表示設定
表示設定
目次 目次




第157話 演技において手を抜くとは

ー/ー



 六月に入り、俺たち演劇部は日々切磋琢磨していた。
 大会まであと約一週間。
 稽古も主に本番を想定した通し稽古となり、改良錬磨、トライアンドエラーを繰り返す。

「十分間の休憩後ダメ出しする。水分補給をしっかりとな」

『はい』

 通し稽古を終えると演出席で見ていた樫田が指示を出す。
 俺たちは返事をして、それぞれ休憩に入る。

「それと、悪いが杉野と田島はちょっと来てくれ」

 何のことだろうと、呼ばれた俺と田島が樫田のところへと行く。
 俺たちが近づいても樫田は難しい顔をして黙っていた。

「どうしたんですかぁ? 樫田先輩ぃ?」

「田島、最初の頃に比べて良くなったな」

「……本当ですかぁ! ありがとうございますぅ!」

 始めに樫田は田島を褒めた。
 田島は笑顔で喜んでいたが、樫田の表情はどこか神妙な面持ちだった。
 一瞬、視線が俺へと送られる。
 言葉なんてない。それでも俺は頷きで答えた。
 すると樫田は俺と田島にだけ聞こえる小さな声で言った。

「で、いつ本気を見せてくれるんだ?」

「……なん、のことですかぁ?」

 その言葉に一瞬驚きを見せたが、田島はすぐに誤魔化した。
 明らかに動揺していた。
 樫田はじっと田島の目を見る。俺の横で彼女の手が震えていた。
 数秒の膠着(こうちゃく)後、樫田はわざとらしく大きくため息をした。

「まぁ、俺と杉野が知っていたことは胸にしまっておいてくれ」

「……はい」

「じゃあ、休憩入っていいぞ」

「失礼します」

 一礼すると田島はゆっくりと歩き、教室を出ていった。
 それを見てから、俺は樫田に聞いた。

「良かったのか?」

「ああ、ここが限界ラインだ」

「そっか」

「頼んでいいか?」

「おう。サポート役だからな」

 俺が笑って拳を突き出すと樫田が拳を当てる。
 それだけの行為で、お互いを察する。
 さてと、どうすっかな。
 俺は考えながら、水を飲みに行った。


  ――――――――――――――


 前にも少し話したかもしれないが、演技において手を抜くとはどういうことか。
 全力でないこと? いいや、少し違う。
 考えてみてほしい。例えばスポーツ、仮にサッカーでも試合中の九十分間全てを全力で走るわけじゃないだろ? 自分のポジションが決められて、そこに来たら全力で仕事する。もちろん試合中は集中力を切らすことはないが。
 演劇もある意味そうだ。場面に合ったテンション、雰囲気、空気を創り出すのが仕事であり、必ずしも全部のシーン、全台詞を全身全霊でないといけないわけじゃない。

 では演劇では何をもって手を抜くというのか。
 分かりやすいのは台詞がぞんざいになること。
 他にも役作りや舞台に立っている時の所作も素人がおざなりになることが多い。
 だが田島に関してはこれではない。
 では、何をもって手を抜いていると判断しているのか。
 俺自身は田島の目の奥がつまらなそうだから、というのが決め手だった。
 要するに、役者が楽しんでない演劇はそれだけでダメだという話である。
 誤解してほしくないのだが、役者は演劇を楽しまないといけないが、同時にただ自己満足をしてもいけないのである。

 まぁ、ここら辺の難しいような話は置いておいて。
 一方、樫田は田島が手を抜いていると感じたことをこう表現していた。

「田島の演技は悪くない。けどそれは同時に人の心に何の影響も与えていないことを示しているんだ。きっと粗削りの池本の方が観ていて心を動かされるだろうな。そして、その差は何か。一言で言うと、田島は自分の表現力を隠している。だから手を抜いている」

