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ー/ー




「試験の雇用基準は、能力は二の次で、まずは"見てくれ"で絞られる。佳莉なら間違いなくいけるはずだ。」

「わ、私のこんな"見てくれ"でいけますか??」

 佳莉はいつも、ナイフで乱雑に切り落とした髪を一つに結び、服も継ぎはぎだらけの男装束を着ている。

 佳莉が自分の姿を見下ろしたところで、狼夜が笑いながら言った。

「なあに、お前の素材は団長のお墨付きだ。あとはうちの緋狸(フェイリ)が佳莉を完璧な女に仕上げてくれる。」

 緋狸は男ではあるが、女の嗜みに長けていた。

 以前環栄帝国に向かう荷車から拝借した衣装を佳莉に着せれば、奉公にきた村娘にみえるだろうと緋狸は考えていた。

「肖との夜伽にこぎ着けたら、あとは肖を仕留めるのみ。酒と香で酔わせて毒を盛れば、肖を静かに殺すことが出来る。んで肖が死んだ騒ぎの中、俺らが宮廷を襲うってわけよ。」

 狼夜の説明終わったところで、白狐が佳莉に最後の助言をする。

「まずは宮廷内に溶け込み、女官や幹部らとの信頼関係を築くことが重要だ。」

「はい。」

「それから我等との連絡手段にカラスを使う。週に二度は手紙を書いてカラスの足に括りつけるように。いいな?」

「分かりました、団長。」


 自分は、復讐が終わった後どうなるんですか?もし復讐が失敗に終わった時、私を敵に差し出すのですか団長──?

 佳莉はその言葉を呑み込んだ。


 しかし、佳莉の女官雇用試験が近づくにつれ、白狐との房中術の訓練はより深いものとなっていく。

 ある夜、白狐にいつものように抱かれている時だった。

 白狐が何度も耳元で佳莉に愛を囁いた。

「好きだ、好きだ好きだ」

「だ、団長っ⋯⋯」

「私の可愛い佳莉──。」

 何度も小さな口内を貪り、何度も佳莉の名を呼び、小分けにした愛を降り注ぐ白狐。

 ずっと優しくはあったが、初めて紡がれる言葉に、佳莉はいつもに増して感じてしまうのだった。

 本当は復讐なんて止めて、ずっとこのまま白狐たちと共に平穏に暮らしていきたい。

 しかしこの愛の言葉も、相手を惑わせるための策の一つなのだろう。これも房中術を指南されているだけなのだと佳莉は肝に銘じた。そして抱かれた後に残されたのは、孤独感だけだった。


 出発の日、佳莉は早朝から緋狸の手により村娘へと変貌を遂げていた。

 馬油でとかされた髪を頭の上で一つの団子にし、女用の服を着て、ロバに乗り王都へと向かった佳莉。

 森を抜け、農村を通り、2日かけて王都に到着した。

 女官は高給の仕事。宮廷に着くと、女官希望者が100人近くおり、採用はその中の数名のみ。佳莉の手に汗が滲む。

 試験では宦官に質問されている最中、佳莉は緊張がそのまま顔に出てしまったが、その純朴そうな印象がむしろ功を奏した。

 武術試験も合格し、見事佳莉の女官としての雇用が認められた。

 佳莉は宮廷では"桃莉(ドウリー)"と名を偽り、女官を勤めることになる。


 次に佳莉がやるのは、宮廷の見取り図を作ること。女官たちは6人一部屋での生活となるため、彼女たちの目を盗んで作るには、皆が寝静まった後しかなかった。


 宮廷に来て一週間が過ぎ、針仕事を終えた佳莉は、ある幹部の部屋の前に来ていた。

「海邦(ハイバン)様、お召し物の準備が整いました。」

 幹部が宴席で着る正装の補修をしていた佳莉は、海邦という幹部に衣装を届けに来たのだ。

「入れ。」

「はい、失礼いたします。」

 佳莉が襖を開け、部屋に入ると、海邦がその姿を見て目を見開いた。

「凛朿妃(リンジーひ)⋯⋯?」

「え?」

「いや、失礼。瑠璃色の目といい髪といい、凛朿妃にあまりにも似ていたもので。」

 佳莉の母である凛朿はやはりこの宮廷にいたようで、その日から海邦は佳莉に会うたびに凛朿妃に似ていると漏らした。

 ある日、再び海邦の部屋に衣装を届けに訪れた際、佳莉は思い切って母のことを聞いてみた。

「あの、その凛朿妃様はどういったお方だったのですか?」

「凛朿妃は侵略した地の皇妃だったが、肖皇帝が凛朿妃の美しさに惚れ、凛朿妃を側室に入れたのだ。」

「........」

「ここだけの話、凛朿妃は肖皇帝を恨んでいた。しかし奴隷にされた彼女の国の民を守るためには側室に入らざるを得なかったんだ。結局凛朿妃は疫病にかかり、亡くなられたがな⋯⋯。」

