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曜の名 ―土曜―

ー/ー



 人生で2度目の敗北。人生初めての敗北から早2年、メモリアは再び空を仰ぐことになった。何か形容しがたい重荷から開放されたような、妙に清々しい気分でメモリアは紺碧の夜空を見上げた。何度見ても、ノーチェスの空は忌々しいと、小さくため息をつく。そして、ついに月が雲から顔を出す。その正体が一体何なのか、知る者はいないだろう。


(……ほんとうに、忌々しい)


 これは、メモリア・ビアスの罪の話だ。その背中に背負った罪と、かつての約束を違えた罪。向き合わなければならない罪だ。そして、償わなければならない罰だ。


「あぁ〜、全部出し切った……最高だ。もう指先も動かせねぇ……!」

「どうでもいいですけど倒れないでくださいよ。これ以上看病しきれません」

「一応……私もいます……よ」

「油断しない。まだ終わってないでしょ」


 3人が和やかに会話を交わす中、ソフィアだけがメモリアだけを見続けている。言葉の通り、まだ終わっていないと確信しているのだろう。愛の魔法の効果なのか、メモリアは立ち上がるのだと、ソフィアは信じている。
 倒れてはいるが気絶まではしていない。目を開けたまま空を見上げ放心しているようで、まだメモリアは動こうとしない。レオノールたちにはわからないことが、メモリアとソフィアには互いに伝わりあっている。


「私が何をしようとしているのかなんて、あなたに関係ある? 私の事、何も知らないくせに勝手に関わってきて、鬱陶しいんだよ」


 仰向けに倒れたままメモリアが口を開く。


「大切なもの一つ守り通せればそれでいい。それ以外はどうなっても、ただ一つだけ守れるなら、それで構わない」


 あなたたちとは違う、そう言ってメモリアは立ち上がる。レオノールの一撃による傷からどくどくと溢れ出る血が白い制服に滲んでいく。メモリアの魔力がそう見せているのか、季節外れの舞降る雪の白さが紅い血と合わさって神秘的な美しささえ感じさせた。
 満身創痍のメモリアを前にしてソフィアたちの動きが止まる。刹那の隙が命取りになる。一瞬にして凍りついた空気がそう感じさせた。


「私の望みとあなたの理想は相容れないんだよ!」


 冷たく張り詰めた空気を壊すようにメモリアが声を荒らげる。殺意にも似た刃のような、穿つような、鋭利な凶器を突きつけられた感覚。血の気が引く音が聞こえる。背筋から身体の芯まで凍りつく、身が震えるような気がした。


冥氷に堕ちる(ニヴルヘイム・)凍てつく世界(コフィン)!」


 放たれたその魔法はメモリアが磨き続けてきた氷の魔法の究極系。本来、氷の魔法の行き着く先、究めた終着点は”絶対零度(アブソリュート・ゼロ)”という魔法だ。”冥氷に堕ちる(ニブルヘイム・)凍てつく世界(コフィン)”はメモリアが創り出した氷の魔法のもう1つの最果て。-273.15℃、絶対零度の空間を作り出し、急激な温度の低下により氷結爆発を引き起こす”絶対零度(アブソリュート・ゼロ)”。その空間内では氷の生成、操作さえも自由自在となる。
 ”冥氷に堕ちる(ニブルヘイム・)凍てつく世界(コフィン)”はそれを対象の周囲ではなく、()()()()()()()()()()()()に変更した魔法だ。範囲が拡大されたことによって対象を絞り込む必要のない、広範囲の無差別攻撃を可能とした反面、自身が効果範囲内の中心となることで”冥氷に堕ちる(ニブルヘイム・)凍てつく世界(コフィン)”の絶対零度空間にメモリアも巻き込まれることになる諸刃の魔法。
 絶対零度空間に巻き込まれたら最後、ソフィアたちに為す術はない。魔力の消費すら必要なくなったメモリアに手も足も出ずやられてしまうだろう。

