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二話 咲けない花

ー/ー



 錆びついた階段、所々黒ずんだ壁、大きな揺れで倒壊しそうな外観は絵に描いたようなボロアパートだった。
 月の明かりが見窄らしさを演出し、感情に虚しさを飾り付ける。
 樹の部屋は一階の一番奥にある104号室だ。
 古びた扉には紙が数枚貼られており、
『金返せ』
『借りたものは返しましょう』
『恥ずかしいと思いませんか』
など、幼稚園児でも借金をしてると分かるような言葉が並んでいた。
 樹は一枚、一枚剥がした後、紙を丸めて放り投げる。
 膨れ上がった借金は、今じゃいくらになってるのかも分からない。
 世間で言う社会の底辺。
 クズという言葉が自分以上に似合う人間はいないだろうと、樹は思っていた。
 部屋の中に入ると、澱んだ空気が体に纏わり付くようだった。
 古びた部屋特有の陰湿な湿っぽさ。
 暗く、濁った雰囲気が今の樹にはよく似合っていた。
 窓を開け、灰皿だけが置かれた殺風景な和室に腰を下ろし、壁にもたれる。
 ポケットからタバコとライターを取り出すと、最後の一本に火をつけた。
 五畳しかない狭い空間。
 シミだけらけの壁や畳。
 色褪せた襖。
 外観だけでなく、内装も絵に描いたようなボロアパートだ。
 しかも電気は止められており、窓から入る微かな光のみで夜を過ごさなければならない。
 二日前から食事は昼のみで、朝と夜は水道水で胃袋を満たす。
 食費を削ってでもタバコはやめられなかった。
 腹には溜まらないし、寿命を削るだけの嗜好品だが、化学物質を吸っているときが唯一気晴らしができる時間だった。
 家畜以下の生活に、白い煙とため息を吐いた。
 こんな生き方になったの中学時代の出来事がきっかけだ。
 当時は野球部に所属しており、真剣に全国大会を目指しながら日々汗を流していた。
 だが顧問も部員もやる気がなく、樹は孤立したような状況で練習をしていた。

「本気でやらねえと勝てないぞ」

 隣町にある中学との練習試合で、樹たちは大敗を喫した。
 ピッチャーである樹はそれなりには抑えていたが、味方の守備がごたつき、エラーでの失点がほとんどだった。
 実際は下手ではないが、やる気がないためミスが起こる。
 本気を出せば勝てる相手だったし、負けるにしても大敗することはない。
 部員たちは負けたにも関わらず、試合後にベンチで談笑。
 樹は苛立ち、全員に向けて叱咤した。

「お前だけだよ真面目にやってる奴。はっきり言うけど、ダサいぞ」

 一人の部員がそう言うと、周りからは笑いが漏れた。

「じゃあなんで野球やってるんだよ。勝ちたいからだろ」

 樹は理解できなかった。
 やるからには勝ちに行くし、それは当然のことだと思っていた。
 でも目の前にいる人間は、真面目に取り組むことをダサいと言う。
 多少の温度差は仕方ないにしろ、自分の努力を否定される理由が分からなかった。

「お前さ、プロ目指してるの?」
「当然だろ」

 樹の言葉の後に、再び笑いが起きた。

「バカかお前、無理に決まってるだろ。確かに根本は上手い。でもな、お前より上は腐るほどいるんだよ。どうせなれっこないのに頑張っても意味ないだろ? 現実を見ろよ。俺たちは才能ある人間を引き立てる、脇役でしかねえんだから」

「だからなんだよ。それが本気になれない理由になるのか? 俺より上に何人いようが努力で超えればいいだけだろ。他人に否定されたくらいで俺は諦めねえよ。全国にも絶対行く」

 樹は本気でプロを目指していたし、努力すれば叶うとも思っていた。
 だからこそ自分の夢を否定されたことが許せない。
 ましてや不真面目な人間に言われる筋合いなどなかった。

