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二十五話 蓮見千佳 回想①

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 蓮見は部屋の窓から海を眺めていた。
 先の見えない地平線の奥に、何があるのかと考えながら。
 葉山に暴言を吐いてから心が苦しくなっていた。
 善人か悪人かも分からない彼に、八つ当たりのように言葉をぶつけてしまったこと。
 痛みというものを知っているはずなのに、痛みを負わせる側に立ってしまったこと。
 感情の手綱を握ろうとしても、本能がそれを離してしまう。
 蓮見自身も分かっていた。
 自分の行いが自分を苦しめているということは。
 だがコントロールできなかった。
 他人を傷つけてでも、自分を守ろうとする醜悪な思考を。
 今も胸の中で蠢く罪悪感を消そうとしている。
 あいつが見下してるから。
 利用しようと企ててるはずだから。
 ファンという存在は卑俗な存在だから。
 撒き散らした汚れた言葉を正当化できれば、苦しむことはない。
 これ以上痛みを感じたくないし、自分を楽にしてあげたい。
 歪んでいると知りながら、侵食していく邪な考えを止めることができなかった。
 アイドルを辞めてから半年。
 この間、他人と接することはほとんどなかった。
 コンビニやスーパーの店員と、業務的なやりとりがあったのみ。
 孤独を感じながら過ごしていたからか、家で籠もっていた間に随分と拗らせた育て方をしてしまった。
 社会に出れば悪人しかいない。
 善人に見える人間だって、表面を削り取れば汚れた塊だ。
 自分を天使だと思い込んだ悪魔か、天使の仮装をする悪魔か。
 世界にはこの二つしか存在しない。
 こんな考えに水を与え続け、根付かせてしまった。
 そして醜い花は咲き誇り、くすんだ花弁を撒き散らす。
 枯れてほしいと願っても他人に触れると育ってしまう。
 過去が蘇るから。
 夢の月日が、思考に枷を付けるから。
 蓮見の頭の中に記憶が流れた。
 忘れてしまいたい、アイドルという名の黒歴史。
 その一ページ目は、高校二年生の冬だった。
 当時の蓮見は地味な見た目をしており、性格も内向的で友達は皆無だった。
 三つ編みのおさげに、目元を隠す重い前髪。
 大人が喜びそうなスカートの丈に、教科書通りの制服の着こなし。
 絵に描いたような地味さと俯き癖が相まって、誰一人として近寄ってこなかった。
 こんな容姿をするようになったのは、小学生の頃の出来事が原因だ。
 好きだった男の子から「ブス」と言われ、顔を見せるのが怖くなった。
 それから、伏せるように顔を俯かせ、なるべく地味な見た目を心がけた。人の視線を浴びたくなかったから。
 目を隠す前髪は、蓮見にとって傘のようなものだ。
 少しでも隠せている方が安心できるし、見られていても痛みが軽減できる。
 空の美しさよりも、心の平穏を求めた。
 世界の広さを知るより、自分の心を守りたかった。
 思春期に開いた傘は、雨が降っていなくとも手放せなくなっていた。
 高校に入学してもそれは変わらず、ずっと一人で過している。
 友達ができるかも、という期待を入学当初は抱いていたが、一年を過ぎた頃には幻想だったと気付く。
 昼休み、外で楽しそうに話している生徒たちを渡り廊下の窓から見下ろしていた。
 絵に描いたような青春。
 青く染めらた景色を、蓮見は羨望の眼差しで眺めている。
 自分には届かない場所。
 キラキラした世界。
 笑顔という青空の下で咲いた綺麗な花。
 心を閉ざしてからずっと憧れていたものは、目の前にあるのに永遠のように遠く感じる。
 理想を頭の中で描いていた時期もあったが、今はただ悲しくなるだけ。
 下書きすらできなくなった蓮見には、孤独という選択しか残されていなかった。