 佳莉はそれを聞いて拳を固く握った。そこまで母に惚れていたのに、疫病で見捨てた肖が憎くてしょうがない。

「美しいだけではない。とても強く、賢明な方であった。」

 海邦の言葉には、どこか感慨深いものがあった。──きっとお母様はこの敵の宮廷でも慕われる存在だったのだろう。佳莉は拳を緩めるも、涙腺まで緩んでしまいそうだった。

 それから一月が経ち、宮廷の見取図を完成させた佳莉は、カラスを使い白狐たちに、宮廷の見取図と報告の手紙を送った。


「桃莉、ちょっと話があるからついて来て。」

 ある日上位の女官に呼ばれ、女官の部屋までついて行くと、改まった様子で話を切り出された。

「桃莉、あなた、肖様直々に一度会いたいって話がきてるのよ。」

「え、ええっ?!」

「明日の午後にも謁見の間に通されるらしいから、それまでにあなたの身なりを整えておきなさい。」

"凛朿妃に似た女官がいる"
その噂は瞬く間に宮廷内に広がり、肖の耳に届くまで二月もかからなかった。

 
 次の日、佳莉は海邦につれられ、肖に会うため謁見の間に来ていた。

「初めまして肖皇帝、弥軽(ミイジ)村から来ました、桃莉と申します。」

 跪き、王座に顔を向けると、佳莉が思っていたような威厳溢れる姿、ではなく、年老いた肖の姿があった。

 骨に皮がついたような肌に、痩せこけた頬。顎から生えた真っ白な髭は細く、瞼の皮が重いせいか目も開いているかどうか分からない状態だった。

 肖の重い瞼が微かに動くと、震える声が謁見の間に木霊する。

「お、おお⋯⋯、お主は、凛朿⋯⋯!ワシの元に帰ってきてくれたか。」

「い、いえ、私は凛朿妃では、」

「どれ?ワシの傍にきて、よく顔を見せてはくれんか。」

 肖が座る元まで行くと、肖の目の前に跪き顔を上げた佳莉。

 肖は上手く身体を動かすことが出来ないのか、手が震えっぱなしだった。

 しかし佳莉を見つめる肖の瞳から、大粒の涙が流れた。

「!」

「凛朿⋯⋯凛朿よ、ずっと、ずっと会いたかった⋯⋯。」

 そこまで母のことを思っておきながら、なぜ母を見殺しにしたのか、佳莉は肖の思念が理解出来なかった。


 謁見の間から出て行くと、隣に付き添っていた海邦が肖のことを話してくれた。

「皇帝は、ずっと凛朿妃を愛してらしたが、凛朿妃が疫病にかかると、凛朿妃自らこの宮廷を離れたのだ。」

「⋯⋯え?」

「凛朿妃はこの宮廷や民に疫病が広がらないようにと、島で最期を迎えることを自ら決められた。凛朿妃が亡くなってから皇帝は憔悴していき、以前のように戦を仕向けることも無くなったのだ。」

 佳莉が思い描いていた肖は、傲慢で身勝手な人物象だったが、今では普通の老人。すでに老衰している肖に復讐するのは忍びないと思い始めた佳莉。

 肖が篭斎島国を滅ぼし父を処刑した事実はあるが、母を愛していたのも事実。

 肖の後継者はすでに皇后との間の息子に決められていた。息子は領土や勢力の拡大よりも、民のための政治を望んでいたため、現在の環栄帝国には平和な時間が流れていた。


 佳莉はこの事実をカラスに託し、白狐らに知らせた。


 白狐の返事はこうだった。

『佳莉、お前の母君が立派なお方で良かった。肖の心を動かし、それが戦のない平和な世へと繋げたのだ。そしてすでに肖の自然死が近いという事実、復讐はもう終わったものとしよう。』

