二十七話 蓮見千佳 回想③
ー/ー「ストップ、ストップ」
ダンス講師の奥寺が、大声を上げながらラジカセを止めた。
「バラバラだし、振りも頭に入ってない。こんなんじゃデビューできないよ。アイドル舐めてるの? 適当な気持ちでやってるなら、今すぐ降りて。あなたたちはこれからプロになるの。その自覚がある?」
五人は肩で息をしており、言葉を耳に入れるだけで精一杯といった様子だった。
「聞いてる?」
怒声がレッスン場に響くと、五人は一斉に奥寺へと視線を向かわせた。
「すいません」
蓮見が謝ると、奥寺は眉根を寄せながら口を開いた。
「蓮見はこの中では良い方だと思うけど、プロを目指すならまだ全然足りない。今のレベルでは通用しないからね」
「はい……」
「坂井は振りが頭に入ってるけどリズム感がなさすぎ。音を正確に捉えて。振り付けに必死すぎて曲をちゃんと聴いてないでしょ? 踊ってるんじゃなくて踊らされてるみたいだよ」
「はい……」
「他の子はもっと酷い。そもそも覚えようともしてないでしょ? 素人じゃなくなるんだよ。それがどういう意味か分かってる?」
三人は息を切らしているため、何も答えられない様子だった。
奥寺はため息を吐きながら、壁に設置してある時計を見た。
22時07分と表示されており、終了時刻を7分ほど過ぎている。
「今日はもうお終い。明日までにはしっかりと覚えてきて。プロなら一日あれば完璧にこなせるから」
そう言い残し、奥寺はレッスン場を後にした。
「一週間で覚えてこいって言う方がおかしいだろ」
「それな。素人相手にムキになりすぎ」
「マジあのババア、うぜえわ。こっちは芸能人に会えればそれでいいんだよ」
三井夢乃、木本真咲、高梨くるみ。
同じグループのメンバーだ。
三井夢乃は高校三年生の十八歳で、蓮見の一つ上だ。
見た目はクール系で、腰まで伸びた長い黒髪が特徴的だ。
木本真咲も同じく高三の十八歳。
ギャルっぽいメイクをしており、髪の毛も茶色がかっている。
高梨くるみは高校一年生の十六歳で、最年少メンバーだ。
丸顔の可愛らしい見た目で、ショートボブは幼さを際立たせている。
三人は気怠そうに、壁一面に張られたパネルミラーにもたれかかった。
「私らは芝居のレッスンもしてるんだよ。どうやって覚えろっていうんだよ」
「それな。マジだるいわ」
「あのババアはダンスのことだけやってればいいから楽なんだよ。こっちはそんな暇じゃねえのに」
結成してから半年が経った。
最初はダンスの基礎練習から始まり、今はデビュー曲の振り付けに取り掛かっている。
奥寺の言う通り、ダンスは酷いものだった。
芝居のレッスンも同時進行で行なっているのもあるが、それ以上に意識の低さからくるものだ。
三人はアイドルになりたいという感じではない。
有名になりたい、芸能人に会いたいという気軽なスタンスで、この世界に足を踏み入れてきた。
あまりの温度差に蓮見はやるせなさを抱くが、辞めろというわけにもいかず、なんとか我慢しながらレッスンを受けていた。
唯一の救いは、坂井が居ることだ。
彼女は蓮見と同様、高い意識でやっている。
三人とは違い、芝居もダンスもしっかりと覚えてきてからレッスンに挑む。
それが本来はスタンダードなのだろうが、ここではそれだけでも優等生だ。
「ねえ、この後みんなで復習しない? 少し歩くけど、練習できそうな公園を見つけたの」
蓮見が三人に向かって言うと、一斉に顔を顰めた。
ダンスの振りは合わないが、こういうときだけは綺麗に反応が揃う。
「私パス。疲れた」
「それな」
「やっとババアから解放されたんだから、少しは休ませてよ」
「でも、今のままじゃデビューしても恥をかくだけだよ」
蓮見の必死の訴えも虚しく、三人はスマホを手に取り、無視するように画面に視線を向ける。
「こないださ、中村裕樹に合コン誘われたんだけど」
「マジ! 裕樹くんに会ったの?」
木本は死んでいた目をかっぴらき、レッスンでは見せないような輝きを瞳に宿した。
「真咲、中村裕樹好きなんだっけ?」
「裕樹くんじゃなくて、友達の宏輝くんの方」
「あー、ドラマ一緒に出てたよね」
「マジ、宏輝くんに会いたい」
「そういや来るって言ってたかも」
「やっば! 私も行きたい」
「ずるい、私も行く」
高梨の甘ったるい声がレッスン場に響く。
「ねえ、私たちアイドルだよ。恋愛とかはよくないんじゃないかな」
「出ました、優等生」
「ババアと同じ属性の人間がグループにいると息苦しいわ」
「それな」
蓮見は三人の笑い声に背を向け、坂井の方へと向かう。
「美沙、この後空いてる? 二人でもいいから練習しない?」
蓮見は背中越しに、坂井に声をかけた。
