にゃあ、と私は鳴いた。
その声にふたりが顔を上げ、視線が交わる。
ほんの一瞬。けれど、確かに互いを見ていた。
――がらんとした、誰もいない空き部屋。
でも、その時、私の目には二つの風景が重なった。
むかし、ご主人とわたしが暮らしていたころのあの部屋。
まだ家具も片付けられていない、がらんとした空き部屋。
ネコの目は昔と今の両方を見ることができる。
詩集を囲み、声を重ね、笑い合っていた記憶の部屋。
そして今の、がらんとした空き部屋。
家具が残っているだけの、誰の気配もない現実。
ご主人が死んで、もう随分経つ。
あの人がなくなって、すぐのことだ。
ご主人は花が枯れるように生きる力をなくしていった。
――それからしばらくのこと。
ご主人は、その影はこの部屋に現れるようになった。
ご主人は悔恨を重ね、この部屋から動けずにいる。
写真立ての前に座り、詩集を広げ、声に出して読む。
返事がないことを知りながら、なおも毎日。
そこに、あの人がやってきた。
白い指で文字を追い、柔らかく微笑んでいる。
きっと自分の死をまだ信じられないのだろう。
でも、もう苦しみから解き放たれている。
その姿は透けるように淡く、けれど確かに目の前にあった。
生きているのは、この小さな私だけ。
写真立ては動かず、詩集は閉じられたまま。
声など、どこにも響いてはいない。
「にゃあ」
わたしは小さく鳴いて、二人の注意を引いた。
二人の視線がわたしを通して交わり、お互いを認識する。
「え?」
「え?」
驚く二人の声が重なった。
「会いたかった! 君に、ずっと!」
「約束を果たしに来たの!」
二人はゆっくりと近づき、きつく抱きしめ合う。
二度と離れることがないように。
私にしか聞こえない会話だけれど、確かに聞こえた。
――本当は、ご主人を渡すのは悔しい。
私を撫でてくれる手は、もうこの人しかいなかったのだから。
でも、それが一番いいことだとわかっている。
二人は、ようやく約束を果たせるのだから。
――今私の目には二人が並んでいる。
同じページを覗き込み、静かに微笑んでいる。
もう悲しみはない。
もう一人ぼっちじゃない。
ふたりとも、ずっと一緒。
ふたりは抱き合った。
温かい光に包まれて。
やっと、本当にやっと、一緒になれた。
にゃあ。
それは誰にも届かない声。
けれど、これでいい。
二人はやっと一緒になれたのだから。
私はただ、その傍らに生きている。
さよなら、ご主人さま。
わたしは最後に、また小さくにゃあと泣いたのだった。