「アホか。県大会の一回戦、西中だぞ。お前じゃ鮫島抑えられねえだろ」

 西中の鮫島。
 全国の強豪高からスカウトが来るほど有望な選手だ。
 いずれプロになるだろうと、周りの大人も絶賛する。
 だが、樹は本気で勝ちにいくつもりだった。
 味方が下手でも、自分が抑えればなんとかなる。
 鮫島をすべて三振に取れば、チームの士気は上がるかもしれない。
 勢いが付けば優勝候補にだって黒星を付けられるはず。
 淡い期待だが、1%でも勝率が上がればと思っていた。

「俺が鮫島を抑える。だから、お前たちも本気でやってくれ」
「もし抑えたら、本気でやってやるよ」

 部員たちは嘲笑を浮かべ、ベンチから去っていった。
 やる気がなくなった理由は西中と当たると決まってからだ。
 もし勝てれば流れは変わり、全国だって目指せる。
 樹は試合までの期間、血の滲むような努力を続けた。
 だが迎えた県大会一回戦、樹たちの中学は勝利という文字に擦りもしないほど大敗を喫した。
 鮫島には三本塁打を浴び、樹は本調子が出ないまま安打の雨を浴び続けた。
 この日は味方のエラーはほとんどなく、言い訳すらできない結果だった。
 俺一人でなんとかする。
 その気負いが招いた暴投の連続。
 野球人生でこれほどまでの屈辱を味わったことはない。
 心を折るには十分すぎるほどの傷が、樹のプライドに刻まれていた。

「あれだけ大口叩いといてこれかよ」
「マジで、ダッサ」
「真面目にやる方がアホなんだよ」
「プロになるんですよね?」

 試合後のベンチでは、罵詈雑言という矢が幾度なく放たれた。
 十字架に磔にされ、公開処刑を受けているような感覚。
 すでに瀕死のプライドは、間もなく力尽きるところまで来ていた。

「根本」

 俯きながら座る樹に、顧問が声をかけてきた。

「人生ってやつは一部の人間だけが夢を叶えられるんだ。その他の人間は現実を見て生きるしかない。今日で分かったろ? お前は違う道に進んだ方がいい。実力に見合ってないことを口にしても恥をかくだけだ。才能がなければ諦めるしかないんだよ」

 子供が白紙に描いた夢を、大人は現実を見ろと破り捨てる。
 拙い絵すらも描けない世界で、なにを道標にしていいのか分からなくなっていた。
 プロを目指すことを人生の柱にしていた樹にとっては、広大な砂漠に連れて行かれて放り出されたような状態だ。
 でも正論だろう。
 中学生とはいえ、早ければあと数年で社会に出なければならない。
 今から現実を見ていた方が、大人になったときにすぐに迎合できる。
 だけど、頑張りを認めてほしかった。
 今までしてきたことが無駄ではないと言ってほしかった。
 樹の手の中に残っているものは死にかけた矜持だけ。
 誰よりも努力し、野球に対して真っ直ぐに向き合ってきた信念だけは、枯れたとしても散らせたくはなかった。
 すべてを否定されては、歩き方すらも分からなくなる。

「先生の言う通りだよ。もっと現実を見ろ。努力は才能のある奴がすることで、俺たち一般人はおこぼれを授かるしかねえんだから」

 部員は樹の前に立ち、とどめの言葉を加える。

「バカな奴ほど、真面目さを誇りに思うんだよな。頑張ってる自分に酔いしれるから。お前は単に現実を見れない臆病者だよ。賢い人間って言うのは無駄なことはしない。まあ、バカに何を言っても理解できないだろうけど」

 語尾に嘲笑を付けた言葉は、周りの部員たちの笑いを誘った。
 樹が守りたいもの。守らなくてはいけないもの。
 真っ直ぐ積み重ねたものが音を立てて崩れていく。

「早く飯行こうぜ。無駄な三年間を過ごしたバカはほっといて」

 樹は侮辱を吐いてきた部員の肩を掴み、勢いよく振り向かせる。
 ほとんど無意識だった。
 感情に先導されるように、散りかけたプライドを握る拳は部員の頬を打ち抜いていた。
 自分を守るため、残された僅かな矜持を散らせないため、反論すらできない状況で言葉は暴力へと変換された。
 勢いのまま二撃目を喰わらせようとするが、顧問に羽交い締めにされ阻止される。

