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第2回

ー/ー



●挑  発

「つっ……」

 壁に触れていた左手に生じた痛みに、反射的、セオドアは手を引き戻した。
 瞬間、手のひらにさらに強い、熱湯を浴びせられたような痛みを感じる。見ると、表皮が剥がれて、その下の肉が剥き出しになっていた。

「大丈夫か? 
 不容易に素手で周囲に触れるなよ。肉ごと剥ぎ取られるぞ」

 一体何枚持っているのか、またもや袋をとり出して細く裂き、手に巻きつけながらエセルが言ってきたが、もう一度触れうと言われても遠慮する思いでセオドアは首を振った。

 部屋中が凍りついていた。あらゆる物が氷塊と化し、大小さまざまな氷柱が至る所でそびえ立っている。天井から下がったものとつながっているものも少なくない。

「もうあのような小賢しい手はくわぬ。触れただけでそうなる身では、もはや何一つ手にすることはできまい?」

 勝ち誇った笑いをよそに、セオドアは、厄介なことになったと白い息を吐き出した。
 このままでは本当に、抵抗らしい抵抗もできないままなぶりものになるだけだ。

 かといって唯一の出口は漣の後ろにある。

 先の、光の檻を突き破った漣の一撃は、なんと隠し通路を直撃していたらしく、崩れた壁と天井の残骸で隠し階段への入り口の半分近くが埋もれてしまっているし、そこまでたどりつくには、この蜘蛛の糸のように張りめぐらされた氷の網をくぐっていかなくてはならない。
 しかも距離までが漣のほうに有利ときている。

 漣より先に階段へ到達する、そんな時間をどうやって稼ぐ?

 セオドアの、無表情という水面下で起きている、渦のように逆巻く動揺を見抜いてか、漣がふっと勝ち誇ったようにほほ笑む。

「さあてどうしてくれようか。腕をへし折り、足を引き抜いてやろうか。その上でその顔を二目と見れぬものにして、生き恥をかかしてやるのもいいが、たかが40~50年で終わるなどつまらんし。
 やはり首から下を氷像にして、悠久の時間をすごさせてやろう。そうしてこの世界に構えてある、私の宮の外壁を飾る立像のひとつに加えてやろう。
 おまえはなかなか聞ける声をしているから、とてもいい音色が聞こえそうだ」

 右手を口元に添え、笑うその顔は、つくづく低劣なものに見えた。
 人間のだれもが永遠の命を欲しがっていると、ただ単純に思っている目ならまだいい。だがこの漣は違う。
 ただあり続けるだけということがどれほどの苦痛となり得るか、知り尽くしている目だ。死んだ方がましと思う目にあいながら死を選べない、そんな不死などだれが欲しいものか。

 自分は限りある生を自身の力で懸命に生きようとする、人間が好きだ。自然と戦い、魅魎という脅威に晒されながらも屈せず、希望をつないで生きる人が。

 その一人であることに誇りさえ感じている自分には、永遠の命に憧れる気持ちなどない。願い下げだ。

 そう言い返そうとした矢先。エセルがまたまた要らぬことを口にした。

「なんて性根のねじ曲がったやつ」

 途端、漣の眉が吊り上がる。

「なあセオドア、おまえもそう思わないか? こいつ、絶対根暗だよ。いくら性根のねじ曲がった魅妖ったって、普通ここまで考えないって。大低は足を引き抜くまでなのに、さらに外壁に塗りこめて、上げる悲鳴を朝晩聞きたがるなんて……変態の域だ」

 やめろ! そういうのは、絶対やめろ!! 一体何考えてるんだ、おまえはっ!?
 なぜ、どうして、こんなときまでそんな、相手を刺激せずにいられないんだ!! たとえ思っても口にするなっ、顔にも出すなっ!

