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After ―memory―

ー/ー



 とても、とても長い眠りについていたように思う。とても心地よいとは言い難い微睡みから目を覚ます。目を開けるとそこには見慣れた藍色の夜空が広がっていた。まだ、薄く霧のかかったような脳で思考を巡らせる。身に覚えのない傷、見慣れない景色、前日までの行動とは辻褄の合わない記憶。何かがすっぽりの記憶から抜け落ちていることは理解した。そして、そうなっているということは当然、関わっていなければおかしい人物がいる。そして、その人物は見計らったように目の前に現れる。


「調子はどう? 騎獅道」

「……悪くわねぇ」


 良いとも言えないような調子だ。まだ指先の感覚が完全に戻っていない。自分の意思で動かしているのだけれど、それに何となく違和感を覚える。例えるなら、パペット人形を動かしているような、そんな感覚。手にグッと力を入れたり、力を抜いて弛緩したりを繰り返す。そして、ゆっくりと靄のかかった記憶を思い出していく。


「記憶は完全に戻したよ。どんな気分だった?」

「そっちは最悪だ。二度と体験したくねぇ」


 先程とは打って変わって鋭い視線を向ける。せめて理由くらいは教えて欲しかったものだ。言えないわけがあったのは重々承知だが、どうせ記憶はなくなるのだ。心配をする必要はなかったのではないか。


「そっちで何かして記憶を取り戻そうとしてたみたいだけど……できなかったでしょ」


 憎たらしい笑みを浮かべてメモリアははにかむ。一発くらいなら殴っても文句は言われなさそうだ。メモリアの言う通り、記憶は完全には戻らなかった。
 本人曰く、『救世の鍵』。その断片である『希望の魔法』の力によって記憶はある一部分を除いて思い出すことができた。極東でのソフィアとの記憶を。
 強引な方法だったからか、その感覚はメモリアの元にまで共有された。自力で『識』を振りほどいた人物は、旭で二人目だ。強い意志か、あるいは、忘れることなどできないほど深く刻まれた記憶は『識』ですら忘却させることはできない。


「迷惑かけちまったなぁ……」

「記憶を無くしていた君の姿は滑稽だったよ」

「よし、歯ぁ食いしばれ」


 感覚が戻ってきた右手を大きく振り上げてメモリアの頭目掛けて振り下ろす。衝撃のあまり尻もちをついたメモリアは僅かに目に涙を浮かべてズキズキと痛む頭をさすっている。


「……モニカとは会わないの?」

「合わせる顔がねぇ」


 少し頬を赤らめて旭は言う。ただ、メモリアはその言葉を聞いてハテナを浮かべることしかできなかった。記憶を無くしている以上、その人物が何をしでかすかは未知数だ。せめて記憶を消した責任を持って、メモリアは旭のことを監視していた。だからこそ分かることだが、旭は特にモニカに対して面目が立たなくなるようなことはしていない。むしろ避けているようにすら見えた。いや、正確には、避けていたのはモニカの方だったのかもしれない。とにかく、記憶が無くなっていた期間、旭とモニカが接触しなかったことは確かだ。


「約束したんだよ。()()()()ってな」

「律儀だねぇ」

「そんなことより、記憶はどうやって消した? なんで取り戻せなかったんだよ」

「ん〜、説明するのは難しいんだけどね。私の”忘却”には三つの種類があるんだよ。単純な構造にすると解かれやすいから」


 メモリアの使う『識』の魔法。その能力の一つ、‪”‬忘却”には三つの種類が存在する。メモリアはこの三つの”忘却”を無意識のうちに使いこなしている。一つは、干渉忘却。記憶した内容が相互に影響しあって、思い出すことを妨害しあう。類似した記憶情報を錯綜させて、記憶を保持させたまま思い出せなくする忘却。もう一つはその記憶に関わる記憶を忘却させることで、その記憶は保持したままに思い出せなくする忘却。この二つはどちらも思い出させないことに重点を置いているため、消したい記憶そのものを忘却させることはない。
 最後の一つはこれらの組み合わせ。類似した記憶、記憶に関連する記憶、ありとあらゆる記憶を忘却させて記憶から抹消させる。
 旭に施された忘却は、記憶の抹消と干渉忘却の二つ。旭は確かに『希望』とのやり取りによって記憶を取り戻した。しかし、それによって『モニカ・エストレイラ』の記憶と『ソフィア・アマル』の記憶が互いに干渉し合い、ソフィアとの記憶だけを旭は思い出し、記憶の錯綜によってモニカとの記憶を思い出せずにいたのだ。


