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第1回

ー/ー



●死闘の幕開け

 まるで薄墨を振り撒いたような薄闇の中に、彼はその身を置いていた。

 所々でぼうっと発光する、群生した苔が唯一の光源の、さながら悪夢のような世界。
 そう。彼にとってこれは悪夢としか言いようのない、現実だった。

 吸って、吐き出す浅い息が、まるで毒を取り入れてでもいるかのように絶え間なくのどを熱く焦がしている。えぐられた脇腹はそれ自体が火そのもののように焼け、右の太股からは先の攻撃で爪の貫通した鈍い痛みが広がり、もはやどこが傷口なのかも分からない。

 剣をにぎっているはずの腕は赤く染まり、すでに細かな感覚を失っている。
 膝まで冷水に浸かっている足も、はたしてちゃんと立っているかどうかすらあやふやだ。
 
 そんな状態で、朱廻は額から落ちる汗と一緒に目に入りかけた血をぬぐった。

 距離もわずか。5~6歩も前へ進み出れば、構えている剣の切っ先が届くという場所に冰巳が立っている。
 いや。かつて冰巳であったモノ、が。

 身を焼き焦がす屈辱と憤怒に理性を侵された冰巳の肉体は、力をふるうたびに異常な変容を遂げ、もはや人としての姿すら保ててはいない。

 思い思いの形にねじれ、ぶつかり、組みあわさった骨のため、元の姿より軽く5~6回りは大きくなっている。
 着衣におさまりきれず、破けた下から現れた二の腕は解放された勢いで丸太ほどもふくれ上がり、肩口が巨株のように丸くせり上がった。黒ずんだ肌の上を濃緑色の(うろこ)がおおい、開いた指の間には水掻きのようなものがうすく張って、節くれだった指先の爪は伸びる先から硬く、鋭く、尖っていた。

 かつての彼女を知る者であればだれであれ目を瞠り、顔を背けたくなるほどの変貌は、当然ながら面にまで及んでいる。

 地底の闇を凝縮したようだった目は知性のかけらすら感じさせないまでに白濁し、楕円につぶれて額ごと前面にせり出した。黒艶の美しかった射干玉の髪は白くなり、バサバサと抜け落ちて、鼻も低くつぶれている。耳まで裂けた唇が血色を失ってうすくめくれ上がり、頬肉を突き破って巨大な牙が何本も生えた。伝う唾液は強酸。爬虫類を想起させるその姿は、魎鬼(りょうき)と呼ぶこそふさわしい。

 魎鬼は常に他の生物の生気を取り込んでいないとその肉体を保てない。

 腐敗が加速的に進んでいる。あの様子では、あと数時間ももたないだろう。
 だが今の朱廻に自滅を待っている余裕はなかった。ルチアを助けるには、一刻も早く王都で医師に見せなくてはならないのだ。

 大きく息を吸い、吐き出す。手早く息を整え、正面から突きこむ。

 気合一閃。目前に迫っていた巨大な腕を弾き返し、間断なくくり出される、冷気を凝縮し、真空の刃とした攻撃をぎりぎりでかわしながらじりじりと近付く。振り切った剣が胸部を捕らえたと思った瞬間、冰巳の姿は残像のように宙に掻き消えた。

「遅い遅い。そんな剣では、何度試そうが私を捉えることなどできぬわ。
 くくっ。厄介なのは、痛みを負わねばならぬその身よな。満足な治癒もままならぬ不自由な体で、よくも私に闘いを挑もうなどと思いついたものよ。足下を這う虫けらですら、かなわぬ敵と出会えば逆らうなどという愚かな真似はしない。
 見苦しくあがくのは己を知らぬ人間と、その下僕であるおまえたちぐらいのものだ。
 幾千年とくり返し、それに気付かぬだけでおまえたちは十分愚かだが……そうでなくば面白くもない。だからこそ、私もこうして遊戯を楽しめるというものだからな」
「遊戯とは、またずいぶんと大語を吐くものだ。だが、豪語するには少しばかり遅かったようだぞ。
 そんな醜い姿に成り果てた身で、そんな戯言(ざれごと)を私に本気で信じさせるには値しないものだ」

