九話 塵と芥
ー/ー 借金取りに公園で殴られてから一時間後、樹は繁華街の飲み屋通りを歩いていた。
なんでもいいから仕事に就かなければと考えたとき、以前見た、大衆居酒屋のバイト募集の張り紙を思い出した。
時給はそこまで高くなかったが即日採用と記載されていた。それと正社員雇用ありとも。
自分が不得意な接客の仕事だが、今はそんなことを言ってる場合ではない。
どんな仕事でもいいから借金を返して、少しでも普通の人に近づきたいと樹は考えていた。
だが、募集の張り紙は一ヶ月前のことだ。
流石にもう貼ってないかもしれないと思いながら、微かな希望を胸に店の前まで辿り着いた。
なんでもいいから仕事に就かなければと考えたとき、以前見た、大衆居酒屋のバイト募集の張り紙を思い出した。
時給はそこまで高くなかったが即日採用と記載されていた。それと正社員雇用ありとも。
自分が不得意な接客の仕事だが、今はそんなことを言ってる場合ではない。
どんな仕事でもいいから借金を返して、少しでも普通の人に近づきたいと樹は考えていた。
だが、募集の張り紙は一ヶ月前のことだ。
流石にもう貼ってないかもしれないと思いながら、微かな希望を胸に店の前まで辿り着いた。
『アルバイト募集! 時給1100円〜 年齢・経験不当 アットホーム 即日採用 正社員雇用あり 大衆居酒屋・六助』
前に見たものと全く一緒のものが貼られていた。
時給がここより高い場所もあるだろうが、即日採用・正社員雇用という言葉に惹かれた。
合否を待っている時間もないし、待たされることも嫌だ。
そして何より、底辺から抜け出したかった。
真面目に生きるためには、人並みに生きるためには、借金を返さなければならない。
少しずつでいいから社会に溶け込み、誰もが歩く道を同じように進みたい。
中学のときと同様、熱中できるような何かを探して夢や目標も作りたい。
光のない薄汚れた場所から離れるには、まずは仕事に就くことだ。
そして忍耐力を付け、長く働くこと。
当たり前のことをずっとできなかった樹は、今回こそはと気持ちを改め、店の扉を開けた。
中に入ると、昭和の雰囲気が漂うレトロな内装が視界を染めた。
テーブル席がいくつかあり、奥には酒瓶が並べられたカウンター席が見える。
カウンター席の奥には暖簾がかかっており、その先から明かりが漏れていた。
椅子は机の上に上げられており、準備中だということが一目で分かる。
「すいません、営業は十七時からなんですよ」
男性が暖簾をくぐって出てきた。
優しそうな空気感を纏っており、店の制服と思われるTシャツを着ている。歳は三十代前半くらいだろうか。樹は穏やかそうな人が出てきたことに安堵した。パっと見は村内のような卑俗さは感じられない。
「入り口に貼ってあったバイト募集の紙を見て……」
「面接?」
「はい」
「今日、面接入ってたっけな……」
男性は頭の中辿っているのか、視線を宙に向けている。
「いや、約束はしてないです。張り紙を見て、突発的に来ました」
せめて電話してから来るべきだったと後悔した。
切羽詰まっていたこともあり、段階を踏むことを忘れてしまった。
冷静になると気まずさが湧き、樹の視線は自然と床に落ちていく。
「分かった。今、店長呼んでくるから、適当に座ってて」
男性は笑顔を残し、キッチンの奥に消えていった。
断られるかもと不安を抱いたが、とりあえず面接はしてもらえそうだ。
樹は近くの席に腰を下ろし、姿勢を正す。
――これから俺は、生まれ変わるんだ
心の中で樹は覚悟を決めた。
人生を振り返れば、下水道で這いずり回るドブネズミのようだった。
社会の底辺という薄汚い真っ暗な世界。
光すらも忘れてしまうような場所に何年も住み続けた。
地上に戻る第一歩は真面目に働くこと。
そこから希望を見出し、自らの手で道を作る。
人生が描かれた根本樹という本には、まだ拙い物語しか刻まれていない。
過去は消さずとも、未来は美しく描ける。
樹は頭の中で今後の人生を描いた。
懸命に生き、目標を追い求める自分の姿を。
「君? 連絡もなしに急に来た子は?」
奥から小太りな五十代くらいの男性が出てきた。