 ――と、頭から怒鳴りつけてやりたかったが、相手がこいつではするだけ無意味だと、セオドアも学習していた。
 それに、そうして庇う相手がこの魅妖であると思うと、さすがに気もそがれる。

「……言うは勝手だが、それに従うかどうかの選択権はこちらにあるな……」

 滅入りかけた頭に手をあてて、ぼそりと返す。
 その返事に、おや、と漣は異論の声を上げた。

「そんなものを要求できるのは、それ相応の能力者だけということを知らぬと見える」
「たとえそういう事態に陥っても、おとなしく殉ずるつもりはないと言ったつもりだったが?」

 はたしてひとから何百回となく言われ続けてきた自分の「無表情』『鉄面皮』がどこまで通用するか……この生きるか死ぬかの土壇場でなんの役にも立たねば、今まで我慢してきたことさえ理不尽なものになってしまうような気持ちで声の震えをおさえる。
 そして値踏みするような闇の目を、同じくらい明確な殺意でにらみ返した。

「命乞いはしないのか? 今まで相対した、どのように屈強そうに見えた退魔師もしてきたことだ。意地を張ったところでつまらぬだけで意味はない。
 そう、泣き言でもいい。正直に口にしてみろ。わたしから哀れみを引き出すことができれば、少しは手を緩めることを考慮してやってもいい気になるかもしれんぞ」

 くっ、とのどが嘲りに震えるのが気に障り。

「あいにくと、生来から人見知りが激しいせいか嫌いなやつに媚を売れるほど饒舌ではないし、まだ世間に出て日も浅いせいで、自分を上手に偽れるほどの処世術は身についていないんだ。
 それとも、どうしても聞きたいというのなら、聞かせてくださいと『お願い』してみたらどうだ? その方がわたしがその気になる可能性はある」

 つい、気付けばそんなことを口にしてしまっていた。

「おまえ、俺のこと言えないぞ」

 もっと言ってやれと、エセルが楽しげに言ってくる。
 まったくそのとおりで、自分もあまりひとのことは言えないな、と胸中で自嘲するセオドアの前。案の定、怒りにかられた漣の手が、高々と宙に振りかざされた。

「ええい、憎まれ口ばかりをたたきおって!
 面白い。ではその自信のほどを見せてもらおうではないか!
 たかが人間ごときが、剣も何も持たぬ身でこの漣を相手にして、一体いかほどのことができようものか!」

 漣の美しい白面が歓喜に歪み、今までとは段違いの、驚異的な速度で凝縮された力がその一点で放出される。

「どけ!」

 前にいたエセルを横に突き飛ばす。それが精いっぱい。怒らせすぎた、と思う間もなく、セオドアは巨大な力の直撃を受けていた。

 何事かを口にしてこちらへ手を伸ばすエセルの姿も、全身を切り刻む激痛に上げたセオドアの悲鳴も飲み込んで、ただ、床や壁を破壊する轟音のみが轟き渡り、彼らの背後にあった壁が跡形もなく砕け散る。

 皮肉にも、セオドアの思惑どおり、新たな逃げ道として。

 予想外だったのは、予想をはるかに上回る漣の力だった。
 いや、力を過小評価していたわけではない。漣ほどの魅妖であるのなら、厚い壁も砕けると――そして、頭にきている今なら底の浅いあからさまな挑発にものってくるだろうと考えていた。
 ただ、繰り出された速度が想像以上だったのだ。

 やがてもうもうと立ちこめる氷霧によって、周囲一面が白一色に染まる。
 その中で、燦然と立つ者は、漣1人。

 目の前にできた瓦礫と氷塊の山を見て、漣は朱唇を横に引いた。

「なんとまあ、たわいのない。この程度の力にも持ちこたえられんとは」

 しゃらん、と霜の降りた金灰色の髪を()く。

「人は、やはりつまらんな。口ばかり達者で(もろ)すぎる。どうも勝手が掴めん。今度からは、もう少し手加減してやらねば。これではこちらが策を凝らねば、戯れにもならんではないか。
 このものも、もう少し楽しませてくれると思――」

 空間を開いて去ろうとした漣の独り言が、不自然にもそこで止まる。
 身を強張らせ、息を飲み。振り返ったその先で、あり得ないものを視界に見出した漣は、愕然と目を瞠った。