 なるほど、と思った。
 表現力を隠している。俺からすると、すとんを胸に落ちるほど分かりやすい言葉だった。
 つまり田島は演技力だけで芝居をしている。

 ここで演技力と表現力について、極端で分かりやすい具体例を出そう。
 例えば、悲しいから泣くという芝居にするとき。
 役者が涙を流すことに必要な力は演技力。
 悲しいことを客に気づかせるのは表現力。
 だとしよう。そして極端に解説すると田島は泣くことが出来るが客はその涙から何も想像できない。
 逆に言えば、役者によっては泣かなくても悲しいことを表現できる。

 そしてこれは役者として致命的である。
 とはいっても高校演劇。演技はあっても表現力の低い高校生は多々いる。
 だが、樫田はそれを許さない。
 ましてや田島は意図して、表現力を隠しているのだから。
 さて、長々と語ったが手を抜いているとは、まぁ、そういうことである。


  ――――――――――――――


 高校演劇は公演時間が一時間と決まっている。
 そのため平日の部活では一回通し稽古をして休憩、ダメ出しをするともう下校時間になるのであった。

「今回気になったところはそんなところだ。何か質問はあるか? ……じゃあ、急いで帰りの準備をしてくれ」

 樫田のダメ出しが終わると、俺たちは帰りの支度を始めた。
 台本をカバンにしまい、教室の机をもとの位置に戻して、制服に着替える。
 そして一通り完了すると、円状に集まり帰りの会が始まる。

「はーい! では帰りの会を始めます! 時間がないので要件のある人は手を挙げてください!」

 轟先輩がテンポよく進める。
 すると、演出家の樫田が手を挙げた。

「はい! 樫田ん!」

「はい。えー、春大会が近づいてきました。ここまで来たら最終段階です。風邪ひいたり喉をからしたりはしないように気を付けてください。以上です」

「はーい。ありがとうございます! 裏方さんたちは何かありますか?」

「……特にないです」

「はーい! 了解です! では最後に部長から! まず樫田んからもあったけど体調管理はしっかりお願いします! そして分かっていると思いますが、春大会までの稽古日数が片手で数えられるまでになりました! もうすぐ本番です! ここから先は、より気合を入れて行きましょう!」