腹を掻きながら顔を顰めており、左手には競馬新聞が握られてる。たぶん店長だろう。
男性は気怠そうに歩いてくると、椅子の軋む音が聞こえてくるほど荒々しく腰を下ろした。
まるで王様のようだ。足は大きく開き、吟味するような視線でこちらを見てくる。
まだ出会って数秒だが胸騒ぎがした。
本能が過去の経験から導き出したのかもしれない。
もしくは野生の勘に近いものなのかもしれない。
今の樹の頭に描かれているのは、懸命に働く自分の姿ではなく、村内の顔だった。
「履歴書は?」
男性は無愛想に聞いてきた。口調には鋭さも感じる。
いい気分ではなかったが、連絡もせずに来たことを考えれば自分に非がある。
無意識に寄った眉間を戻し、樹は再度姿勢を正してから口を開いた。
「すいません、持ってくるのを忘れてしまいました」
樹は何年かぶりに頭を下げた。もしかしたら初めてかもしれない。
普通の人間からしたら当たり前の行為でも、樹にとっては特別なことだった。
社会を嫌悪しているからこそプライドが高くなり、頭を下げるという行為が媚びや平伏すという感覚になっていた。
普通の人間ならそんなことは思わないだろうが、中学のときに夢を笑われた経験が足枷となり、歪んだ考えが根付いてしまっていた。
屈辱感は拭えないが、自分に非がある以上、仕方ないと割り切った。
「普通、持ってくるでしょ? 常識ないの?」
男の見下したような目つきと口調に怒りが込み上げる。
だが小さく深呼吸を繰り返し、怒りを胸臆に押し戻した。
金山と会っていなかったら、この時点で胸ぐらは掴んでいたかもしれない。
「すいません」
「まあいいや。今はどこかで働いてるの?」
「働いてません」
「ニートね。じゃあ学歴は?」
「中卒です」
「そんな感じしたわ。中卒っぽいもん」
樹はテーブルの下に置いた拳を握り締めた。
手のひらに爪が食い込むほど力強く。
「週どれくらい出れる?」
「休みなしで出れます」
「マジ? 今人手足りないから助かるわ。今日から出れたりする?」
「はい」
男性は指で顎を摩りながら、何かを考えてる様子だ。
樹としてはこの男の下で働くのは不服だが、今はそんなことを言ってる暇などない。
少しでも借金を返済し、真面目に働きながら普通の人たちと同じ道を辿る。
そしていつか夢を見つけ、本気で生きられるような生活を送りたかった。
そのためには忍耐力を身に付けないといけない。
初めの一歩は、長く勤めることだ。
「まあいいか、その場しのぎでも。君採用。今日から宜しくね」
「いいんですか?」
「うん、いいよ。本当は若くて可愛い子がいいけど、女の子だとすぐ辞めちゃうから。やっぱ女には飲み屋の仕事は務まらないんだよな」
一言多いと思いながらも働けることに安堵した。
この一歩から人生を変え、底辺から抜け出すための足掛かりにしたい。
以前は生活のために働いていたが、今は自分を変えるために仕事をしたいと思っている。
我慢することと、手を出さないこと。
樹は心の中で誓いを立てた。
「あと、正社員になれるって張り紙に書いてあったんですけど」
「社員になりたいの?」
「はい」
「頑張ってくれればなれるよ。まあ、俺次第だけど」
「頑張ります。社員になれるように」
不安は色濃く漂うが、強引に頭の中で希望を見出した。
もし村内のような人間だったとしても、ここで耐えることができれば自分は変われる。
真っ当な道に戻るためには多少の苦難は必要だ。
樹は自分に言い聞かすように、何度も大丈夫と心の中で唱えた。
「今日から入る根本樹。まあ可愛いがってやってよ」
カウンター席の奥にある暖簾をくぐると、コンロ台やビールのサーバー、フリードリンク用のディスペンサーが並ぶ厨房があった。
そこには男性が三名いて、一人は店に入って一番最初に声をかけてきた優しそうな人だ。
「根本くん、宜しくね。俺は原西大地。ここの社員」
彼は先ほどと変わらない柔らかな表情で名乗った。募っていた不安が少しだけ溶けてゆく。
「宜しくお願いします」
「あとこの二人も社員。彼らはキッチン担当」
原西の後ろには五十代くらいの男性と二十代半ばの男性がいる。二人は仕込みをしており、串に肉を刺していた。
「宜しくお願いします」
