第3話 「答えは――イエスよ」
ー/ー オレはおそるおそる目を上げて、ハルPの顔色をうかがった。
「えっ?」
ハルPの目じりから、つーっと涙が糸を引いた。オレは思わず言葉を失い、まばたきも忘れてハルPの顔を見つめていた。
「……やられた」
「へ?」
「これを聞いたら好きにならずにいられない」
「本当に?」
ハルPはハンカチで涙を拭き、オレの両手を握ってまっすぐ目を見た。
「孝二くん、お願い。少しだけ時間をちょうだい」
「もちろんです! いくらでも待ちます!」
これはあれかな。気持ちの整理ってやつかな。それともいまカレとの関係性にケリをつけるとか?
まさか両親に報告ってことはないよね?
オレはラブソングの思いがけぬ効き目に、すっかり舞い上がった。
「そんなに長くは待たせない。来週の月曜には答えを伝えるから」
その日の仕事のことはまったく覚えていない。どうやって家に帰ったかさえ記憶にないのだ。
「やったー! 恋歌作戦大成功! ついにハルPとお付き合いスタートか?」
オレのあたまの中はハートマークで一杯になったが、落ち着いてくると急に不安になった。
「いやいや、答えは来週までわからない。考えてみたけどお断りってこともあるかも」
むしろその可能性の方が高そうだ。断られたらどうしよう?
――別にいまと変わらないか? 現在の関係性がほぼゼロなんだから、断られてもいま以上に悪化するわけでもなかった。
それに断られたらこの世の終わりというわけじゃないしね。それでもあきらめずに告白を続けてもいいわけだ。
……うん、そういうシチュエーションも悪くない。あながちだぞ。
オレは浮かれたり、悶々としたりを繰り返し、運命の月曜日を迎えた。
◇
「ハルさん……」
「孝二くん、答えが出たわ」
「(ごくり)それで、回答は?」
オレは固唾を飲んでハルPの口元を見つめた。その唇は「イエス」と動くのか、それとも「ノー」と動くのか?
「答えは――イエスよ」
「えーっ! 本当ですか?」
ハルPはパアッときれいな顔を明るくした。
「おめでとう! デビュー決定よ!」
ぱ~ん!
ハルPはいつの間にか取り出したクラッカーを鳴らした。いや、ここ会社なんですけど。
飛び出したカラフルな紙テープにまみれながら、オレは目を点にして固まっていた。
「あのデモ演奏を音楽プロダクションに送ったの。そしたらオーディション合格だって!」
聞けばハルPはちょっと芸能プロにスカウトされたことがあって、芸能関係に知り合いが多い。その内のひとつで、新人育成手腕に定評のある音楽プロデューサーに演奏データを送りつけたらしい。
ハルPおそるべし。ってか、なに勝手なことしてくれてんの?
「えっ? じゃあ、『やられた』とか『好きにならずにいられない』って……」
「『春の歌』よ。すっごくいい曲だなって思ったの。……自分の名前が晴美だから気に入ったわけじゃないのよ?」
いや、晴海の「ハル」で「ハルの歌」なんですけど……? お誕生日のプレゼントだっていったよね?
「曲の方はアレンジャーさんが引き継いで仕上げてくれるって。孝二くんは歌の方のトレーニングね」
「へ? いったいなんの話?」
「センスはいいんだけど、プロになるには基礎から鍛えないとダメだそうよ。土曜日はボイストレーニングとダンス・レッスンね。日曜日は歌の先生について歌唱レッスンをしてもらうわ」
はい? 本人不在でなんか決まってるう?
「オレの休みは……?」
「月の最終日曜日はレッスンをお休みにしてある。体を休める日も必要だからね。その代わり、新しい歌の作詞作曲ならできるでしょ? デビュー前にストックしておかないと」
「こ、心が休まるのは平日の夜だけか……」
昼間は会社の仕事がある。いきなり二足のわらじを履くことになるなんて。
「あ、夜はジムで筋トレがあるの。体を鍛えておかないと、ステージのパフォーマンスに耐えられないから」
「殺す気かあ!」
笑顔を浮かべながら地獄のメニューを告げるハルPに、とうとうオレは怒鳴ってしまった。
「たいへんなのはわかる。でもね、孝二くん。考えてみて」
「は?」
「ど素人がいきなりメジャーデビューする機会に恵まれているのよ? こんなチャンス、人生に二度とあると思う?」
「う、うう……」
ないだろう。ふつう一度だってめぐり合えない。オレでもそれくらいはわかる。
くやしいことに、「ハルの歌」が世に出る機会があるといわれれば、オレだってそれをつかみたい!