「あっ、悪い」

 教室へ戻ろうとしたとき、誰かが背中にぶつかってきた。
 振り返ると同じクラスの生徒だった。

「何やってんだよ」
「お前が押すからだろ」

 たぶんわざとじゃない。じゃれ合いながら歩いていたから、ぶつかったのだろう。
 ぶつかった男子は真剣な顔で「蓮見、ごめんな」と謝ってきた。

「大丈夫」

 蓮見は顔を俯かせながら言った。心の中で『私の存在が薄いからだよね』と添えて。

「ごめんな」

 そう言い残して、彼らはその場を去っていった。

「誰、あいつ?」

 もう片方の男子が声を顰めることなく言った。
 名前は小田和也。
 学年の中心的存在で女癖が悪いと噂されているが、容姿が整っているため、それでもモテている。

「誰って、同じクラスの蓮見だろ」
「あんな奴いたっけ?」
「一年のときも一緒のクラスだったろ。覚えとけよ」
「地味すぎて、存在すら分からなかったわ」
「バカっ! 聞こえるだろう」
「いいだろ、あんな女に嫌われても」

 世界から見た私は、道端に落ちているゴミと変わらない。
 蓮見はそう思いながら、窓の外を見上げた。
 青の光が拡散された綺麗な空は、自分という存在を見窄らしくさせた。


 帰路に就く電車の中で、蓮見はスマホの画面をじっと見ていた。
 キラキラと輝くアイドルたち。
 正反対の世界で生きる彼女たちは、蓮見にとって羨望の的だった。
 前髪で隠れた瞳は光を反射するように燦然と輝き、荒廃していた表情に笑みを咲かせる。
 孤独の中に希望を差し出してくれるアイドルたちは、生きるための活力となっていた。
 世界の片隅で息を顰めながら生きる人間にとって、アイドルとは太陽のような存在だ。
 もしくは神と呼んでもいい。好きというより信仰に近いと言ってもいい。
 彼女たちを見ているときだけは、現実という悪夢から目を覚ますことができた。
 そして、夢すら持たせてくれる。
 私もこうなれたらと。
 いつか開いた傘を閉じて、空の青さをこの目で見たい。
 自分と同じように閉じこもった人たちの光になりたい。
 あなただけじゃないって知ってほしい。
 人は変われるって証明したい。
 蓮見は閉ざした日々に意味を付けたかった。
 孤独だったから今があると思いたかった。
 何より、誰かに必要とされたかった。
 アイドルのように希望を与えることができれば、自分という存在が認められる。
 スマホに映る太陽を眺めながら、蓮見はそんなことを考えていた。
 自宅の最寄り駅で降りた後、駅前の書店に寄った。
 昔からある小さな本屋の一角にはエンタメコーナが設置されており、蓮見は蜜に誘われたカブトムシの如く、書店の奥へと足を進めた。
 目的は月に一度刊行される女性アイドルを取り扱った雑誌だ。
 蓮見は特定のグループというより、アイドル全般が好きだった。
 誰もが知ってる国民的なアイドルから、コアなファンしかいない地下アイドルまで網羅している。
 そんな蓮見にとってオードブルのような雑誌は、活力を摂取できる嗜好品だった。
 平積みされた雑誌を手に取ってから数秒ほど眺めていると、右下にアイドルオーディションと小さく表記されているのが見えた。
 蓮見の手は自然とページを捲っており、目次からオーディション情報の場所まで飛んだ。
 そこには【新規アイドル『blossom』オーディション開催】と記載されていた。
 今までもオーディション情報は目にしていたが、『自分には……』と諦めていた。
 だが、『自分を変えたい』という積もりに積もった想いが感情を揺らす。
 年齢的にも挑戦できる期間は限られている。
 もし今回も見送ったら、一生羨望だけで終わってしまうかもしれない。
 蓮見の中で葛藤が生まれていた。

 『自分には無理だから』という安全な道。
 『自分だからこそ見せられるものがある』という険しい道。

 分岐点に立ち、何度も頭の中で行き交った。
 夢というものは簡単に掴めるものではない。
 ましてや自分のような人間が立ち入れる世界でもない。
 だけど、何もせずに後悔はしたくなかった。
 景色を変えるためには、自分を変えなければいけない。
 憧れに近づくためには、進まなければならない。
 正解のない問答は数分ほど続いた。
 自分に問いかけては言い訳し、自分に問いかけては希望を見出す。
 夢と現実を天秤に乗せるたび、傾きは変わっていった。
 そして右往左往する思考は、一つの道に足を踏み入れる。


