表示設定
表示設定
目次 目次




四話 小さな灯火

ー/ー



 休憩時間に入り、待合室には人が溢れていた。
 樹は自販機でカップ麺を買い、お湯を入れた後に奥の二名席に着く。
 村内と一緒だったこともあり、いつも以上に疲労が溜まっている。
 小さくため息を吐くと、目の前に誰かが立った。
 顔を上げると、申し訳なさそうに体を縮こませている金山が視界に映る。

「迷惑かけてごめん。休憩後は絶対にミスしないから」

 樹にとってはどうでもいいことだった。
 それよりも、一人で過ごしたいから早くどこかへ行ってほしいという気持ちの方が強い。

「別に気にしてない」

 金山は何を思っているか分からないが、無言のまま立ち尽くしていた。
 樹はどうしていいか分からず、「取り敢えず座れば」と返す。

「ごめん」

 なぜ座っての返答が「ごめん」なのかは分からなかったが、自分の言葉を後悔した。
 この流れだと今日の休憩は一人で過ごせない。
 だが、どこかに行けなんて言える空気でもなかった。
 金山は何も言わず、ただ俯いている。

「別に気にしなくていいだろ。ミスくらい誰にでもあるんだから」

 普段は他人に気を使わない樹も、金山の負の空気感に呑まれ、励ましの言葉を贈ってしまう。

「僕ね、仕事を転々としてるんだ。どこに行ってもミスばっかりで、色んな人に迷惑をかけてきた。こんな人間じゃ社員は務まらないと思って、派遣をすることにしたんだ。単調な作業なら僕でもこなせると思ったし、長く続けられるとも思って。だけど、簡単なことすらまともにできない。ミスしないようにって気をつけてるのに、それでもミスが起きる。家に帰ってから何度も反省するけど、次の日にはまた同じことを繰り返す。自分が本当に情けない」

 実際、金山は仕事を真面目に取り組んでいる。
 気怠そうにしてるわけでもなく、サボることもない。
 むしろ、誰よりも懸命だった。

「真面目に生きてても良いことなんてねーよ。頑張るだけ無駄なんだから。たかだか梱包くらいで、そこまで落ち込むことねえだろ」

「そうかもしれないけど……」

――お前だけだよ。真面目にやってる奴。はっきり言うけど、ダサいぞ
 樹は中学のときに言われた同級生の言葉を思い出した。
 頭の片隅に仕舞っている、嫌悪が纏う記憶。
 あの日の出来事が蘇り、少しばかり苛立ちが募る。

「僕は最下層の人間だから、社会ではゴミクズみたいに扱われる。でもそれは自分の能力が低いから仕方ない。だけど諦めたくないんだ。こんな人間でも、いつか報われるって思いたい。一生懸命生きてれば人は変われるし、見られ方も変えられる」

「なんでそんなに真面目に生きようとするんだよ。期待したって失望するだけだろ?」

 人は変わらないし、変えられない。
 社会は不適合者を弾きたいし、底辺で生きる人間に価値なんてない。
 一度レールから外れた人間に対し、世間は冷たくあしらう。
 頑張っても恥をかくだけだし、誰も認めてはくれない。
 懸命に生きても報われることなんてないのだから、足掻くだけ無駄だ。
 樹は過去の経験からそう感じていた。

「幼い頃からおばあちゃん子だったんだ。僕がいじめられて帰ってきても、いつも味方になってくれたし、優しい言葉をかけてくれた。僕が仕事を転々としても大丈夫だからって励ましてくれる。足の踏み場もない世界で唯一の居場所だった。でも……」

