私は地図と目の前を何度も見比べながら首を捻っていた。事前情報が正しければ、私達の目的地はここら辺の筈なのだが……どうも周囲を見回しても、道路と工場と草木しかない。
ここまで見つからないと、もしや当主が嘘でも言ったのではと、つい疑ってしまいそうになるな。まあ、あの人はそもそも素がお馬鹿なので、本人が持っていた情報がそもそも間違っていたとかそんなところだろう。
というわけで、私達が何もせずに帰っても当主のせい……と言いたいところだが、そう言ったら多分怒る。あの人が怒ると面倒なんだよなぁ。
「師匠、何をしているのですか。そんな周囲を見回して」
「何をしているって、そりゃ目的地を探しているんだろ?」
「探すも何も、目的地はここの筈です」
「その筈なんだが……それらしいものがない。工場と道路は見ても仕方ないし、調べられるのは草木程度だ」
「はい。その草木が目的地です」
「え?」
私は弟子の白子が指を差した方へと顔を向けて、ようやく気がついた。
『紫式部墓所』
それは、すぐそこにあったのだ。
「……これは、灯台下暗しというやつだな。まあなんだ、灯台下暗しなんて珍しい言葉を日常会話で使えただけでも収穫と言えるだろう。だから白子。そんな可哀想な目で師匠を見ないでくれ。泣きたくなる」
「何が灯台下暗しですか。師匠の視野が狭いだけでしょう」
「白子、私は泣くと言ったら泣く男だぞ……?」
「世界一情けない脅しはやめてください」
白子は草木を掻き分け、ズンズンと墓へと向かう。そんな白子を私も追った。
この紫式部の墓は所謂隠れた名所というもので、私自身、当主に行くよう言われるまでは存在すら知らなかった。
だが、知名度に比べてこの場所は意外と凄い。何せ、紫式部だけでなく、小野篁の墓もすぐ隣に立っているというのだ。歴史的偉人の墓が隣接しているのはかなり珍しいものだろう。
そういうわけで、私としては割と興味を持っているのだが、我が愛弟子はそうではないらしい。
愛弟子は紫式部の墓の前でしゃがんで、すぐに立ち上がってこちらまで戻ってきた。
「ここが割と凄い場所なのは分かります。ですが、わざわざ私達が来る必要があったんですか?」
「そりゃ、普通の家柄なら必要は無かっただろう。だが、当家なら話は別だ」
「元々文学で成り上がった家柄だから? どうせ三人しか居ないウチが、家柄なんて気にしなくても良いのに」
「私達はそうでも、当主にとって紫式部は……というか、源氏物語は思い入れが深かっただろう。お前の名前だって、彼女にちなんだものを当主がつけたんだぞ?」
「紫式部の紫にちなんで、白ですか。できればもう少し普通の名前にしてほしかったです」
「それこそどうせ、私達しか呼ぶ者は居ないんだ。どれだけ特殊な名前でも気にすることはない」
「……妹子師匠」
「私の名前は呼ばないでくれ」
ひとまず私は、持ってきていたリンゴやらの果物をを供えた。いくら誰も居ないとはいえ、墓の前でこんな会話を延々と続けているのは失礼だというものだろう。
それから私が合掌すると、白子も私に倣って合掌した。
「ねえ師匠」
「どうした弟子よ」
「お墓参りって、こんなで合ってるんですか?」
「それは分からん。私達が墓参りをしたのなんてこれが初めてだからな。当主はこんなものだと言っていたぞ?」
「あの人間違った情報しか知らないじゃないですか」
「まあ、大切なのは心だ。人を想う心があれば、やり方なんて些末な問題だよ」
「私、紫式部に思い入れなんて無いです」
「そう言うな。このお墓、聞くところによるとパワースポットらしいぞ? 学業、仕事、縁結びなんてものもある」
縁結び、と言ったところで、白子は苦い顔をした。まあ、気持ちは分からんでもない。
「縁なんて、誰と結ぶんです?」
「……私とか?」
「師匠とは生まれた時から結んでいるでしょう」
「お、そう言ってくれるのはちょっと嬉しい」
白子は私を軽く……いや、だいぶ本気で小突いてくると、私が持っている果物が入っている袋をひったくり、小野篁の墓へと向かった。
どうやらそちらにも供えてくれるらしい。白子も、面倒だとは思いつつも自らやってくれるあたり、真面目なやつだ。
「それで、どうするんです? このままここを調べていきますか? 調べることがあるとは思えませんが」
そう問いかけられて、私はどうしようかと空を見上げた。