樹が頭を下げると、五十代の方は無反応。
若い方の男性は無表情で軽く頭を下げてきた。雰囲気はどこか暗い。
「まあいつもこんな感じだから気にしないで。他にもバイトの子がいるけど、今日はシフト入ってないから今度紹介するよ」
「はい」
「店長、根本くんはホールでいいですよね?」
面接をした男性は井口と言うらしく、ここの店長だ。
向こうから名乗ってこなかったので、先ほど直接聞いた。
「なんでもいいよ。空いてるところで」
井口は店の奥にあるスツールに座り、競馬新聞を広げながらタバコに火を付けた。
積み上げられた生樽の上にはトレーが置いてあり、灰皿とグラスが乗っている。まるで特等席のようだな、と樹は思った。
「キッチンは足りてるから、根本くんはホールをやろう。今日はあまりお客さんが来ないと思うから、ゆっくり教えるね」
「ありがとうござ……」
「原西、そいつ中卒だから三歳の子でも分かるよう、丁寧に教えてやれ。数字は両手で数えられるまでしか分からないからな」
店長の井口は、馬鹿にしたような笑いを浮かべながら言った。
樹は拳を握り込みグッと堪える。
ここで手を出したら、またいつもと一緒だ。
人生をやり直すためには、舵の切り方を変えなければならない。
我慢という言葉を頭の中で復唱しながら、大きく息を吐いた。
「店長、言っていいこととダメなことがあります」
「そうだったな。今のは良い方か」
ガハハ、と大きな口を開けて、井口は品のない笑いを浮かべた。
「気にしないで。基本無視していいから」
原西は呆れた様子で言った。
アルバイト募集の張り紙が未だにある理由を、樹は理解する。
そして心に灯した火が、感情と共に揺らめいた。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
借金取りに公園で殴られてから一時間後、樹は繁華街の飲み屋通りを歩いていた。
なんでもいいから仕事に就かなければと考えたとき、以前見た、大衆居酒屋のバイト募集の張り紙を思い出した。
時給はそこまで高くなかったが即日採用と記載されていた。それと正社員雇用ありとも。
自分が不得意な接客の仕事だが、今はそんなことを言ってる場合ではない。
どんな仕事でもいいから借金を返して、少しでも普通の人に近づきたいと樹は考えていた。
だが、募集の張り紙は一ヶ月前のことだ。
流石にもう貼ってないかもしれないと思いながら、微かな希望を胸に店の前まで辿り着いた。
なんでもいいから仕事に就かなければと考えたとき、以前見た、大衆居酒屋のバイト募集の張り紙を思い出した。
時給はそこまで高くなかったが即日採用と記載されていた。それと正社員雇用ありとも。
自分が不得意な接客の仕事だが、今はそんなことを言ってる場合ではない。
どんな仕事でもいいから借金を返して、少しでも普通の人に近づきたいと樹は考えていた。
だが、募集の張り紙は一ヶ月前のことだ。
流石にもう貼ってないかもしれないと思いながら、微かな希望を胸に店の前まで辿り着いた。
『アルバイト募集! 時給1100円〜 年齢・経験不当 アットホーム 即日採用 正社員雇用あり 大衆居酒屋・六助』
前に見たものと全く一緒のものが貼られていた。
時給がここより高い場所もあるだろうが、即日採用・正社員雇用という言葉に惹かれた。
合否を待っている時間もないし、待たされることも嫌だ。
そして何より、底辺から抜け出したかった。
真面目に生きるためには、人並みに生きるためには、借金を返さなければならない。
少しずつでいいから社会に溶け込み、誰もが歩く道を同じように進みたい。
中学のときと同様、熱中できるような何かを探して夢や目標も作りたい。
光のない薄汚れた場所から離れるには、まずは仕事に就くことだ。
そして忍耐力を付け、長く働くこと。
当たり前のことをずっとできなかった樹は、今回こそはと気持ちを改め、店の扉を開けた。
中に入ると、昭和の雰囲気が漂うレトロな内装が視界を染めた。
テーブル席がいくつかあり、奥には酒瓶が並べられたカウンター席が見える。
カウンター席の奥には暖簾がかかっており、その先から明かりが漏れていた。