「……って感じ」

「よくわからん」

「私の魔法はややこしいからね」

「でも、だからこそ魔法は面白い」


 旭はなにかに思いを馳せて遠い目をする。メモリアもその言葉に納得するように頷く一方で、旭の底知れなさに恐怖していた。
 過去に、旭ほど記憶の改ざん、忘却をした人物は存在しない。正確に言えば、多くの記憶を忘却させた時点で、その人物は例外なく自我を保てなくなり、発狂してしまう。それを、記憶を復元させてなお自我を保つ、旭の意志の強さは計り知れない。
 旭の怖さはそれだけにとどまらない。魔法は面白い。その一言にどれだけの意味が込められているのか、メモリアには理解しきれなかった。言葉通りなら、大いに賛同するだろう。けれど、きっとそれだけではない。あまりにも重いその言葉に、メモリアは自分と旭の根底にある違いを実感する。
 旭は、魔法のすべてに価値を見出しているのだ。多くの魔法使いは、自分の魔法にしか興味が無い。言い方を変えれば、自分の魔法を究めることで精一杯になる。だから、自分の魔法以外に目を向ける余裕などはなくなる。
 だが、旭は違う。それは、旭の戦闘狂気質な考えも含まれているのだろうが、それでもメモリアからすれば旭の価値観はおかしいと言える。


(彼には、境界線がない。自分と他人に線を引かない。自分の魔法とその他の魔法という境界線が存在しない)


 だから、魔法のすべてが面白い、愛おしいと感じる。この感性は、獄蝶のジョカやマーリンと通ずるところがある。


(きっと君は、彼女たちすら超える魔法使いになるんだろうね)


 そう心の中でため息をつくように言う。そして、少し肌寒くなってきた空気から逃げるように、メモリアは一歩歩き出した。あるいは、旭と同じ空間に居合わせるのが怖かったのかもしれない。メモリアは、もう旭への戦意を失っている。


「じゃあ私はそろそろ帰るよ」

「あ〜、待った。一つだけ聞きたいことがあったんだ」


 そう言って旭はメモリアを引き止める。一刻も早くその場を離れようとしていたメモリアは珍しく大きなため息をついて振り返った。そして、心底嫌そうな顔をして旭の言葉に答える。メモリアがここまで自分の感情を表に出す相手は、フィスティシアかエモールくらいだろう。


「あの記憶する者(レコーダー)って悪夢の怪物(ナイトメア)はなんなんだ? 言葉を理解する悪夢の怪物(ナイトメア)なんて初めて見たぞ」


 しかし、旭の期待とは裏腹に、返答はすぐには帰ってこなかった。それどころか、メモリアは目をぱちくりと開けてパチパチと瞬きをするばかりで、全く身に覚えのないといった様子だった。


「……君の記憶を消した時点で悪夢の怪物(ナイトメア)は機能を失っている。()()()()()()()()()()()()悪夢の怪物(ナイトメア)は、全部私が殺したはずだよ」


 二人は同時に理解する。つまり、記憶する者(レコーダー)はメモリアの手が加えられていない野良の悪夢の怪物(ナイトメア)だということ。そして、その悪夢の怪物(ナイトメア)は進化の途中にあること。ただ、二人の認識で違うところがあるとすれば、メモリアはその悪夢の怪物(ナイトメア)が旭によって倒されたことを知らないということ。

