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八話 揺れない花

ー/ー



 竜一は大通りにある洋菓子店でお土産を買った後、車を止めたパーキングへと向かっていた。
 ビルが立ち並ぶ東京の街並み。
 普段は海沿いのコテージに住んでいるため、無表情なコンクリートの建物がどこか冷淡に見える。
 ただ人を収容するだけの箱。
 昔はそんな風に思ったこともなかったが、東京を離れてから景色の感じ方に変化があった。
 下田にあるコテージで、色んな人間の心の内を覗いてきた。
 若い頃には見ようともしなかった人の苦悩。
 理解できなかった利益のない優しさ。
 それらに触れてから、影で咲く小さな花でさえも足を止めるようになった。
 過去の自分が聞いたら鼻で笑うだろう。
 力がすべてだと思っていた、あの頃の竜一なら。
 数分ほど歩くと、路肩に黒のミニバンが止まった。
 車体のスライドドアが開き、後部座席から男性が降りてくる。
 ストライプが入ったネイビーのスーツ、白のワイシャツにえんじ色のネクタイを組み合わせ、袖口からは銀色の高級そうな腕時計が光る。
 格好だけ見ればビジネスマンのようだが、明らかに纏っている雰囲気は堅気ではない。

「お久しぶりです、竜一さん」
「哲也」

 久しく会っていなかった後輩。
 ヤンチャしていたときの悪友である宮田哲也。
 前よりも落ち着きは感じられるが、目の鋭さは健在だった。

「こっち戻ってきてたんですね」

「知人に会いにきただけだ。夜には帰る」

「時間ありますか? どうせならお茶ぐらいしましょうよ。お互い募る話もあるでしょうから」

 
 竜一は宮田と共に近くのカフェに来ていた。
 宮田の誘いを断ろうとも考えたが、十年ぶりの再会のため、少しならと承諾した。

「まだやってるんですか? 人助け」

「別に助けてるってわけじゃねえよ。生きてりゃしんどくなるときもある。そんときの休憩所みたいなもんだ」

「まあ、そういう場所があってもいいのかもしれないですね。俺は理解できないけど」

 東京を離れるとき、宮田にコテージのことを話した。
 当時はあまり良い反応を示してなかったが、今も同じような顔をしている。

「歩く道が違えば、同じものを見ていても感じ方は違ってくる。見る角度が変われば理解できるよ」

「昔はあれだけ暴れ回ってたのに。同じ人の言葉とは思えないですね」

 若い頃は喧嘩に明け暮れていた。
 バーテン、スカウト、セキュリティーなどの仕事を転々としながら意味もなく生きていた。
 早死にすると思っていた人生も、今は余生の生き方を考えている。

「まだヤクザやってるの?」

「ええ、今も金貸しやってます。最近はネットがあるから無駄に知識のある奴が増えたんで、やりづらくはなりましたけど。まあ、それでもアホは借りてきます。俺が言うのもなんですけど、本当にどうしようもないクズばっかりですよ」

 竜一はヤクザにはならなかった。
 誘われてはいたが、軍隊のような上下関係で縛られるのが嫌だった。
 ただ好きなように生きたい。
 中途半端に彷徨っていた、若い頃の自分を思い出した。

「社会の底辺にいるのと、人としての底辺は違う。言い訳ばかりの人間なら、どんなことがあっても変われはしないが、地べたで這いつくばりながらも真っ直ぐ進もうとする奴なら、たとえクズでも変われるさ」

 竜一の言葉に、宮田は顔を顰める。

「期待しすぎですよ。クズはクズです。道端のゴミがダイヤモンドに変わるなんてことはないでしょ? あいつらは人として底辺だから、社会の底辺にいるんです。一生地べたを這いつくばるだけの人生ですよ」