 金山の表情に影が差し込んだ。
 どこか雰囲気が暗く、重たい空気が二人の間に漂った。

「二ヶ月前に癌で亡くなったんだ。おばあちゃんは闘病中も一切弱音を吐かなかった。たぶん励ましてくれていたんだと思う。私は病気に負けない。だから一緒に頑張ろうって」

 樹は他人の話を真剣に聞くことはあまりないが、今は耳を傾けていた。
 目の前に置かれた、お湯の入ったカップラーメンを忘れるほどに。

「亡くなる何日か前に最後の言葉を貰った。こんなどうしようもない人間に、『あなたなら変われる』って言ってくれだんだ。そのときの僕は仕事を辞めたばかりで半年も無職だった。もう何もしたくないし、生きてる意味もないって感じてたんだけど、このままじゃいけないと思った。世界中の人が否定するようなことでも、おばあちゃんだけは本気でできると信じてくれた。だから証明したいんだ。何も持ってないダメな人間でも変わることができるって。それが僕にできる最大の恩返しだから」

 金山を同じ底辺の人間だと思っていた。
 光を浴びることなく、誰にも知られないまま死んでいく存在だと。
 だが生きる目的がある分、自分よりもまともなのかもしれない。
 諦めた人間と抗う人間。
 樹は直向きに野球に向き合っていたあの頃の自分を思い出していた。

「ごめんね、自分語りなんか始めちゃって。根本くんは僕のことを対等に見てくれてるような気がしてたから、つい話し込んじゃった」

 樹は対等とかそんなことは一切考えていない。
 ただ興味がなかっただけ。
 それは金山だからではなく、どんな人間に対してもだ。
 金山自身、ずっと虐げられながら生きてきたのかもしれない。
 だから無関心すら、良い方に受け取ってしまう。
 金山の周りいた人間と、自分はなんら変わらない。
 樹はそう思いながら、目の前のカップラーメンに視線をやった。

「ごめん、もう伸びちゃってるよね。こういう気遣いができないから、仕事もままならないんだよね。もっと気をつけないと。ああ、もう、自分が情けない」

 祖母の話を聞いていなかったら、金山に対して苛立っていたかもしれない。
 だが今は、名状し難い感情が胸の中で渦巻いていた。

「俺よりもマシな生き方してるよ」

「え?」

「俺は人と関わるのが苦手だから仕事は続かない。そのうえ、気に食わなかったらすぐに手も出す。生きる意味も持ってない社会不適合者のクズだって分かってるけど、それでも変えようとも思わない。あんたは生きようとしてる分、だいぶまともだよ」

 いつからか生きることを諦めた。
 夢を笑われ、目標を捨てたあの日から時計は止まったまま。
 金山の話を聞いて、言葉にし難い感情が胸の中を彷徨っている。
 俺は何をしたいのだろうか。
 樹は自問自答をするが、白紙の上に何も描けなかった。

「僕からしたら根本くんは可能性しかない人だよ。自分の過去を振り返ると、あのときこうしていればってことがたくさんある。もう取り戻せないけど、後悔だけは残るんだ。僕の歳になると一つの失敗で厳しい見方をされる。若いときにもっともがいていれば、違う生き方になってたかもしれない。なんで戦わなかったんだろうって、毎日悔やんでる。僕は逃げ方を間違えた」

 もしあのままプロ野球選手を目指していたら、自分の人生は変わっていたのだろうか?
 樹はそんなことを考えていた。
 あのときの実力では夢を叶えることはできなかっただろう。
 でも努力を続けていたら、変わったかもしれない。
 そう思うと、胸の奥底で後悔が顔を出した。

「人は変われないって思ってたけど、頑張れば変われると思うんだ。この歳では遅いかもしれないけど、それでも抗いたい。自分の弱さに負けないように」

 樹はここ数年、直向きに何かを取り組んだことがない。
 真面目に生きても報われないと思っていたから。
 だが目の前にいる平凡以下の人間は、もがきながらも懸命に咲かせようとしている。
 今はまだ見窄らしいが、あの日の自分が育てていたものと似ているような気がした。