 そして――

 記憶する者(レコーダー)が更なる進化によってまだ生きているということを、二人はまだ知らない。


「まぁ、いいや。お互い頑張ろうぜ、先輩」

「君こそ。頑張ってモニカを護ってあげてね」


 不穏な影を残し、メモリアはその場を後にする。のうして、記憶を巡る物語は幕を下ろした。


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 とても、とても長い眠りについていたように思う。とても心地よいとは言い難い微睡みから目を覚ます。目を開けるとそこには見慣れた藍色の夜空が広がっていた。まだ、薄く霧のかかったような脳で思考を巡らせる。身に覚えのない傷、見慣れない景色、前日までの行動とは辻褄の合わない記憶。何かがすっぽりの記憶から抜け落ちていることは理解した。そして、そうなっているということは当然、関わっていなければおかしい人物がいる。そして、その人物は見計らったように目の前に現れる。
「調子はどう? 騎獅道」
「……悪くわねぇ」
 良いとも言えないような調子だ。まだ指先の感覚が完全に戻っていない。自分の意思で動かしているのだけれど、それに何となく違和感を覚える。例えるなら、パペット人形を動かしているような、そんな感覚。手にグッと力を入れたり、力を抜いて弛緩したりを繰り返す。そして、ゆっくりと靄のかかった記憶を思い出していく。
「記憶は完全に戻したよ。どんな気分だった?」
「そっちは最悪だ。二度と体験したくねぇ」
 先程とは打って変わって鋭い視線を向ける。せめて理由くらいは教えて欲しかったものだ。言えないわけがあったのは重々承知だが、どうせ記憶はなくなるのだ。心配をする必要はなかったのではないか。
「そっちで何かして記憶を取り戻そうとしてたみたいだけど……できなかったでしょ」
 憎たらしい笑みを浮かべてメモリアははにかむ。一発くらいなら殴っても文句は言われなさそうだ。メモリアの言う通り、記憶は完全には戻らなかった。
 本人曰く、『救世の鍵』。その断片である『希望の魔法』の力によって記憶はある一部分を除いて思い出すことができた。極東でのソフィアとの記憶を。
 強引な方法だったからか、その感覚はメモリアの元にまで共有された。自力で『識』を振りほどいた人物は、旭で二人目だ。強い意志か、あるいは、忘れることなどできないほど深く刻まれた記憶は『識』ですら忘却させることはできない。
「迷惑かけちまったなぁ……」
「記憶を無くしていた君の姿は滑稽だったよ」
「よし、歯ぁ食いしばれ」
 感覚が戻ってきた右手を大きく振り上げてメモリアの頭目掛けて振り下ろす。衝撃のあまり尻もちをついたメモリアは僅かに目に涙を浮かべてズキズキと痛む頭をさすっている。
「……モニカとは会わないの?」
「合わせる顔がねぇ」
 少し頬を赤らめて旭は言う。ただ、メモリアはその言葉を聞いてハテナを浮かべることしかできなかった。記憶を無くしている以上、その人物が何をしでかすかは未知数だ。せめて記憶を消した責任を持って、メモリアは旭のことを監視していた。だからこそ分かることだが、旭は特にモニカに対して面目が立たなくなるようなことはしていない。むしろ避けているようにすら見えた。いや、正確には、避けていたのはモニカの方だったのかもしれない。とにかく、記憶が無くなっていた期間、旭とモニカが接触しなかったことは確かだ。
「約束したんだよ。|ま《・》|た《・》|明《・》|日《・》ってな」
「律儀だねぇ」
「そんなことより、記憶はどうやって消した? なんで取り戻せなかったんだよ」
「ん〜、説明するのは難しいんだけどね。私の”忘却”には三つの種類があるんだよ。単純な構造にすると解かれやすいから」
 メモリアの使う『識』の魔法。その能力の一つ、‪”‬忘却”には三つの種類が存在する。メモリアはこの三つの”忘却”を無意識のうちに使いこなしている。一つは、干渉忘却。記憶した内容が相互に影響しあって、思い出すことを妨害しあう。類似した記憶情報を錯綜させて、記憶を保持させたまま思い出せなくする忘却。もう一つはその記憶に関わる記憶を忘却させることで、その記憶は保持したままに思い出せなくする忘却。この二つはどちらも思い出させないことに重点を置いているため、消したい記憶そのものを忘却させることはない。
