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ルチアとカナン-ルビア最後の日-

ー/ー



 その日、ミスティア国ルビアの町は、雲ひとつない晴天だった。

 そよそよと途切れない風が吹く中、絶好の昼寝日和と、上機嫌でルチアは西館裏庭で最近見つけた気に入りの木陰に勢いよく腰をおろす。ばふっと音をたてて青臭い草のにおいが舞い上がり、真上の葉陰からは鳥のさえずりが耳をくすぐった。肌に心地よいそれらで自分の中を満たし、洗浄するよう思いっきり息を吸いこみ寝転がる。

「あー、今日もいい天気っ」

 木漏れ日を浴びてまぶしさに目を細めた彼は、幸せそうに伸びをする。

 昨日も、その前も、そのその前も、彼の日常にさしたる変化はなかった。退魔剣師としてこの町の守護にあたっていたころに比べ、退魔師にとっては奇跡と呼べる『定年』を間近に控えて現役を退き、新たに配属されてきた若手たちの指導に専念するようになったここ近年の彼の日常は、平和そのものだ。
 こうして指導の合間に昼寝するゆとりすらある。

『退魔師が暇をもてあますのはいいことだぞ』

 厳しい訓練に息も絶え絶えになった若手から「いいご身分ですね」と厭味たらたらの言葉を受けるたび、ルチアはそう言う。
 退魔師がぎすぎすしていたって、だれにもいい印象は与えたりしない。だから、煙たがられるくらい余裕をかましていろ、と。

 そして今日もまた、彼は眉をひそめる教え子たちを尻目にここへやってきたのである。

 時間がきたら起こしにきてくれ、と朱廻には言ってある。
 大あくびをし、目を閉じて、ほんの50も数えたなら規則正しい寝息が始まるはずだったのだが――。

「ルチアーっ!」

 そうさせてはもらえないのだと、一瞬で解させる呼び声が頭のほうからして、ルチアはぱっちりと目を開いた。

 跳ねるようなかろやかな足取りから、それがだれであるかを察したルチアは、草の丈を越えない程度に肘立てて上半身を起こし、腰をねじる。
 ちらちら揺れる草の間から――べつに庭師たちが怠けているわけではなく、夏の彼らは一夜で驚嘆すべき成長を遂げるものなのだ――そこにいる少女を見て、その身から放たれているしなやかではつらつとした、初々しい命の輝きに目を細めた。
 細い指の爪の先、髪一筋にまで満ちあふれた黄金色の生気。16という、人生で最も輝かしい歳に見合ったその若々しさは、美麗な容姿と相まって、目をも引きつけずにはいられない。

 もう少し進めばルチアのいる所にたどりつく、という所で少女はぴたりと足を止めて、周囲に首を巡らせた。
 どうやらルチアを見つけて走りよってきていたわけではないらしい。
 今の彼は半ば以上草に埋もれているし、彼のいる木陰は少し下り斜面になっているので、彼女からは死角になって見つけられないのだろう。
 ただ、ひと通り見回しておきながら、それでも立ち去らずにいることからして、この付近に絶対いるとの見当はつけているようだ。

 朱廻(しゅかい)が口をすべらしたに違いない。あいつ以外、ここにいることを知っている者はいないんだから。

 まったく口が軽いやつだと胸中でぼやきながら、ルチアは極力音をたてないよう注意して体勢を変え、木や草むらを盾がわりにごそごそと、彼女からはもう少し見えにくい位置へと匍匐前進で移動する。
 移動後、草むらの端からちろりと様子をうかがったが、少女はまだしつこくそこにいて、立ち去る気配はないように見えた。

 少女がなぜ自分を捜しているか見当がつかなかったが、あえて理由を知りたいとも思わない。
 少女が生まれる前からこの館に部屋をかまえ、家族同然に接してきた彼にとって、そのちょっとした仕草・目の動き・生気の色や流れ方などから少女の感情を読みとることなどたやすく、そして今の彼女はすっかり気分を害していたからだ。

 原因が自分にあるのだとしたら(もちろん思いあたるようなことは何もないんだが)、もう少しほとぼりが冷めてからのほうがいい。
 ほかにあるのであれば、やつあたりはごめんこうむりたい。

 やれやれ。せっかく見つけた新しい隠れ場所も、1日でおじゃんか。

 これで何箇所目だろう。少女はルチアが昼休みにはよく昼寝をすることは知っていても、『どうして』しているかはまるで考えようとしない。居場所を知られたが最後、それが熟睡の最中であろうとたたき起こされて話の聞き役を押しつけられる。
 好きな事をしてる最中に邪魔されて、いい気分になる者はいないというのはわかりきっているのに。