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 蓮見は部屋の窓から海を眺めていた。
 先の見えない地平線の奥に、何があるのかと考えながら。
 葉山に暴言を吐いてから心が苦しくなっていた。
 善人か悪人かも分からない彼に、八つ当たりのように言葉をぶつけてしまったこと。
 痛みというものを知っているはずなのに、痛みを負わせる側に立ってしまったこと。
 感情の手綱を握ろうとしても、本能がそれを離してしまう。
 蓮見自身も分かっていた。
 自分の行いが自分を苦しめているということは。
 だがコントロールできなかった。
 他人を傷つけてでも、自分を守ろうとする醜悪な思考を。
 今も胸の中で蠢く罪悪感を消そうとしている。
 あいつが見下してるから。
 利用しようと企ててるはずだから。
 ファンという存在は卑俗な存在だから。
 撒き散らした汚れた言葉を正当化できれば、苦しむことはない。
 これ以上痛みを感じたくないし、自分を楽にしてあげたい。
 歪んでいると知りながら、侵食していく邪な考えを止めることができなかった。
 アイドルを辞めてから半年。
 この間、他人と接することはほとんどなかった。
 コンビニやスーパーの店員と、業務的なやりとりがあったのみ。
 孤独を感じながら過ごしていたからか、家で籠もっていた間に随分と拗らせた育て方をしてしまった。
 社会に出れば悪人しかいない。
 善人に見える人間だって、表面を削り取れば汚れた塊だ。
 自分を天使だと思い込んだ悪魔か、天使の仮装をする悪魔か。
 世界にはこの二つしか存在しない。
 こんな考えに水を与え続け、根付かせてしまった。
 そして醜い花は咲き誇り、くすんだ花弁を撒き散らす。
 枯れてほしいと願っても他人に触れると育ってしまう。
 過去が蘇るから。
 夢の月日が、思考に枷を付けるから。
 蓮見の頭の中に記憶が流れた。
 忘れてしまいたい、アイドルという名の黒歴史。
 その一ページ目は、高校二年生の冬だった。
 当時の蓮見は地味な見た目をしており、性格も内向的で友達は皆無だった。
 三つ編みのおさげに、目元を隠す重い前髪。
 大人が喜びそうなスカートの丈に、教科書通りの制服の着こなし。
 絵に描いたような地味さと俯き癖が相まって、誰一人として近寄ってこなかった。
 こんな容姿をするようになったのは、小学生の頃の出来事が原因だ。
 好きだった男の子から「ブス」と言われ、顔を見せるのが怖くなった。
 それから、伏せるように顔を俯かせ、なるべく地味な見た目を心がけた。人の視線を浴びたくなかったから。
 目を隠す前髪は、蓮見にとって傘のようなものだ。
 少しでも隠せている方が安心できるし、見られていても痛みが軽減できる。
 空の美しさよりも、心の平穏を求めた。
 世界の広さを知るより、自分の心を守りたかった。
 思春期に開いた傘は、雨が降っていなくとも手放せなくなっていた。
 高校に入学してもそれは変わらず、ずっと一人で過している。
 友達ができるかも、という期待を入学当初は抱いていたが、一年を過ぎた頃には幻想だったと気付く。
 昼休み、外で楽しそうに話している生徒たちを渡り廊下の窓から見下ろしていた。
 絵に描いたような青春。
 青く染めらた景色を、蓮見は羨望の眼差しで眺めている。
 自分には届かない場所。
 キラキラした世界。
 笑顔という青空の下で咲いた綺麗な花。
 心を閉ざしてからずっと憧れていたものは、目の前にあるのに永遠のように遠く感じる。
 理想を頭の中で描いていた時期もあったが、今はただ悲しくなるだけ。
 下書きすらできなくなった蓮見には、孤独という選択しか残されていなかった。
「あっ、悪い」
 教室へ戻ろうとしたとき、誰かが背中にぶつかってきた。
 振り返ると同じクラスの生徒だった。
「何やってんだよ」
「お前が押すからだろ」
 たぶんわざとじゃない。じゃれ合いながら歩いていたから、ぶつかったのだろう。
 ぶつかった男子は真剣な顔で「蓮見、ごめんな」と謝ってきた。