「中学のときにプロ野球選手を目指してた。上手い奴らと比べたら実力は足りなかったけど、努力すれば必ず夢は叶うって思ってた」

 樹は中学の時のことや、その後の生き方を金山に話した。
 人生の分岐点となった引退試合。
 手を出して仕事をクビになったこと。
 坂を転がり落ちるように下降線を辿る日々。
 なぜ過去を他人に話しているのか樹自身にも分からなかったが、自然と口は動いていた。
 目の前で咲こうとしている一輪に、孤独じゃないと語りかけるように。

「人生って難しいよね」 

 樹が話し終えると、金山はそう言った。

「生きようとすれば必ず誰かと関わらなければならない。道を作れたとしても、真っ直ぐ歩けるかは周りの環境に左右される。その中に悪意のある人たちがいれば、立ち止まるか道を変えるしかない。僕の場合は自分の能力不足で躓いたけど、根本くんは違う。すぐに手を出してしまうのは、夢をバカにされた経験からきてるんだと思う。舐められたくないって気持ちが感情の手綱を引いてる」

 金山の言う通りだった。
 少しでも舐められてると感じたら、相手を許すことができなくなる。
 我慢や受け流すという選択肢もあるが、感情が突っ走って力でねじ伏せることを選んでしまう。
 最下層のクズだと自認しているが、見下されたくはない。
 社会不適合者ではあるが、プライドだけはまだ残っている。
 中途半端に生きてしまう理由は、社会に迎合することを割り切れないからだ。
 ただ早く生まれただけの人間に偉そうにされることも嫌だし、媚びへつらうこともしたくない。
 夢をバカにされた経験が、樹の生き方を縛りつけていた。
 他人と関わりたくないのは信用できないということもあるが、影響を受けたくないということもあった。
 だが過去が足枷となっている以上、他人の影響で今を生きている。
 自分の矛盾さに気づき、樹は少しばかり戸惑っていた。

「世の中は暴力を認めない。殴られても仕方ない人間でも、殴った側に不適合者のレッテルが貼られる。人は表面で見える部分でしか判断してくれないから。見えないところで何を思っているかなんて、赤の他人は気にも留めない。僕みたいな人間に言われたくないかもしれないけど、根本くんは良い人生を送れると思う。今は過去の経験に縛られて、社会というものを色眼鏡で見てる。悪い大人もたくさんいるけど、信用できる人もいるよ。僕みたいになってほしくないから人生を諦めないでほしい。真面目なことは、悪いことではないから」

 捨てたはずの生き方を、金山は差し出してきた。
 でもそれを受け取っていいのかどうかは分からない。
 もう笑われたくないし、バカにされるのも嫌だ。
 だけど嬉しさもある。
 散らせた花が、また咲いたような気がしたから。
 希望すら持てない社会の底辺で、薄らと光が差したような気がした。

「金山さん、梱包するときに焦りすぎだよ。取り返そうとしなくていいし、今は他人の目も気にしなくていい。自分のキャパを超えようと思ってもミスをするだけ。大きく進もうとしなくていいから、できる範囲をこなせるようにしたほうがいい。少しずつでも進んでいれば、いつか認めてもらえるよ」

 他人と関わろうとしなかった自分が、人にアドバイスをするなんて想像もしていなかった。
 境界線を引き、狭い範囲で生きていた樹にとって大きな変化だ。
 腐った世の中でも、まだ息ができる場所があるのかもと、少しだけ期待を抱いた。

