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二十四話 言の葉巡り

ー/ー



 葉山はノートが置かれた部屋に蓮見を案内した。
 彼女の顔に視線を移すと、不貞腐れていることがすぐに理解できた。
 それと、先ほどの言葉から苦しんでいるということも。

「ここに来た人たちが、今悩んでることや過去のことをノートに綴ってるんだ。吐き出せなかった気持ちを書くことで、心が少し楽になったりする。僕は辛くなるとここに来て、他の人たちが抱えていたものを見るんだ。一人じゃないって思えるし、どうやったら人を救えるかのヒントにもなる。それに、俯瞰して自分を見れるようになるから、前に進むためのきっかけにも……」

「そういうこと」

 蓮見の顔が急に険しくなった。
 自分の言葉に粗相があったのかと、葉山は不安に駆られる。

「私のことを知りたいから、ノートに書かせようとしてるんだ」

「違うよ。蓮見さんの手助けになれたらと思って」

「助けなんて求めてないし、関わらないでいてくれることが最大の救い。自分ならなんでも知ってるから救えるとでも思った? たかがファンっていうだけで勘違いしちゃった? 私はファンって存在が心の底から憎いの。自分勝手に理想を押し付けるくせに、私のことを見ようともしない。あんたらはファンって立場を利用して、女の子を思い通りにしたいだけ。アイドルが好きなんじゃなくて、言いなりになってくれる人形が欲しいだけでしょ? 本当に気持ち悪い。人の表面しか見れないくせに、なんで偉そうに指図するの」

 ファンに対する不満すべてが、葉山へと向けられた。
 どの言葉も葉山には当てはまらなかったが、言葉一つひとつを受け止めようとしていた。
 今の蓮見にはぶつけられる相手が必要だと感じたし、汚れた言葉すら受け入れてくれる人も必要だと思った。
 そのうえで、どう言葉を編んで渡せるかだ。
 樹や莉亜の変化を間近で見て、人は変われると知った。
 蓮見の力になるため、葉山は頭の中にある想いを必死で掻き集めた。

「違う。みんながみんな、そんな人じゃない。理想なんて押し付けるつもりもないし、偉そうに指図するつもりもない。それに、アイドルだからファンになったわけじゃない。蓮見千佳っていう一人の人間に惹かれた。気持ち悪いかもしれないけど、表面しか見れてないかもしれないけど、力になりたい。蓮見さんは僕の命の恩人だから」

「命の恩人? 好きなアイドルができて、娯楽が増えたってだけでしょ。そういう風に大袈裟に言えば私が靡くと思った? 馬鹿にしないで。下心しかないくせに、それらしい言葉で飾り付けないでよ。なんで私のことを知ってるの? 全部忘れたくてここに来たのに、思い出させないで」

 葉山はショックを受けた。
 蓮見から罵倒されたからではなく、自分が蓮見を傷つけてしまったことに。
 力になりたいと思っていたのに、余計に追い詰めてしまった。
 葉山の胸の中には、罪悪感という大きな傷が刻まれた。

「ごめん、勝手に自分の気持ちを押し付けて。力になりたいって考えが空回りしてたんだと思う」

「……もう話かけないで。力にならなくていい。ここに来てるってことは、あなたも何かを抱えてるんでしょ? 自分のことにだけ集中しなよ。他人に手を差し伸べても、報われることなんてないんだから」

 降りしきった言葉の後には、形容しがたい沈黙が横たわった。
 何を言ったらいいのか分からない。
 何も言わない方がいいのかも分からない。
 正解すら見えない沈黙は、葉山の頭の中を白く染めた。