 あまりの呆気ない返事に、佳莉は直ぐ様白狐に手紙を送った。復讐はもうしないのであれば、自分は白狐らの元に帰りたいという希望を。

『我々は獣人であり、佳莉は人間だ。佳莉はその地で平和に暮らせ。我々と共にいるべきではない。』

 その手紙を読んだ佳莉は、それから毎日必死に手紙を送り続けた。

『私は団長が好きです、どうか傍に居させて下さい。』と。

 しかし、それに対する返事はなかった。


 佳莉から届いた告白の手紙を握り締め、白狐は初めて篭斎島国を訪れた時のことを思い出していた。

 肖が篭斎島国を植民地にするよりも、さらに昔の話。

 当時、強欲だった肖は、いくつかの小国を支配下に置こうと目論み、獣人である騎士たちに、"我等の意向に従わなければ小国を奇襲せよ"と命を下していた。

 その中の一つにあったのが篭斎島国。白狐らの部隊は船で篭斎島国へと渡った。

 しかし篭斎島国に着いた獣人らは、豊かな自然の美しさに驚くことになる。

 獣人らは元より自然界に生きる獣だったが、人間らに自然を破壊され行き場をなくし、次第に人間のような生活力を身に付けるため、獣人へと進化を遂げた。

 このような美しい地を犯すなど、白狐らにとって気の進まないものではあったが、肖に逆らえないのも事実。


 篭斎島国の兵士たちと一触即発の状況になった時、宮廷から一人の兵士が駆けてきて叫んだ。

「吉報だ!!皇女様が、皇女様がお生まれになったぞー!!凛朿后妃と同じ瑠璃色の目と髪をされている、美しい皇女様だ!!」

 叶祖安と凛朿の間に初めての子供が誕生した瞬間だった。

 長いこと子供が出来なかったため、周りの兵士たちは皆涙を流して喜び、戦をする空気から遠退いてしまった。

 白狐らもその小さな誕生に胸を打たれ、その場は退却することとなった。

 その時の小さな命が佳莉である。

 結局篭斎島国は肖の手に落ちることになってしまったが、白狐はそれまで多くの国に奇襲を掛けてきたことを悔やんだ。

 佳莉の誕生が自分の過ちを気付かせてくれたのだ。

 それから白狐ら獣人騎士は、肖の傲慢なやり方に抵抗するようになる。そして他国からの奇襲時、肖は不要になった獣人らを他国に罪人として突き出したのだ。


 襲った牢馬車に佳莉が乗っていたのは偶然だった。その特徴的な佳莉の瑠璃色の目と髪を見た白狐は、もしかしてと思い佳莉を連れ帰った。

 後から仲間に調べさせれば、白狐の予想通り、篭斎島国の皇女だったことが判明する。

 それから白狐は佳莉に恩返ししようと、生きていくための術を身に付けさせた。佳莉が生きる気力を失わないよう、肖への復讐を言い続けた。

 しかし自分たちと一緒にいては、佳莉も悪人になってしまう。いずれ普通の人間の暮らしが出来るようにと、環栄帝国の宮廷に女官として奉公に出すことを決意する。

 宮廷の女官は必然的に夜伽をさせられるため、佳莉が辛くないようにと房中術を身に付けさせた。

 肖が老衰しそうな今がチャンスだと佳莉を送り込んだ白狐だったが.....