 先までとは比べものにならないほど膨れ上がった巨大な気は、到底人の持てるものではない。

 強大な力が溢れ出す。熱い気の流れが氷を溶かし、静寂な空間を乱して、威圧するように漣へと迫る。

「まさか……」

 奥歯をかみしめる彼女の前で、それは瓦礫の中からゆっくりと身を起こした。


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「つっ……」
 壁に触れていた左手に生じた痛みに、反射的、セオドアは手を引き戻した。
 瞬間、手のひらにさらに強い、熱湯を浴びせられたような痛みを感じる。見ると、表皮が剥がれて、その下の肉が剥き出しになっていた。
「大丈夫か? 
 不容易に素手で周囲に触れるなよ。肉ごと剥ぎ取られるぞ」
 一体何枚持っているのか、またもや袋をとり出して細く裂き、手に巻きつけながらエセルが言ってきたが、もう一度触れうと言われても遠慮する思いでセオドアは首を振った。
 部屋中が凍りついていた。あらゆる物が氷塊と化し、大小さまざまな氷柱が至る所でそびえ立っている。天井から下がったものとつながっているものも少なくない。
「もうあのような小賢しい手はくわぬ。触れただけでそうなる身では、もはや何一つ手にすることはできまい?」
 勝ち誇った笑いをよそに、セオドアは、厄介なことになったと白い息を吐き出した。
 このままでは本当に、抵抗らしい抵抗もできないままなぶりものになるだけだ。
 かといって唯一の出口は漣の後ろにある。
 先の、光の檻を突き破った漣の一撃は、なんと隠し通路を直撃していたらしく、崩れた壁と天井の残骸で隠し階段への入り口の半分近くが埋もれてしまっているし、そこまでたどりつくには、この蜘蛛の糸のように張りめぐらされた氷の網をくぐっていかなくてはならない。
 しかも距離までが漣のほうに有利ときている。
 漣より先に階段へ到達する、そんな時間をどうやって稼ぐ?
 セオドアの、無表情という水面下で起きている、渦のように逆巻く動揺を見抜いてか、漣がふっと勝ち誇ったようにほほ笑む。
「さあてどうしてくれようか。腕をへし折り、足を引き抜いてやろうか。その上でその顔を二目と見れぬものにして、生き恥をかかしてやるのもいいが、たかが40~50年で終わるなどつまらんし。
 やはり首から下を氷像にして、悠久の時間をすごさせてやろう。そうしてこの世界に構えてある、私の宮の外壁を飾る立像のひとつに加えてやろう。
 おまえはなかなか聞ける声をしているから、とてもいい音色が聞こえそうだ」
 右手を口元に添え、笑うその顔は、つくづく低劣なものに見えた。
 人間のだれもが永遠の命を欲しがっていると、ただ単純に思っている目ならまだいい。だがこの漣は違う。
 ただあり続けるだけということがどれほどの苦痛となり得るか、知り尽くしている目だ。死んだ方がましと思う目にあいながら死を選べない、そんな不死などだれが欲しいものか。
 自分は限りある生を自身の力で懸命に生きようとする、人間が好きだ。自然と戦い、魅魎という脅威に晒されながらも屈せず、希望をつないで生きる人が。
 その一人であることに誇りさえ感じている自分には、永遠の命に憧れる気持ちなどない。願い下げだ。
 そう言い返そうとした矢先。エセルがまたまた要らぬことを口にした。
「なんて性根のねじ曲がったやつ」
 途端、漣の眉が吊り上がる。
「なあセオドア、おまえもそう思わないか? こいつ、絶対根暗だよ。いくら性根のねじ曲がった魅妖ったって、普通ここまで考えないって。大低は足を引き抜くまでなのに、さらに外壁に塗りこめて、上げる悲鳴を朝晩聞きたがるなんて……変態の域だ」
 やめろ! そういうのは、絶対やめろ!! 一体何考えてるんだ、おまえはっ!?
 なぜ、どうして、こんなときまでそんな、相手を刺激せずにいられないんだ!! たとえ思っても口にするなっ、顔にも出すなっ!
 ――と、頭から怒鳴りつけてやりたかったが、相手がこいつではするだけ無意味だと、セオドアも学習していた。
 それに、そうして庇う相手がこの魅妖であると思うと、さすがに気もそがれる。