「私のこと嫌いになったでしょ? でもそれでいい。期待されない方が楽だから」

 蓮見はそう言って、部屋を出ていった。
 葉山は目的地を見失ったように、ただ立ち尽くしている。
 その視線はノートに向けられていた。


 萎れた花が二階から降りてきた。
 季節の終わりを迎え、あとは枯れていくだけの悲愴を纏った花。
 俯きながらリビングに入ってくる葉山が、樹の目にはそう映った。

「聞こえてましたよね?」

 葉山はダイニングに着く樹たちに問いかけた。
 竜一が小さく頷くと、莉亜がフォローするよう言葉を差し込む。

「葉山くんは悪くないよ。だから落ち込まなくていい」

「ありがとう」

 取り繕った悲しげな笑顔を浮かべながら、葉山はダイニングに着いた。
 リビングには重苦しい空気が横たわっている。
 葉山の想いは虚しくも枯れ、差し伸べた手に唾を吐かれた。
 あれだけ言葉で刺されたのだから、間違いなく傷は負っているだろう。
 ましてや自分が好きなアイドルなら、一つ一つの言葉が致命傷となる。
 樹は言葉を探していた。
 どう声をかければいいかのかを模索するが、何を言っても間違いなような気がする。
 樹にはもう、先ほどの怒りはない。
 今は葉山にどう寄り添うかという考えで頭が埋まっていた。

「葉山くんは、なんで蓮見のファンになったの?」

 重苦しい沈黙に、莉亜が言葉を落とした。
 人の声が耳に入り、樹は胸を撫で下ろす。

「蓮見さんに命を救ってもらったんだ。彼女がいなければ、僕はここに来ていなかった。というより、この世界に存在しなかった。だから恩返しがしたい」

――僕を救ってくれた人がいるんだ。死のうと思ってたときに、その人は言葉で命を掬いあげてくれた。だから僕もそうなりたい。人の人生を導けるような存在に

――どんな人なの?

――会ったことはないんだ。だから相手は僕のことを知らない

――なんだよそれ

――そんなこともあるんだよ

 樹は、以前した葉山とのやりとりを思い出していた。
 きっと蓮見のことだろう。
 何かを隔てないと見ることすら叶わない相手が、目の前に現れた。
 しかもファンであり、命の恩人だ。
 葉山は奇跡と思ったかもしれない。初めて蓮見が来た日、そんな顔をしていた。
 樹は神という空想を、この瞬間だけは肯定した。

「言葉で救われたんだっけ?」

「うん。当時、飲食店に勤めてたんだけど、上司のパワハラが酷かったんだ。毎日死にたいって考えてたし、それ以外に救われる方法はないと思ってた。麻痺してたんだよね。朝から深夜まで働かさせられて、上司には罵声を詰め込められてたから考える余裕がなくなってた。辞めるっていう選択肢もあるのに、耐えるか死ぬかの二択しか見えない。もう限界だった」

 当時を思い出したのか、葉山の顔には影が差し込んでいた。
 苦しさか、悲しさか、それとも両方なのか。
 名前を付け難いような表情は印象的だった。

「そんなときに蓮見さんを知ったんだ。夜中に帰宅して、たまたまテレビを付けたときにインタビューを受けてる彼女が映った。アイドルに興味はなかったんだけど、ある質問の回答が、僕の胸の内を代弁してくれているように感じたんだ。生きる意味などないと思っていた人生に光が差した瞬間だった。もし蓮見さんがいなかったら、僕は命を捨てていたと思う。それから“どう”生きるかを考えた。ただ道を歩くだけではなく、何のために歩くのかを。言葉で人を変えるためには、人の抱えているものを知る必要がある。そう思ったからここに来たんだ。次は僕が誰かの道になれるようにって」

 樹は自分を変えたい、人生を変えたいと思ってここに来た。
 それは葉山自身も一緒だが、少し毛色が違う。
 樹は井口という醜悪な人物に阻害され、人生を諦めようとした。
 葉山も同じように卑俗な人間に触れたはずのに、誰かを救いたいという優しさ芽生えさせた。
 持っている種が違うのか、それとも育て方が違ったのか。
 どっちかは分からないが、葉山の強さが感じられた瞬間だった。