「ね? だから半年間がんばってみて。会社のことはわたしがカバーするから」
いや、むしろ会社以外の方がたいへんなんですが……。
しくしく痛み出したお腹をさすりながら目を上げると、先輩AとBがパーティション越しにこちらをのぞいていた。
オレにはその口元が声に出さずにささやいている言葉が聞き取れる。
『だからいったろう? 「庶務課の天使にゃ手を出すな!」って』
でも、でも。せめてオレの恋心は――!
「それとね、孝二くん。デビューして一年間は恋愛禁止よ」
「そんな!」
「遊びたい年頃なのはわかるけど、いまが大切な時期なんだから!」
「遊びじゃないのにー!」
こうしてオレ後藤孝二は音楽界に衝撃的なデビューを飾り、のちに「失恋ソングの帝王」と呼ばれるようになった。チクショー!
<了>
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
オレはおそるおそる目を上げて、ハルPの顔色をうかがった。
「えっ?」
ハルPの目じりから、つーっと涙が糸を引いた。オレは思わず言葉を失い、まばたきも忘れてハルPの顔を見つめていた。
「……やられた」
「へ?」
「これを聞いたら好きにならずにいられない」
「本当に?」
「へ?」
「これを聞いたら好きにならずにいられない」
「本当に?」
ハルPはハンカチで涙を拭き、オレの両手を握ってまっすぐ目を見た。
「孝二くん、お願い。少しだけ時間をちょうだい」
「もちろんです! いくらでも待ちます!」
「もちろんです! いくらでも待ちます!」
これはあれかな。気持ちの整理ってやつかな。それともいまカレとの関係性にケリをつけるとか?
まさか両親に報告ってことはないよね?
まさか両親に報告ってことはないよね?
オレはラブソングの思いがけぬ効き目に、すっかり舞い上がった。
「そんなに長くは待たせない。来週の月曜には答えを伝えるから」
その日の仕事のことはまったく覚えていない。どうやって家に帰ったかさえ記憶にないのだ。
「やったー! 恋歌作戦大成功! ついにハルPとお付き合いスタートか?」
オレのあたまの中はハートマークで一杯になったが、落ち着いてくると急に不安になった。
「いやいや、答えは来週までわからない。考えてみたけどお断りってこともあるかも」
むしろその可能性の方が高そうだ。断られたらどうしよう?
――別にいまと変わらないか? 現在の関係性がほぼゼロなんだから、断られてもいま以上に悪化するわけでもなかった。
――別にいまと変わらないか? 現在の関係性がほぼゼロなんだから、断られてもいま以上に悪化するわけでもなかった。
それに断られたらこの世の終わりというわけじゃないしね。それでもあきらめずに告白を続けてもいいわけだ。
……うん、そういうシチュエーションも悪くない。あながちだぞ。
……うん、そういうシチュエーションも悪くない。あながちだぞ。
オレは浮かれたり、悶々としたりを繰り返し、運命の月曜日を迎えた。
◇
「ハルさん……」
「孝二くん、答えが出たわ」
「(ごくり)それで、回答は?」
「孝二くん、答えが出たわ」
「(ごくり)それで、回答は?」
オレは固唾を飲んでハルPの口元を見つめた。その唇は「イエス」と動くのか、それとも「ノー」と動くのか?
「答えは――イエスよ」
「えーっ! 本当ですか?」
「えーっ! 本当ですか?」
ハルPはパアッときれいな顔を明るくした。
「おめでとう! デビュー決定よ!」
ぱ~ん!