 だが――


「……やっぱりダメか」


 もう、そんな魔力などメモリアには残されていなかった。最後に残った魔力を絞り出すように、ソフィアたちを足止めするように足元が凍りつく。足は膝ほどまで凍ってしまい、徐々に感覚が失われていく。それも一瞬のうちで、魔力不足からか氷はゆっくりと解けていっている。
 メモリアはソフィアたちと距離を取り、霜が降りた巨木の枝に飛び乗った。空に浮かぶ月を背にメモリアがソフィアを見下ろす。吹きすさぶ風がメモリアの短いような長いようなどちらとも言えない髪を揺らす。

 ソフィアは物悲しそうな顔で少し先のメモリアを見つめる。その横顔を眺めて、レオノールは小さくため息をついた。静寂が辺りを包み込む。風の音と葉が舞い散る音だけが鮮明に聞こえる。きっと、この沈黙の中でソフィアとメモリアは何かを共鳴させているのだろうと、レオノールは静かに目を閉じた。
 数分の静けさの後、メモリアはゆっくりと口を開いた。


「私の心は、もう理解できた?」


 質問の意図を汲み取れない3人に対して、ソフィアはその表情に笑みを浮かべながら柔らかな声で言った。


「私にわかるのは愛だけですよ」

「……そう。なら、十分だね」


 たったそれだけの問答で会話は終わった。それだけ、というには語弊があるかもしれない。共鳴し合うソフィアとメモリアにとっては、もはや会話などいらないほどなのだろう。
 メモリアは大きく息を吸って、身体からすべての力を出し切るように息を吐く。そして、その頭上で見下ろす月を見て、また同じように息を吸って、吐いてを繰り返した。
 見れば見るほど美しいと感じてしまう月だ。けれどそれは真相を知らぬものの浅い感想に過ぎない。ノーチェスを覆う月だけが浮かぶその天蓋は、かつて月詠(つくよみ)の大魔法使いが、害を及ぼす外的からノーチェスを守るために創り上げた大規模防御魔法だ。()()()()()、そう知られている。だが真実は違う。
 これは()()だ。紺碧の空に浮かぶその月は瞳。ノーチェスのすべてを常に見守っているように見える月は、この街を支配し、創りかえるための舞台装置なのだ。舞台で踊り、舞う者たちを監視することが、あの月のもう1つの役割だ。

 だから、メモリアはこの空を嫌悪する。純粋ではないこの空を。悪しき理想を掲げたあの月が。


「だから、()()()に行ったんですよね」


 ソフィアは続ける。何の話をしているのか、まったくもって理解できないレオノールたちだったが、その場を静かに見守った。これが、2人にとって大切な時間であることをなんとなく感じ取っていたから。


(メモリア先輩は、誰も巻き込まないように、すべてを捨てさって、たった独りで戦おうとした)


 けれど、それは言葉にしてはいけない。メモリアの覚悟も想いも無駄にしてしまう。少なくとも、あの月が浮ぶここでは。


「それが私の(こたえ)だよ、ソフィア」


 そして、曜の名とともに長い闘いに幕が降りる。


「七曜が1人、土曜(サバド)がここに――」


 七つの曜の名の1つ。メモリアは最後までソフィアと目を合わせながら語る。


()()()()()()()()()()()、私たちは再びここへ、奇跡を奪いにやってくる」


 宣戦布告のようにも取れる宣言とともにメモリアは姿を消した。形もなく、音もなく。まるで最初からそこには誰もいなかったのではないかと錯覚するほど影も残さず。メモリアは去っていった。