「ねえ、蓮見さんがなんであんな言葉を使うのか考えようよ。そこに変えるためのヒントがあると思うの。その人の抱えてるものは感情的になると出やすくなる。きっとあの口論の中に散りばめられてるはずだよ。私自身がそうだったように」

 葉山は「ありがとう」という言葉を添えて微笑を浮かべた。
 一人じゃないということに安心したのかもしれない。
 道を見失えば、人は迷ってしまう。
 だけどここには、同じように迷ってくれる人がいる。
 人間は欠けた生き物だ。
 だがパズルのピースのように埋めながら生きていくことはできる。
 一人では景色を作れなくても、一人では見えないものでも、他者の思考と縫い合わせれば、描けるものもある。
 自分だけではなく、莉亜も葉山も同じように思っているのではと樹は感じた。

「まずは初めて会ったときのことから考えてみよう」

 莉亜の言葉で、樹たちは昨日のことを振り返った。

「ファンを嫌悪してるよな。葉山に対して当たりが強いのは、それが理由だろ」

「握手会でファンを怒鳴りつけたんだっけ?」

「うん。『もう全員死ねばいい』って言ってたらしい」

「よっぽどのことがあったんだね」

 莉亜の顔は引き攣っていた。
 アイドルという立場で、ましてやファンが集まる握手会。
 相当の恨みを抱えていないと出ない言葉だ。

「そういうキャラとかじゃなくて? たまにいるじゃん、暴言吐くような奴も」

「蓮見さんは正統派って感じだったかな。見た目も性格も」

「全員ってことはさ、ファンだけじゃないってことかな。例えば、同じグループの子とか」

「不仲説は出てた。蓮見さんはドラマとかも出てたけど、他の子たちはほとんど出てなかったらしい。蓮見さんのワンマングループとも言われてた」

「じゃあ、嫉妬されて嫌がらせとかもあったのかもな」

「そういえば、いい子ぶった人間ほど裏切るって言ってたよね。もしかしたらグループ内でそういうことがあったのかも」

 莉亜に対し、蓮見が言った言葉だ。
 そのときの莉亜は、ものすごく険しい表情をしていた。

「男と写真撮られたんだよな? もしかしたら、付き合ってたことをバラしたのが同じグループの奴たったんじゃねえの」

「それはあるかもしれない」

「じゃあそのときの出来事が、今の蓮見さんを形成してるってことかな」

「てか、なんで俺に喧嘩腰だったんだよ。葉山はファンっていう理由があるけど、俺は蓮見の存在すら知らねえぞ」

「樹くん、そのときに何かした?」

「目があって、絡まれるのが面倒だから視線を逸らした……ぐらい」

 自分の行動に喧嘩を売られる要因はなかったが、気づいてないだけかもしれない。
 そう考えながら樹は答えた。

「もしかしたら顔に出てたのかもしれない。『面倒だな』っていうのが」

「だとしても、突っかかってはこないだろ」

「それは樹自身が一番理解できるんじゃねえか? 舐められたくないって気持ちは」

 竜一の言う通り、樹は馬鹿にされるのを極端に嫌った。
 それは中学時代のときに、夢を笑われた経験からくるものだった。
 もし蓮見も同じような経験をしているのなら、過去を紐解くことで理由が見えてくるかもしれない。
 今の生き方を選択することになった、種となる出来事が。

「『敵を作ってでも強く在ろうとしなければ、生きていけないんだよ。私を守れるのは私だけ』。蓮見がそう言ってただろ? この言葉に詰まってるのかもな。あいつがあんな態度を取るのは」

「周りに信頼できる人がいなかったってことかな」

 樹の言葉の後、莉亜が一考してから言った。

「さっき蓮見さんは『他人に手を差し伸べても、報われることなんてない』って言ってた。もしかしたら人と接するのが怖いのかもしれない。だから遠ざける。その起因となっているものが人からの裏切りだったら、すべての言葉に整合性がとれる」

