「弟は、死にました。秘境に水を汲みに行って、崖から落ちて」
魔女のようなお姉さんは、乾いた頬を湿らせていく涙を静かに指で拭っていた。
サイトがオープンして三週間、まったく連絡がなく、メールを送っても返信がないので、オルフェウス異空間に足を運んだのだ。蔦の這う建物の入り口は閉ざされていて、「休業します」とマジックで書かれた紙が門に貼られていた。
インターホンを鳴らして何度か呼びかけると応答があり、真戸部さんのお姉さんが出てきた。真戸部さんは、俺が酔っ払って警察に保護された日に、ある田舎の崖から落ちて亡くなったという。
二人でやる予定だったビジネスは、仁霊様は、とお姉さんに尋ねる気にはなれなかった。真戸部さんがもういないこともにわかに信じられないが、肉親である彼女のほうがより大きなショックを受けているだろう。
「仁霊様を呼びましょう。せめて、彼と少し魂を通わせられるように、願いましょう」
薄暗い店の、あの日真戸部さんと語り合った席で、俺は切り出した。真戸部さんがいなくなったタイミングで俺が仁霊様と遭遇したのは、この事業を受け継ぐ運命の導きなのかもしれない、と思ったのだ。
しかし、お姉さんはうなずかず、キッとガラスを掻く音がしそうな目で恨めしげに俺を見た。
「いないわよ、仁霊なんて」
言いながら、骨と皮の左手首に嵌めていたパワーストーンブレスレットを引きちぎらんばかりに外して、壁に投げつけた。
「そんなものがいたら、あの子は死ななかったでしょ」
言われてみれば、そのとおりだ。
「どうするのよ、お金。あなたとの仕事もぜんぶ借金。成功させて返すからって、店の売り上げ持っていって!」
お姉さんは、弟の死を悲しんでいるわけではなかった。ただ、弟が遺した借金に途方に暮れているのだ。
お姉さんは、カウンターの隅に積んであったチラシを引き破り、力の入りにくそうな華奢な手でぐしゃぐしゃに丸めて投げた。
「こんなもの、こんなもの」
俺たちがやる予定だったビジネスのフライヤーだった。
『悩みはすべて仁霊様に! わたしたちがそのお手伝いをいたします』
もともと女性の怒りに触れるのが苦手な俺は、逃げるように店を出た。もう彼女とやりとりすることはないだろう。追ってきた紙つぶてをいくつか、真戸部さんの形見のようにこっそり拾って、その場を後にした。
小石が美しく川を飛び越えていくのは、投げる人の願いを載せているから。そんな気がする。
川べりに立ち、通りがかった子どもにクスクス笑われながら、水切りをした。
見てろよ、真戸部さん。
あなたの信じたこと、俺はいつか、一人でもやる。
くしゃくしゃのチラシに小石を包み、ちゃんと飛ぶように願いをこめて、振りかぶって思いきり投げる。
「アロヨカ、アロヨカ」
「リャクナロ、リャクナロ」
怪しい呪文を唱え、通行人に奇妙な目で見られても、まっすぐ前を見据えて対岸に石を投げ続ける。
仁霊様もおおきいじいちゃんも、まだこの世を彷徨っていそうな真戸部さんも、きっとこの石の行方を見守ってくれている。
裏面の白いチラシに包まれた小石が、対岸に着地し、俺の祈りに応えるようにキラリと強く光った。
了