椅子は机の上に上げられており、準備中だということが一目で分かる。
時給がここより高い場所もあるだろうが、即日採用・正社員雇用という言葉に惹かれた。
合否を待っている時間もないし、待たされることも嫌だ。
そして何より、底辺から抜け出したかった。
真面目に生きるためには、人並みに生きるためには、借金を返さなければならない。
少しずつでいいから社会に溶け込み、誰もが歩く道を同じように進みたい。
中学のときと同様、熱中できるような何かを探して夢や目標も作りたい。
光のない薄汚れた場所から離れるには、まずは仕事に就くことだ。
そして忍耐力を付け、長く働くこと。
当たり前のことをずっとできなかった樹は、今回こそはと気持ちを改め、店の扉を開けた。
中に入ると、昭和の雰囲気が漂うレトロな内装が視界を染めた。
テーブル席がいくつかあり、奥には酒瓶が並べられたカウンター席が見える。
カウンター席の奥には暖簾がかかっており、その先から明かりが漏れていた。
椅子は机の上に上げられており、準備中だということが一目で分かる。
「すいません、営業は十七時からなんですよ」
男性が暖簾をくぐって出てきた。
優しそうな空気感を纏っており、店の制服と思われるTシャツを着ている。歳は三十代前半くらいだろうか。樹は穏やかそうな人が出てきたことに安堵した。パっと見は村内のような卑俗さは感じられない。
優しそうな空気感を纏っており、店の制服と思われるTシャツを着ている。歳は三十代前半くらいだろうか。樹は穏やかそうな人が出てきたことに安堵した。パっと見は村内のような卑俗さは感じられない。
「入り口に貼ってあったバイト募集の紙を見て……」
「面接?」
「はい」
「今日、面接入ってたっけな……」
男性は頭の中辿っているのか、視線を宙に向けている。
「いや、約束はしてないです。張り紙を見て、突発的に来ました」
せめて電話してから来るべきだったと後悔した。
切羽詰まっていたこともあり、段階を踏むことを忘れてしまった。
冷静になると気まずさが湧き、樹の視線は自然と床に落ちていく。
切羽詰まっていたこともあり、段階を踏むことを忘れてしまった。
冷静になると気まずさが湧き、樹の視線は自然と床に落ちていく。
「分かった。今、店長呼んでくるから、適当に座ってて」
男性は笑顔を残し、キッチンの奥に消えていった。
断られるかもと不安を抱いたが、とりあえず面接はしてもらえそうだ。
樹は近くの席に腰を下ろし、姿勢を正す。
断られるかもと不安を抱いたが、とりあえず面接はしてもらえそうだ。
樹は近くの席に腰を下ろし、姿勢を正す。
――これから俺は、生まれ変わるんだ
心の中で樹は覚悟を決めた。
人生を振り返れば、下水道で這いずり回るドブネズミのようだった。
社会の底辺という薄汚い真っ暗な世界。
光すらも忘れてしまうような場所に何年も住み続けた。
地上に戻る第一歩は真面目に働くこと。
そこから希望を見出し、自らの手で道を作る。
人生が描かれた根本樹という本には、まだ拙い物語しか刻まれていない。
過去は消さずとも、未来は美しく描ける。
樹は頭の中で今後の人生を描いた。
懸命に生き、目標を追い求める自分の姿を。
人生を振り返れば、下水道で這いずり回るドブネズミのようだった。
社会の底辺という薄汚い真っ暗な世界。
光すらも忘れてしまうような場所に何年も住み続けた。
地上に戻る第一歩は真面目に働くこと。
そこから希望を見出し、自らの手で道を作る。
人生が描かれた根本樹という本には、まだ拙い物語しか刻まれていない。
過去は消さずとも、未来は美しく描ける。
樹は頭の中で今後の人生を描いた。
懸命に生き、目標を追い求める自分の姿を。
「君? 連絡もなしに急に来た子は?」
奥から小太りな五十代くらいの男性が出てきた。
腹を掻きながら顔を顰めており、左手には競馬新聞が握られてる。たぶん店長だろう。
男性は気怠そうに歩いてくると、椅子の軋む音が聞こえてくるほど荒々しく腰を下ろした。
まるで王様のようだ。足は大きく開き、吟味するような視線でこちらを見てくる。
まだ出会って数秒だが胸騒ぎがした。
本能が過去の経験から導き出したのかもしれない。
もしくは野生の勘に近いものなのかもしれない。