 最後の一つはこれらの組み合わせ。類似した記憶、記憶に関連する記憶、ありとあらゆる記憶を忘却させて記憶から抹消させる。
 旭に施された忘却は、記憶の抹消と干渉忘却の二つ。旭は確かに『希望』とのやり取りによって記憶を取り戻した。しかし、それによって『モニカ・エストレイラ』の記憶と『ソフィア・アマル』の記憶が互いに干渉し合い、ソフィアとの記憶だけを旭は思い出し、記憶の錯綜によってモニカとの記憶を思い出せずにいたのだ。
「……って感じ」
「よくわからん」
「私の魔法はややこしいからね」
「でも、だからこそ魔法は面白い」
 旭はなにかに思いを馳せて遠い目をする。メモリアもその言葉に納得するように頷く一方で、旭の底知れなさに恐怖していた。
 過去に、旭ほど記憶の改ざん、忘却をした人物は存在しない。正確に言えば、多くの記憶を忘却させた時点で、その人物は例外なく自我を保てなくなり、発狂してしまう。それを、記憶を復元させてなお自我を保つ、旭の意志の強さは計り知れない。
 旭の怖さはそれだけにとどまらない。魔法は面白い。その一言にどれだけの意味が込められているのか、メモリアには理解しきれなかった。言葉通りなら、大いに賛同するだろう。けれど、きっとそれだけではない。あまりにも重いその言葉に、メモリアは自分と旭の根底にある違いを実感する。
 旭は、魔法のすべてに価値を見出しているのだ。多くの魔法使いは、自分の魔法にしか興味が無い。言い方を変えれば、自分の魔法を究めることで精一杯になる。だから、自分の魔法以外に目を向ける余裕などはなくなる。
 だが、旭は違う。それは、旭の戦闘狂気質な考えも含まれているのだろうが、それでもメモリアからすれば旭の価値観はおかしいと言える。
(彼には、境界線がない。自分と他人に線を引かない。自分の魔法とその他の魔法という境界線が存在しない)
 だから、魔法のすべてが面白い、愛おしいと感じる。この感性は、獄蝶のジョカやマーリンと通ずるところがある。
(きっと君は、彼女たちすら超える魔法使いになるんだろうね)
 そう心の中でため息をつくように言う。そして、少し肌寒くなってきた空気から逃げるように、メモリアは一歩歩き出した。あるいは、旭と同じ空間に居合わせるのが怖かったのかもしれない。メモリアは、もう旭への戦意を失っている。
「じゃあ私はそろそろ帰るよ」
「あ〜、待った。一つだけ聞きたいことがあったんだ」
 そう言って旭はメモリアを引き止める。一刻も早くその場を離れようとしていたメモリアは珍しく大きなため息をついて振り返った。そして、心底嫌そうな顔をして旭の言葉に答える。メモリアがここまで自分の感情を表に出す相手は、フィスティシアかエモールくらいだろう。
「あの|記憶する者《レコーダー》って|悪夢の怪物《ナイトメア》はなんなんだ? 言葉を理解する|悪夢の怪物《ナイトメア》なんて初めて見たぞ」
 しかし、旭の期待とは裏腹に、返答はすぐには帰ってこなかった。それどころか、メモリアは目をぱちくりと開けてパチパチと瞬きをするばかりで、全く身に覚えのないといった様子だった。
「……君の記憶を消した時点で|悪夢の怪物《ナイトメア》は機能を失っている。|忘《・》|却《・》|の《・》|刻《・》|印《・》|が《・》|刻《・》|ま《・》|れ《・》|て《・》|い《・》|る《・》|悪夢の怪物《ナイトメア》は、全部私が殺したはずだよ」
 二人は同時に理解する。つまり、|記憶する者《レコーダー》はメモリアの手が加えられていない野良の|悪夢の怪物《ナイトメア》だということ。そして、その|悪夢の怪物《ナイトメア》は進化の途中にあること。ただ、二人の認識で違うところがあるとすれば、メモリアはその|悪夢の怪物《ナイトメア》が旭によって倒されたことを知らないということ。
 そして――
 |記憶する者《レコーダー》が更なる進化によってまだ生きているということを、二人はまだ知らない。
「まぁ、いいや。お互い頑張ろうぜ、先輩」
「君こそ。頑張ってモニカを護ってあげてね」
 不穏な影を残し、メモリアはその場を後にする。のうして、記憶を巡る物語は幕を下ろした。