開店時の混雑がようやく落ち着いてきた頃、交代要員のパートタイマーがぽつりぽつりと姿を現す。そのなかに、近所のアパートで夫と二人暮らしをしている木下愛子もいた。
愛子の仕事は外回りの掃除、レジ、サービスカウンターの対応である。時には事務室での電話対応を頼まれることもあったが、指示はたいてい、社員の井村から。彼女の機嫌が悪い時に押しつけられるのが常だった。
同じパートタイム勤務の仲間からは、「木下さんは八つ当たりされているのよ」と指摘されたこともあったが、自覚があっても上手な交わし方がわからない。拒否したことで人事評価に響き、解雇されたら恥ずかしいという気持ちもあり、いつも井村のご機嫌を伺いながらうまく立ち回っている――つもりだった。
それが単なる思い込みであったことを、愛子はたった今、ありありと思い知った。
井村がとんでもないことを押し付けようとしてきたからである。
「更衣室で起きていた盗難事件の犯人として名乗り出てほしいだなんて……、いくらなんでもそれは無理です」
誰もいない会議室。悲痛な声で訴えた愛子に対し、井村は少しもひるまず権高に繰り返した。
「木下さんは今月いっぱいで退職して遠くに引っ越すんだから別にいいじゃない。あなたならみんな許してくれるわよ」
井村の言うように、確かに愛子はイチマルスーパーの仕事を辞めて引っ越す予定だ。周囲にも、夫の転勤が決まったためと伝えている。だからと言って、去り際に無実の罪をこうむることなどしたくはない。
「私だから許してもらえるとかそういう問題ではなく、私がいなくなった後も、真犯人は同じことを繰り返すかもしれないですよね?」
「それは大丈夫よ。もうやらないから」
わざわざ問い質さなくても、言葉の意味を察した。愛子は絶句しながら、べらべらと話し出した井村の顔を凝視した。
「仕方ないじゃない。ここのお給料、少ないんだもの。あなたにはわからないかもしれないけど、思春期の子供がいるとなにかと入り用なの。その上、ちょくちょくお小遣いまでせびられるんだから困ったものよ。みんな勘違いしているようだけど、わたしはちょっと借りたつもりで、いずれは返す予定でいたのよね。杉崎店長は目をつぶってくれたけど、藤田店長代理は犯人探しをしたいらしいの。木下さんは素直な人だから、わたしがサポートしてあげた恩は忘れていないわよね? そろそろわたしに手柄を立てさせてくれてもいいでしょ?」
「井村さん」と、愛子はあえて力を込めて名前を呼び、井村の一人語りを中断させた。解放されたいばかりに、危うく承諾してしまいそうな気がしたからだ。愛子は自らの意志の弱さを憎みながら井村に言った。
「お時間をいただいてもいいですか?」
「時間?」
井村がいぶかしむが、愛子自身もなぜそう口走ってしまったのかはわからない。とにかく一刻も早くここから立ち去りたい一心だった。
「別にいいけど、早めにお願いね?」
青ざめた愛子は、逃げるように店内へ戻った。