 ……ただしそれにはルチアにも責任の一端はあって、少女を拒絶しないのがいけないのだけれども。

「用事があるなら、ほかのときにしてくれませんか?」

 そう、やんわりとでも断ったなら、少女のほうも考えてくれたかもしれない。
 遅くもうけた一人娘ということで町長が猫可愛がりした結果、少々我が強いというか、自分の意を貫こうとするところがあるけれど、何があろうと自分を最優先しなくてはならない、というところまでわがままではない。相手に本当に負担をかけているのだと知れば、二度としないだろうというのはわかりきっている。

 問題は、自分が本当にいやがっていないというところにあるのだろうな、と思って、ルチアはため息をついた。

 みんな、だれも彼も、この館の者はそろって少女に甘い。
 ルチアだけが例外になれるはずもなく、少女もそれと見抜いているから、いくら居場所を変えようと探し出しては邪魔をするのだ。

「ルチア、こんな所にいたのね! みつけたわよっ」

 かさり、と草葉の擦れあう音がして日の光が遮られ、顔の上に影ができる。片目を開けると、木漏れ日を背にした少女が嬉しそうに自分を見下ろしていた。

「……どうかしたんですか? お嬢さん」

 接近には気付かないで、今までずっとここで寝ていたのだというように、わざと寝ぼけ声を作って応じる。
 少女は断りもせず、むしろあるべき自分の場所に戻ってきたと言わんばかりにすとんと枕元へ腰をおろし、スカートのポケットからとり出したナプキンを膝の上で開いた。

 中には小粒の焼き菓子がいくつかあって、その中から赤い実がついた物をつまみ上げて口元へ運ぶとカリンと音をたてて噛み割る。
 めずらしく、何を言うわけでもなく黙々と食べ続けるその姿を不思議に思って、横顔を見上げていたルチアの耳に、遠くでかすかに「お嬢さまー?」と呼ぶ侍女たちの声が入った。

「いいんですか? 返事してあげなくて。あなたを捜しているようですが」
「……んもお、耳聡いんだからっ」

 少女はなぜそんなことを訊くのかと、責める目でルチアを見返し、そして何も知らない彼にそんな態度をとるのは間違いだと思い直してか、自らをたしなめるように視線を前へ戻すと、ほうっと息をついた。

「いいのよ、半日我慢してあげたんだから」
「ですが――」
「いいの!
 それよりルチア、聞いてよ!」

 高ぶった感情のまま、ずいっと身を押し出してきた少女に、ああやっぱり始まった、と内心思うが、少女がやってきたときからこうなるだろうことは想像がついており、いつものことだとの諦めもできていたので、ルチアはそういった諦めはおくびにも出さず、仰向けだった体を横にすることで話を聞くのに楽な体勢をとって彼女を見返した。

「なんですか?」
「お父さまったらひどいのよ。いつもより早く起こされたと思ったら、侍女たちにこれでもかとばかりに飾りつけられたの。何か急なお祝いごとでもあるのかしらと思って、案内されるままついて行ったら客間で、抜き打ちでいきなりお父さまのお友達の前に連れ出されたのよ!」

 ああなるほど、と思う。

「あなたを見せびらかしたいんですよ。あなたは町長ご自慢の娘なんですから」
「違うわっ。あたしが怒ってるのはその先よっ。それだけだったらあたしだって腹は立たないわ、あきれるだけよ、いつものことだもの。
 あたしが怒ってるのは、そこにいたのはお父さまのお友達だけじゃなくて、お友達の息子たちも同席している場だったということよ!」

 返す返すも腹が立つ、と言わんばかりに唇を噛みしめている少女に、ルチアはなるほどとうなずく。

 町長は、普段から何かと理由をつけては宴席に出ることを拒否する一人娘に業を煮やして、出会いの場を設けようとしたに違いない。
 なんといっても彼女は年ごろで、しかも親バカ分を差し引いても十分美人の部類に入る容姿をしている。
 彼女を溺愛している町長からみれば、見合い話をことごとくはねつけ、耳を貸すことはおろか絵姿すら見ようとしない娘の態度は、さぞ気を揉むことだろう。

 しかもその不安に拍車をかけて

「あたしにはあなたってひとがいるのに、これってすっごく失礼じゃない!?」

 というのが現実としてあるのだから、町長としては気も狂わんばかりに違いなかった。

 だがそんな父親心など一顧だにしない少女は握りこぶしを震わせながら言いつのる。

「ちゃんと2人で話したでしょ、あなたと結婚するって! そりゃ婚約式でのお披露目はまだだけど、2カ月後には挙式の予定だってたててあるのよ!!
 なのに、どうして今になってあんなまねするのよっ!!」