「……追うか? ソフィア」

「追いつけるの?」

「今の俺なら、多分な」

「……いい。大丈夫、ありがと」


 月だけが浮ぶ空を、メモリアは最後まで見つめていた。


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 人生で2度目の敗北。人生初めての敗北から早2年、メモリアは再び空を仰ぐことになった。何か形容しがたい重荷から開放されたような、妙に清々しい気分でメモリアは紺碧の夜空を見上げた。何度見ても、ノーチェスの空は忌々しいと、小さくため息をつく。そして、ついに月が雲から顔を出す。その正体が一体何なのか、知る者はいないだろう。
(……ほんとうに、忌々しい)
 これは、メモリア・ビアスの罪の話だ。その背中に背負った罪と、かつての約束を違えた罪。向き合わなければならない罪だ。そして、償わなければならない罰だ。
「あぁ〜、全部出し切った……最高だ。もう指先も動かせねぇ……!」
「どうでもいいですけど倒れないでくださいよ。これ以上看病しきれません」
「一応……私もいます……よ」
「油断しない。まだ終わってないでしょ」
 3人が和やかに会話を交わす中、ソフィアだけがメモリアだけを見続けている。言葉の通り、まだ終わっていないと確信しているのだろう。愛の魔法の効果なのか、メモリアは立ち上がるのだと、ソフィアは信じている。
 倒れてはいるが気絶まではしていない。目を開けたまま空を見上げ放心しているようで、まだメモリアは動こうとしない。レオノールたちにはわからないことが、メモリアとソフィアには互いに伝わりあっている。
「私が何をしようとしているのかなんて、あなたに関係ある? 私の事、何も知らないくせに勝手に関わってきて、鬱陶しいんだよ」
 仰向けに倒れたままメモリアが口を開く。
「大切なもの一つ守り通せればそれでいい。それ以外はどうなっても、ただ一つだけ守れるなら、それで構わない」
 あなたたちとは違う、そう言ってメモリアは立ち上がる。レオノールの一撃による傷からどくどくと溢れ出る血が白い制服に滲んでいく。メモリアの魔力がそう見せているのか、季節外れの舞降る雪の白さが紅い血と合わさって神秘的な美しささえ感じさせた。
 満身創痍のメモリアを前にしてソフィアたちの動きが止まる。刹那の隙が命取りになる。一瞬にして凍りついた空気がそう感じさせた。
「私の望みとあなたの理想は相容れないんだよ!」
 冷たく張り詰めた空気を壊すようにメモリアが声を荒らげる。殺意にも似た刃のような、穿つような、鋭利な凶器を突きつけられた感覚。血の気が引く音が聞こえる。背筋から身体の芯まで凍りつく、身が震えるような気がした。
「|冥氷に堕ちる《ニヴルヘイム・》|凍てつく世界《コフィン》!」
 放たれたその魔法はメモリアが磨き続けてきた氷の魔法の究極系。本来、氷の魔法の行き着く先、究めた終着点は”|絶対零度《アブソリュート・ゼロ》”という魔法だ。”|冥氷に堕ちる《ニブルヘイム・》|凍てつく世界《コフィン》”はメモリアが創り出した氷の魔法のもう1つの最果て。-273.15℃、絶対零度の空間を作り出し、急激な温度の低下により氷結爆発を引き起こす”|絶対零度《アブソリュート・ゼロ》”。その空間内では氷の生成、操作さえも自由自在となる。
 ”|冥氷に堕ちる《ニブルヘイム・》|凍てつく世界《コフィン》”はそれを対象の周囲ではなく、|自《・》|身《・》|を《・》|中《・》|心《・》|と《・》|し《・》|た《・》|一《・》|定《・》|範《・》|囲《・》に変更した魔法だ。範囲が拡大されたことによって対象を絞り込む必要のない、広範囲の無差別攻撃を可能とした反面、自身が効果範囲内の中心となることで”|冥氷に堕ちる《ニブルヘイム・》|凍てつく世界《コフィン》”の絶対零度空間にメモリアも巻き込まれることになる諸刃の魔法。