「でもそれだと矛盾してねえか? 人と接するのが嫌なら、ここに来ないだろ」

「その矛盾は私には理解できる。他人のことは嫌いでも、自分一人で解決できないことは縋りたくなるの。それが嫌悪してるものでも。本人は関わるなって言ってるけど、心の底では救ってほしいのかも。でも心に付いた傷が、人との間に境界線を引く。助けてと言えたらいいけど、その一歩を踏み出せばまた傷つくかもしれない。だから孤独になることを選択するんじゃないかな。初めから期待しなければ、裏切られても傷が浅く済む。そうやって保険をかけてるのかも。信じた先で突き放されるのが怖いから」

 完璧を目指していたからこそ、莉亜は弱みを見せられずに助けを求められなかった。
 形は違えど、重なる部分を見つけたのかもしれない。
 今の蓮見は孤独を選んでいる。
 だがここに来たということは、何かを変えたいと思っているはずだ。
 でも差し出された手に唾を吐き、厭われる言葉で線を引いてしまう。
 その理由が分かれば葉山にとっても道になる、と樹は思った。

「もし池田の言うような理由だったら、蓮見を変えられるのは葉山なんじゃねえか」

「僕?」

「ファンに対しての嫌悪が今の蓮見を作ってる一因だとしたら、それを取り除けるのはファンである葉山だろ。悪い奴もいるけど、全員がそうじゃない。心の底から応援している人間もいた……ってなれば、見方も変わるんじゃねえかな」

「樹くんの言う通りだと思う。今は個別で線を引いてるのではなく、“ファン”っていう大きな括りで線を引いているんじゃないかな。だからファンっていうだけで暴言を吐いてしまう。もし一人一人を見れるようになれば、考え方の幅が広がって、見え方が変わるかもしれない」

 葉山は一点を見つめ、考えを巡らせているようだった。
 真剣な表情には、胸に募った想いが滲んでいる。
 今は自分の世界に入り込み、言葉をかけるような空気ではなくなっていた。
 一同は沈黙に寄り添い、見守るように葉山を見つめている。
 ファンは多ければいいわけじゃない。
 一人の純粋な青年が、それを教えてくれた。