 竜一はテーブルに視線を移した。
 お互いの前にはアイスコーヒーが置かれている。
 宮田のグラスには半分、竜一のグラスには八割ほどコーヒーが入っている。

「もし同じ値段なら、お前はどっちを選ぶ」

 竜一は自分のグラスを、宮田のグラスの隣に置いた。

「普通は多い方でしょ」

「じゃあ、待ち合わせまでの時間潰しで、十五分だけ喫茶店に滞在するってなったらどっちを選ぶ?」

「半分の方ですね。確実に飲み切れるので。でも喉が乾いてたらそっちです」

 宮田は竜一のグラスを指した。

「バックボーンやシュチュエーションで選び方は変わる。普通は多い方を選ぶから、少ない方を選択すると理解されない。でも理由が分かれば見え方は違ってくる。人の言動は育ってきた環境だったり、周りの人間に左右されながら舵取りをしてる。大切なのは何を選ぶかではなく、なぜ選ぶのか。言動の裏側に縫われた理由が分かれば、変わるために必要なものが分かる。でもほとんどの人間が自分を知らないし、知ろうともしない。だから変われないと思い込んで諦めてしまう。今は分からないってだけなのに。最下層にいようが、変わろうとする意思は持てる。それすら持とうとしない奴のことを言ってるなら、哲也の意見に同意するけど」

 お互い、社会の底辺にいる人間の見え方が違う。
 竜一はどう育てるか。
 宮田はどう搾取するか。
 人の見方が変わった分、言葉の使い方も変わった。
 十年前の竜一だったら、このようなことは言っていなかっただろう。
 二人の間には明らかな温度差があった。

「竜一さん丸くなりましたね。昔は近づくのも憚られるほど殺気立ってたけど、今は棘が抜けたように感じます。なんか柔らかくなったていうか」

「昔は刃を剥き出しにしてただけだ。丸くなったってのは、鞘に収めて不用意に抜かなくなったってこと。必要なときは抜くし、(つか)に手をかけるときもある。でも無駄に刃は見せない。抜くときは守りたいものがあるときだけだ」

 舐められたくない、弱さを見せたくない、常に強者でいたい。
 そんな考えが過去にはあったが、今はなくなっていた。
 若い頃は自分視点で世界を見ていたが、鞘に収めるようになってからは、俯瞰して世の中や人を見るようになった。
 握っていた刀を収めた分、掴めるものが増えたし、余裕もできた。
 時に人は、大事にしてるものを手放すことで変わることができる。
 竜一はそれを誰よりも理解していた。

「またこっちの世界に引き入れようと思ってたんですけど、無理そうですね。使える奴が少ないから来てほしかったんだけど、あの頃とはもう別人だ。でもどうです? もう一回こっちの世界に来ませんか? 竜一さんなら、それなりに稼げると思いますよ」

「時間はかかったけど、今の生き方が気に入ってる。他人からしたら見窄らしい遅咲きの花かもしれないが、俺にとっては人生を飾る美しい花だ。三つ星のフルコースで腹を満たせたとしても、飽きるほどいい女を抱ける夜が待っていたとしても、この花だけは枯らすつもりはねえよ」

 竜一の言葉に、宮田は少しだけ口角を上げた。

「自分の決めたことは曲げない。そういう所は変わってませんね。俺が竜一さんを慕ってた理由はそこです。薄汚れた世界にいると自分の利益が一番になるから、人をゴミか金としか思えなくなる。人情なんて豚の餌にもなりませんからね。久しぶりですよ、人と会った気がしたのは。何年ぶりだろ、この感覚。そうだ、覚えてます? 竜一さんが電車で酔っ払いと喧嘩したとき、俺が間に入ったでしょ。そんときにゲロ吐かれて……」

 宮田は債務者からは間違いなく疎まれているだろうし、世間からは嫌悪される存在だ。普通の人間なら悪魔のように思うだろう。
 だが、思い出話しに花を咲かせる宮田は、周りとなんら変わらない普通の人のようだった。
 誰といるか、どこにいるか。
 たったそれだけのことで人の見え方は変わる。
 竜一はそんなことを思いながら、楽しそうに思い出を話す、宮田の声を耳に入れていた。


