「ふぅ……これでひと段落」
牛達の搾乳を終え、俺はようやく一息つくところ。いつの間にか牛郎は姿を消したが、一体どこへ行ったのだろうか?
「……おや?」
俺がふと空を見上げると、遠くでもくもくと煙が上がっているのが見えた。もしかして火事か!?
原因は皆目見当がつかないものの、万が一にも延焼してしまってはまずい! 俺は全速力で現場へ向かった。
ーー
火元へ到着すると、そこには薪を焚べる迷彩服の男がいた。この男、ここで何をしているんだ?
「お前、ここで何してる!」
俺は思わず声を荒げた。不法侵入している挙句、放火とは何事か!!
「この鶏を、丸焼きにすることを強いられているんだ!!」
一瞬、男の表情に集中線が見えた。いやいや、そういう意味で尋ねたわけじゃないぞ!?
「おじさん、怒らないであげて。岩玖さんは、誰も知らない所で過酷な丸焼きをしているんだ!!」
男の背後から牛郎が叫んだ。甥っ子よ、そもそも鶏を焼いているのは自分じゃないか。
「それでも俺は鶏を狩るんだ、自分が生きるために!!」
生活の糧ならば、生きるために狩るのは当然のことか。気のせいか……あの鶏は見覚えがあるような?
「おじさん、焼けるまで待ってて!」
いろいろ言いたいことはあるが、甥っ子の表情はいつになく真剣。ここはひとまず、怒りの矛を納めよう。
ーー
「上手に焼けましたぁ!」
牛郎が鶏を火から下ろし、大皿に乗せた。こんがりと焼けた鶏の薫風が、早くも俺の食欲を刺激している。
どうやら、切り分けは岩玖が担うようだ。手際がいい辺り、おそらく日頃から肉を捌いているんだろうな。
「強いられて、いるんだぁ♪」
言葉とは裏腹に、岩玖は心地良く鼻歌を歌っている。この男、いろいろと謎だ。
ただ一つ分かるのは、この男が『国家公安予備職員』だということ。マイナンバーカードを専用の腕章ホルダーに収納していること、それが何よりの証拠だ。
国会公安予備職員とは、戦争や災害といった国家的危機の際に動員される公僕だ。通常の公務員と違い、内閣府の発令に応じることで報酬を得ている。
そのため、彼らは一部界隈で賞金稼ぎと蔑まれている。高額報酬の上に非課税と来たら、それも当然だろう。
加えて、この男は俺の牧場へ不法侵入した挙句に焚き火までしている。内心はいろいろと腹立たしいところだ。
「コポコポ……」
さっきから、焚き火の傍でパーコレーターが泡沫とともに湯気を立てている。さながら、俺の怒りを代弁しているかのようだ。
「秘伝のスパイスを添えた鶏の丸焼きだ。食べてみてくれ!」
岩玖は、にこやかな表情で肉を渡してきた。肉にスパイスを振りかけただけで、さもやり遂げたような表情はどうにも解せない。
『……くわっ!!』
肉を口にした牛郎が、思い切り目を見開いた。もしかして、スパイスに毒でも入っていたか?
「ファイトォォォッッッ、いっぱぁーーーっっっつ!!!」
牛郎は力こぶを入れながら叫んだ。分かりにくいが、これは甥っ子なりの美味しいの反応だ。
「……!!!」
俺も肉をひと齧り。その旨さ、俺に電流走る……!
肉の旨味を最大限に引き出す粗塩、おそらく岩塩だろうか。粗挽き胡椒の仄かな辛味が食欲をそそり、ローリエの爽やかな香りが鼻を突き抜ける。
一言で言えば、まさに口幸の味。岩玖、なかなか出来る男だ。
「締めはやっぱりこれだな!」
岩玖の手には、先程から激しく湯気を上げていたパーコレーターが握られていた。まさか、それを飲むのか……?
案の定、岩玖から手渡されたコップからは湯気がもくもくと立ち上っている。そのせいか、注がれたコーヒーはとにかくドス黒い。
古来より、黒には全ての色が集約されていると言われている。だが、そこにあるのはこの世の全ての闇かもしれない。
「……熱っ!!!」
どうやら、甥っ子は熱々のコーヒーに勢いよく口を付けたようだ。いくらミルクを入れたとは言え、そうそう冷めるものではない。
「コーヒーに味わいを求めても意味はない。下らない思想など捨て、大自然と共にあるのだ」
尤もらしい言葉を口にしているが、きっとお前もコーヒーで火傷したんだろう。変な所で気取るんじゃない。
「男は黙って、一気!!!」
仕方ない……この空気、乗るしかないな。ここ一番、俺の男気を見せてやる!!
「……うっ、熱っ!!!」
だが、灼熱まで煮立ったコーヒーに俺は抗えなかった。うう、無念……。
「おじさん、粋だねっ!」
どうやら、牛郎には俺の男気が伝わったようだ。岩玖もまた、俺を称賛するようにそっと手を叩いた。
我ながら思う。男って、馬鹿な生き物だよな……。