『はい!』

「では、今日も部活お疲れ様でした!」

 今日も部活が終わった。



スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 第158話 どうしたものか


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



 六月に入り、俺たち演劇部は日々切磋琢磨していた。
 大会まであと約一週間。
 稽古も主に本番を想定した通し稽古となり、改良錬磨、トライアンドエラーを繰り返す。
「十分間の休憩後ダメ出しする。水分補給をしっかりとな」
『はい』
 通し稽古を終えると演出席で見ていた樫田が指示を出す。
 俺たちは返事をして、それぞれ休憩に入る。
「それと、悪いが杉野と田島はちょっと来てくれ」
 何のことだろうと、呼ばれた俺と田島が樫田のところへと行く。
 俺たちが近づいても樫田は難しい顔をして黙っていた。
「どうしたんですかぁ? 樫田先輩ぃ?」
「田島、最初の頃に比べて良くなったな」
「……本当ですかぁ! ありがとうございますぅ!」
 始めに樫田は田島を褒めた。
 田島は笑顔で喜んでいたが、樫田の表情はどこか神妙な面持ちだった。
 一瞬、視線が俺へと送られる。
 言葉なんてない。それでも俺は頷きで答えた。
 すると樫田は俺と田島にだけ聞こえる小さな声で言った。
「で、いつ本気を見せてくれるんだ?」
「……なん、のことですかぁ?」
 その言葉に一瞬驚きを見せたが、田島はすぐに誤魔化した。
 明らかに動揺していた。
 樫田はじっと田島の目を見る。俺の横で彼女の手が震えていた。
 数秒の|膠着《こうちゃく》後、樫田はわざとらしく大きくため息をした。
「まぁ、俺と杉野が知っていたことは胸にしまっておいてくれ」
「……はい」
「じゃあ、休憩入っていいぞ」
「失礼します」
 一礼すると田島はゆっくりと歩き、教室を出ていった。
 それを見てから、俺は樫田に聞いた。
「良かったのか?」
「ああ、ここが限界ラインだ」
「そっか」
「頼んでいいか?」
「おう。サポート役だからな」
 俺が笑って拳を突き出すと樫田が拳を当てる。
 それだけの行為で、お互いを察する。
 さてと、どうすっかな。
 俺は考えながら、水を飲みに行った。
  ――――――――――――――
 前にも少し話したかもしれないが、演技において手を抜くとはどういうことか。
 全力でないこと? いいや、少し違う。
 考えてみてほしい。例えばスポーツ、仮にサッカーでも試合中の九十分間全てを全力で走るわけじゃないだろ? 自分のポジションが決められて、そこに来たら全力で仕事する。もちろん試合中は集中力を切らすことはないが。
 演劇もある意味そうだ。場面に合ったテンション、雰囲気、空気を創り出すのが仕事であり、必ずしも全部のシーン、全台詞を全身全霊でないといけないわけじゃない。
 では演劇では何をもって手を抜くというのか。
 分かりやすいのは台詞がぞんざいになること。
 他にも役作りや舞台に立っている時の所作も素人がおざなりになることが多い。
 だが田島に関してはこれではない。
 では、何をもって手を抜いていると判断しているのか。
 俺自身は田島の目の奥がつまらなそうだから、というのが決め手だった。
 要するに、役者が楽しんでない演劇はそれだけでダメだという話である。
 誤解してほしくないのだが、役者は演劇を楽しまないといけないが、同時にただ自己満足をしてもいけないのである。
 まぁ、ここら辺の難しいような話は置いておいて。
 一方、樫田は田島が手を抜いていると感じたことをこう表現していた。
「田島の演技は悪くない。けどそれは同時に人の心に何の影響も与えていないことを示しているんだ。きっと粗削りの池本の方が観ていて心を動かされるだろうな。そして、その差は何か。一言で言うと、田島は自分の表現力を隠している。だから手を抜いている」
 なるほど、と思った。
 表現力を隠している。俺からすると、すとんを胸に落ちるほど分かりやすい言葉だった。
 つまり田島は演技力だけで芝居をしている。
 ここで演技力と表現力について、極端で分かりやすい具体例を出そう。
 例えば、悲しいから泣くという芝居にするとき。
 役者が涙を流すことに必要な力は演技力。
 悲しいことを客に気づかせるのは表現力。
 だとしよう。そして極端に解説すると田島は泣くことが出来るが客はその涙から何も想像できない。
 逆に言えば、役者によっては泣かなくても悲しいことを表現できる。
 そしてこれは役者として致命的である。
 とはいっても高校演劇。演技はあっても表現力の低い高校生は多々いる。
 だが、樫田はそれを許さない。
 ましてや田島は意図して、表現力を隠しているのだから。
 さて、長々と語ったが手を抜いているとは、まぁ、そういうことである。
  ――――――――――――――
 高校演劇は公演時間が一時間と決まっている。
 そのため平日の部活では一回通し稽古をして休憩、ダメ出しをするともう下校時間になるのであった。
「今回気になったところはそんなところだ。何か質問はあるか? ……じゃあ、急いで帰りの準備をしてくれ」
 樫田のダメ出しが終わると、俺たちは帰りの支度を始めた。
 台本をカバンにしまい、教室の机をもとの位置に戻して、制服に着替える。
 そして一通り完了すると、円状に集まり帰りの会が始まる。
「はーい! では帰りの会を始めます! 時間がないので要件のある人は手を挙げてください!」
 轟先輩がテンポよく進める。
 すると、演出家の樫田が手を挙げた。
「はい! 樫田ん!」
「はい。えー、春大会が近づいてきました。ここまで来たら最終段階です。風邪ひいたり喉をからしたりはしないように気を付けてください。以上です」
「はーい。ありがとうございます! 裏方さんたちは何かありますか?」
「……特にないです」
「はーい! 了解です! では最後に部長から! まず樫田んからもあったけど体調管理はしっかりお願いします! そして分かっていると思いますが、春大会までの稽古日数が片手で数えられるまでになりました! もうすぐ本番です! ここから先は、より気合を入れて行きましょう!」
『はい!』
「では、今日も部活お疲れ様でした!」
 今日も部活が終わった。