表示設定
表示設定
目次 目次




6-2

ー/ー



「これ見てくださいよ、一条さん」
 朱音は憤然とした様子で肩にかけたスクールバッグから何かを取り出し、机の上に叩きつけるように置いた。
「――!!」
 机の上に置かれたそれを見て、怜花は息が止まりそうなほどに驚いた。そこには、おお、なんということだろう、彼女が探し求めていたあの聖典の姿があったのだ。
「い、いが、五十嵐、さん……こ、これを……どこ、で……?」
 怜花はオイルが切れかけたロボットのような声で訊ねた。他三人の役員たちも、それぞれに驚いた顔で机の上のBL誌を見つめている。
「今朝来た清掃業者の方が、落とし物として届けてくださったんですよ。ちょうど、生徒会室前の廊下に落ちていたんだそうです」
「お、落とし物……生徒会室前の、廊下に……」
 それを聞き、怜花の脳内スクリーンにとある映像が流れ出す。生徒会室の掃除をしようと、まずは室内の机や棚を外に運び出す業者。その際、例の保管棚も一度外に運び出される。今朝も確認した通り、あの収納棚の引き戸は部品が一部バカになっているのか大変開きやすい。業者が棚を運ぶ際、その衝撃で引き戸がひとりでに開き、中から一冊のBL誌が外に落ちる。業者はそれに気づかぬまま室内の清掃を終え、そして机や棚を中に戻す段になって、廊下に落ちている一冊の本に気づく。
『あれ? なんだこれ、いつから落ちてた?』
『さあ、わかんね。とりあえずさっきの子に、落とし物ってことで渡しとけばいいんじゃね?』
 ……決してあり得なくはない想像のように思えた。というよりそれ以外、この本が今このような形でここにある理由が見出せなかった。
「どう思います、一条さん? どこの誰だか知らないけど、こんな品性下劣な本をこっそり学校に持ってきてるなんて、本当に信じられない! ねえ、みなさんも、そう思うでしょう?」
 問われた怜花以外の役員たちはそれぞれに、「そ、そう……かもな」「アハハ……」「品性下劣……」などと、緩く同調したり意味もなく笑ったり、密かにショックを受けたりといった反応を、誰ひとり五十嵐朱音と目を合わさぬままに返した。肝心の怜花はといえば、目の前の聖典を両腕で強く抱き締め、「おかえり」と頬を擦り寄せたい衝動に耐えていた。
「とにかく、今後は我々風紀委員会と生徒会のみなさんで、違反物をより厳しく取り締まっていきましょう! もう誰も、このようなものを学校に持ち込むことがないように!」
 そう言うと、五十嵐朱音はBL誌を手に取り、生徒会室を出て行こうとする。
「い、五十嵐さん、どこへ行くの?」
「どこって、風紀委員会の事務室ですよ。落とし物の管理は我々風紀委員会の仕事でもありますからね。心配しないでください。もし落とし主が現れたら、わたしがみっちり説教してやりますから。それじゃ、今日も朝の挨拶当番、頑張りましょう!」
 そう言って五十嵐朱音は颯爽と歩き出す。その背中を怜花はただ呆然と見送っていた。心の拠り所が、信仰の対象が、私の聖典が、目の前から去っていく。しかし今この瞬間、生徒会長として、彼女にかける言葉も留める理由も怜花には何一つ思い付かなかった。
 室内に、絶望に似た静寂が訪れる。
「ど、どうする? 取りに行ったら、説教されちゃうってよ……アハハ……」
 彩芽の笑い声が虚しく響く。誰からも返ってくる言葉はなかった。
(ちょ、ちょっと、侑麻姉。侑麻姉は今朝あのカメラの映像を見てたんでしょ? そこに朱音とか清掃業者の人とか、映ってなかったわけ? それが先にわかってれば、もう少し何か手の打ちようが……)
(映っていたかもしれないが……一条やきみがあの本を読んでいるところを中心にチェックしていたから、それ以外の部分はあまり細かく見ていなかったんだ……すまない)
「ア、アハハ。で、でもさ、ほら、今やなんたって、あの本の作者様である汐音がいるんだから。本のコピー? とかさ、家にきっとあるんでしょ? あ! なんなら、また同じものを描いてもらったっていいし!」
「い、いえ、その、あの作品はもともと刷った数がそれほど多くなくて、ありがたいことに全部売れてしまったので、手元にはもう一冊も残ってないんです……。あと、あれはけっこう前に描いたもので、最近はああいう絵柄を描かなくなっていたので、全く同じものがまた描けるかといったら、あまり自信は……」
「あ、そう、なんだ……」
 私立玉蘭女子学園高等学校、生徒会室。室内には何とも言えない沈痛な空気が漂う。開いたドアの前で立ち尽くす生徒会長・一条怜花に、もはや誰もかけるべき言葉を見出せなかった。
(一条……)
(怜花……)
(会長……)
 内心で怜花の心中を慮る三人の役員たち。今日の挨拶当番は自分が代わってやろうと三人ともが思っていた。
 私立玉蘭女子学園高等学校、生徒会長・一条怜花。彼女の心の傷が癒えるには、いましばらくの時間を要することだろう。だがしかし、そこはかの、玉女にこの人ありと言われし才女・一条怜花。必ずやこの悲しみを乗り越え、再びこの学園に爽やかな朝の太陽の光のような眩いばかりの希望をもたらしていってくれるはずだ。
 ……たぶん。


(了)


スタンプを贈って作者を応援しよう!



みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



「これ見てくださいよ、一条さん」
 朱音は憤然とした様子で肩にかけたスクールバッグから何かを取り出し、机の上に叩きつけるように置いた。
「――!!」
 机の上に置かれたそれを見て、怜花は息が止まりそうなほどに驚いた。そこには、おお、なんということだろう、彼女が探し求めていたあの聖典の姿があったのだ。
「い、いが、五十嵐、さん……こ、これを……どこ、で……?」
 怜花はオイルが切れかけたロボットのような声で訊ねた。他三人の役員たちも、それぞれに驚いた顔で机の上のBL誌を見つめている。
「今朝来た清掃業者の方が、落とし物として届けてくださったんですよ。ちょうど、生徒会室前の廊下に落ちていたんだそうです」
「お、落とし物……生徒会室前の、廊下に……」
 それを聞き、怜花の脳内スクリーンにとある映像が流れ出す。生徒会室の掃除をしようと、まずは室内の机や棚を外に運び出す業者。その際、例の保管棚も一度外に運び出される。今朝も確認した通り、あの収納棚の引き戸は部品が一部バカになっているのか大変開きやすい。業者が棚を運ぶ際、その衝撃で引き戸がひとりでに開き、中から一冊のBL誌が外に落ちる。業者はそれに気づかぬまま室内の清掃を終え、そして机や棚を中に戻す段になって、廊下に落ちている一冊の本に気づく。
『あれ? なんだこれ、いつから落ちてた?』
『さあ、わかんね。とりあえずさっきの子に、落とし物ってことで渡しとけばいいんじゃね?』
 ……決してあり得なくはない想像のように思えた。というよりそれ以外、この本が今このような形でここにある理由が見出せなかった。
「どう思います、一条さん? どこの誰だか知らないけど、こんな品性下劣な本をこっそり学校に持ってきてるなんて、本当に信じられない! ねえ、みなさんも、そう思うでしょう?」
 問われた怜花以外の役員たちはそれぞれに、「そ、そう……かもな」「アハハ……」「品性下劣……」などと、緩く同調したり意味もなく笑ったり、密かにショックを受けたりといった反応を、誰ひとり五十嵐朱音と目を合わさぬままに返した。肝心の怜花はといえば、目の前の聖典を両腕で強く抱き締め、「おかえり」と頬を擦り寄せたい衝動に耐えていた。
「とにかく、今後は我々風紀委員会と生徒会のみなさんで、違反物をより厳しく取り締まっていきましょう! もう誰も、このようなものを学校に持ち込むことがないように!」
 そう言うと、五十嵐朱音はBL誌を手に取り、生徒会室を出て行こうとする。
「い、五十嵐さん、どこへ行くの?」
「どこって、風紀委員会の事務室ですよ。落とし物の管理は我々風紀委員会の仕事でもありますからね。心配しないでください。もし落とし主が現れたら、わたしがみっちり説教してやりますから。それじゃ、今日も朝の挨拶当番、頑張りましょう!」
 そう言って五十嵐朱音は颯爽と歩き出す。その背中を怜花はただ呆然と見送っていた。心の拠り所が、信仰の対象が、私の聖典が、目の前から去っていく。しかし今この瞬間、生徒会長として、彼女にかける言葉も留める理由も怜花には何一つ思い付かなかった。
 室内に、絶望に似た静寂が訪れる。
「ど、どうする? 取りに行ったら、説教されちゃうってよ……アハハ……」
 彩芽の笑い声が虚しく響く。誰からも返ってくる言葉はなかった。
(ちょ、ちょっと、侑麻姉。侑麻姉は今朝あのカメラの映像を見てたんでしょ? そこに朱音とか清掃業者の人とか、映ってなかったわけ? それが先にわかってれば、もう少し何か手の打ちようが……)
(映っていたかもしれないが……一条やきみがあの本を読んでいるところを中心にチェックしていたから、それ以外の部分はあまり細かく見ていなかったんだ……すまない)
「ア、アハハ。で、でもさ、ほら、今やなんたって、あの本の作者様である汐音がいるんだから。本のコピー? とかさ、家にきっとあるんでしょ? あ! なんなら、また同じものを描いてもらったっていいし!」
「い、いえ、その、あの作品はもともと刷った数がそれほど多くなくて、ありがたいことに全部売れてしまったので、手元にはもう一冊も残ってないんです……。あと、あれはけっこう前に描いたもので、最近はああいう絵柄を描かなくなっていたので、全く同じものがまた描けるかといったら、あまり自信は……」
「あ、そう、なんだ……」
 私立玉蘭女子学園高等学校、生徒会室。室内には何とも言えない沈痛な空気が漂う。開いたドアの前で立ち尽くす生徒会長・一条怜花に、もはや誰もかけるべき言葉を見出せなかった。
(一条……)
(怜花……)
(会長……)
 内心で怜花の心中を慮る三人の役員たち。今日の挨拶当番は自分が代わってやろうと三人ともが思っていた。
 私立玉蘭女子学園高等学校、生徒会長・一条怜花。彼女の心の傷が癒えるには、いましばらくの時間を要することだろう。だがしかし、そこはかの、玉女にこの人ありと言われし才女・一条怜花。必ずやこの悲しみを乗り越え、再びこの学園に爽やかな朝の太陽の光のような眩いばかりの希望をもたらしていってくれるはずだ。
 ……たぶん。
(了)