 佳莉との別れがこんなにも苦しいものだったとは────

 白狐は哀しみに打ちひしがれた。

 佳莉の幸せを誰よりも願ってきたはずなのに。佳莉を愛する心は誰よりも熱いはずなのに。自分の傍にいないことがこんなにも辛い──。


 それから佳莉の元にカラスが来ることはなくなった。
 

 謁見から日が過ぎ、肖に気に入られた佳莉は、宮廷から離職することも出来ず、肖の世話役の責務を全うすることとなる。

 もちろん夜伽はなく、ご飯を食べさせたり、身体を拭いたり、時には燕子花の咲き誇る庭園を共に散歩したり。

 そして1年後、寝たきりになった肖は、佳莉に、自分の世話をしてくれた褒美に何が欲しいかと聞くと、彼女はこう答えた。


「獣人の人権、それと宮廷に獣人の騎士が欲しいです」と。

 佳莉の、白狐への復讐(・・)が果たされる日は近い。




【Fin】













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「試験の雇用基準は、能力は二の次で、まずは"見てくれ"で絞られる。佳莉なら間違いなくいけるはずだ。」
「わ、私のこんな"見てくれ"でいけますか??」
 佳莉はいつも、ナイフで乱雑に切り落とした髪を一つに結び、服も継ぎはぎだらけの男装束を着ている。
 佳莉が自分の姿を見下ろしたところで、狼夜が笑いながら言った。
「なあに、お前の素材は団長のお墨付きだ。あとはうちの|緋狸《フェイリ》が佳莉を完璧な女に仕上げてくれる。」
 緋狸は男ではあるが、女の嗜みに長けていた。
 以前環栄帝国に向かう荷車から拝借した衣装を佳莉に着せれば、奉公にきた村娘にみえるだろうと緋狸は考えていた。
「肖との夜伽にこぎ着けたら、あとは肖を仕留めるのみ。酒と香で酔わせて毒を盛れば、肖を静かに殺すことが出来る。んで肖が死んだ騒ぎの中、俺らが宮廷を襲うってわけよ。」
 狼夜の説明終わったところで、白狐が佳莉に最後の助言をする。
「まずは宮廷内に溶け込み、女官や幹部らとの信頼関係を築くことが重要だ。」
「はい。」
「それから我等との連絡手段にカラスを使う。週に二度は手紙を書いてカラスの足に括りつけるように。いいな?」
「分かりました、団長。」
 自分は、復讐が終わった後どうなるんですか?もし復讐が失敗に終わった時、私を敵に差し出すのですか団長──?
 佳莉はその言葉を呑み込んだ。
 しかし、佳莉の女官雇用試験が近づくにつれ、白狐との房中術の訓練はより深いものとなっていく。
 ある夜、白狐にいつものように抱かれている時だった。
 白狐が何度も耳元で佳莉に愛を囁いた。
「好きだ、好きだ好きだ」
「だ、団長っ⋯⋯」
「私の可愛い佳莉──。」
 何度も小さな口内を貪り、何度も佳莉の名を呼び、小分けにした愛を降り注ぐ白狐。
 ずっと優しくはあったが、初めて紡がれる言葉に、佳莉はいつもに増して感じてしまうのだった。
 本当は復讐なんて止めて、ずっとこのまま白狐たちと共に平穏に暮らしていきたい。
 しかしこの愛の言葉も、相手を惑わせるための策の一つなのだろう。これも房中術を指南されているだけなのだと佳莉は肝に銘じた。そして抱かれた後に残されたのは、孤独感だけだった。
 出発の日、佳莉は早朝から緋狸の手により村娘へと変貌を遂げていた。
 馬油でとかされた髪を頭の上で一つの団子にし、女用の服を着て、ロバに乗り王都へと向かった佳莉。
 森を抜け、農村を通り、2日かけて王都に到着した。
 女官は高給の仕事。宮廷に着くと、女官希望者が100人近くおり、採用はその中の数名のみ。佳莉の手に汗が滲む。
 試験では宦官に質問されている最中、佳莉は緊張がそのまま顔に出てしまったが、その純朴そうな印象がむしろ功を奏した。
 武術試験も合格し、見事佳莉の女官としての雇用が認められた。
 佳莉は宮廷では"桃莉《ドウリー》"と名を偽り、女官を勤めることになる。
 次に佳莉がやるのは、宮廷の見取り図を作ること。女官たちは6人一部屋での生活となるため、彼女たちの目を盗んで作るには、皆が寝静まった後しかなかった。