「ありがとう。そうしてみる」

 金山が笑顔で返してきたため、樹は照れ臭くなった。

「飯、食っていい?」

「ごめん、もう伸びちゃってるよね。新しいの買ってこようか?」

「いいよ。それより金山さんもなんか食いなよ」

「うん。じゃあパン買ってくるね」

 金山は立ち上がり、自販機に向かっていった。
 樹はカップラーメンの蓋を開け、汁を吸った麺を啜る。
 ふやけてはいるが、悪くはなかった。


次のエピソードへ進む 五話 冒涜


みんなのリアクション

 休憩時間に入り、待合室には人が溢れていた。
 樹は自販機でカップ麺を買い、お湯を入れた後に奥の二名席に着く。
 村内と一緒だったこともあり、いつも以上に疲労が溜まっている。
 小さくため息を吐くと、目の前に誰かが立った。
 顔を上げると、申し訳なさそうに体を縮こませている金山が視界に映る。
「迷惑かけてごめん。休憩後は絶対にミスしないから」
 樹にとってはどうでもいいことだった。
 それよりも、一人で過ごしたいから早くどこかへ行ってほしいという気持ちの方が強い。
「別に気にしてない」
 金山は何を思っているか分からないが、無言のまま立ち尽くしていた。
 樹はどうしていいか分からず、「取り敢えず座れば」と返す。
「ごめん」
 なぜ座っての返答が「ごめん」なのかは分からなかったが、自分の言葉を後悔した。
 この流れだと今日の休憩は一人で過ごせない。
 だが、どこかに行けなんて言える空気でもなかった。
 金山は何も言わず、ただ俯いている。
「別に気にしなくていいだろ。ミスくらい誰にでもあるんだから」
 普段は他人に気を使わない樹も、金山の負の空気感に呑まれ、励ましの言葉を贈ってしまう。
「僕ね、仕事を転々としてるんだ。どこに行ってもミスばっかりで、色んな人に迷惑をかけてきた。こんな人間じゃ社員は務まらないと思って、派遣をすることにしたんだ。単調な作業なら僕でもこなせると思ったし、長く続けられるとも思って。だけど、簡単なことすらまともにできない。ミスしないようにって気をつけてるのに、それでもミスが起きる。家に帰ってから何度も反省するけど、次の日にはまた同じことを繰り返す。自分が本当に情けない」
 実際、金山は仕事を真面目に取り組んでいる。
 気怠そうにしてるわけでもなく、サボることもない。
 むしろ、誰よりも懸命だった。
「真面目に生きてても良いことなんてねーよ。頑張るだけ無駄なんだから。たかだか梱包くらいで、そこまで落ち込むことねえだろ」
「そうかもしれないけど……」
――お前だけだよ。真面目にやってる奴。はっきり言うけど、ダサいぞ
 樹は中学のときに言われた同級生の言葉を思い出した。
 頭の片隅に仕舞っている、嫌悪が纏う記憶。
 あの日の出来事が蘇り、少しばかり苛立ちが募る。
「僕は最下層の人間だから、社会ではゴミクズみたいに扱われる。でもそれは自分の能力が低いから仕方ない。だけど諦めたくないんだ。こんな人間でも、いつか報われるって思いたい。一生懸命生きてれば人は変われるし、見られ方も変えられる」
「なんでそんなに真面目に生きようとするんだよ。期待したって失望するだけだろ?」
 人は変わらないし、変えられない。
 社会は不適合者を弾きたいし、底辺で生きる人間に価値なんてない。
 一度レールから外れた人間に対し、世間は冷たくあしらう。
 頑張っても恥をかくだけだし、誰も認めてはくれない。
 懸命に生きても報われることなんてないのだから、足掻くだけ無駄だ。
 樹は過去の経験からそう感じていた。
「幼い頃からおばあちゃん子だったんだ。僕がいじめられて帰ってきても、いつも味方になってくれたし、優しい言葉をかけてくれた。僕が仕事を転々としても大丈夫だからって励ましてくれる。足の踏み場もない世界で唯一の居場所だった。でも……」
 金山の表情に影が差し込んだ。