 どうしてもこうしても、親子ほど歳の離れた男と愛娘が結婚しようとしているのを黙って見ていられる父親がいるほうが、一般的に見ておかしいのではないかとルチアは考える。

 貴重な退魔師とはいえ平民の生まれで爵位はない。ミスティア国の生まれでもない。その上20も歳が離れているとなれば、これはもう立派に醜聞だ。式までに気を変えさせようと、多少強引に動かれてもしかたのないことだろう。

 自分は36で、彼女が生まれる前から退魔師をしていて、生誕の祝いにも出席している。
 さすがにそのころの記憶はロクに残っちゃいないが、それが幸いだった。きっちり覚えてたりしたら、間違いなく彼女をそういう対象としては見られなかっただろうから。

 なにしろ、記憶に残っている5~6歳くらいからの彼女を思い出すだけで、われながらすごいことになったもんだと思わずにいられないのだ。
 だから、

「どうして何も言わないの!? あなたが一番軽んじられてるのよ!? なんでへらへら笑ってるの!!
 一緒に腹を立ててよ!!」

 と、いくら言われても、町長の気持ちこそよく分かるルチアは、愛想笑いを浮かべるくらいしかできない。

「……事の是否はともかくとして、町長のされたことはわたしも必要と思いますよ。あなたにふさわしい身分で歳の近い男性はこの町だけでも大勢いるのだし、長の一人娘でまだ若い女性であるあなたには、その方々と知り合う権利と義務が――」

 あると思うのですが、と控え目に言おうとしたルチアだったが、少女の険しいひとにらみを受けて、続ける言葉を失ってしまった。

「絶対否に決まってるじゃないのっ!! ほかの男なんて冗談じゃないわ! あたしがあなたをつかまえるのに一体どれだけの忍耐と努力を必要としたと思ってるの!
 どうかだれのものにもならないで、早く大きくなるからって、毎晩星に向かって祈ってたあたしの気持ちなんて、みんなどうでもいいと思ってるのねっ!!
 あなたもそうよ! あなたの部屋へ夜に忍び込んだときも、あなた完全に子ども扱いして全然相手にしてくれなかったじゃない! 部屋から追い出されて……心が折れそうになったのも1度や2度じゃないのよ!?
 それでも歯を食いしばって耐えて、本気だとあなたに認めてもらうために一体どれだけアタックし続けたことか……!
 ようやく手に入れたあなたを手放させてほかの男をあてがおうとするなんて、父親のすることじゃないわっ!!」

 世間体というものを塵ほども意に介さず、父親のほうこそおかしいと憤慨して叫ぶ少女に、ルチアは草地に突っ伏してしまった。
 かああと音をたてて、耳まで熱がのぼる。

 毎度のことながら、どうしてこう臆面もなくそういうことを口にできるんだろう、この娘は。

「……んもおっ、どうして勝手に寝ちゃってるのよっ! ひとが話してるんだから、ちゃんと聞いててよっ」

 ルチアがうつぶせになっているのに遅れて気付いた少女が、拗ねた声で背に両手を押しあててゆっさゆっさと揺さぶる。
 ルチアは寝ていたわけではない。失笑していたのだ。
 やがてそれは肩が震えるほどになり、ついには腹をかかえて転がる。そして、目尻に浮かんだ涙をこすりとりながら、不思議そうに自分を見ている少女を見上げた。

「はは……あなたには負けます、カナン」
「なによそれ。どういう意味っ」

 正直な気持ちを言ったのに、からかいと受けとったカナンは口先をとがらせて両のこぶしをふり上げる。降参と、ルチアが笑いながら顔の前で両手を広げたときだ。

 突如、ぴしりと短くて鋭い巨大な亀裂音が、頭上で起きた。

「きゃっ……!」

 何か――それが何かは想像もつかないが、大きくて固い物が砕けたのだと思わずにいられない音に、カナンは耳を押さえ、ぎゅっと目をつぶってその場に伏せる。
 そんな彼女とは対象的に、身を起こしたルチアは空を見上げた。

 それは今の時刻、太陽を直視することとなったのだが、けれども炎帝は彼の目をくらませはしなかった。
 太陽に変異が起きたわけではない。
 神の御技は変わらずその御世を照らし出している。

 平等に、全てを、白日のもとに。

「あれは、まさか……!!」

 ルチアはそれ以上続ける言葉を失った。
 あり得ないものを見出した驚愕に、全身が強張る。そろそろと目を開いたカナンは、ルチアの背や腕にこもった力に何か深刻な事が起きているのだと察して、大急ぎ彼の凍りついた視線を追う。そして、その先にあるものを目にして、彼女もあっと口をおおった。