みんなのリアクション

 葉山はノートが置かれた部屋に蓮見を案内した。
 彼女の顔に視線を移すと、不貞腐れていることがすぐに理解できた。
 それと、先ほどの言葉から苦しんでいるということも。
「ここに来た人たちが、今悩んでることや過去のことをノートに綴ってるんだ。吐き出せなかった気持ちを書くことで、心が少し楽になったりする。僕は辛くなるとここに来て、他の人たちが抱えていたものを見るんだ。一人じゃないって思えるし、どうやったら人を救えるかのヒントにもなる。それに、俯瞰して自分を見れるようになるから、前に進むためのきっかけにも……」
「そういうこと」
 蓮見の顔が急に険しくなった。
 自分の言葉に粗相があったのかと、葉山は不安に駆られる。
「私のことを知りたいから、ノートに書かせようとしてるんだ」
「違うよ。蓮見さんの手助けになれたらと思って」
「助けなんて求めてないし、関わらないでいてくれることが最大の救い。自分ならなんでも知ってるから救えるとでも思った? たかがファンっていうだけで勘違いしちゃった? 私はファンって存在が心の底から憎いの。自分勝手に理想を押し付けるくせに、私のことを見ようともしない。あんたらはファンって立場を利用して、女の子を思い通りにしたいだけ。アイドルが好きなんじゃなくて、言いなりになってくれる人形が欲しいだけでしょ? 本当に気持ち悪い。人の表面しか見れないくせに、なんで偉そうに指図するの」
 ファンに対する不満すべてが、葉山へと向けられた。
 どの言葉も葉山には当てはまらなかったが、言葉一つひとつを受け止めようとしていた。
 今の蓮見にはぶつけられる相手が必要だと感じたし、汚れた言葉すら受け入れてくれる人も必要だと思った。
 そのうえで、どう言葉を編んで渡せるかだ。
 樹や莉亜の変化を間近で見て、人は変われると知った。
 蓮見の力になるため、葉山は頭の中にある想いを必死で掻き集めた。
「違う。みんながみんな、そんな人じゃない。理想なんて押し付けるつもりもないし、偉そうに指図するつもりもない。それに、アイドルだからファンになったわけじゃない。蓮見千佳っていう一人の人間に惹かれた。気持ち悪いかもしれないけど、表面しか見れてないかもしれないけど、力になりたい。蓮見さんは僕の命の恩人だから」
「命の恩人? 好きなアイドルができて、娯楽が増えたってだけでしょ。そういう風に大袈裟に言えば私が靡くと思った? 馬鹿にしないで。下心しかないくせに、それらしい言葉で飾り付けないでよ。なんで私のことを知ってるの? 全部忘れたくてここに来たのに、思い出させないで」
 葉山はショックを受けた。
 蓮見から罵倒されたからではなく、自分が蓮見を傷つけてしまったことに。
 力になりたいと思っていたのに、余計に追い詰めてしまった。
 葉山の胸の中には、罪悪感という大きな傷が刻まれた。
「ごめん、勝手に自分の気持ちを押し付けて。力になりたいって考えが空回りしてたんだと思う」
「……もう話かけないで。力にならなくていい。ここに来てるってことは、あなたも何かを抱えてるんでしょ? 自分のことにだけ集中しなよ。他人に手を差し伸べても、報われることなんてないんだから」
 降りしきった言葉の後には、形容しがたい沈黙が横たわった。
 何を言ったらいいのか分からない。
 何も言わない方がいいのかも分からない。
 正解すら見えない沈黙は、葉山の頭の中を白く染めた。
「私のこと嫌いになったでしょ? でもそれでいい。期待されない方が楽だから」
 蓮見はそう言って、部屋を出ていった。
 葉山は目的地を見失ったように、ただ立ち尽くしている。
 その視線はノートに向けられていた。
 萎れた花が二階から降りてきた。
 季節の終わりを迎え、あとは枯れていくだけの悲愴を纏った花。
 俯きながらリビングに入ってくる葉山が、樹の目にはそう映った。
「聞こえてましたよね?」
 葉山はダイニングに着く樹たちに問いかけた。
 竜一が小さく頷くと、莉亜がフォローするよう言葉を差し込む。
「葉山くんは悪くないよ。だから落ち込まなくていい」
「ありがとう」
 取り繕った悲しげな笑顔を浮かべながら、葉山はダイニングに着いた。
 リビングには重苦しい空気が横たわっている。
 葉山の想いは虚しくも枯れ、差し伸べた手に唾を吐かれた。
 あれだけ言葉で刺されたのだから、間違いなく傷は負っているだろう。
 ましてや自分が好きなアイドルなら、一つ一つの言葉が致命傷となる。
