彼は我に返った。そして考えた、この子はなぜ彼に対し人形かと聞いたのか。
「う、ううん、僕は人間だけど……」
「そうなのね……ごめんなさい」
「ん?いや、いいんだ気にしないで」
人形は少し落ち込んだように俯く、なにより、感情があるような仕草を目の当たりにした彼は少し首を傾げる。
命を宿した人形の名前はマリア、辺りの人形と比べても格段と人間らしい身なりをしている。
「私はマリア」
「……」
「私はマリアっていうの」
「えっ、あぁ、マリアちゃんね!」
自己紹介を始めるマリアを彼は不思議そうに見つめる。
先ほどまで生気の欠片もなかった人形が、今や人のように動いている、この奇跡を前になかなか上手く対応できていないようだ。
「いやいやぁ……、これは素晴らしいよぉまさか成功するとは思わなかったけどねぇ、君の目の前で成功する事ができたのは紛れもない奇跡だよ。ちなみに僕の名前はミヤだよぉ」
「あ、今!?びっくりした……確かに君の名前聞いてなかったね。ところで奇跡っていうのは?」
突然話の方向が変わるもんだから彼は着いていけず驚いた。彼はミヤを見ると、目を瞑り、顔を天に向け、笑いながら涙を流していた。
「こんなにも突然……夢が叶うなんてねぇ」
彼は何が何だか分からない、という困った顔をする。
奇跡、夢、彼からしてみたら人の奇跡や夢なんて壮大な話だ、到底辿り着くことの出来ないその領域をどう把握したら良いのだろうか、と置いていかれたような感覚に陥る。
そして彼女は奇跡について説明する。
「このマリアはねぇ二番目に最高傑作なのだよぉ、二番目なのに最高だってねぇ、あははは、あはははは、げほっげほっ」
「……」
度外れた興奮で、うっとうしい雲が晴れてゆくように表情が明るくなる。挙句の果てに|噎《む》せる始末。ミヤにとってこの出来事は、一生の記憶に焼き付く事なのだろう。
彼はミヤの興奮する姿を見て恐怖と冷めた気持ちが交差していた。
「おいおい君ぃ、そんなに引くとこじゃないよねぇ」
「結構怖かったよ、ね、マリアちゃん」
「……?」
マリアは少し首を傾げ二人を見る。マリアはまだ産まれたての赤子のような存在であり、あまり今の状況も理解できていないのだろう。
「あのさ、ところで奇跡ってどういう事なの?」
「マリアは百年に一度の傑作なんだぁ、さっきのマリアを見たでしょぉ?あの子は確かに感情があった、まだありんこ程度だけどねぇ」
「百年に一度って、大袈裟だなぁ」
ミヤはマリアに体を密着させ、頬と頬をくっつける。人差し指で円を描くように髪を触るが、それでもマリアはビクともしない、感情が芽生えているとはいえ、先程も言ったがまだ子供も同然、感情の芽もまだ顔を出したばかり。
「でも、前に感情を与えることは出来ないって」
ミヤは目を瞑り、右手を腰に当て、左手を前に出し人差し指を立て左右に振る。
「チッチッチ」
得意げなその顔を見た彼は、安心するように息を吐く。
あの天才ミヤが得意げな顔をするのだから、イコール安心というものだろう。
「確かに感情って与えられるものではないけどぉ、すっごいたまぁにだけどね、マリアみたいな子が産まれるのだよぉ、与えてるわけでもないのに感情を持って産まれてくる子が」
あらゆる感情に浸るミヤ。
彼は半分疑うが、半分は信じようと心が動いている。ミヤの顔を見ると、それに反応したミヤが彼を見て、再び首を傾げる。
「そんなすごい瞬間に僕は立ち合えたのか」
「もう君は二度と目にすることはできないだろうねぇ、うんうん」
ミヤは両腕を組み首を縦に振る。
◻︎ ◻︎ ◻︎
しばらく人形に命を吹き込む作業が繰り返された。十……二十……三十、と次々。そして作業が終わると彼はミヤに言った。
「ミヤ、急なんだけどさ」
「どしたのぉ」
「実は今朝……仕事ぶっちぎっちゃって」
「ほんとに急だね君」
「ごめん……」
「ここを手伝ってくれてもいいんだよぉ、部屋は一つしかないから寝る時は三人一緒なんだけどねぇ、へへへ」
ミヤは少し頬を赤らめニヤつく。
「こんな広いのに!?というか、住み込みでいいの?」
とてつもない広さのこの空間、この場所に、部屋が寝室として使っている一部屋しかない事に目を大きく開け驚く。
「まぁ|人形《この子達》のための空間だからねぇ、それに住み込みで手伝ってくれた方が効率がいいしねぇ」
彼はミヤの言う事に納得し頷く。
「本当にありがとう、働いてこの借りは返します。あれ、三人ってもしかしてマリアも?」
「そだよぉ、よかったねぇ君にとっちゃ楽園だ、ハーレムだ」
《|ミヤ《この人》すごいポジティブだ……》
この日、彼とミヤとマリア、三人での共同生活がはじまった。
◻︎ ◻︎ ◻︎
翌朝、キッチンにて――。
「マリアちゃん、そこのマグカップ取ってー」
「わかりました」
硬い言葉使いとまではいかないけれど、マリアは淡々と答える。
「ありがとう」
彼は感謝と共に微笑むと、マリアは会釈をする。そして部屋の隅に置いてある水の入ったバケツと雑巾を手に取りキッチンの掃除を始め出す。
奴隷とまではいかずとも彼とミヤに対し何でも言うことを聞く忠実なメイド、のような関係にある。
そして彼はご飯担当で三食全て彼が作っている。
今朝はフライパンにベーコンを敷き、その上に卵を落とし卵に火が入るまで焼く。マグカップにコーンスープ、ベーコンエッグが出来上がると、食パンをトースターで焼き、表面に焼き目がついたら取り出して朝食の完成だ。
彼はマリアと共にミヤの居る作業部屋へと向かった。
コンコンコン、扉をノックし開けると、ミヤは作業中に寝たのか机の上で伏せ、涎を垂らしながら寝ていた。
「んにゃむにゃ……」
「おーい、朝ごはんできたよー」
彼はミヤの肩を優しく叩く。
「んにゃー?もうそんな時間なのぉ……んーー!」
寝ぼけて猫の鳴き声のような声を出すと、両腕を大きく突き上げ背伸びをする。椅子から立ち上がり彼の方へ体を向ける。
「あはははっ、なんだよその頭」
「えぇ?」
なんと髪の毛が爆発したように立ち上がりあちこちで絡まりあっている。マリアは荒目の櫛を手に取り、ミヤを再び椅子に座らせ、寝ぼけたミヤの髪を梳かす。
「ありあとねぇ、マリアちゃぁん」
三人が並ぶこの絵は、まるで家族の日常のように美しく、普通が普通では無いと気が付かされる。
広く暗く寂しかったこの空間はいつの間にか、暖かく賑やかで、色付いた空間へと変わっていたのである。
「ずっとこんな日が続いたらいいな……」
彼はぼやっと心の声が盛れたように呟く。
「んー?なんか言ったぁ?」
「ううん、なんでもない!それより二人とも、髪梳いたらご飯食べるよー!」
そう言って後ろを向くと、彼は笑顔と共にご飯の並ぶ食卓へと向かった。