 空に、あめ色をした亀裂が走っていた。

 空間という見えざる壁を突き破り、異なる世界から現れた槍のように、それは何も存在しない西の空から出現して、まっすぐ二人の頭上を通過している。

 亀裂越しに見る空は、水の中を覗きこむのに似ていた。
 太陽も、空の青もちゃんと見えるが、太陽は真冬の曇り空のようにまろやかで、空の青も、端にいくにつれて歪み、ぼやける。
 真夏で、しかも快晴の昼間だからこそ見えるのだ。
 これが夜や曇天であったなら、見分けることは不可能に近い。

 生まれてはじめて目にした不可思議な光の帯の出現に、カナンはとまどい、どう反応すればいいものかためらう。

 はたして何が起きているのか分からないが、これが吉兆である可能性は、ルチアを見る限り皆無と解して間違いなさそうだ。

 どんなときでも彼を包んでいた従容感(しょうようかん)が、全く失われている。今、彼の全神経は光の帯のみに集中し、氷像のようにわずかも身動がない。

 彼を取り巻く空気がぴりぴりしていて、触れることすら(はばか)られるそれは、いまだかつて一度たりと目にしたことのない、彼の一面だった。

 何が起きたのか。起きようとしているのか。教えてほしかった。
 その背にしがみつき、彼の注意を自分に引きつけて、訊き出したい。けれど、怖くて。
 カナンは無言でルチアを見つめて、彼が自分のことを思い出すのをじっと待っていた。

 カナンは間違っていた。
 ルチアは光の帯など見ていなかったのだ。

 はじめのうちこそその現象のめずらしさに目を奪われもしたが、それの正体を知るルチアは光の帯などたいして問題視していなかった。
 彼が凝視しているのは、光の帯の出現地点。
 西の空、町の外壁の上空。
 見えざる巨人の手により左右に引き裂かれた空間にこそ、彼の意識は集中していた。

 ちりちりと、無数の小さなひび割れが生じ、中央部のひずみがさらに広がって、そこから現れた、細く白い5本の指を目にしたとき。

「朱廻!!」

 ルチアは声を張り上げ、己の魔断を呼んだ。

――はい、操主!

「おまえも見ているな!」

――はい。あれは――

「転移鏡だ! そこで合流する!!」

 即座に胸中へ返った朱廻の心話が自分と同じほどに緊張し、余裕を欠いていることに、事の重大さを彼も承知しているのだと解したルチアは説明の一切を省略する。

 おそらくほかの退魔師たちも1人残らず行動を開始しているはずだ。
 もはや一刻の猶予もない。

 立ち上がり、西の対に向かって一歩を踏み出したところでルチアはカナンのことを思い出し、振り返った。

 カナンはわけもわからないままとり残される不安でいっぱいの目をして、彼を見つめている。
 今にも泣き出しそうな顔をして震えている彼女を見て、こんな彼女を残していきたくない、そばにいてやりたいとの思いがこみ上げたが、彼には何を置いても成すべき使命があった。

 片膝をついて、カナンの肩に手をかける。

「カナン、きみはこの町を預かる長の娘だ。だから、こういうとき何をしなくてはならないかは心得ているね?」

 今がそのときなのだと、暗に知らせるその言葉に胸をつかれ、カナンはわななく。
 涙のにじみをあわててこすりとった彼女の表情に、いつもの強気が戻ってきたのを確認したルチアはうなずき、その頬に口づけた。

「いい子だ」


 立ち上がり、身を翻したルチアに、カナンは言いようのない切羽詰まったものを強く感じて、思わず彼を呼び止めようと手を伸ばす。
 これっきり。もう二度と彼に会えなくなるような……そんな不安が胸に差し込む。

 だが、みるみる遠ざかっていく彼の背に、何が起きているのか説明する時間すら惜しいほど事態は切迫しているのだとあらためてさとったカナンは、弱気を振り払うように両の頬をぴしゃりと叩き、すっくと立ち上がった。