ハルPはいつの間にか取り出したクラッカーを鳴らした。いや、ここ会社なんですけど。
飛び出したカラフルな紙テープにまみれながら、オレは目を点にして固まっていた。
飛び出したカラフルな紙テープにまみれながら、オレは目を点にして固まっていた。
「あのデモ演奏を音楽プロダクションに送ったの。そしたらオーディション合格だって!」
聞けばハルPは|ちょっと《何度も》芸能プロにスカウトされたことがあって、芸能関係に知り合いが多い。その内のひとつで、新人育成手腕に定評のある音楽プロデューサーに|演奏データ《オレの鼻歌》を送りつけたらしい。
ハルPおそるべし。ってか、なに勝手なことしてくれてんの?
「えっ? じゃあ、『やられた』とか『好きにならずにいられない』って……」
「『春の歌』よ。すっごくいい曲だなって思ったの。……自分の名前が晴美だから気に入ったわけじゃないのよ?」
「『春の歌』よ。すっごくいい曲だなって思ったの。……自分の名前が晴美だから気に入ったわけじゃないのよ?」
いや、晴海の「ハル」で「ハルの歌」なんですけど……? お誕生日のプレゼントだっていったよね?
「曲の方はアレンジャーさんが引き継いで仕上げてくれるって。孝二くんは歌の方のトレーニングね」
「へ? いったいなんの話?」
「センスはいいんだけど、プロになるには基礎から鍛えないとダメだそうよ。土曜日はボイストレーニングとダンス・レッスンね。日曜日は歌の先生について歌唱レッスンをしてもらうわ」
「へ? いったいなんの話?」
「センスはいいんだけど、プロになるには基礎から鍛えないとダメだそうよ。土曜日はボイストレーニングとダンス・レッスンね。日曜日は歌の先生について歌唱レッスンをしてもらうわ」
はい? 本人不在でなんか決まってるう?
「オレの休みは……?」
「月の最終日曜日はレッスンをお休みにしてある。体を休める日も必要だからね。その代わり、新しい歌の作詞作曲ならできるでしょ? デビュー前にストックしておかないと」
「こ、心が休まるのは平日の夜だけか……」
「月の最終日曜日はレッスンをお休みにしてある。体を休める日も必要だからね。その代わり、新しい歌の作詞作曲ならできるでしょ? デビュー前にストックしておかないと」
「こ、心が休まるのは平日の夜だけか……」
昼間は会社の仕事がある。いきなり二足のわらじを履くことになるなんて。
「あ、夜はジムで筋トレがあるの。体を鍛えておかないと、ステージのパフォーマンスに耐えられないから」
「殺す気かあ!」
「殺す気かあ!」
笑顔を浮かべながら地獄のメニューを告げるハルPに、とうとうオレは怒鳴ってしまった。
「たいへんなのはわかる。でもね、孝二くん。考えてみて」
「は?」
「ど素人がいきなりメジャーデビューする機会に恵まれているのよ? こんなチャンス、人生に二度とあると思う?」
「う、うう……」
「は?」
「ど素人がいきなりメジャーデビューする機会に恵まれているのよ? こんなチャンス、人生に二度とあると思う?」
「う、うう……」
ないだろう。ふつう一度だってめぐり合えない。オレでもそれくらいはわかる。
くやしいことに、「ハルの歌」が世に出る機会があるといわれれば、オレだってそれをつかみたい!
くやしいことに、「ハルの歌」が世に出る機会があるといわれれば、オレだってそれをつかみたい!
「ね? だから半年間がんばってみて。会社のことはわたしがカバーするから」
いや、むしろ会社以外の方がたいへんなんですが……。
しくしく痛み出したお腹をさすりながら目を上げると、先輩AとBがパーティション越しにこちらをのぞいていた。
オレにはその口元が声に出さずにささやいている言葉が聞き取れる。
『だからいったろう? 「庶務課の天使にゃ手を出すな!」って』
でも、でも。せめてオレの恋心は――!
「それとね、孝二くん。デビューして一年間は恋愛禁止よ」
「そんな!」
「遊びたい年頃なのはわかるけど、いまが大切な時期なんだから!」
「遊びじゃないのにー!」
「そんな!」
「遊びたい年頃なのはわかるけど、いまが大切な時期なんだから!」
「遊びじゃないのにー!」
こうしてオレ後藤孝二は音楽界に衝撃的なデビューを飾り、のちに「失恋ソングの帝王」と呼ばれるようになった。チクショー!
<了>