 うっすらとではあったが、笑いを浮かべる。それだけの見栄を張る余裕は、まだあった。

 そうして自分と同じくらい、切り裂かれた傷口から噴き出した黒い血にその身を黒く染めた冰巳を見据える。特に右腕が肘から下をきれいに失っているのは、朱廻の剣によるものだ。
 じわじわとだが治癒しているようで、明るい色をした新しい肉が盛り上がって形を取り始めているが、疲労が激しいのか、勢いが今までに比べて格段に落ちているのが見て取れる。

 朱廻の手にしている剣は、下級退魔師の持つ剣。下級魅魎であれば断つことのできる破魔の剣なのだから、魎鬼相手にこのようなことは起こり得ないはずなのだが、冰巳は根本的に魎鬼ではないのが問題だった。
 魔断の剣なしで元が魘魅である彼女を倒すには、魅妖に与えられた力を蓄えている依り代を一撃で砕かなくてはいけない。

 場所はもう分かっているのだが、水路すれすれまであるあの上背と長い腕、その先にある3本の碗曲した鋭利な爪が、それを阻んでいた。
 生半可な攻撃では通用しない。かといって、いつまでもこうして睨み合いを続けているわけにもいかない。
 ともに疲れている今こそが、互いにとって最大の危機であり、絶好の機会。死と生が背中合わせのように、危険とチャンスは表裏一体なのだ。

「醜い……醜いだと!? この冰巳に向かって、よくもそのようなことを……!!」

 激怒した冰巳により、背後から鞭のようにしなった左腕が大上段からふりおろされるのを一瞬遅れて剣の腹で受ける。倍の長さに伸びた爪先が触れただけで頬肉はぱっくりと口を割り、そこからどくどくと血があふれた。

 渾身(こんしん)の力で弾き飛ばし、血をぬぐうことも傷の具合をはかることもせず、即、攻撃へと移る。
 次の手を警戒し、痛みにためらっている時間はない。こうしている間にも、ルチアの体は着実に死へと近付いている。
 しかしその闘いへと集中できないあせりが一番の枷となっているのは間違いなかった。

 むなしく宙を薙ぐだけの攻撃が続く。

「どうした? 魔断め。少しもあの力を使わぬではないか」

 せせら笑う姿に、柄を握りしめた朱廻の指が反応する。が、それだけは自重しなくてはならなかった。

 まだ自分はルチアとの誓約を破棄していない。まだ、自分は彼の魔断なのだ。
 その大部分の力を彼に依存する身では、力を奮えば少なからず、負担はルチアにもかかる。

 それだけは、だめだ。

 疲労のせいもあって、たやすく熱くなりかける頭を冷ますように二度、振る。

「するまでもない。主に見捨てられた魘魅、いや、そうなってはただの醜い魎鬼だな。こんな水路を俳徊してネズミを狩るぐらいしか能のない化物だ。
 そんな輩を相手にするほど、わたしの火炎は低級ではない」

 あからさまな挑発。
 その言葉に、冰巳はすうっと表情を失った。

 闇の中、白く浮き上がった細い腕。均整の取れたなまめかしい体躯。射干玉(ぬばたま)の髪。竪琴の音のようだと言われていた声音(こわね)
 数多(あまた)いる従者たちの中でも特に美しいと絶賛されてきたこの冰巳の、その総てを奪ったもののくせに、醜いと言うのか!

「……おのれぇっ……!!」

 獣のように吼えた冰巳の全身から細い白光が幾筋も放たれる。
 かわしきれず、手足を貫かれた激痛が、朱廻の面を歪ませた。してやったりとばかりに笑みを浮かべた冰巳は、間断なく白光を発射する。
 糸のように細く、速いそれらは水蛇が身をよじるように自在に宙を流れて朱廻を追いつめ、傷つけた。

「そうして逃げるしか能がないのか? 口先だけのクズが。きさまなど、この薄汚い地下水路で無様に血肉をまき散らして死ねばいいのだ!!」

 高くふりかざされた掌上に白球が形成され、それが朱廻へ向けて放たれたとき。冰巳の面には、勝利を確信した者特有の、陶酔の笑みが広がっていた。




 水路の側壁を蹴り、水中を走り。次々と放たれる凍気の白球を避け続ける朱廻。どうしても避けきれない白球は剣を使ってはじいたが、その剣も、触れた箇所が凍りついていた。

「どうした? あのような大口をたたいておきながら、無様に逃げ回っているだけではないか。少しは反撃してみたらどうだ。逃げるだけでは私は倒せぬぞ」

 嘲弄する、冰巳の口から白濁した消化液が飛ぶ。先からの凍気による攻撃もあり、動きが制限される水路の中では完全にかわし切れず、袖の一端を溶かした熱が肌へ伝わり、朱廻の面を歪ませる。