「……言うは勝手だが、それに従うかどうかの選択権はこちらにあるな……」
 滅入りかけた頭に手をあてて、ぼそりと返す。
 その返事に、おや、と漣は異論の声を上げた。
「そんなものを要求できるのは、それ相応の能力者だけということを知らぬと見える」
「たとえそういう事態に陥っても、おとなしく殉ずるつもりはないと言ったつもりだったが?」
 はたしてひとから何百回となく言われ続けてきた自分の「無表情』『鉄面皮』がどこまで通用するか……この生きるか死ぬかの土壇場でなんの役にも立たねば、今まで我慢してきたことさえ理不尽なものになってしまうような気持ちで声の震えをおさえる。
 そして値踏みするような闇の目を、同じくらい明確な殺意でにらみ返した。
「命乞いはしないのか? 今まで相対した、どのように屈強そうに見えた退魔師もしてきたことだ。意地を張ったところでつまらぬだけで意味はない。
 そう、泣き言でもいい。正直に口にしてみろ。わたしから哀れみを引き出すことができれば、少しは手を緩めることを考慮してやってもいい気になるかもしれんぞ」
 くっ、とのどが嘲りに震えるのが気に障り。
「あいにくと、生来から人見知りが激しいせいか嫌いなやつに媚を売れるほど饒舌ではないし、まだ世間に出て日も浅いせいで、自分を上手に偽れるほどの処世術は身についていないんだ。
 それとも、どうしても聞きたいというのなら、聞かせてくださいと『お願い』してみたらどうだ? その方がわたしがその気になる可能性はある」
 つい、気付けばそんなことを口にしてしまっていた。
「おまえ、俺のこと言えないぞ」
 もっと言ってやれと、エセルが楽しげに言ってくる。
 まったくそのとおりで、自分もあまりひとのことは言えないな、と胸中で自嘲するセオドアの前。案の定、怒りにかられた漣の手が、高々と宙に振りかざされた。
「ええい、憎まれ口ばかりをたたきおって!
 面白い。ではその自信のほどを見せてもらおうではないか!
 たかが人間ごときが、剣も何も持たぬ身でこの漣を相手にして、一体いかほどのことができようものか!」
 漣の美しい白面が歓喜に歪み、今までとは段違いの、驚異的な速度で凝縮された力がその一点で放出される。
「どけ!」
 前にいたエセルを横に突き飛ばす。それが精いっぱい。怒らせすぎた、と思う間もなく、セオドアは巨大な力の直撃を受けていた。
 何事かを口にしてこちらへ手を伸ばすエセルの姿も、全身を切り刻む激痛に上げたセオドアの悲鳴も飲み込んで、ただ、床や壁を破壊する轟音のみが轟き渡り、彼らの背後にあった壁が跡形もなく砕け散る。
 皮肉にも、セオドアの思惑どおり、新たな逃げ道として。
 予想外だったのは、予想をはるかに上回る漣の力だった。
 いや、力を過小評価していたわけではない。漣ほどの魅妖であるのなら、厚い壁も砕けると――そして、頭にきている今なら底の浅いあからさまな挑発にものってくるだろうと考えていた。
 ただ、繰り出された速度が想像以上だったのだ。
 やがてもうもうと立ちこめる氷霧によって、周囲一面が白一色に染まる。
 その中で、燦然と立つ者は、漣1人。
 目の前にできた瓦礫と氷塊の山を見て、漣は朱唇を横に引いた。
「なんとまあ、たわいのない。この程度の力にも持ちこたえられんとは」
 しゃらん、と霜の降りた金灰色の髪を|梳《す》く。
「人は、やはりつまらんな。口ばかり達者で|脆《もろ》すぎる。どうも勝手が掴めん。今度からは、もう少し手加減してやらねば。これではこちらが策を凝らねば、戯れにもならんではないか。
 このものも、もう少し楽しませてくれると思――」
 空間を開いて去ろうとした漣の独り言が、不自然にもそこで止まる。
 身を強張らせ、息を飲み。振り返ったその先で、あり得ないものを視界に見出した漣は、愕然と目を瞠った。
 先までとは比べものにならないほど膨れ上がった巨大な気は、到底人の持てるものではない。
 強大な力が溢れ出す。熱い気の流れが氷を溶かし、静寂な空間を乱して、威圧するように漣へと迫る。
「まさか……」
 奥歯をかみしめる彼女の前で、それは瓦礫の中からゆっくりと身を起こした。