今の樹の頭に描かれているのは、懸命に働く自分の姿ではなく、村内の顔だった。
腹を掻きながら顔を顰めており、左手には競馬新聞が握られてる。たぶん店長だろう。
男性は気怠そうに歩いてくると、椅子の軋む音が聞こえてくるほど荒々しく腰を下ろした。
まるで王様のようだ。足は大きく開き、吟味するような視線でこちらを見てくる。
まだ出会って数秒だが胸騒ぎがした。
本能が過去の経験から導き出したのかもしれない。
もしくは野生の勘に近いものなのかもしれない。
今の樹の頭に描かれているのは、懸命に働く自分の姿ではなく、村内の顔だった。
「履歴書は?」
男性は無愛想に聞いてきた。口調には鋭さも感じる。
いい気分ではなかったが、連絡もせずに来たことを考えれば自分に非がある。
無意識に寄った眉間を戻し、樹は再度姿勢を正してから口を開いた。
いい気分ではなかったが、連絡もせずに来たことを考えれば自分に非がある。
無意識に寄った眉間を戻し、樹は再度姿勢を正してから口を開いた。
「すいません、持ってくるのを忘れてしまいました」
樹は何年かぶりに頭を下げた。もしかしたら初めてかもしれない。
普通の人間からしたら当たり前の行為でも、樹にとっては特別なことだった。
社会を嫌悪しているからこそプライドが高くなり、頭を下げるという行為が媚びや平伏すという感覚になっていた。
普通の人間ならそんなことは思わないだろうが、中学のときに夢を笑われた経験が足枷となり、歪んだ考えが根付いてしまっていた。
屈辱感は拭えないが、自分に非がある以上、仕方ないと割り切った。
普通の人間からしたら当たり前の行為でも、樹にとっては特別なことだった。
社会を嫌悪しているからこそプライドが高くなり、頭を下げるという行為が媚びや平伏すという感覚になっていた。
普通の人間ならそんなことは思わないだろうが、中学のときに夢を笑われた経験が足枷となり、歪んだ考えが根付いてしまっていた。
屈辱感は拭えないが、自分に非がある以上、仕方ないと割り切った。
「普通、持ってくるでしょ? 常識ないの?」
男の見下したような目つきと口調に怒りが込み上げる。
だが小さく深呼吸を繰り返し、怒りを胸臆に押し戻した。
金山と会っていなかったら、この時点で胸ぐらは掴んでいたかもしれない。
だが小さく深呼吸を繰り返し、怒りを胸臆に押し戻した。
金山と会っていなかったら、この時点で胸ぐらは掴んでいたかもしれない。
「すいません」
「まあいいや。今はどこかで働いてるの?」
「働いてません」
「ニートね。じゃあ学歴は?」
「中卒です」
「そんな感じしたわ。中卒っぽいもん」
樹はテーブルの下に置いた拳を握り締めた。
手のひらに爪が食い込むほど力強く。
手のひらに爪が食い込むほど力強く。
「週どれくらい出れる?」
「休みなしで出れます」
「マジ? 今人手足りないから助かるわ。今日から出れたりする?」
「はい」
男性は指で顎を摩りながら、何かを考えてる様子だ。
樹としてはこの男の下で働くのは不服だが、今はそんなことを言ってる暇などない。
少しでも借金を返済し、真面目に働きながら普通の人たちと同じ道を辿る。
そしていつか夢を見つけ、本気で生きられるような生活を送りたかった。
そのためには忍耐力を身に付けないといけない。
初めの一歩は、長く勤めることだ。
樹としてはこの男の下で働くのは不服だが、今はそんなことを言ってる暇などない。
少しでも借金を返済し、真面目に働きながら普通の人たちと同じ道を辿る。
そしていつか夢を見つけ、本気で生きられるような生活を送りたかった。
そのためには忍耐力を身に付けないといけない。
初めの一歩は、長く勤めることだ。
「まあいいか、その場しのぎでも。君採用。今日から宜しくね」
「いいんですか?」
「うん、いいよ。本当は若くて可愛い子がいいけど、女の子だとすぐ辞めちゃうから。やっぱ女には飲み屋の仕事は務まらないんだよな」
一言多いと思いながらも働けることに安堵した。
この一歩から人生を変え、底辺から抜け出すための足掛かりにしたい。
以前は生活のために働いていたが、今は自分を変えるために仕事をしたいと思っている。