「不安がってる侍女たちを集めて、すみやかに避難させる……ちゃんと、点呼もとって……」

 忘れないよう、間違わないよう、声に出してつぶやきながら、カナンもまた、ルチアとは逆方向の東の対に向かってかけ出す。


 空には雲ひとつない、晴れやかな夏の午後。
 この日、ミスティア国ルビアの町は滅び、その名は地上から消失したのだった。






『ルチアとカナン-ルビア最後の日- 了』


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 その日、ミスティア国ルビアの町は、雲ひとつない晴天だった。
 そよそよと途切れない風が吹く中、絶好の昼寝日和と、上機嫌でルチアは西館裏庭で最近見つけた気に入りの木陰に勢いよく腰をおろす。ばふっと音をたてて青臭い草のにおいが舞い上がり、真上の葉陰からは鳥のさえずりが耳をくすぐった。肌に心地よいそれらで自分の中を満たし、洗浄するよう思いっきり息を吸いこみ寝転がる。
「あー、今日もいい天気っ」
 木漏れ日を浴びてまぶしさに目を細めた彼は、幸せそうに伸びをする。
 昨日も、その前も、そのその前も、彼の日常にさしたる変化はなかった。退魔剣師としてこの町の守護にあたっていたころに比べ、退魔師にとっては奇跡と呼べる『定年』を間近に控えて現役を退き、新たに配属されてきた若手たちの指導に専念するようになったここ近年の彼の日常は、平和そのものだ。
 こうして指導の合間に昼寝するゆとりすらある。
『退魔師が暇をもてあますのはいいことだぞ』
 厳しい訓練に息も絶え絶えになった若手から「いいご身分ですね」と厭味たらたらの言葉を受けるたび、ルチアはそう言う。
 退魔師がぎすぎすしていたって、だれにもいい印象は与えたりしない。だから、煙たがられるくらい余裕をかましていろ、と。
 そして今日もまた、彼は眉をひそめる教え子たちを尻目にここへやってきたのである。
 時間がきたら起こしにきてくれ、と朱廻には言ってある。
 大あくびをし、目を閉じて、ほんの50も数えたなら規則正しい寝息が始まるはずだったのだが――。
「ルチアーっ!」
 そうさせてはもらえないのだと、一瞬で解させる呼び声が頭のほうからして、ルチアはぱっちりと目を開いた。
 跳ねるようなかろやかな足取りから、それがだれであるかを察したルチアは、草の丈を越えない程度に肘立てて上半身を起こし、腰をねじる。
 ちらちら揺れる草の間から――べつに庭師たちが怠けているわけではなく、夏の彼らは一夜で驚嘆すべき成長を遂げるものなのだ――そこにいる少女を見て、その身から放たれているしなやかではつらつとした、初々しい命の輝きに目を細めた。
 細い指の爪の先、髪一筋にまで満ちあふれた黄金色の生気。16という、人生で最も輝かしい歳に見合ったその若々しさは、美麗な容姿と相まって、目をも引きつけずにはいられない。
 もう少し進めばルチアのいる所にたどりつく、という所で少女はぴたりと足を止めて、周囲に首を巡らせた。
 どうやらルチアを見つけて走りよってきていたわけではないらしい。
 今の彼は半ば以上草に埋もれているし、彼のいる木陰は少し下り斜面になっているので、彼女からは死角になって見つけられないのだろう。
 ただ、ひと通り見回しておきながら、それでも立ち去らずにいることからして、この付近に絶対いるとの見当はつけているようだ。
 |朱廻《しゅかい》が口をすべらしたに違いない。あいつ以外、ここにいることを知っている者はいないんだから。
 まったく口が軽いやつだと胸中でぼやきながら、ルチアは極力音をたてないよう注意して体勢を変え、木や草むらを盾がわりにごそごそと、彼女からはもう少し見えにくい位置へと匍匐前進で移動する。
 移動後、草むらの端からちろりと様子をうかがったが、少女はまだしつこくそこにいて、立ち去る気配はないように見えた。
 少女がなぜ自分を捜しているか見当がつかなかったが、あえて理由を知りたいとも思わない。
 少女が生まれる前からこの館に部屋をかまえ、家族同然に接してきた彼にとって、そのちょっとした仕草・目の動き・生気の色や流れ方などから少女の感情を読みとることなどたやすく、そして今の彼女はすっかり気分を害していたからだ。
 原因が自分にあるのだとしたら(もちろん思いあたるようなことは何もないんだが)、もう少しほとぼりが冷めてからのほうがいい。
 ほかにあるのであれば、やつあたりはごめんこうむりたい。
 やれやれ。せっかく見つけた新しい隠れ場所も、1日でおじゃんか。