 宮廷に来て一週間が過ぎ、針仕事を終えた佳莉は、ある幹部の部屋の前に来ていた。
「海邦《ハイバン》様、お召し物の準備が整いました。」
 幹部が宴席で着る正装の補修をしていた佳莉は、海邦という幹部に衣装を届けに来たのだ。
「入れ。」
「はい、失礼いたします。」
 佳莉が襖を開け、部屋に入ると、海邦がその姿を見て目を見開いた。
「凛朿妃《リンジーひ》⋯⋯?」
「え?」
「いや、失礼。瑠璃色の目といい髪といい、凛朿妃にあまりにも似ていたもので。」
 佳莉の母である凛朿はやはりこの宮廷にいたようで、その日から海邦は佳莉に会うたびに凛朿妃に似ていると漏らした。
 ある日、再び海邦の部屋に衣装を届けに訪れた際、佳莉は思い切って母のことを聞いてみた。
「あの、その凛朿妃様はどういったお方だったのですか?」
「凛朿妃は侵略した地の皇妃だったが、肖皇帝が凛朿妃の美しさに惚れ、凛朿妃を側室に入れたのだ。」
「........」
「ここだけの話、凛朿妃は肖皇帝を恨んでいた。しかし奴隷にされた彼女の国の民を守るためには側室に入らざるを得なかったんだ。結局凛朿妃は疫病にかかり、亡くなられたがな⋯⋯。」
 佳莉はそれを聞いて拳を固く握った。そこまで母に惚れていたのに、疫病で見捨てた肖が憎くてしょうがない。
「美しいだけではない。とても強く、賢明な方であった。」
 海邦の言葉には、どこか感慨深いものがあった。──きっとお母様はこの敵の宮廷でも慕われる存在だったのだろう。佳莉は拳を緩めるも、涙腺まで緩んでしまいそうだった。
 それから一月が経ち、宮廷の見取図を完成させた佳莉は、カラスを使い白狐たちに、宮廷の見取図と報告の手紙を送った。
「桃莉、ちょっと話があるからついて来て。」
 ある日上位の女官に呼ばれ、女官の部屋までついて行くと、改まった様子で話を切り出された。
「桃莉、あなた、肖様直々に一度会いたいって話がきてるのよ。」
「え、ええっ?!」
「明日の午後にも謁見の間に通されるらしいから、それまでにあなたの身なりを整えておきなさい。」
"凛朿妃に似た女官がいる"
その噂は瞬く間に宮廷内に広がり、肖の耳に届くまで二月もかからなかった。
 次の日、佳莉は海邦につれられ、肖に会うため謁見の間に来ていた。
「初めまして肖皇帝、|弥軽《ミイジ》村から来ました、桃莉と申します。」
 跪き、王座に顔を向けると、佳莉が思っていたような威厳溢れる姿、ではなく、年老いた肖の姿があった。
 骨に皮がついたような肌に、痩せこけた頬。顎から生えた真っ白な髭は細く、瞼の皮が重いせいか目も開いているかどうか分からない状態だった。
 肖の重い瞼が微かに動くと、震える声が謁見の間に木霊する。
「お、おお⋯⋯、お主は、凛朿⋯⋯!ワシの元に帰ってきてくれたか。」
「い、いえ、私は凛朿妃では、」
「どれ?ワシの傍にきて、よく顔を見せてはくれんか。」
 肖が座る元まで行くと、肖の目の前に跪き顔を上げた佳莉。
 肖は上手く身体を動かすことが出来ないのか、手が震えっぱなしだった。
 しかし佳莉を見つめる肖の瞳から、大粒の涙が流れた。
「!」
「凛朿⋯⋯凛朿よ、ずっと、ずっと会いたかった⋯⋯。」
 そこまで母のことを思っておきながら、なぜ母を見殺しにしたのか、佳莉は肖の思念が理解出来なかった。
 謁見の間から出て行くと、隣に付き添っていた海邦が肖のことを話してくれた。
「皇帝は、ずっと凛朿妃を愛してらしたが、凛朿妃が疫病にかかると、凛朿妃自らこの宮廷を離れたのだ。」
「⋯⋯え?」
「凛朿妃はこの宮廷や民に疫病が広がらないようにと、島で最期を迎えることを自ら決められた。凛朿妃が亡くなってから皇帝は憔悴していき、以前のように戦を仕向けることも無くなったのだ。」
 佳莉が思い描いていた肖は、傲慢で身勝手な人物象だったが、今では普通の老人。すでに老衰している肖に復讐するのは忍びないと思い始めた佳莉。
 肖が篭斎島国を滅ぼし父を処刑した事実はあるが、母を愛していたのも事実。
 肖の後継者はすでに皇后との間の息子に決められていた。息子は領土や勢力の拡大よりも、民のための政治を望んでいたため、現在の環栄帝国には平和な時間が流れていた。