「落ち着け、根本」

 その声で樹は正気を取り戻す。
 殴られた部員は口から血を流して倒れており、周りの人間は突然の出来事に呆然と立ち尽くしていた。

「お前、何をしたか分かってるのか!」

 顧問がなぜ怒っているのか理解できなかった。
 散々酷い言葉を浴びせてきた部員ではなく、言葉で刺された自分が加害者になっている。
 ただひたむきに野球と向き合い、プロを目指して懸命に生きてきた。
 でもこの世界では真面目な人間ほど否定され、バカにされる。
 人を見下す愚かな人間。
 現実を見ろと夢を枯らせる大人。
 何もせず、ただ周りに合わせて嘲笑する観衆。
 根っこから腐ってる。
 だから花すら咲きもしない。
 この日を堺に、部員たちは樹を馬鹿にしなくなった。
 力を使えば、人を見下してくる人間をねじ伏せられると知った。
 そして幼い頃からの夢を破り捨て、真面目に生きることをやめた。
 舐められないように。
 世の中に迎合しないように。
 腐った大人にならないように。
 新たな柱を立てた生き方は、道を外れて社会の底辺という光のない世界に行き着いた。
 もう抜けられない闇の中では、もがくことすらしなくなる。
 夢を追いかけていた幼き自分も、今では馬鹿にするようになった。
 なれもしないのに、努力という無駄な時間を過ごした愚かな中学時代。
 真面目に生きていても意味はないし、頑張るだけ無駄。
 嫌悪していた人間のように心が腐っていくが、それすら何も感じなくなった。
 最下層に居続ければ、ボロアパートのくすんだ壁も汚れとすら思わなくなっていく。
 視線を落とすと、手に持ったタバコの灰がフィルターまで達していた。
 シミのような過去に浸っていたため、ほとんど吸うことができなかった。
 樹は百均で買ったスチール缶の灰皿に、タバコを押し付けて火を消す。
 そして目を瞑る。
 もう何も考えたくない。
 過去も、現在も、未来も、全部。


