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「――というわけで、病気療養することになった杉崎店長に代わり、わたくし藤田がしばらくの間、店長代理ということでこちらの店舗を任されることになりました。とはいえ、普段は本社で経理に携わっておる身です。畑違いゆえ、わからないことがたくさんあります。ご迷惑をおかけしないようつとめますが、なにとぞご指導ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします」

 三日前に急きょ決まった人事にも関わらず、自ら快活に挨拶した藤田は、きれいになでつけた白髪頭を深々と下げる。会議室内には従業員が二十名ほどいたが、八割方が不満そうな視線を投げかけただけだった。というのも、今日はイチマルスーパー恒例の、卵一パック五十円の日だからだ。

 その日は最初の客が開店一時間前に待機を始める。列ができるのはあっという間で、なかには、早く来たのだから早く開けろと騒ぐ理不尽な客もいる。警備員を二人配置しただけではとても足りない。できるだけ早くルーティン作業に取りかかり、来たる暴動に備えたいと誰もが焦りを募らせている。

 しかしそうした事情は知らされていなかったのだろう、藤田はにこやかに宣言した。

「さて、さっそくですが、解決したいことがございます。それは三日に一回の頻度で起きている、女子更衣室での盗難事件です。杉崎さんからお話は伺いました。なんでも誰かしらの財布から不定期に千円札が一枚抜き取られているのだとか。少額だから、いつか収まるかも、あまり大事にはしたくない、と警察に被害届は出していないそうですが、外部から来ましたわたくしが思うに、これは立派な犯罪です。今すぐ警察に連絡をし、捜査をお願いしたいところです。しかしそうする前に、自分こそが犯人だとこの場で名乗り出る勇気があるのならば、不問に付しましょう。みなさん、いかがですか?」

 不安と動揺が入り交じった重たい沈黙が周囲に流れる。そのなかで唯一、手を挙げた中年女性がいた。長年、社員として働いている井村である。井村は敵意をむき出しにしながら訴えた。

「藤田店長代理は犯人が内部にいると決めつけているようですが、もし間違っていたらどう責任をお取りになるつもりですか?」

「はい?」

「根拠があるからそんな言い方をされたのですよね?」

 なじるような井村の問い方に、藤田は戸惑いながら応じた。

「申し訳ございません。実はわたくし、年のせいか少々、耳が遠くなっておりまして。もう少し明朗な声でお話していただけませんか?」

「いいえ、結構です!」

 顔を真っ赤にした井村が金切り声で叫ぶと、隅で小さくなっていた係長の山田が急いでフォローに入った。

「ではこの問題はいったん保留ということにいたしましょう。藤田店長代理、よろしいですか?」

「はい?」

「今日は卵五十円の日なので、みんな一刻も早く仕事に取りかかりたいのです!」

「そうでしたか、それは失礼いたしました。では、心当たりがある方は後でわたくしのところへ来てください。ええと、確か朝礼は、決まったかけ声で締めるのでしたか……」

 普段はめったに大きな声を出すことのない係長の山田が、自棄になって指揮を執った。

「イチマル! イチマル! 安いぞ、イチマル!」

「そうでした、そうでした。イチマル! イチマル! 安いぞ、イチマル!」

 呆れながら後に続いた従業員たちは、早足でそれぞれの持ち場へ向かった。



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「――というわけで、病気療養することになった杉崎店長に代わり、わたくし藤田がしばらくの間、店長代理ということでこちらの店舗を任されることになりました。とはいえ、普段は本社で経理に携わっておる身です。畑違いゆえ、わからないことがたくさんあります。ご迷惑をおかけしないようつとめますが、なにとぞご指導ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします」
 三日前に急きょ決まった人事にも関わらず、自ら快活に挨拶した藤田は、きれいになでつけた白髪頭を深々と下げる。会議室内には従業員が二十名ほどいたが、八割方が不満そうな視線を投げかけただけだった。というのも、今日はイチマルスーパー恒例の、卵一パック五十円の日だからだ。
 その日は最初の客が開店一時間前に待機を始める。列ができるのはあっという間で、なかには、早く来たのだから早く開けろと騒ぐ理不尽な客もいる。警備員を二人配置しただけではとても足りない。できるだけ早くルーティン作業に取りかかり、来たる暴動に備えたいと誰もが焦りを募らせている。
 しかしそうした事情は知らされていなかったのだろう、藤田はにこやかに宣言した。
「さて、さっそくですが、解決したいことがございます。それは三日に一回の頻度で起きている、女子更衣室での盗難事件です。杉崎さんからお話は伺いました。なんでも誰かしらの財布から不定期に千円札が一枚抜き取られているのだとか。少額だから、いつか収まるかも、あまり大事にはしたくない、と警察に被害届は出していないそうですが、外部から来ましたわたくしが思うに、これは立派な犯罪です。今すぐ警察に連絡をし、捜査をお願いしたいところです。しかしそうする前に、自分こそが犯人だとこの場で名乗り出る勇気があるのならば、不問に付しましょう。みなさん、いかがですか?」
 不安と動揺が入り交じった重たい沈黙が周囲に流れる。そのなかで唯一、手を挙げた中年女性がいた。長年、社員として働いている井村である。井村は敵意をむき出しにしながら訴えた。
「藤田店長代理は犯人が内部にいると決めつけているようですが、もし間違っていたらどう責任をお取りになるつもりですか?」
「はい?」
「根拠があるからそんな言い方をされたのですよね?」
 なじるような井村の問い方に、藤田は戸惑いながら応じた。
「申し訳ございません。実はわたくし、年のせいか少々、耳が遠くなっておりまして。もう少し明朗な声でお話していただけませんか?」
「いいえ、結構です!」
 顔を真っ赤にした井村が金切り声で叫ぶと、隅で小さくなっていた係長の山田が急いでフォローに入った。
「ではこの問題はいったん保留ということにいたしましょう。藤田店長代理、よろしいですか?」
「はい?」
「今日は卵五十円の日なので、みんな一刻も早く仕事に取りかかりたいのです!」
「そうでしたか、それは失礼いたしました。では、心当たりがある方は後でわたくしのところへ来てください。ええと、確か朝礼は、決まったかけ声で締めるのでしたか……」
 普段はめったに大きな声を出すことのない係長の山田が、自棄になって指揮を執った。
「イチマル! イチマル! 安いぞ、イチマル!」
「そうでした、そうでした。イチマル! イチマル! 安いぞ、イチマル!」
 呆れながら後に続いた従業員たちは、早足でそれぞれの持ち場へ向かった。