休日は二人でダンスと芝居の練習をよくしている。
芝居の議論や台本の深掘り、お互いのダンスを撮った動画を見て指摘したりと、切磋琢磨しながら成長を促していた。
「ごめん、今日は体調が悪くて」
「大丈夫? 薬持ってるか……」
回り込んで坂井の顔を覗くと、血が出るほど唇を噛みしていた。
その目は憎悪のようなものが滲みでており、一言で言えば狂気じみている。
蓮見は恐怖のあまり、動けなくなった。
殺意すら感じる空気感に血の気が引く。
「大丈夫。ありがとね、千佳」
「う、うん」
坂井は瞬時に優しい顔つきに戻った。
夢かと思うような一瞬の出来事に、蓮見は戸惑っている。
「どうしたの?」
「唇から血が出てる」
坂井は指で口元を拭い、付いた血を目視した。
「ああ、ちょっと悔しくて。強く噛みすぎちゃったみたい」
いつもと同じ坂井だ。
さっきの表情は自分に対しての不甲斐なさかもしれない。
体調が悪いと言えど、上手くできなかった自分に。
それと三人にも腹が立っていたのかもしれない。
蓮見と同じように真剣にアイドルと向き合っているからこそくる悔しさ。
きっと坂井も色々鬱憤が溜まっているのだと思う。
それが顔に出たのだろう。
蓮見は自分にそう言い聞かせた。
「あんまり無理しないでね。辛かったら私から先生に言っとく」
「ありがとう」
柔らかな笑みが瞳に映った。
初めて会話した日と同じ、光を差すような笑顔。
蓮見は安堵するが、自分の腕を見ると鳥肌が立っていた。
背中には冷たい汗が流れ、浮かべた笑顔は引き攣っていた。
初めてのステージは雑居ビルの地下にある小さなライブハウスだった。
五十人ほど集客できる会場に客は八人。
そのうち五人はメンバーの家族や友達だった。
蓮見の親は娘の活動に興味がないようで、「まあ、好きにやれば」とだけ言っていた。
今日のことも報告すらしていないのだが、それで良かったと思えるような日だった。
悲惨なパフォーマンスを披露するというのは、裸で街中を歩くよりも恥ずべき行いだから。
素人感丸出しの拙い踊りに、雑音と言ってもいい外れた音程。
蓮見はそれなりにできていたが、他のメンバーが壊滅的だった。
客も途中からスマホを見出し、目の前のアイドルたちはBGMと化していた。
笑顔を振り撒きながら踊る蓮見だったが、内心は悔しさで溢れている。
ライブ前は他人の視線を浴びるということに恐怖があったが、今はそんなことどうでもいい。
お金と時間をかけて来てくれた人たちへの申し訳なさ。
何も与えられないという不甲斐なさ。
本気でアイドルに向き合っている人たちへの罪悪感。
他人からの視線を凌駕するほどの屈辱が、長年のコンプレックスすらも忘れさせた。
憧れていたアイドルという夢。
神にも等しい存在を、自分が侮辱することになるとは思わなかった。
悔しい。
悔しい。
悔しい。
ただ悔しい。
自分の顔がどう思われるかを心配していたことが恥ずかしいし、本当にくだらない悩みだった。
アイドルは暗闇を照らす光だ。
何度救われたかも分からない。
それなのに、それなのに、それなのに……
もはや笑顔すらも作れなくなっていた。
感情を蹂躙する悔しさが、笑うことを拒んでいたから。
蓮見は目の前にいる死んだような客の顔を脳裏に刻んだ。
絶対にこの光景を忘れてはいけない。
これ以上アイドルを侮辱するようなことをしてはいけない。
神への冒涜は、蓮見の心に十字架を背負わせた。
「お金を払って見に来てくれてるんだよ。学芸会じゃないの。保護者じゃなくてお客さん。アイドルっていう仕事を舐めないで」
控室に奥寺の怒号が響いた。
蓮見以外の四人は黙ったまま俯いている。
「蓮見はまだ良かった。でも他の子たちは最悪。なんでこんなことになったか分かる? 普段の意識が低いから。アイドルになるってことに、ちゃんと向き合って。こんなパフォーマンスでステージに上がるなら、裸で外を歩いた方がマシ。これからは本気でやって」
奥寺は憤怒の形相で控室を出ていった。
沈黙が横たわる部屋には、死んだ顔が五つ並ぶ。
少しすると、重たい空気を裂くように三井が口を開いた。
「て言っても初めてだしさ、しょうがなくない? それに……」
「客が八人」
「それな」
「やる気でねえっつうの」
「マジ、それな」
「本当にあのババア腹立つわ。普通フォローとかいれるでしょ」
嘆く三人の前に蓮見が立った。
その顔は鬼気迫るものがある。
「先生の言う通りだよ。普段の意識が低いからパフォーマンスが悪いの。初めてだからとか、そんなの関係ない。自分たちに100%落ち度がある」
「蓮見は褒められたからいいよね。私たちと違って」
三井が皮肉を込めて返してきた。