 どこか雰囲気が暗く、重たい空気が二人の間に漂った。
「二ヶ月前に癌で亡くなったんだ。おばあちゃんは闘病中も一切弱音を吐かなかった。たぶん励ましてくれていたんだと思う。私は病気に負けない。だから一緒に頑張ろうって」
 樹は他人の話を真剣に聞くことはあまりないが、今は耳を傾けていた。
 目の前に置かれた、お湯の入ったカップラーメンを忘れるほどに。
「亡くなる何日か前に最後の言葉を貰った。こんなどうしようもない人間に、『あなたなら変われる』って言ってくれだんだ。そのときの僕は仕事を辞めたばかりで半年も無職だった。もう何もしたくないし、生きてる意味もないって感じてたんだけど、このままじゃいけないと思った。世界中の人が否定するようなことでも、おばあちゃんだけは本気でできると信じてくれた。だから証明したいんだ。何も持ってないダメな人間でも変わることができるって。それが僕にできる最大の恩返しだから」
 金山を同じ底辺の人間だと思っていた。
 光を浴びることなく、誰にも知られないまま死んでいく存在だと。
 だが生きる目的がある分、自分よりもまともなのかもしれない。
 諦めた人間と抗う人間。
 樹は直向きに野球に向き合っていたあの頃の自分を思い出していた。
「ごめんね、自分語りなんか始めちゃって。根本くんは僕のことを対等に見てくれてるような気がしてたから、つい話し込んじゃった」
 樹は対等とかそんなことは一切考えていない。
 ただ興味がなかっただけ。
 それは金山だからではなく、どんな人間に対してもだ。
 金山自身、ずっと虐げられながら生きてきたのかもしれない。
 だから無関心すら、良い方に受け取ってしまう。
 金山の周りいた人間と、自分はなんら変わらない。
 樹はそう思いながら、目の前のカップラーメンに視線をやった。
「ごめん、もう伸びちゃってるよね。こういう気遣いができないから、仕事もままならないんだよね。もっと気をつけないと。ああ、もう、自分が情けない」
 祖母の話を聞いていなかったら、金山に対して苛立っていたかもしれない。
 だが今は、名状し難い感情が胸の中で渦巻いていた。
「俺よりもマシな生き方してるよ」
「え?」
「俺は人と関わるのが苦手だから仕事は続かない。そのうえ、気に食わなかったらすぐに手も出す。生きる意味も持ってない社会不適合者のクズだって分かってるけど、それでも変えようとも思わない。あんたは生きようとしてる分、だいぶまともだよ」
 いつからか生きることを諦めた。
 夢を笑われ、目標を捨てたあの日から時計は止まったまま。
 金山の話を聞いて、言葉にし難い感情が胸の中を彷徨っている。
 俺は何をしたいのだろうか。
 樹は自問自答をするが、白紙の上に何も描けなかった。
「僕からしたら根本くんは可能性しかない人だよ。自分の過去を振り返ると、あのときこうしていればってことがたくさんある。もう取り戻せないけど、後悔だけは残るんだ。僕の歳になると一つの失敗で厳しい見方をされる。若いときにもっともがいていれば、違う生き方になってたかもしれない。なんで戦わなかったんだろうって、毎日悔やんでる。僕は逃げ方を間違えた」
 もしあのままプロ野球選手を目指していたら、自分の人生は変わっていたのだろうか?
 樹はそんなことを考えていた。
 あのときの実力では夢を叶えることはできなかっただろう。
 でも努力を続けていたら、変わったかもしれない。
 そう思うと、胸の奥底で後悔が顔を出した。
「人は変われないって思ってたけど、頑張れば変われると思うんだ。この歳では遅いかもしれないけど、それでも抗いたい。自分の弱さに負けないように」
 樹はここ数年、直向きに何かを取り組んだことがない。
 真面目に生きても報われないと思っていたから。
 だが目の前にいる平凡以下の人間は、もがきながらも懸命に咲かせようとしている。
 今はまだ見窄らしいが、あの日の自分が育てていたものと似ているような気がした。
