一週間が経過した。
愛子がなかなか言うとおりに動かないせいだろう、井村はとうとうあからさまな嫌がらせを始めた。
「木下さん、店の裏にゴミが落ちてるから早めに回収しておくように頼んだわよね?」
愛子が忘れたわけではない。最初から頼まれていないのだ。しかしここで反論するのは賢明ではないと、愛子はぐっと我慢して応じた。
「申し訳ありません。すぐに行ってきます」
「サービスカウンターには誰が入るの?」
「どなたか代わりをお願いしてきます」
「そう。早めに戻ってね」
愛子は急いでバックヤードに向かう。従業員用の通用口から外へ回り、辺りにくまなく目を配った。しかし二周してもなにも見つらなかったため、あきらめて井村がいる事務室へ報告に行った。
事務室には、井村と係長の山田がいた。寡黙でめったに口をきくことのない山田は、押しの強い井村からいいように利用されているという噂もあったが真偽は不明だ。山田は愛子の姿を一瞥もせずに背中を丸め、パソコン画面に向かっていた。
「回収してくれた? 木下さん」
やけに明るい井村の声に背筋が寒くなる。愛子は小さく返事をした。
「いえ、ゴミは見つかりませんでした」
「はあ?」耳に手を当て、立ち上がる井村。「ちょっとなに言ってるのか全然聞こえないんだけど?」
思わず一歩退いてしまったが、それでも普段通りの声量で愛子は答えた。
「ゴミは……、ありませんでした」
「あっ、そう! それなら早く言ってよね。きっと誰かが気づいて片付けてくれたんだわ」
山田の手前、あまりネチネチ責められないと踏んだらしい。愛子は心のなかでそっと安堵のため息を落とす。
「ではすぐサービスカウンターに戻ります。失礼します」
「そう言えばあなたに話があるんだったわ。ちょっと会議室に寄ってくれる?」
「はい……」
「なによ。嫌そうね?」
愛子はさりげなく窓際にいる山田の様子を伺う。困惑しているサインを出せば、気づいて手を差し伸べてくれるのではないか――淡い期待を抱くが、結局、愛子は黙って井村に従う道を選択した。あと少しの辛抱だからという思いが先行したのだ。
会議室は事務室の隣に並んでいて、普段は鍵がかけられている。使用する際は都度、鍵の開閉を行う規則になっているため、今回も例外なく施錠された。
井村は咳払いをしてから上着のポケットに入れていたスマートフォンを取り出し、机に置いた。
「座ってちょうだい、木下さん」
「はい……」
愛子は知っていた、井村が録音を始めたことを。しかしそれにはまったく気づいていないふりをして、井村の向かい側に腰を下ろした。
「わたしがなにを言いたいか、わかるわよね?」
「なんでしょうか?」
「女子更衣室でたびたび起きていた窃盗事件の犯人は、あなたなんでしょ? 藤田店長代理はしびれを切らしているの。早く認めて謝罪したほうがいいわよ」
どうやら無理矢理にでも言質を取り、自白の証拠としてあげるつもりらしい。愛子は呆れつつも胸を張った。
「違います。私ではありません」
「でも目撃者がいるのよ?」
「それはどなたですか?」
「わたしと山田係長よ」
「山田係長は男性ですから、女子更衣室へ入ることはないと思います」
井村は顔をカッと赤くしてスマートフォンを乱暴につかみ取った。自らボロを出してしまったため、録音はあきらめたのだろう。井村は鬼の形相で愛子をにらみつけた。
「ちょっと、どうしてくれるのよ。あなたが時間稼ぎするのは勇気が出ないからだと考えて、背中を押してあげようと思ったのに」
怒りと恐怖で膝が震え、全速力で走った後のように胸が早鐘を打っている。愛子はうつむき、いったいどうすればここから出してもらえるのか、思考を巡らせた。
しかし、非常識な要求をしてくる人物をいさめたことなどない。どんな言葉も頭のなかで空回りしてしまう。
そんななかふいに舞い降りてきたのは、サービスカウンターにいる同僚に、内線で連絡するということだった。すぐに来てほしいと伝えれば、異変に気づいてくれる可能性がある。
他者を巻き込みたくなかったが、既に愛子は限界だった。立ち上がるなり扉まで走って、壁付けされた電話の受話器を勢いよく持ち上げた。
「なにするつもりよ、木下さん!」
すぐに追いついた井村が、あわてて愛子を突き飛ばす。よろめいた愛子は、備品を隠すため窓側に立てかけてあったパーテーションに手をついた。荷物が置かれていたおかげで倒れずに済んだのは、不幸中の幸いだろうか。
「あらまあ、大変大変」
井村は他人事のようにつぶやき、傾いたパーテーションの位置を修正する。その隙間から、長机に突っ伏して居眠りしている藤田が見えた。
「へえ、いい気なもんよね、店長代理様は」
藤田が難聴であるのをいいことに、井村は嫌みたらしくつぶやく。そしてあっさり開錠した。
「木下さん。わたしね、今、すごく面白いこと思いついたわ。三日後の送別会。そこで大々的に発表しましょ。約束ね」
背中を向けたままだったが、享楽的な笑みを浮かべる井村の顔が目に見えるようだった。
愛子はしばらくその場から動くことができなかった。