 樹は言葉を探していた。
 どう声をかければいいかのかを模索するが、何を言っても間違いなような気がする。
 樹にはもう、先ほどの怒りはない。
 今は葉山にどう寄り添うかという考えで頭が埋まっていた。
「葉山くんは、なんで蓮見のファンになったの?」
 重苦しい沈黙に、莉亜が言葉を落とした。
 人の声が耳に入り、樹は胸を撫で下ろす。
「蓮見さんに命を救ってもらったんだ。彼女がいなければ、僕はここに来ていなかった。というより、この世界に存在しなかった。だから恩返しがしたい」
――僕を救ってくれた人がいるんだ。死のうと思ってたときに、その人は言葉で命を掬いあげてくれた。だから僕もそうなりたい。人の人生を導けるような存在に
――どんな人なの?
――会ったことはないんだ。だから相手は僕のことを知らない
――なんだよそれ
――そんなこともあるんだよ
 樹は、以前した葉山とのやりとりを思い出していた。
 きっと蓮見のことだろう。
 何かを隔てないと見ることすら叶わない相手が、目の前に現れた。
 しかもファンであり、命の恩人だ。
 葉山は奇跡と思ったかもしれない。初めて蓮見が来た日、そんな顔をしていた。
 樹は神という空想を、この瞬間だけは肯定した。
「言葉で救われたんだっけ?」
「うん。当時、飲食店に勤めてたんだけど、上司のパワハラが酷かったんだ。毎日死にたいって考えてたし、それ以外に救われる方法はないと思ってた。麻痺してたんだよね。朝から深夜まで働かさせられて、上司には罵声を詰め込められてたから考える余裕がなくなってた。辞めるっていう選択肢もあるのに、耐えるか死ぬかの二択しか見えない。もう限界だった」
 当時を思い出したのか、葉山の顔には影が差し込んでいた。
 苦しさか、悲しさか、それとも両方なのか。
 名前を付け難いような表情は印象的だった。
「そんなときに蓮見さんを知ったんだ。夜中に帰宅して、たまたまテレビを付けたときにインタビューを受けてる彼女が映った。アイドルに興味はなかったんだけど、ある質問の回答が、僕の胸の内を代弁してくれているように感じたんだ。生きる意味などないと思っていた人生に光が差した瞬間だった。もし蓮見さんがいなかったら、僕は命を捨てていたと思う。それから“どう”生きるかを考えた。ただ道を歩くだけではなく、何のために歩くのかを。言葉で人を変えるためには、人の抱えているものを知る必要がある。そう思ったからここに来たんだ。次は僕が誰かの道になれるようにって」
 樹は自分を変えたい、人生を変えたいと思ってここに来た。
 それは葉山自身も一緒だが、少し毛色が違う。
 樹は井口という醜悪な人物に阻害され、人生を諦めようとした。
 葉山も同じように卑俗な人間に触れたはずのに、誰かを救いたいという優しさ芽生えさせた。
 持っている種が違うのか、それとも育て方が違ったのか。
 どっちかは分からないが、葉山の強さが感じられた瞬間だった。
「ねえ、蓮見さんがなんであんな言葉を使うのか考えようよ。そこに変えるためのヒントがあると思うの。その人の抱えてるものは感情的になると出やすくなる。きっとあの口論の中に散りばめられてるはずだよ。私自身がそうだったように」
 葉山は「ありがとう」という言葉を添えて微笑を浮かべた。
 一人じゃないということに安心したのかもしれない。
 道を見失えば、人は迷ってしまう。
 だけどここには、同じように迷ってくれる人がいる。
 人間は欠けた生き物だ。
 だがパズルのピースのように埋めながら生きていくことはできる。
 一人では景色を作れなくても、一人では見えないものでも、他者の思考と縫い合わせれば、描けるものもある。
 自分だけではなく、莉亜も葉山も同じように思っているのではと樹は感じた。
「まずは初めて会ったときのことから考えてみよう」
 莉亜の言葉で、樹たちは昨日のことを振り返った。
「ファンを嫌悪してるよな。葉山に対して当たりが強いのは、それが理由だろ」
「握手会でファンを怒鳴りつけたんだっけ?」
「うん。『もう全員死ねばいい』って言ってたらしい」
「よっぽどのことがあったんだね」
 莉亜の顔は引き攣っていた。
 アイドルという立場で、ましてやファンが集まる握手会。
 相当の恨みを抱えていないと出ない言葉だ。
「そういうキャラとかじゃなくて? たまにいるじゃん、暴言吐くような奴も」
「蓮見さんは正統派って感じだったかな。見た目も性格も」
「全員ってことはさ、ファンだけじゃないってことかな。例えば、同じグループの子とか」