強調する語尾がさらに空気を重くする。
「あんなの褒められたに入らない。私たちはこれからプロとしてステージに立たないといけないの。今日のパフォーマンスはアイドルを侮辱する行為。それにお客さんにだって申し訳ない。どんな想いで来てくれてたかを考えた? 私たちの出来次第では人生を変える日にだってできるの。アイドルって、そういう存在だから」
「人生なんて変わらねえよ。それに半分は身内だから。あんたは誰一人として連れて来てないけど、うちらは五人も呼んだ。どれだけ良いパフォーマンスをしたかではなく、どれだけ稼がせたかが大事なの。アイドルなんてただのビジネスでしょ? ほとんどのファンはエロい姿を想像して、ぶら下がってる棒をシゴいてるだけ。おかずぐらいにしか思ってないの。ファンはね、ただの猿なの。ダンスとか歌唱力なんて求めてない。スカートから見える生足を目に焼き付けて、股間と妄想を膨らませてるだけの金づる。あんなキモいオタクのために、なんで汗を流さないといけないの」
可愛らしい見た目とは裏腹に、高梨は捲し立てるように汚れた言葉を吐いた。
「じゃあ、なんでアイドルになろうと思ったの?」
「イケメンにチヤホヤされたいから。アイドルって肩書きを持ってると、なにかと便利そうじゃん。それと芸能人に会えたら付き合えるかもしれないし」
「それな」
木本はスマホを見ながら、雑に相槌を打つ。
「アイドルってそんな汚れた存在じゃない。光を与えてくれる存在でないといけないの。それにファンは真っ直ぐな気持ちで応援してる。みんながみんな、下心を持ってるわけじゃない。純粋にアイドルが好きなの。これ以上侮辱しないで」
「そんな偉そうなこと言うなら、客連れて来てよ。たった八人……いや、身内抜いたら三人のステージで本気出せるわけないじゃん。千佳が言ってること全部綺麗事っしょ。まずは自分が示してよ。そしたら、私たちも考えるからさ」
三井は机に片肘をつきながら、冷めた目を蓮見に向けてきた。
「それな」という、木本の相槌がいつものように付随する。
「分かった。私が会場を埋める。そしたらみんなも本気でアイドルを目指して」
「じゃあキャパ千くらいの会場は埋めてよ。それなら本気でやってあげる」
「千……」
三井の難題に、蓮見は一瞬言葉を見失った。
今日のような小さな会場ならいけるかもしれないと思ったが、千人となると簡単に首を縦に振れない。
「なんだ、やっぱり口だけじゃん。SNSの投稿も大してしてないくせにさ、大口叩くなよ。まだ私たちの方がグループに貢献してるじゃん」
蓮見はSNSが苦手だった。
何を投稿していいのかも分からなかったし、自撮りを載せることにも抵抗があった。
だが自分を知ってもらうにはSNSは必須だ。
今のグループのパフォーマンスを見せたくはないが、もし千人集められたら、三人の意識は変わるかもしれない。
アイドルという夢を掴むためには、苦手なことだろうが背は向けられなかった。
「もし千人集めたら、本気でアイドル目指してくれる?」
「やってあげるよ。集められたらね」
「私はアイドルをしたくてここに来た。だから絶対に集めてみせる」
――できるわけない
そんな声すら聞こえてきそうな嘲笑を三人は浮かべた。
「楽しみにしてる。千佳が恥をかくところを」
「それな」
鬱陶しい笑い声を無視し、蓮見は帰る支度を始めた。
鞄に荷物を詰め込んでいると、スマホを見ながら嬉しそうな表情を浮かべている坂井の顔が映った。
すでに着替え終わっており、帰る支度が整っている。
「ねえ美沙、このあと空いてる? 一緒にダンスの練習やらない?」
蓮見が声をかけると、坂井は慌てたようにスマホを鞄に仕舞った。
「ごめん、このあと用事できちゃって。また今度ね」
そう言って、坂井は足早に控室を出ていった。
あれだけ真面目にレッスンに取り組んでいた坂井も、最近は不真面目さが目立つ。
休日に練習を誘っても、用事があると言われて断られることが増えた。
レッスンの休憩中もスマホを見てることが多く、そのときの顔はなぜか浮かれている様子だった。
「フラれちゃったね」
三井のニヤケ面に苛立ちを覚えたが、今は我慢しなければいけない。
彼女たちが本気でアイドルを目指すとなれば、グループの結束力が必要となる。
良いアイドルグループは関係性も良好だ。
今はアイドルの魅力に気付いていないだけ。
本気になれば彼女たちも理解するはず。
そしてファンという存在がどういうものかを知ればきっと……
蓮見は無垢な想いを胸に刺し、覚悟という一輪を握りしめた。
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