ダニング・クルーガー効果の有効性を検証する実験が行われた数日後の昼休み、私は野球部の練習が休みになる日を選んで、幼なじみの男子生徒に声をかけた。
「ねぇ、ケンタ。今日の放課後、時間ある?」
「ん、どうした音寿子? 今日は練習休みだけど、自主練したいからな〜。いつもよりは早く上がるつもりだけど、夕方6時より後でも良いか?」
「そっか……わかった。じゃ、近所のワクドで待ってる」
簡潔にやり取りを終えたあと、自分の席に戻り、ケンタの学校生活の充実ぶりをあらためて実感する。
(がんばってるんだな、ケンタ……)
そんなことを思いながら、その日の放課後を迎え、一度、自宅に帰ってから、近所のファーストフード店に出かける。
ケンタが指定した時間(と言っても確約じゃなかったけど……)よりも30分近く先に店に入った私は、お気に入りの短編集である川端康成の『夕映え少女』を読みつつ、フライドポテトをチビチビとかじりながら、相手を待つ。
ちょうど、表題の短編を読み終えたところで、顔を上げると、
「悪い。待たせたな、音寿子」
と、聞き馴染みのある声がした。
なにも言わなくても、お店に入って私を探してくれる気安さは、幼なじみという関係性の長所だ、とあらためて感じながら、スマホで時間を確認する。
ディスプレイに表示された時刻は、ぴったり18:00―――。
「急いで来てくれたの? こっちこそ、ゴメンね気を使わせちゃって……」
「いや、いいよ。あらたまって、どんな話なのかな、って気になってたからさ」
さわやかな笑顔で返答しながら、ケンタは、サムライワックのセットが乗ったトレイをテーブルに置く。
「腹減ってるからさ。食べながら、話を聞かせてもらっても良いか?」
幼なじみの言葉に、「うん……」とうなずき、呼吸を整えてから、私は自分の想いを語ろうと決意した。
「私が感じてることや考えていることを聞いてもらいたいなって思うから、良ければ、そのまま聞いて」
「ん、わかった」
「一学期の最初の頃にさ、ケンタが私に付き合ってくれ、って言って来たじゃない?」
「あぁ……あの時は悪かったな。音寿子の気持ちも考えずに先走しちゃって……」
「ううん、私の方こそ、ちゃんと、あの時の返事も出来ないまま、半年以上も経っちゃってるし……でもね―――。あれから、生物心理学研究会での活動を通じて、私なりに色々と考えたんだ」
「お、おう」
大ぶりのバーガーにかぶり付くのを止めて、ケンタは私に向き直る。
サムライワックを一口だけ残して、こちらの話を真剣に聞く態度を見せてくれた幼なじみの姿に安心しながら、私は言葉を続ける。
「あのとき、私がケンタの気持ちを受け止められなかったのは、自分に自信が無かったからだなって……読書が好きで、閲覧数底辺の小説を書いている以外に、他に特に取り柄が無い私のことを好きだって言うケンタのことまで信じられなくなっちゃって―――。せめて、あのあとに、もう少し、ケンタの話を聞けていたら……って後悔してる」
「ん……そうなのか?」
「うん、その中でも、これまでのネコ先輩や佳衣子やケンタの言動を見ていて、色んなことを考えさせられた。ネコ先輩は、小学生の頃、学校に行けなかった時期があるらしいけど、その経験を元に不登校の子の親戚に親身になってアドバイスしていた。佳衣子は、上級生や男子相手にも臆さずに意見する芯の強さを見せてくれた。そして、ケンタは―――苦手だったはずの勉強で学年20番に入るくらいがんばったんだよね? 小さい頃から知ってるけど、あの勉強嫌いだったケンタが、こんなに成績をアップさせるなんて思わなかった。だから、私もケンタたちのことを見習わないと、って考えるようになったんだ」
「そうか……音寿子は、そんな風に考えてたんだ。だけどな、オレがこうして、野球や勉強に集中して取り組めるようになったのは、音寿子のおかげなんだぜ?」
「えっ!? 私のおかげ、ってどうして?」
「そっか、覚えてないか……中学のとき、音寿子の家で勉強会をしてただろう? あのとき、音寿子は、オレのことを『苦手な勉強を克服しようと努力している』から偉いって褒めてくれただろう? それが、いまのオレの気持ちの原点になってるんだよ」
「そ、そうなんだ……」
まさか、自分の何気ない一言が、ケンタの行動に影響を与えているなんて、思ってもいなかった。「結果よりも努力を褒めろ」という成長マインドセットという考え方は、学術的には疑問が付く、とネコ先輩は言っていたけど……。もしかすると、ケンタ個人にとっては、とても有効な手段だったのかも知れない。
「だからさ……音寿子は、ウチの家族よりも、オレのことを良く見てくれてるんだなって思って……それから、音寿子のことを女子として意識するようになったんだ」
幼なじみの男子生徒は、ほおをかきながら、照れくさそうに言ったあと、自身の感情を誤魔化すように、残っていたバーガーを口に放り込んでから、コーラで一気に流し込んだ。
「そ、そっか……」
彼のようすを眺めながら、自分のほおも赤くなって行くのを感じた私も、同じように、オレンジのドリンクをすする。
そして、そんな気まずい空気を取り繕うように、ケンタは、こんなことを提案してきた。
「オ、オレは、逆に音寿子のことを何もわかってなかったんだな、って反省しててさ。今までよりも、もっと、音寿子のことを知りたいと思ってるんだ。も、もし、音寿子が、これまでの自分となにかを変えたいと思ってるなら、今度、一緒にどこかに出掛けないか? ハンバーガーが美味しい店を見つけたんだよ」
ちょっと、しどろもどろになりながらも、そんな提案してきた昔から良く知っている男子のことを、私は微笑ましく感じた。
「それをバーガーショップで言うのはどうなの?」
「そ、そっか。これは失敗だったかな?」
「ううん……ケンタのオススメのハンバーガーが、どんな味なのかちょっと興味が湧いたから、一緒に行ってもイイよ! 野球部の練習で忙しいと思うから、都合が良い日があったら教えて!」
「オッケー! ありがとな、音寿子」
「あ、あと、他に気になる子がいたら、私に遠慮せず、その子を誘ってくれてイイからね! ウェブ小説の世界では、『オレを捨てた幼なじみが今さら泣きついてきても、もう遅い』みたいなタイトルが男性読者の間で流行ってるみたいだし……私のことは、全然、気にしなくて良いからね、うん……」
「別にそんなことしねえよ? けど、音寿子のことを知るなら、やっぱり、スマホでウェブ小説をチェックしてみた方が良いのかな? 最初に、音寿子の書いてる小説を読んでみようかな? 良かったら、タイトルを教えてくれないか?」
「いや、お願いだから、それだけはやめて……」
女子の妄想が詰まったティーンズ・ラブの作品群もそうだし、男子なら嫌悪感を抱くかも知れないボーイズなラブの作品を幼なじみの男の子に読まれたら、LANケーブルで首をくくらないといけないだろう。
そんなことを考えながらも、もし、ケンタが他の女子と二人で出掛けたら―――と、想像をすると、ほんの少しだけ、チクリと心が痛むことに私は気がついた。