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みんなのリアクション

 錆びついた階段、所々黒ずんだ壁、大きな揺れで倒壊しそうな外観は絵に描いたようなボロアパートだった。
 月の明かりが見窄らしさを演出し、感情に虚しさを飾り付ける。
 樹の部屋は一階の一番奥にある104号室だ。
 古びた扉には紙が数枚貼られており、
『金返せ』
『借りたものは返しましょう』
『恥ずかしいと思いませんか』
など、幼稚園児でも借金をしてると分かるような言葉が並んでいた。
 樹は一枚、一枚剥がした後、紙を丸めて放り投げる。
 膨れ上がった借金は、今じゃいくらになってるのかも分からない。
 世間で言う社会の底辺。
 クズという言葉が自分以上に似合う人間はいないだろうと、樹は思っていた。
 部屋の中に入ると、澱んだ空気が体に纏わり付くようだった。
 古びた部屋特有の陰湿な湿っぽさ。
 暗く、濁った雰囲気が今の樹にはよく似合っていた。
 窓を開け、灰皿だけが置かれた殺風景な和室に腰を下ろし、壁にもたれる。
 ポケットからタバコとライターを取り出すと、最後の一本に火をつけた。
 五畳しかない狭い空間。
 シミだけらけの壁や畳。
 色褪せた襖。
 外観だけでなく、内装も絵に描いたようなボロアパートだ。
 しかも電気は止められており、窓から入る微かな光のみで夜を過ごさなければならない。
 二日前から食事は昼のみで、朝と夜は水道水で胃袋を満たす。
 食費を削ってでもタバコはやめられなかった。
 腹には溜まらないし、寿命を削るだけの嗜好品だが、化学物質を吸っているときが唯一気晴らしができる時間だった。
 家畜以下の生活に、白い煙とため息を吐いた。
 こんな生き方になったの中学時代の出来事がきっかけだ。
 当時は野球部に所属しており、真剣に全国大会を目指しながら日々汗を流していた。
 だが顧問も部員もやる気がなく、樹は孤立したような状況で練習をしていた。
「本気でやらねえと勝てないぞ」
 隣町にある中学との練習試合で、樹たちは大敗を喫した。
 ピッチャーである樹はそれなりには抑えていたが、味方の守備がごたつき、エラーでの失点がほとんどだった。
 実際は下手ではないが、やる気がないためミスが起こる。
 本気を出せば勝てる相手だったし、負けるにしても大敗することはない。
 部員たちは負けたにも関わらず、試合後にベンチで談笑。
 樹は苛立ち、全員に向けて叱咤した。
「お前だけだよ真面目にやってる奴。はっきり言うけど、ダサいぞ」
 一人の部員がそう言うと、周りからは笑いが漏れた。
「じゃあなんで野球やってるんだよ。勝ちたいからだろ」
 樹は理解できなかった。
 やるからには勝ちに行くし、それは当然のことだと思っていた。
 でも目の前にいる人間は、真面目に取り組むことをダサいと言う。
 多少の温度差は仕方ないにしろ、自分の努力を否定される理由が分からなかった。
「お前さ、プロ目指してるの?」
「当然だろ」
 樹の言葉の後に、再び笑いが起きた。
「バカかお前、無理に決まってるだろ。確かに根本は上手い。でもな、お前より上は腐るほどいるんだよ。どうせなれっこないのに頑張っても意味ないだろ? 現実を見ろよ。俺たちは才能ある人間を引き立てる、脇役でしかねえんだから」
「だからなんだよ。それが本気になれない理由になるのか? 俺より上に何人いようが努力で超えればいいだけだろ。他人に否定されたくらいで俺は諦めねえよ。全国にも絶対行く」
 樹は本気でプロを目指していたし、努力すれば叶うとも思っていた。
 だからこそ自分の夢を否定されたことが許せない。
 ましてや不真面目な人間に言われる筋合いなどなかった。
「アホか。県大会の一回戦、西中だぞ。お前じゃ鮫島抑えられねえだろ」
 西中の鮫島。
 全国の強豪高からスカウトが来るほど有望な選手だ。
 いずれプロになるだろうと、周りの大人も絶賛する。
 だが、樹は本気で勝ちにいくつもりだった。
 味方が下手でも、自分が抑えればなんとかなる。
 鮫島をすべて三振に取れば、チームの士気は上がるかもしれない。
 勢いが付けば優勝候補にだって黒星を付けられるはず。
 淡い期待だが、1%でも勝率が上がればと思っていた。
「俺が鮫島を抑える。だから、お前たちも本気でやってくれ」
「もし抑えたら、本気でやってやるよ」
 部員たちは嘲笑を浮かべ、ベンチから去っていった。
 やる気がなくなった理由は西中と当たると決まってからだ。
 もし勝てれば流れは変わり、全国だって目指せる。
 樹は試合までの期間、血の滲むような努力を続けた。
 だが迎えた県大会一回戦、樹たちの中学は勝利という文字に擦りもしないほど大敗を喫した。
 鮫島には三本塁打を浴び、樹は本調子が出ないまま安打の雨を浴び続けた。