我慢することと、手を出さないこと。
樹は心の中で誓いを立てた。
この一歩から人生を変え、底辺から抜け出すための足掛かりにしたい。
以前は生活のために働いていたが、今は自分を変えるために仕事をしたいと思っている。
我慢することと、手を出さないこと。
樹は心の中で誓いを立てた。
「あと、正社員になれるって張り紙に書いてあったんですけど」
「社員になりたいの?」
「はい」
「頑張ってくれればなれるよ。まあ、俺次第だけど」
「頑張ります。社員になれるように」
不安は色濃く漂うが、強引に頭の中で希望を見出した。
もし村内のような人間だったとしても、ここで耐えることができれば自分は変われる。
真っ当な道に戻るためには多少の苦難は必要だ。
樹は自分に言い聞かすように、何度も大丈夫と心の中で唱えた。
もし村内のような人間だったとしても、ここで耐えることができれば自分は変われる。
真っ当な道に戻るためには多少の苦難は必要だ。
樹は自分に言い聞かすように、何度も大丈夫と心の中で唱えた。
「今日から入る根本樹。まあ可愛いがってやってよ」
カウンター席の奥にある暖簾をくぐると、コンロ台やビールのサーバー、フリードリンク用のディスペンサーが並ぶ厨房があった。
そこには男性が三名いて、一人は店に入って一番最初に声をかけてきた優しそうな人だ。
そこには男性が三名いて、一人は店に入って一番最初に声をかけてきた優しそうな人だ。
「根本くん、宜しくね。俺は原西大地。ここの社員」
彼は先ほどと変わらない柔らかな表情で名乗った。募っていた不安が少しだけ溶けてゆく。
「宜しくお願いします」
「あとこの二人も社員。彼らはキッチン担当」
原西の後ろには五十代くらいの男性と二十代半ばの男性がいる。二人は仕込みをしており、串に肉を刺していた。
「宜しくお願いします」
樹が頭を下げると、五十代の方は無反応。
若い方の男性は無表情で軽く頭を下げてきた。雰囲気はどこか暗い。
若い方の男性は無表情で軽く頭を下げてきた。雰囲気はどこか暗い。
「まあいつもこんな感じだから気にしないで。他にもバイトの子がいるけど、今日はシフト入ってないから今度紹介するよ」
「はい」
「店長、根本くんはホールでいいですよね?」
面接をした男性は井口と言うらしく、ここの店長だ。
向こうから名乗ってこなかったので、先ほど直接聞いた。
向こうから名乗ってこなかったので、先ほど直接聞いた。
「なんでもいいよ。空いてるところで」
井口は店の奥にあるスツールに座り、競馬新聞を広げながらタバコに火を付けた。
積み上げられた生樽の上にはトレーが置いてあり、灰皿とグラスが乗っている。まるで特等席のようだな、と樹は思った。
積み上げられた生樽の上にはトレーが置いてあり、灰皿とグラスが乗っている。まるで特等席のようだな、と樹は思った。
「キッチンは足りてるから、根本くんはホールをやろう。今日はあまりお客さんが来ないと思うから、ゆっくり教えるね」
「ありがとうござ……」
「原西、そいつ中卒だから三歳の子でも分かるよう、丁寧に教えてやれ。数字は両手で数えられるまでしか分からないからな」
店長の井口は、馬鹿にしたような笑いを浮かべながら言った。
樹は拳を握り込みグッと堪える。
ここで手を出したら、またいつもと一緒だ。
人生をやり直すためには、舵の切り方を変えなければならない。
我慢という言葉を頭の中で復唱しながら、大きく息を吐いた。
樹は拳を握り込みグッと堪える。
ここで手を出したら、またいつもと一緒だ。
人生をやり直すためには、舵の切り方を変えなければならない。
我慢という言葉を頭の中で復唱しながら、大きく息を吐いた。
「店長、言っていいこととダメなことがあります」
「そうだったな。今のは良い方か」
ガハハ、と大きな口を開けて、井口は品のない笑いを浮かべた。
「気にしないで。基本無視していいから」
原西は呆れた様子で言った。
アルバイト募集の張り紙が未だにある理由を、樹は理解する。
そして心に灯した火が、感情と共に揺らめいた。
アルバイト募集の張り紙が未だにある理由を、樹は理解する。
そして心に灯した火が、感情と共に揺らめいた。