 絶対零度空間に巻き込まれたら最後、ソフィアたちに為す術はない。魔力の消費すら必要なくなったメモリアに手も足も出ずやられてしまうだろう。
 だが――
「……やっぱりダメか」
 もう、そんな魔力などメモリアには残されていなかった。最後に残った魔力を絞り出すように、ソフィアたちを足止めするように足元が凍りつく。足は膝ほどまで凍ってしまい、徐々に感覚が失われていく。それも一瞬のうちで、魔力不足からか氷はゆっくりと解けていっている。
 メモリアはソフィアたちと距離を取り、霜が降りた巨木の枝に飛び乗った。空に浮かぶ月を背にメモリアがソフィアを見下ろす。吹きすさぶ風がメモリアの短いような長いようなどちらとも言えない髪を揺らす。
 ソフィアは物悲しそうな顔で少し先のメモリアを見つめる。その横顔を眺めて、レオノールは小さくため息をついた。静寂が辺りを包み込む。風の音と葉が舞い散る音だけが鮮明に聞こえる。きっと、この沈黙の中でソフィアとメモリアは何かを共鳴させているのだろうと、レオノールは静かに目を閉じた。
 数分の静けさの後、メモリアはゆっくりと口を開いた。
「私の心は、もう理解できた?」
 質問の意図を汲み取れない3人に対して、ソフィアはその表情に笑みを浮かべながら柔らかな声で言った。
「私にわかるのは愛だけですよ」
「……そう。なら、十分だね」
 たったそれだけの問答で会話は終わった。それだけ、というには語弊があるかもしれない。共鳴し合うソフィアとメモリアにとっては、もはや会話などいらないほどなのだろう。
 メモリアは大きく息を吸って、身体からすべての力を出し切るように息を吐く。そして、その頭上で見下ろす月を見て、また同じように息を吸って、吐いてを繰り返した。
 見れば見るほど美しいと感じてしまう月だ。けれどそれは真相を知らぬものの浅い感想に過ぎない。ノーチェスを覆う月だけが浮かぶその天蓋は、かつて|月詠《つくよみ》の大魔法使いが、害を及ぼす外的からノーチェスを守るために創り上げた大規模防御魔法だ。|一《・》|般《・》|的《・》|に《・》|は《・》、そう知られている。だが真実は違う。
 これは|監《・》|視《・》だ。紺碧の空に浮かぶその月は瞳。ノーチェスのすべてを常に見守っているように見える月は、この街を支配し、創りかえるための舞台装置なのだ。舞台で踊り、舞う者たちを監視することが、あの月のもう1つの役割だ。
 だから、メモリアはこの空を嫌悪する。純粋ではないこの空を。悪しき理想を掲げたあの月が。
「だから、|そ《・》|っ《・》|ち《・》に行ったんですよね」
 ソフィアは続ける。何の話をしているのか、まったくもって理解できないレオノールたちだったが、その場を静かに見守った。これが、2人にとって大切な時間であることをなんとなく感じ取っていたから。
(メモリア先輩は、誰も巻き込まないように、すべてを捨てさって、たった独りで戦おうとした)
 けれど、それは言葉にしてはいけない。メモリアの覚悟も想いも無駄にしてしまう。少なくとも、あの月が浮ぶここでは。
「それが私の|答《こたえ》だよ、ソフィア」
 そして、曜の名とともに長い闘いに幕が降りる。
「七曜が1人、|土曜《サバド》がここに――」
 七つの曜の名の1つ。メモリアは最後までソフィアと目を合わせながら語る。
「|月《・》|が《・》|欠《・》|け《・》|、《・》|再《・》|び《・》|満《・》|ち《・》|る《・》|刻《・》、私たちは再びここへ、奇跡を奪いにやってくる」
 宣戦布告のようにも取れる宣言とともにメモリアは姿を消した。形もなく、音もなく。まるで最初からそこには誰もいなかったのではないかと錯覚するほど影も残さず。メモリアは去っていった。
「……追うか? ソフィア」
「追いつけるの?」
「今の俺なら、多分な」
「……いい。大丈夫、ありがと」
 月だけが浮ぶ空を、メモリアは最後まで見つめていた。