味がない。数字は確かに大切だけど、どう積み重ねるかが大事なの。そんなやり方ではすぐに離れていく。信念を持たない人間では、人の人生に居続けることはできないから」
真剣にアイドルと向き合っている蓮見からしたら、高梨のやり方は許せなかった。
売れたい。
有名になりたい。
お金を稼ぎたい。
誰しもが持っている欲求ではあるが、そこまでの過程が大事だ。
“どう”売れるか。
“どう”有名になるか。
“どう“稼ぐか。
プロセスにこだわりを持たなければ、ただ売れることだけを目指しているアイドルに成り下がってしまう。
それでは意味がない。
蓮見にとってアイドルとは神と等しいもの。
だからこそ、真っ直ぐと歩きたかった。
メンバーにも高い意識を望むのは、蓮見自身も同様に思われてしまうからだ。
アイドルファンとして、それは許されない。
そんな想いが言葉に表れた。
「説教垂れるなら、千人集めてからにしろよ。うちのセンターがしょうもないから、片山みたいなクズに頼らないといけないんだろ? 全部千佳のせいだよ。あんたの頑張りが足りないのが原因」
高梨の言葉に、押さえ込んでいた怒りが再度湧いてきた。
他のメンバーが遊んでいる間に、蓮見は血の滲むような努力をしてきた。
空いている時間はすべて個人練習に費やし、ライブの演出やセトリなども一人で考えてきた。
かたや高梨たちは、知名度が上がってきているのにもかかわらず、未だに合コンを繰り返している。
プロ意識のかけらもない人間は自分に矢印を向けることはしないし、他人にすべての責任を負わせようとする。
だからアイドルとしてのプライドも持てない。
努力もしないのに数字だけは取りたがり、承認欲求も人並み以上にある。
自力で這い上がることもできない腐った人間は、汚いやり方すらも厭わず行使する。
この場所で夢という花を育てることは困難だった。
綺麗な花を咲かせたとしても、何もしない人間が汗も流さず摘み取ってゆく。
それでも、蓮見は咲かせようと思った。
まだ光はある。
千人集めたら彼女たちだって変わってくれる。
微かな希望があるから、ここまで一人で歩いてこれた。
散りかけた期待を握り締めながら、蓮見は溢れ出しそうな怒りをグッと堪える。
「確かに、私の努力が足りなかったのかもしれない。これからはもっと頑張るから、もし千人集められるようになったら、みんなも本気でアイドルと向き合ってほしい」
「できたらね」
高梨は鼻で笑ったあと、スマホでゲームを始めた。
動物を育てるアプリのようだが、まずは自分を成長させてほしい。
坂井に視線を向けると、彼女は今もスマホと向き合っている。
少しだけだが期待していた。助けに入ってきてくれると。
だがそんな素振りもなく、『私は関係ない』と言わんばかりにスマホに視線を送っていた。
本音を言えば泣きたい。
溜まった不満をぶち撒けて楽になりたい。
でもここでは、流した涙に意味など付かない。
一人きりでいる孤独よりも、人に囲まれた孤独の方が辛いと知った。
「お疲れ」
控室に奥寺と社長が入ってくると、四人は立ち上がって「お疲れ様です」と返す。
「ライブお疲れ様。感想を言うと、プロの最低ラインにも立ててない。合格点を与えられるのは蓮見だけ。他の子たちはもっと頑張らないと置いてかれるよ。蓮見のバックダンサーにはなりたくないでしょ? あなたたちも主役なんだからね。それを忘れないで」
「はい」
奥寺の指摘に、四人は萎れた声で返事を返した。
蓮見は少し気まずくなる。
「本当はもっと言いたいことがあるけど、今日は良い報告があるからここまでにしとく」
「なんですか?」
高梨が聞くと、奥寺は社長に目を向けた。
「深夜帯にはなるが、ドラマのオファーが届いた」
「ウソ?!」
「本当ですか?」
「やったー」
高梨たちが歓喜の声を上げた。
坂井は声を出してはいなかったが、表情は嬉しそうだった。
「違う、違う。オファーがあったのは蓮見だけだ」
瞬間、歓声は静まり、お通夜のような空気が漂った。
蓮見は一層、気まずくなる。
「うちに中村裕樹って俳優がいるだろ? 裕樹が主演を務めるドラマが放送されるんだけど、そこに蓮見が推薦された」
「誰の推薦ですか?」
「裕樹だよ」
「中村さんが?」
蓮見は一度も中村とは会ったことがない。なぜ自分がと不思議に思った。
「青年実業家が売れないアイドルに恋をするって設定らしいんだが、蓮見の上げてるショート動画を見て、役に合ってると感じたらしい。ダンスと歌がある程度できる方がいいっていうのと、容姿が原作とピッタリだったみたいだ。それで裕樹がプロデュサーに推薦したら、そのまま通った」
ドラマに出れば多くの人に認知される。
そうなれば、ファンを増やせるかもしれない。
蓮見は心の中で歓喜を上げた。
ドラマに出ることではなく、四人が本気でアイドルを目指してくれるようになると想像して。
「やってみるか?」
「やらせてください」
迷うことなどない。
いつか何万というファンの前に立って、人は変われるということを証明する。
自分と同じような人に勇気を与え、閉じこもっている殻を破ってあげたい。
蓮見は空に築いた楼閣の一部に触れた。
そして枯れかけていた希望に芽が出て、頭の中では綺麗な花が咲き誇っていた。
「じゃあOKってことで伝えとくからな」
「はい」
「よかったね、蓮見」
奥寺は母性を滲ませた優しい笑顔を向けてきた。
「ありがとうございます」
奥寺と社長が去ると、控室にはどんよりとした空気が漂った。
「期待させるような言い方するなよ、クソ社長」
「それな」
「喜び返してほしいわ」
三人は眉間に皺を寄せながら、その後もグチを零していた。
メンバーの門出に祝福の言葉がないことを落胆するが、この三人なら仕方ないと諦める。
だが坂井だけはと視線を送ると、鏡越しに悪魔が映っていた。
血が出るほど唇を噛み締めており、殺気を纏わせた目には憎悪が滲んでいた。
以前、レッスンのときにも見た表情だが、今回はそれ以上だ。
蓮見だけがドラマに出るから悔しいのだろか。
だとしても、そんな顔は作れない。
恐怖に縛られた足は暫く動かせなかった。