「ほ〜ん……それで、幼なじみとの甘酸っぱい会話を披露して、マウンティング行為をしようと言うのかい? ワタシも、ずい分と甘く見られたモノだ。生物学的に言えば、犬のマウンティングを放置すると、自己主張的行動が強くなり、無駄吠えや噛みつきなどに発展する可能性がある。いまのうちに厳しく対処しなければならないかも知れないねぇ」
ケンタとファーストフード店で話し合った日の翌日の放課後、第二理科室を訪れた私が、直近で起きた出来事について報告しておこうとネコ先輩に前日の出来事を話すと、彼女は、苦虫を噛み潰したような表情で、そう答えた。
「ちょっと! 別にマウンティングなんてしてませんよ! 人聞きの悪いことを言わないで下さい」
「幼なじみの男の子と良い感じでデートの話がまとまりました! この世の中に、これ以上のマウント発言があろうか? いやない(反語)! おめでとう、ネズコくん。キミは、立派に生物学と心理学の真理を極めた。もう、キミには、生物心理学研究会に必要はないだろう」
「別に、デートじゃないですし……でも、わかりました! ネコ先輩に対して、配慮を欠いた発言だったことは認めますから! いきなり私をハブるのは止めてください」
私が懇願すると、「フンッ」と鼻を鳴らした彼女は、「まあ、そこまで言うなら、今回の件は、大目に見るがね……」と言って、どうやら、怒りを収めたようだ。
ただ、予想どおりというか、ネコ先輩の話は、ここで終わりではなかった。
「ところで、一度キミに振られた戌井くんは、交際の申し込みという高いハードルを一段下げて、一緒に食事に行こうという誘いをしてきたようだが……これは、心理学で言うところの『ドア・イン・ザ・フェイス』の手法と言うやつだな」
「ドア・イン・ザ・フェイス……ですか?」
「あぁ、日本語では『譲歩的要請法』とも言う。小説を書いているような人には説明不要だろうが、交渉や説得のテクニックの一つで、最初に大きな要求をして相手に断らせた後、本命である小さな要求を提示することで承諾を得やすくする手法だな」
「えっ? これって心理学で説明できるようなことなんですか?」
「あぁ、そうだよ。この心理的効果は、主に『返報性の原理』によって説明できる。大きな要求を断った相手は、『申し訳ない』という気持ちから、次の小さな要求に対して『譲歩してくれたからこちらも譲歩しなければ』という心理が働き、承諾しやすくなる。この言葉は、セールスマンが営業活動で顧客に購入を促す際の交渉術として活用できる心理テクニックとして広まった訳だが……スーパーマーケットに試食コーナーが設置されるのも、客側の『返報性の原理』の心理に期待したものだろう」
「うっ……そ、そうなんですね……」
まさか、あのケンタが、そんな高等な心理テクニックを使うなんてことは無いと思うんだけど……。
彼に対して、交際の申込みを無碍に断ったことを申し訳なく思っていた私が、
(まあ、ハンバーガーを食べに行くくらいなら、良いか?)