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 竜一は大通りにある洋菓子店でお土産を買った後、車を止めたパーキングへと向かっていた。
 ビルが立ち並ぶ東京の街並み。
 普段は海沿いのコテージに住んでいるため、無表情なコンクリートの建物がどこか冷淡に見える。
 ただ人を収容するだけの箱。
 昔はそんな風に思ったこともなかったが、東京を離れてから景色の感じ方に変化があった。
 下田にあるコテージで、色んな人間の心の内を覗いてきた。
 若い頃には見ようともしなかった人の苦悩。
 理解できなかった利益のない優しさ。
 それらに触れてから、影で咲く小さな花でさえも足を止めるようになった。
 過去の自分が聞いたら鼻で笑うだろう。
 力がすべてだと思っていた、あの頃の竜一なら。
 数分ほど歩くと、路肩に黒のミニバンが止まった。
 車体のスライドドアが開き、後部座席から男性が降りてくる。
 ストライプが入ったネイビーのスーツ、白のワイシャツにえんじ色のネクタイを組み合わせ、袖口からは銀色の高級そうな腕時計が光る。
 格好だけ見ればビジネスマンのようだが、明らかに纏っている雰囲気は堅気ではない。
「お久しぶりです、竜一さん」
「哲也」
 久しく会っていなかった後輩。
 ヤンチャしていたときの悪友である宮田哲也。
 前よりも落ち着きは感じられるが、目の鋭さは健在だった。
「こっち戻ってきてたんですね」
「知人に会いにきただけだ。夜には帰る」
「時間ありますか? どうせならお茶ぐらいしましょうよ。お互い募る話もあるでしょうから」
 竜一は宮田と共に近くのカフェに来ていた。
 宮田の誘いを断ろうとも考えたが、十年ぶりの再会のため、少しならと承諾した。
「まだやってるんですか? 人助け」
「別に助けてるってわけじゃねえよ。生きてりゃしんどくなるときもある。そんときの休憩所みたいなもんだ」
「まあ、そういう場所があってもいいのかもしれないですね。俺は理解できないけど」
 東京を離れるとき、宮田にコテージのことを話した。
 当時はあまり良い反応を示してなかったが、今も同じような顔をしている。
「歩く道が違えば、同じものを見ていても感じ方は違ってくる。見る角度が変われば理解できるよ」
「昔はあれだけ暴れ回ってたのに。同じ人の言葉とは思えないですね」
 若い頃は喧嘩に明け暮れていた。
 バーテン、スカウト、セキュリティーなどの仕事を転々としながら意味もなく生きていた。
 早死にすると思っていた人生も、今は余生の生き方を考えている。
「まだヤクザやってるの?」
「ええ、今も金貸しやってます。最近はネットがあるから無駄に知識のある奴が増えたんで、やりづらくはなりましたけど。まあ、それでもアホは借りてきます。俺が言うのもなんですけど、本当にどうしようもないクズばっかりですよ」
 竜一はヤクザにはならなかった。
 誘われてはいたが、軍隊のような上下関係で縛られるのが嫌だった。
 ただ好きなように生きたい。
 中途半端に彷徨っていた、若い頃の自分を思い出した。
「社会の底辺にいるのと、人としての底辺は違う。言い訳ばかりの人間なら、どんなことがあっても変われはしないが、地べたで這いつくばりながらも真っ直ぐ進もうとする奴なら、たとえクズでも変われるさ」
 竜一の言葉に、宮田は顔を顰める。
「期待しすぎですよ。クズはクズです。道端のゴミがダイヤモンドに変わるなんてことはないでしょ? あいつらは人として底辺だから、社会の底辺にいるんです。一生地べたを這いつくばるだけの人生ですよ」
 竜一はテーブルに視線を移した。
 お互いの前にはアイスコーヒーが置かれている。
 宮田のグラスには半分、竜一のグラスには八割ほどコーヒーが入っている。