 これで何箇所目だろう。少女はルチアが昼休みにはよく昼寝をすることは知っていても、『どうして』しているかはまるで考えようとしない。居場所を知られたが最後、それが熟睡の最中であろうとたたき起こされて話の聞き役を押しつけられる。
 好きな事をしてる最中に邪魔されて、いい気分になる者はいないというのはわかりきっているのに。
 ……ただしそれにはルチアにも責任の一端はあって、少女を拒絶しないのがいけないのだけれども。
「用事があるなら、ほかのときにしてくれませんか?」
 そう、やんわりとでも断ったなら、少女のほうも考えてくれたかもしれない。
 遅くもうけた一人娘ということで町長が猫可愛がりした結果、少々我が強いというか、自分の意を貫こうとするところがあるけれど、何があろうと自分を最優先しなくてはならない、というところまでわがままではない。相手に本当に負担をかけているのだと知れば、二度としないだろうというのはわかりきっている。
 問題は、自分が本当にいやがっていないというところにあるのだろうな、と思って、ルチアはため息をついた。
 みんな、だれも彼も、この館の者はそろって少女に甘い。
 ルチアだけが例外になれるはずもなく、少女もそれと見抜いているから、いくら居場所を変えようと探し出しては邪魔をするのだ。
「ルチア、こんな所にいたのね! みつけたわよっ」
 かさり、と草葉の擦れあう音がして日の光が遮られ、顔の上に影ができる。片目を開けると、木漏れ日を背にした少女が嬉しそうに自分を見下ろしていた。
「……どうかしたんですか? お嬢さん」
 接近には気付かないで、今までずっとここで寝ていたのだというように、わざと寝ぼけ声を作って応じる。
 少女は断りもせず、むしろあるべき自分の場所に戻ってきたと言わんばかりにすとんと枕元へ腰をおろし、スカートのポケットからとり出したナプキンを膝の上で開いた。
 中には小粒の焼き菓子がいくつかあって、その中から赤い実がついた物をつまみ上げて口元へ運ぶとカリンと音をたてて噛み割る。
 めずらしく、何を言うわけでもなく黙々と食べ続けるその姿を不思議に思って、横顔を見上げていたルチアの耳に、遠くでかすかに「お嬢さまー?」と呼ぶ侍女たちの声が入った。
「いいんですか? 返事してあげなくて。あなたを捜しているようですが」
「……んもお、耳聡いんだからっ」
 少女はなぜそんなことを訊くのかと、責める目でルチアを見返し、そして何も知らない彼にそんな態度をとるのは間違いだと思い直してか、自らをたしなめるように視線を前へ戻すと、ほうっと息をついた。
「いいのよ、半日我慢してあげたんだから」
「ですが――」
「いいの!
 それよりルチア、聞いてよ!」
 高ぶった感情のまま、ずいっと身を押し出してきた少女に、ああやっぱり始まった、と内心思うが、少女がやってきたときからこうなるだろうことは想像がついており、いつものことだとの諦めもできていたので、ルチアはそういった諦めはおくびにも出さず、仰向けだった体を横にすることで話を聞くのに楽な体勢をとって彼女を見返した。
「なんですか?」
「お父さまったらひどいのよ。いつもより早く起こされたと思ったら、侍女たちにこれでもかとばかりに飾りつけられたの。何か急なお祝いごとでもあるのかしらと思って、案内されるままついて行ったら客間で、抜き打ちでいきなりお父さまのお友達の前に連れ出されたのよ!」
 ああなるほど、と思う。
「あなたを見せびらかしたいんですよ。あなたは町長ご自慢の娘なんですから」
「違うわっ。あたしが怒ってるのはその先よっ。それだけだったらあたしだって腹は立たないわ、あきれるだけよ、いつものことだもの。
 あたしが怒ってるのは、そこにいたのはお父さまのお友達だけじゃなくて、お友達の息子たちも同席している場だったということよ!」
 返す返すも腹が立つ、と言わんばかりに唇を噛みしめている少女に、ルチアはなるほどとうなずく。
 町長は、普段から何かと理由をつけては宴席に出ることを拒否する一人娘に業を煮やして、出会いの場を設けようとしたに違いない。
 なんといっても彼女は年ごろで、しかも親バカ分を差し引いても十分美人の部類に入る容姿をしている。
 彼女を溺愛している町長からみれば、見合い話をことごとくはねつけ、耳を貸すことはおろか絵姿すら見ようとしない娘の態度は、さぞ気を揉むことだろう。
 しかもその不安に拍車をかけて
「あたしにはあなたってひとがいるのに、これってすっごく失礼じゃない!?」