と感じたことだけは、間違いない。
自分では想像もしていなかったことをネコ先輩から指摘された私は、背中に冷たいものが伝うの感じた。
(あのケンタが、まさか、ねぇ……)
もしかすると、幼なじみの罠にハマったかも知れない、ということをなるべく考えないようにしようとする私の一方で、ネコ先輩は、なにやらブツブツとつぶやいている。
「いや、しかし……そうか、こんな手があったんだ。ワタシも戌井くんを見習って、ヨウイチを……よし、さっそく、シミュレーションだ!」
そんなことを言いながら、先輩は、いつものように、ネズミのパペットを取り出す。
★
雌ネズミ:「ヨウイチ、ワタシと付き合ってくれない?」
雄ネズミ:「ネコ、いきなり、そんなことを言われても無理だよ」
雌ネズミ:「ゴメンね。急にこんなこと言ってもダメだよね? じゃあ、代わりに一緒に映画に行ってくれない? ヨウイチにオススメの映画があるんだ」
雄ネズミ:「ん〜、映画か〜。それくらいなら、一緒に行ってもイイかな?」
雌ネズミ:「やった! ヨウイチと一緒に『スタング〜人喰い巨大蜂の襲来〜』を観たかったんだ! 楽しみだね」
★
「フ、フフフフフ……完璧なシナリオじゃないか? これなら、ハリウッド映画の脚本会議でも、太鼓判が押されるだろう。我ながら自分の才能が恐ろしすぎる……」
相変わらず、一人の世界で悦に入っているネコ先輩だけど、こんな穴だらけの脚本にGOサインを出す会議なんてないだろう……だいたい、なんだよ、『人喰い巨大蜂の襲来』って……。
私が、心のなかでそんなツッコミを入れていると、不意に第二理科室の扉が開いた。
「禰子と音無さん、まだここに居てくれて良かった! 今日は、チョコレートマフィンを焼いてみたんだ。たくさん作っちゃったから、良かったら食べてよ」
そう言って、日辻先輩が、私たちの元にやって来る。ただ、今日はいつもと違って、小柄な女子が一緒に着いて来ていた。
「ヨ、ヨウイチ! 奇遇だね。いま、ちょうど、キミのことを考えていたところなんだ」
突然の幼なじみの来訪に焦りながらも、なんだか嬉しそうなネコ先輩に対して、日辻先輩がいつもどおり、「そうなんだ〜」と柔和な笑みを浮かべる一方で、私と同じ学年の女子生徒は、一瞬ムスッとした表情を見せたあと、甘ったるい声で、上級生男子の腕を掴む。
「羊一センパ〜イ。他にも、お菓子を配らきゃいけないクラブがありますから、早く行きましょう?」
下級生の表情の変化と砂糖菓子のような甘い声に露骨に顔をしかめたネコ先輩は、女子生徒を威嚇するように言い放つ。
「誰だい、キミは? いきなり現れて好き勝手言ってんじゃね〜ぞ」
ダークファンタジー漫画の女性騎士のようにドスの効いた声で語りかけられた女子は、
「あっ、自己紹介がまだでしたね? わたし、羊一センパイと同じ家庭科研究会の皆巳菜津巳です☆! ナツって呼んでくださいね♡」
と、キャピキャピした声で返答した。
ここに来てのまさかの新キャラの登場に、私もネコ先輩も一瞬、言葉を失ったけど、それでも、なんとか気持ちを立て直したのか、先輩は続けて、彼女に忠告した。
「皆巳さんと言ったかな? 申し訳ないが、生物心理学研究会のローカルルールとして、特定外来種と片仮名で『センパイ』と呼んだり、☆や♡を付けて話す下級生女子は、見つけ次第に駆除すべし、と決まっているのだ。今すぐ、一人でここから立ち去らなければ、相応の対処を取らせてもらうことになるよ?」
睨みつけるように言うネコ先輩は、迫力満点と言った感じで、並みの女子なら、それだけで立ちすくんでしまいそうな感じだったけど………。
予想に反して、皆巳さんは、
「キャ~、こわ~い! 羊一センパイ、助けて下さ~い」
と、またも甘ったるい声を出したあと、日辻先輩の影に隠れようとする。
「ダメだよ、禰子。下級生に意地悪しちゃ…………。うちの可愛い後輩だから、あんまりイジメないでね」
そう言って、日辻先輩は、下級生をかばうが、私とネコ先輩は、上級生男子の死角になる彼の背後に隠れて、チロリと舌を出し、瞳にキラリと怪しい光を宿す皆巳さんの表情を見逃さなかった。
「上等じゃないか! 今すぐ、廊下に出たまえ! これからキミに身の程というものを教えてやろうじゃないか!」
そう言って、皆巳さんの首もとをつかむネコ先輩の行動を日辻先輩が、たしなめる。
また、濃いキャラが出てきたな~、と感じつつ、
(こんな女子が、うちの学年にいたんだ………)
と、意外に思いながら、私はネコ先輩の報われない想いを少しだけ応援したい気持ちになるのだった。