「不仲説は出てた。蓮見さんはドラマとかも出てたけど、他の子たちはほとんど出てなかったらしい。蓮見さんのワンマングループとも言われてた」
「じゃあ、嫉妬されて嫌がらせとかもあったのかもな」
「そういえば、いい子ぶった人間ほど裏切るって言ってたよね。もしかしたらグループ内でそういうことがあったのかも」
 莉亜に対し、蓮見が言った言葉だ。
 そのときの莉亜は、ものすごく険しい表情をしていた。
「男と写真撮られたんだよな? もしかしたら、付き合ってたことをバラしたのが同じグループの奴たったんじゃねえの」
「それはあるかもしれない」
「じゃあそのときの出来事が、今の蓮見さんを形成してるってことかな」
「てか、なんで俺に喧嘩腰だったんだよ。葉山はファンっていう理由があるけど、俺は蓮見の存在すら知らねえぞ」
「樹くん、そのときに何かした?」
「目があって、絡まれるのが面倒だから視線を逸らした……ぐらい」
 自分の行動に喧嘩を売られる要因はなかったが、気づいてないだけかもしれない。
 そう考えながら樹は答えた。
「もしかしたら顔に出てたのかもしれない。『面倒だな』っていうのが」
「だとしても、突っかかってはこないだろ」
「それは樹自身が一番理解できるんじゃねえか? 舐められたくないって気持ちは」
 竜一の言う通り、樹は馬鹿にされるのを極端に嫌った。
 それは中学時代のときに、夢を笑われた経験からくるものだった。
 もし蓮見も同じような経験をしているのなら、過去を紐解くことで理由が見えてくるかもしれない。
 今の生き方を選択することになった、種となる出来事が。
「『敵を作ってでも強く在ろうとしなければ、生きていけないんだよ。私を守れるのは私だけ』。蓮見がそう言ってただろ? この言葉に詰まってるのかもな。あいつがあんな態度を取るのは」
「周りに信頼できる人がいなかったってことかな」
 樹の言葉の後、莉亜が一考してから言った。
「さっき蓮見さんは『他人に手を差し伸べても、報われることなんてない』って言ってた。もしかしたら人と接するのが怖いのかもしれない。だから遠ざける。その起因となっているものが人からの裏切りだったら、すべての言葉に整合性がとれる」
「でもそれだと矛盾してねえか? 人と接するのが嫌なら、ここに来ないだろ」
「その矛盾は私には理解できる。他人のことは嫌いでも、自分一人で解決できないことは縋りたくなるの。それが嫌悪してるものでも。本人は関わるなって言ってるけど、心の底では救ってほしいのかも。でも心に付いた傷が、人との間に境界線を引く。助けてと言えたらいいけど、その一歩を踏み出せばまた傷つくかもしれない。だから孤独になることを選択するんじゃないかな。初めから期待しなければ、裏切られても傷が浅く済む。そうやって保険をかけてるのかも。信じた先で突き放されるのが怖いから」
 完璧を目指していたからこそ、莉亜は弱みを見せられずに助けを求められなかった。
 形は違えど、重なる部分を見つけたのかもしれない。
 今の蓮見は孤独を選んでいる。
 だがここに来たということは、何かを変えたいと思っているはずだ。
 でも差し出された手に唾を吐き、厭われる言葉で線を引いてしまう。
 その理由が分かれば葉山にとっても道になる、と樹は思った。
「もし池田の言うような理由だったら、蓮見を変えられるのは葉山なんじゃねえか」
「僕?」
「ファンに対しての嫌悪が今の蓮見を作ってる一因だとしたら、それを取り除けるのはファンである葉山だろ。悪い奴もいるけど、全員がそうじゃない。心の底から応援している人間もいた……ってなれば、見方も変わるんじゃねえかな」
「樹くんの言う通りだと思う。今は個別で線を引いてるのではなく、“ファン”っていう大きな括りで線を引いているんじゃないかな。だからファンっていうだけで暴言を吐いてしまう。もし一人一人を見れるようになれば、考え方の幅が広がって、見え方が変わるかもしれない」
 葉山は一点を見つめ、考えを巡らせているようだった。
 真剣な表情には、胸に募った想いが滲んでいる。
 今は自分の世界に入り込み、言葉をかけるような空気ではなくなっていた。
 一同は沈黙に寄り添い、見守るように葉山を見つめている。
 ファンは多ければいいわけじゃない。
 一人の純粋な青年が、それを教えてくれた。


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