 佳莉はこの事実をカラスに託し、白狐らに知らせた。
 白狐の返事はこうだった。
『佳莉、お前の母君が立派なお方で良かった。肖の心を動かし、それが戦のない平和な世へと繋げたのだ。そしてすでに肖の自然死が近いという事実、復讐はもう終わったものとしよう。』
 あまりの呆気ない返事に、佳莉は直ぐ様白狐に手紙を送った。復讐はもうしないのであれば、自分は白狐らの元に帰りたいという希望を。
『我々は獣人であり、佳莉は人間だ。佳莉はその地で平和に暮らせ。我々と共にいるべきではない。』
 その手紙を読んだ佳莉は、それから毎日必死に手紙を送り続けた。
『私は団長が好きです、どうか傍に居させて下さい。』と。
 しかし、それに対する返事はなかった。
 佳莉から届いた告白の手紙を握り締め、白狐は初めて篭斎島国を訪れた時のことを思い出していた。
 肖が篭斎島国を植民地にするよりも、さらに昔の話。
 当時、強欲だった肖は、いくつかの小国を支配下に置こうと目論み、獣人である騎士たちに、"我等の意向に従わなければ小国を奇襲せよ"と命を下していた。
 その中の一つにあったのが篭斎島国。白狐らの部隊は船で篭斎島国へと渡った。
 しかし篭斎島国に着いた獣人らは、豊かな自然の美しさに驚くことになる。
 獣人らは元より自然界に生きる獣だったが、人間らに自然を破壊され行き場をなくし、次第に人間のような生活力を身に付けるため、獣人へと進化を遂げた。
 このような美しい地を犯すなど、白狐らにとって気の進まないものではあったが、肖に逆らえないのも事実。
 篭斎島国の兵士たちと一触即発の状況になった時、宮廷から一人の兵士が駆けてきて叫んだ。
「吉報だ!!皇女様が、皇女様がお生まれになったぞー!!凛朿后妃と同じ瑠璃色の目と髪をされている、美しい皇女様だ!!」
 叶祖安と凛朿の間に初めての子供が誕生した瞬間だった。
 長いこと子供が出来なかったため、周りの兵士たちは皆涙を流して喜び、戦をする空気から遠退いてしまった。
 白狐らもその小さな誕生に胸を打たれ、その場は退却することとなった。
 その時の小さな命が佳莉である。
 結局篭斎島国は肖の手に落ちることになってしまったが、白狐はそれまで多くの国に奇襲を掛けてきたことを悔やんだ。
 佳莉の誕生が自分の過ちを気付かせてくれたのだ。
 それから白狐ら獣人騎士は、肖の傲慢なやり方に抵抗するようになる。そして他国からの奇襲時、肖は不要になった獣人らを他国に罪人として突き出したのだ。
 襲った牢馬車に佳莉が乗っていたのは偶然だった。その特徴的な佳莉の瑠璃色の目と髪を見た白狐は、もしかしてと思い佳莉を連れ帰った。
 後から仲間に調べさせれば、白狐の予想通り、篭斎島国の皇女だったことが判明する。
 それから白狐は佳莉に恩返ししようと、生きていくための術を身に付けさせた。佳莉が生きる気力を失わないよう、肖への復讐を言い続けた。
 しかし自分たちと一緒にいては、佳莉も悪人になってしまう。いずれ普通の人間の暮らしが出来るようにと、環栄帝国の宮廷に女官として奉公に出すことを決意する。
 宮廷の女官は必然的に夜伽をさせられるため、佳莉が辛くないようにと房中術を身に付けさせた。
 肖が老衰しそうな今がチャンスだと佳莉を送り込んだ白狐だったが.....
 佳莉との別れがこんなにも苦しいものだったとは────
 白狐は哀しみに打ちひしがれた。
 佳莉の幸せを誰よりも願ってきたはずなのに。佳莉を愛する心は誰よりも熱いはずなのに。自分の傍にいないことがこんなにも辛い──。
 それから佳莉の元にカラスが来ることはなくなった。
 謁見から日が過ぎ、肖に気に入られた佳莉は、宮廷から離職することも出来ず、肖の世話役の責務を全うすることとなる。
 もちろん夜伽はなく、ご飯を食べさせたり、身体を拭いたり、時には燕子花の咲き誇る庭園を共に散歩したり。
 そして1年後、寝たきりになった肖は、佳莉に、自分の世話をしてくれた褒美に何が欲しいかと聞くと、彼女はこう答えた。
「獣人の人権、それと宮廷に獣人の騎士が欲しいです」と。
 佳莉の、白狐への復讐《・・》が果たされる日は近い。
【Fin】