 この日は味方のエラーはほとんどなく、言い訳すらできない結果だった。
 俺一人でなんとかする。
 その気負いが招いた暴投の連続。
 野球人生でこれほどまでの屈辱を味わったことはない。
 心を折るには十分すぎるほどの傷が、樹のプライドに刻まれていた。
「あれだけ大口叩いといてこれかよ」
「マジで、ダッサ」
「真面目にやる方がアホなんだよ」
「プロになるんですよね?」
 試合後のベンチでは、罵詈雑言という矢が幾度なく放たれた。
 十字架に磔にされ、公開処刑を受けているような感覚。
 すでに瀕死のプライドは、間もなく力尽きるところまで来ていた。
「根本」
 俯きながら座る樹に、顧問が声をかけてきた。
「人生ってやつは一部の人間だけが夢を叶えられるんだ。その他の人間は現実を見て生きるしかない。今日で分かったろ? お前は違う道に進んだ方がいい。実力に見合ってないことを口にしても恥をかくだけだ。才能がなければ諦めるしかないんだよ」
 子供が白紙に描いた夢を、大人は現実を見ろと破り捨てる。
 拙い絵すらも描けない世界で、なにを道標にしていいのか分からなくなっていた。
 プロを目指すことを人生の柱にしていた樹にとっては、広大な砂漠に連れて行かれて放り出されたような状態だ。
 でも正論だろう。
 中学生とはいえ、早ければあと数年で社会に出なければならない。
 今から現実を見ていた方が、大人になったときにすぐに迎合できる。
 だけど、頑張りを認めてほしかった。
 今までしてきたことが無駄ではないと言ってほしかった。
 樹の手の中に残っているものは死にかけた矜持だけ。
 誰よりも努力し、野球に対して真っ直ぐに向き合ってきた信念だけは、枯れたとしても散らせたくはなかった。
 すべてを否定されては、歩き方すらも分からなくなる。
「先生の言う通りだよ。もっと現実を見ろ。努力は才能のある奴がすることで、俺たち一般人はおこぼれを授かるしかねえんだから」
 部員は樹の前に立ち、とどめの言葉を加える。
「バカな奴ほど、真面目さを誇りに思うんだよな。頑張ってる自分に酔いしれるから。お前は単に現実を見れない臆病者だよ。賢い人間って言うのは無駄なことはしない。まあ、バカに何を言っても理解できないだろうけど」
 語尾に嘲笑を付けた言葉は、周りの部員たちの笑いを誘った。
 樹が守りたいもの。守らなくてはいけないもの。
 真っ直ぐ積み重ねたものが音を立てて崩れていく。
「早く飯行こうぜ。無駄な三年間を過ごしたバカはほっといて」
 樹は侮辱を吐いてきた部員の肩を掴み、勢いよく振り向かせる。
 ほとんど無意識だった。
 感情に先導されるように、散りかけたプライドを握る拳は部員の頬を打ち抜いていた。
 自分を守るため、残された僅かな矜持を散らせないため、反論すらできない状況で言葉は暴力へと変換された。
 勢いのまま二撃目を喰わらせようとするが、顧問に羽交い締めにされ阻止される。
「落ち着け、根本」
 その声で樹は正気を取り戻す。
 殴られた部員は口から血を流して倒れており、周りの人間は突然の出来事に呆然と立ち尽くしていた。
「お前、何をしたか分かってるのか!」
 顧問がなぜ怒っているのか理解できなかった。
 散々酷い言葉を浴びせてきた部員ではなく、言葉で刺された自分が加害者になっている。
 ただひたむきに野球と向き合い、プロを目指して懸命に生きてきた。
 でもこの世界では真面目な人間ほど否定され、バカにされる。
 人を見下す愚かな人間。
 現実を見ろと夢を枯らせる大人。
 何もせず、ただ周りに合わせて嘲笑する観衆。
 根っこから腐ってる。
 だから花すら咲きもしない。
 この日を堺に、部員たちは樹を馬鹿にしなくなった。
 力を使えば、人を見下してくる人間をねじ伏せられると知った。
 そして幼い頃からの夢を破り捨て、真面目に生きることをやめた。
 舐められないように。
 世の中に迎合しないように。
 腐った大人にならないように。
 新たな柱を立てた生き方は、道を外れて社会の底辺という光のない世界に行き着いた。
 もう抜けられない闇の中では、もがくことすらしなくなる。
 夢を追いかけていた幼き自分も、今では馬鹿にするようになった。
 なれもしないのに、努力という無駄な時間を過ごした愚かな中学時代。
 真面目に生きていても意味はないし、頑張るだけ無駄。
 嫌悪していた人間のように心が腐っていくが、それすら何も感じなくなった。
 最下層に居続ければ、ボロアパートのくすんだ壁も汚れとすら思わなくなっていく。
 視線を落とすと、手に持ったタバコの灰がフィルターまで達していた。
 シミのような過去に浸っていたため、ほとんど吸うことができなかった。
 樹は百均で買ったスチール缶の灰皿に、タバコを押し付けて火を消す。
 そして目を瞑る。
 もう何も考えたくない。
 過去も、現在も、未来も、全部。