「中学のときにプロ野球選手を目指してた。上手い奴らと比べたら実力は足りなかったけど、努力すれば必ず夢は叶うって思ってた」
 樹は中学の時のことや、その後の生き方を金山に話した。
 人生の分岐点となった引退試合。
 手を出して仕事をクビになったこと。
 坂を転がり落ちるように下降線を辿る日々。
 なぜ過去を他人に話しているのか樹自身にも分からなかったが、自然と口は動いていた。
 目の前で咲こうとしている一輪に、孤独じゃないと語りかけるように。
「人生って難しいよね」 
 樹が話し終えると、金山はそう言った。
「生きようとすれば必ず誰かと関わらなければならない。道を作れたとしても、真っ直ぐ歩けるかは周りの環境に左右される。その中に悪意のある人たちがいれば、立ち止まるか道を変えるしかない。僕の場合は自分の能力不足で躓いたけど、根本くんは違う。すぐに手を出してしまうのは、夢をバカにされた経験からきてるんだと思う。舐められたくないって気持ちが感情の手綱を引いてる」
 金山の言う通りだった。
 少しでも舐められてると感じたら、相手を許すことができなくなる。
 我慢や受け流すという選択肢もあるが、感情が突っ走って力でねじ伏せることを選んでしまう。
 最下層のクズだと自認しているが、見下されたくはない。
 社会不適合者ではあるが、プライドだけはまだ残っている。
 中途半端に生きてしまう理由は、社会に迎合することを割り切れないからだ。
 ただ早く生まれただけの人間に偉そうにされることも嫌だし、媚びへつらうこともしたくない。
 夢をバカにされた経験が、樹の生き方を縛りつけていた。
 他人と関わりたくないのは信用できないということもあるが、影響を受けたくないということもあった。
 だが過去が足枷となっている以上、他人の影響で今を生きている。
 自分の矛盾さに気づき、樹は少しばかり戸惑っていた。
「世の中は暴力を認めない。殴られても仕方ない人間でも、殴った側に不適合者のレッテルが貼られる。人は表面で見える部分でしか判断してくれないから。見えないところで何を思っているかなんて、赤の他人は気にも留めない。僕みたいな人間に言われたくないかもしれないけど、根本くんは良い人生を送れると思う。今は過去の経験に縛られて、社会というものを色眼鏡で見てる。悪い大人もたくさんいるけど、信用できる人もいるよ。僕みたいになってほしくないから人生を諦めないでほしい。真面目なことは、悪いことではないから」
 捨てたはずの生き方を、金山は差し出してきた。
 でもそれを受け取っていいのかどうかは分からない。
 もう笑われたくないし、バカにされるのも嫌だ。
 だけど嬉しさもある。
 散らせた花が、また咲いたような気がしたから。
 希望すら持てない社会の底辺で、薄らと光が差したような気がした。
「金山さん、梱包するときに焦りすぎだよ。取り返そうとしなくていいし、今は他人の目も気にしなくていい。自分のキャパを超えようと思ってもミスをするだけ。大きく進もうとしなくていいから、できる範囲をこなせるようにしたほうがいい。少しずつでも進んでいれば、いつか認めてもらえるよ」
 他人と関わろうとしなかった自分が、人にアドバイスをするなんて想像もしていなかった。
 境界線を引き、狭い範囲で生きていた樹にとって大きな変化だ。
 腐った世の中でも、まだ息ができる場所があるのかもと、少しだけ期待を抱いた。
「ありがとう。そうしてみる」
 金山が笑顔で返してきたため、樹は照れ臭くなった。
「飯、食っていい?」
「ごめん、もう伸びちゃってるよね。新しいの買ってこようか?」
「いいよ。それより金山さんもなんか食いなよ」
「うん。じゃあパン買ってくるね」
 金山は立ち上がり、自販機に向かっていった。
 樹はカップラーメンの蓋を開け、汁を吸った麺を啜る。
 ふやけてはいるが、悪くはなかった。