瞬間、少しばかりの風が吹く。草木が揺れ、葉が目の前を通り、今の夏らしい暑さが僅かに緩和される。
私は目を閉じ、自然を肌で感じ始めた。
私達は普段東の方に居るので、こちらの気候は新鮮に感じる。無論、同じ日本である以上、それほど大きな差があるわけではないが、これを弟子にも体験させるのも一興か。
「少し、ここらを見て回るか」
「分かりました」
私達は墓から離れると、すぐ近くに見える公園へと向かった。
「意外ですね」
「ん? 何がだ?」
「師匠のことですから、てっきり神社にでも行くのかと思っていました」
「ここが京都だからか。そうだな……確かこの京都はいくつかの区で分けられているらしいな。そしてここは北区だと。北区には多くの歴史的建築物があるが、別にそれだけが魅力というわけではないだろう?」
私達は文学に関しては詳しいが、だからと言ってそれほど歴史に興味があるわけではない。無論、歴史を学ぶことは私達にとって有益であるし、当主なんかは嬉々として歴史的建造物へと走っていくことだろう。
だが、私は白子に優先して学ばせるべきものは別にあると考えている。
「北区の自然、北区の風景。他とは違う、北区だけのものがある。なにぶん私達はそういった自然というものに関わらなければならない立場だ。そういったものを受け入れ、適応するということを経験して損はない」
「私達ならではってところですかね」
「どうせもうやること無いんだ。少しくらい遊んでいってもバチは当たらないだろう。目的を果たして即座に帰宅というのも味気ない。家が遠ければ尚のこと」
「結局帰るのが面倒なだけじゃないですか」
「仕方ないだろう。ここが居心地が良いのが悪い。帰ったら何が待っている? 畑仕事と当主の世話だぞ? 本業の執筆はまったくできん」
白子はこんなことを言っている私が滑稽に見えたのか、ため息を吐いて、腕を引っ張ってきた。
引っ張る方向は公園とは真逆。もしや白子も行きたいところがあったのだろうか。こちらにある歴史的建造物? はて、白子はそういったものに興味があったか?
「こっちにお菓子屋さんがあった筈です。どうせ目的がないならどこ行っても良いですよね?」
「なんだ、そう言うことか。お前も甘い物が好きなんだなぁ」
「嫌いな人なんて居ないでしょ。ましてや、このご時世ですよ?」
まあそうだな。
この、荒廃した世界なら。
人は皆居なくなり、あらゆるインフラは崩壊。白子の好きな甘い物も、簡単には食べられなくなった。
技術に関しては問題ない。料理やお菓子作りは私の得意分野だ。(白子は作れないので、私に作るようせがんでくる)
しかし、材料がまったく無い。残っていたものをたまに見つけて使ったり、なんとか一から自分達で開発して使ったり。
人が私達三人しか居ないので、あまり大掛かりなことはできない。
「レシピとかが跡地に残っているかもしれません。見つけたら作ってください」
「簡単に言ってくれるなぁ……なあ白子。言っておくが、私は歴史を学ぶことが必要ないと言ってるわけではないのだぞ」
「それくらい分かっています。歴史を学ばなければお菓子のレシピも分かりませんので」
この子はどうも、食欲に貪欲すぎる。
「いつかこの世界を建て直す為にも、歴史を学ぶことは必ず必要になる。特にこの京都の歴史なんて、知るのが必須なことしかない」
「しかし、今学んだところで意味はない。そりゃ、京都は簡単に来れるところではありません。学べるときに学んだ方が得策でしょう。ですが」
「何を学んだところで、三人ではな。計画も立てられてないし、当主が何か思いつかない限りは、私達はこの世界に適応することが最優先だ」
だからこそ、この京都府北区を見て回りたい。終末以前は穏やかな人で溢れたという街。荒廃した現在でも、建物が無事に残っているこの街だからこそ、育める心がある。
終末以前において、この街は和風を体現していた。無理矢理和風を体感させられているこの世界では、この街ほど興味深い場所はない。
「私達は歴史よりも、この街の人々の生き方を調べていこう。きっと、私達の価値観を揺さぶってくれる筈だ」
「ええ。手始めに、どんなお菓子を作っていたか。あの京都です。さぞ素晴らしいレシピが残っている筈ですよ。あ、八ツ橋食べたい」
「お前、凄い無茶言うな。流石の私も八ツ橋の作り方なんて知らんぞ」
「だから探すんですよ。この街には、私達が知らないことがある。それを知る為に、私達はここに来たんです」