 というのが現実としてあるのだから、町長としては気も狂わんばかりに違いなかった。
 だがそんな父親心など一顧だにしない少女は握りこぶしを震わせながら言いつのる。
「ちゃんと2人で話したでしょ、あなたと結婚するって! そりゃ婚約式でのお披露目はまだだけど、2カ月後には挙式の予定だってたててあるのよ!!
 なのに、どうして今になってあんなまねするのよっ!!」
 どうしてもこうしても、親子ほど歳の離れた男と愛娘が結婚しようとしているのを黙って見ていられる父親がいるほうが、一般的に見ておかしいのではないかとルチアは考える。
 貴重な退魔師とはいえ平民の生まれで爵位はない。ミスティア国の生まれでもない。その上20も歳が離れているとなれば、これはもう立派に醜聞だ。式までに気を変えさせようと、多少強引に動かれてもしかたのないことだろう。
 自分は36で、彼女が生まれる前から退魔師をしていて、生誕の祝いにも出席している。
 さすがにそのころの記憶はロクに残っちゃいないが、それが幸いだった。きっちり覚えてたりしたら、間違いなく彼女をそういう対象としては見られなかっただろうから。
 なにしろ、記憶に残っている5~6歳くらいからの彼女を思い出すだけで、われながらすごいことになったもんだと思わずにいられないのだ。
 だから、
「どうして何も言わないの!? あなたが一番軽んじられてるのよ!? なんでへらへら笑ってるの!!
 一緒に腹を立ててよ!!」
 と、いくら言われても、町長の気持ちこそよく分かるルチアは、愛想笑いを浮かべるくらいしかできない。
「……事の是否はともかくとして、町長のされたことはわたしも必要と思いますよ。あなたにふさわしい身分で歳の近い男性はこの町だけでも大勢いるのだし、長の一人娘でまだ若い女性であるあなたには、その方々と知り合う権利と義務が――」
 あると思うのですが、と控え目に言おうとしたルチアだったが、少女の険しいひとにらみを受けて、続ける言葉を失ってしまった。
「絶対否に決まってるじゃないのっ!! ほかの男なんて冗談じゃないわ! あたしがあなたをつかまえるのに一体どれだけの忍耐と努力を必要としたと思ってるの!
 どうかだれのものにもならないで、早く大きくなるからって、毎晩星に向かって祈ってたあたしの気持ちなんて、みんなどうでもいいと思ってるのねっ!!
 あなたもそうよ! あなたの部屋へ夜に忍び込んだときも、あなた完全に子ども扱いして全然相手にしてくれなかったじゃない! 部屋から追い出されて……心が折れそうになったのも1度や2度じゃないのよ!?
 それでも歯を食いしばって耐えて、本気だとあなたに認めてもらうために一体どれだけアタックし続けたことか……!
 ようやく手に入れたあなたを手放させてほかの男をあてがおうとするなんて、父親のすることじゃないわっ!!」
 世間体というものを塵ほども意に介さず、父親のほうこそおかしいと憤慨して叫ぶ少女に、ルチアは草地に突っ伏してしまった。
 かああと音をたてて、耳まで熱がのぼる。
 毎度のことながら、どうしてこう臆面もなくそういうことを口にできるんだろう、この娘は。
「……んもおっ、どうして勝手に寝ちゃってるのよっ! ひとが話してるんだから、ちゃんと聞いててよっ」
 ルチアがうつぶせになっているのに遅れて気付いた少女が、拗ねた声で背に両手を押しあててゆっさゆっさと揺さぶる。
 ルチアは寝ていたわけではない。失笑していたのだ。
 やがてそれは肩が震えるほどになり、ついには腹をかかえて転がる。そして、目尻に浮かんだ涙をこすりとりながら、不思議そうに自分を見ている少女を見上げた。
「はは……あなたには負けます、カナン」
「なによそれ。どういう意味っ」
 正直な気持ちを言ったのに、からかいと受けとったカナンは口先をとがらせて両のこぶしをふり上げる。降参と、ルチアが笑いながら顔の前で両手を広げたときだ。
 突如、ぴしりと短くて鋭い巨大な亀裂音が、頭上で起きた。
「きゃっ……!」
 何か――それが何かは想像もつかないが、大きくて固い物が砕けたのだと思わずにいられない音に、カナンは耳を押さえ、ぎゅっと目をつぶってその場に伏せる。
 そんな彼女とは対象的に、身を起こしたルチアは空を見上げた。
 それは今の時刻、太陽を直視することとなったのだが、けれども炎帝は彼の目をくらませはしなかった。
 太陽に変異が起きたわけではない。
 神の御技は変わらずその御世を照らし出している。
 平等に、全てを、白日のもとに。
「あれは、まさか……!!」
 ルチアはそれ以上続ける言葉を失った。