「大丈夫」
 蓮見は顔を俯かせながら言った。心の中で『私の存在が薄いからだよね』と添えて。
「ごめんな」
 そう言い残して、彼らはその場を去っていった。
「誰、あいつ?」
 もう片方の男子が声を顰めることなく言った。
 名前は小田和也。
 学年の中心的存在で女癖が悪いと噂されているが、容姿が整っているため、それでもモテている。
「誰って、同じクラスの蓮見だろ」
「あんな奴いたっけ?」
「一年のときも一緒のクラスだったろ。覚えとけよ」
「地味すぎて、存在すら分からなかったわ」
「バカっ! 聞こえるだろう」
「いいだろ、あんな女に嫌われても」
 世界から見た私は、道端に落ちているゴミと変わらない。
 蓮見はそう思いながら、窓の外を見上げた。
 青の光が拡散された綺麗な空は、自分という存在を見窄らしくさせた。
 帰路に就く電車の中で、蓮見はスマホの画面をじっと見ていた。
 キラキラと輝くアイドルたち。
 正反対の世界で生きる彼女たちは、蓮見にとって羨望の的だった。
 前髪で隠れた瞳は光を反射するように燦然と輝き、荒廃していた表情に笑みを咲かせる。
 孤独の中に希望を差し出してくれるアイドルたちは、生きるための活力となっていた。
 世界の片隅で息を顰めながら生きる人間にとって、アイドルとは太陽のような存在だ。
 もしくは神と呼んでもいい。好きというより信仰に近いと言ってもいい。
 彼女たちを見ているときだけは、現実という悪夢から目を覚ますことができた。
 そして、夢すら持たせてくれる。
 私もこうなれたらと。
 いつか開いた傘を閉じて、空の青さをこの目で見たい。
 自分と同じように閉じこもった人たちの光になりたい。
 あなただけじゃないって知ってほしい。
 人は変われるって証明したい。
 蓮見は閉ざした日々に意味を付けたかった。
 孤独だったから今があると思いたかった。
 何より、誰かに必要とされたかった。
 アイドルのように希望を与えることができれば、自分という存在が認められる。
 スマホに映る太陽を眺めながら、蓮見はそんなことを考えていた。
 自宅の最寄り駅で降りた後、駅前の書店に寄った。
 昔からある小さな本屋の一角にはエンタメコーナが設置されており、蓮見は蜜に誘われたカブトムシの如く、書店の奥へと足を進めた。
 目的は月に一度刊行される女性アイドルを取り扱った雑誌だ。
 蓮見は特定のグループというより、アイドル全般が好きだった。
 誰もが知ってる国民的なアイドルから、コアなファンしかいない地下アイドルまで網羅している。
 そんな蓮見にとってオードブルのような雑誌は、活力を摂取できる嗜好品だった。
 平積みされた雑誌を手に取ってから数秒ほど眺めていると、右下にアイドルオーディションと小さく表記されているのが見えた。
 蓮見の手は自然とページを捲っており、目次からオーディション情報の場所まで飛んだ。
 そこには【新規アイドル『blossom』オーディション開催】と記載されていた。
 今までもオーディション情報は目にしていたが、『自分には……』と諦めていた。
 だが、『自分を変えたい』という積もりに積もった想いが感情を揺らす。
 年齢的にも挑戦できる期間は限られている。
 もし今回も見送ったら、一生羨望だけで終わってしまうかもしれない。
 蓮見の中で葛藤が生まれていた。
 『自分には無理だから』という安全な道。
 『自分だからこそ見せられるものがある』という険しい道。
 分岐点に立ち、何度も頭の中で行き交った。
 夢というものは簡単に掴めるものではない。
 ましてや自分のような人間が立ち入れる世界でもない。
 だけど、何もせずに後悔はしたくなかった。
 景色を変えるためには、自分を変えなければいけない。
 憧れに近づくためには、進まなければならない。
 正解のない問答は数分ほど続いた。
 自分に問いかけては言い訳し、自分に問いかけては希望を見出す。
 夢と現実を天秤に乗せるたび、傾きは変わっていった。
 そして右往左往する思考は、一つの道に足を踏み入れる。