「もし同じ値段なら、お前はどっちを選ぶ」
 竜一は自分のグラスを、宮田のグラスの隣に置いた。
「普通は多い方でしょ」
「じゃあ、待ち合わせまでの時間潰しで、十五分だけ喫茶店に滞在するってなったらどっちを選ぶ?」
「半分の方ですね。確実に飲み切れるので。でも喉が乾いてたらそっちです」
 宮田は竜一のグラスを指した。
「バックボーンやシュチュエーションで選び方は変わる。普通は多い方を選ぶから、少ない方を選択すると理解されない。でも理由が分かれば見え方は違ってくる。人の言動は育ってきた環境だったり、周りの人間に左右されながら舵取りをしてる。大切なのは何を選ぶかではなく、なぜ選ぶのか。言動の裏側に縫われた理由が分かれば、変わるために必要なものが分かる。でもほとんどの人間が自分を知らないし、知ろうともしない。だから変われないと思い込んで諦めてしまう。今は分からないってだけなのに。最下層にいようが、変わろうとする意思は持てる。それすら持とうとしない奴のことを言ってるなら、哲也の意見に同意するけど」
 お互い、社会の底辺にいる人間の見え方が違う。
 竜一はどう育てるか。
 宮田はどう搾取するか。
 人の見方が変わった分、言葉の使い方も変わった。
 十年前の竜一だったら、このようなことは言っていなかっただろう。
 二人の間には明らかな温度差があった。
「竜一さん丸くなりましたね。昔は近づくのも憚られるほど殺気立ってたけど、今は棘が抜けたように感じます。なんか柔らかくなったていうか」
「昔は刃を剥き出しにしてただけだ。丸くなったってのは、鞘に収めて不用意に抜かなくなったってこと。必要なときは抜くし、|柄《つか》に手をかけるときもある。でも無駄に刃は見せない。抜くときは守りたいものがあるときだけだ」
 舐められたくない、弱さを見せたくない、常に強者でいたい。
 そんな考えが過去にはあったが、今はなくなっていた。
 若い頃は自分視点で世界を見ていたが、鞘に収めるようになってからは、俯瞰して世の中や人を見るようになった。
 握っていた刀を収めた分、掴めるものが増えたし、余裕もできた。
 時に人は、大事にしてるものを手放すことで変わることができる。
 竜一はそれを誰よりも理解していた。
「またこっちの世界に引き入れようと思ってたんですけど、無理そうですね。使える奴が少ないから来てほしかったんだけど、あの頃とはもう別人だ。でもどうです? もう一回こっちの世界に来ませんか? 竜一さんなら、それなりに稼げると思いますよ」
「時間はかかったけど、今の生き方が気に入ってる。他人からしたら見窄らしい遅咲きの花かもしれないが、俺にとっては人生を飾る美しい花だ。三つ星のフルコースで腹を満たせたとしても、飽きるほどいい女を抱ける夜が待っていたとしても、この花だけは枯らすつもりはねえよ」
 竜一の言葉に、宮田は少しだけ口角を上げた。
「自分の決めたことは曲げない。そういう所は変わってませんね。俺が竜一さんを慕ってた理由はそこです。薄汚れた世界にいると自分の利益が一番になるから、人をゴミか金としか思えなくなる。人情なんて豚の餌にもなりませんからね。久しぶりですよ、人と会った気がしたのは。何年ぶりだろ、この感覚。そうだ、覚えてます? 竜一さんが電車で酔っ払いと喧嘩したとき、俺が間に入ったでしょ。そんときにゲロ吐かれて……」
 宮田は債務者からは間違いなく疎まれているだろうし、世間からは嫌悪される存在だ。普通の人間なら悪魔のように思うだろう。
 だが、思い出話しに花を咲かせる宮田は、周りとなんら変わらない普通の人のようだった。
 誰といるか、どこにいるか。
 たったそれだけのことで人の見え方は変わる。
 竜一はそんなことを思いながら、楽しそうに思い出を話す、宮田の声を耳に入れていた。