 あり得ないものを見出した驚愕に、全身が強張る。そろそろと目を開いたカナンは、ルチアの背や腕にこもった力に何か深刻な事が起きているのだと察して、大急ぎ彼の凍りついた視線を追う。そして、その先にあるものを目にして、彼女もあっと口をおおった。
 空に、あめ色をした亀裂が走っていた。
 空間という見えざる壁を突き破り、異なる世界から現れた槍のように、それは何も存在しない西の空から出現して、まっすぐ二人の頭上を通過している。
 亀裂越しに見る空は、水の中を覗きこむのに似ていた。
 太陽も、空の青もちゃんと見えるが、太陽は真冬の曇り空のようにまろやかで、空の青も、端にいくにつれて歪み、ぼやける。
 真夏で、しかも快晴の昼間だからこそ見えるのだ。
 これが夜や曇天であったなら、見分けることは不可能に近い。
 生まれてはじめて目にした不可思議な光の帯の出現に、カナンはとまどい、どう反応すればいいものかためらう。
 はたして何が起きているのか分からないが、これが吉兆である可能性は、ルチアを見る限り皆無と解して間違いなさそうだ。
 どんなときでも彼を包んでいた|従容感《しょうようかん》が、全く失われている。今、彼の全神経は光の帯のみに集中し、氷像のようにわずかも身動がない。
 彼を取り巻く空気がぴりぴりしていて、触れることすら|憚《はばか》られるそれは、いまだかつて一度たりと目にしたことのない、彼の一面だった。
 何が起きたのか。起きようとしているのか。教えてほしかった。
 その背にしがみつき、彼の注意を自分に引きつけて、訊き出したい。けれど、怖くて。
 カナンは無言でルチアを見つめて、彼が自分のことを思い出すのをじっと待っていた。
 カナンは間違っていた。
 ルチアは光の帯など見ていなかったのだ。
 はじめのうちこそその現象のめずらしさに目を奪われもしたが、それの正体を知るルチアは光の帯などたいして問題視していなかった。
 彼が凝視しているのは、光の帯の出現地点。
 西の空、町の外壁の上空。
 見えざる巨人の手により左右に引き裂かれた空間にこそ、彼の意識は集中していた。
 ちりちりと、無数の小さなひび割れが生じ、中央部のひずみがさらに広がって、そこから現れた、細く白い5本の指を目にしたとき。
「朱廻!!」
 ルチアは声を張り上げ、己の魔断を呼んだ。
――はい、操主!
「おまえも見ているな!」
――はい。あれは――
「転移鏡だ! そこで合流する!!」
 即座に胸中へ返った朱廻の心話が自分と同じほどに緊張し、余裕を欠いていることに、事の重大さを彼も承知しているのだと解したルチアは説明の一切を省略する。
 おそらくほかの退魔師たちも1人残らず行動を開始しているはずだ。
 もはや一刻の猶予もない。
 立ち上がり、西の対に向かって一歩を踏み出したところでルチアはカナンのことを思い出し、振り返った。
 カナンはわけもわからないままとり残される不安でいっぱいの目をして、彼を見つめている。
 今にも泣き出しそうな顔をして震えている彼女を見て、こんな彼女を残していきたくない、そばにいてやりたいとの思いがこみ上げたが、彼には何を置いても成すべき使命があった。
 片膝をついて、カナンの肩に手をかける。
「カナン、きみはこの町を預かる長の娘だ。だから、こういうとき何をしなくてはならないかは心得ているね?」
 今がそのときなのだと、暗に知らせるその言葉に胸をつかれ、カナンはわななく。
 涙のにじみをあわててこすりとった彼女の表情に、いつもの強気が戻ってきたのを確認したルチアはうなずき、その頬に口づけた。
「いい子だ」
 立ち上がり、身を翻したルチアに、カナンは言いようのない切羽詰まったものを強く感じて、思わず彼を呼び止めようと手を伸ばす。
 これっきり。もう二度と彼に会えなくなるような……そんな不安が胸に差し込む。
 だが、みるみる遠ざかっていく彼の背に、何が起きているのか説明する時間すら惜しいほど事態は切迫しているのだとあらためてさとったカナンは、弱気を振り払うように両の頬をぴしゃりと叩き、すっくと立ち上がった。
「不安がってる侍女たちを集めて、すみやかに避難させる……ちゃんと、点呼もとって……」
 忘れないよう、間違わないよう、声に出してつぶやきながら、カナンもまた、ルチアとは逆方向の東の対に向かってかけ出す。
 空には雲ひとつない、晴れやかな夏の午後。
 この日、ミスティア国ルビアの町は滅び、その名は地上から消失したのだった。
『ルチアとカナン-ルビア最後の日- 了』