 それを見逃さず、にい、と冰巳が下卑た笑みを浮かべた。

 再び開始された闘いの中、次々と吐き出される強力な酸の攻撃を、限られた空間の中でどうにかかわしながら、朱廻は鎖骨近くに視える依り代を、確実に砕ける隙をうかがっていた。

 その気のあせりが知らぬうち視野を狭め、朱廻を危うくさせる。
 冰巳の凍気攻撃によって水の中に生まれた氷塊の1つに足を取られたのだ。

 冰巳の手が再び高く振り上げられる。

「死ね!」

 傾いだ体をそのまま水面すれすれまで下げ、ここぞとばかりに伸びてきた腕の下をかいくぐった朱廻の手が、剣を切り上げる。けれども冰巳の反応は朱廻が想定していたより早く、やすやすと刃は防がれた。

 冰巳の手が、視界の端をかすめて朱廻の体を捕える。

「愚かものめ!」

 腕を巻きこみ、己の自由を奪ったそれが、急速再生した冰巳のもう一つの腕であると朱廻が気付いたときには、彼の体は側壁へと叩きつけられていた。


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 まるで薄墨を振り撒いたような薄闇の中に、彼はその身を置いていた。
 所々でぼうっと発光する、群生した苔が唯一の光源の、さながら悪夢のような世界。
 そう。彼にとってこれは悪夢としか言いようのない、現実だった。
 吸って、吐き出す浅い息が、まるで毒を取り入れてでもいるかのように絶え間なくのどを熱く焦がしている。えぐられた脇腹はそれ自体が火そのもののように焼け、右の太股からは先の攻撃で爪の貫通した鈍い痛みが広がり、もはやどこが傷口なのかも分からない。
 剣をにぎっているはずの腕は赤く染まり、すでに細かな感覚を失っている。
 膝まで冷水に浸かっている足も、はたしてちゃんと立っているかどうかすらあやふやだ。
 そんな状態で、朱廻は額から落ちる汗と一緒に目に入りかけた血をぬぐった。
 距離もわずか。5~6歩も前へ進み出れば、構えている剣の切っ先が届くという場所に冰巳が立っている。
 いや。かつて冰巳であったモノ、が。
 身を焼き焦がす屈辱と憤怒に理性を侵された冰巳の肉体は、力をふるうたびに異常な変容を遂げ、もはや人としての姿すら保ててはいない。
 思い思いの形にねじれ、ぶつかり、組みあわさった骨のため、元の姿より軽く5~6回りは大きくなっている。
 着衣におさまりきれず、破けた下から現れた二の腕は解放された勢いで丸太ほどもふくれ上がり、肩口が巨株のように丸くせり上がった。黒ずんだ肌の上を濃緑色の|鱗《うろこ》がおおい、開いた指の間には水掻きのようなものがうすく張って、節くれだった指先の爪は伸びる先から硬く、鋭く、尖っていた。
 かつての彼女を知る者であればだれであれ目を瞠り、顔を背けたくなるほどの変貌は、当然ながら面にまで及んでいる。
 地底の闇を凝縮したようだった目は知性のかけらすら感じさせないまでに白濁し、楕円につぶれて額ごと前面にせり出した。黒艶の美しかった射干玉の髪は白くなり、バサバサと抜け落ちて、鼻も低くつぶれている。耳まで裂けた唇が血色を失ってうすくめくれ上がり、頬肉を突き破って巨大な牙が何本も生えた。伝う唾液は強酸。爬虫類を想起させるその姿は、|魎鬼《りょうき》と呼ぶこそふさわしい。
 魎鬼は常に他の生物の生気を取り込んでいないとその肉体を保てない。
 腐敗が加速的に進んでいる。あの様子では、あと数時間ももたないだろう。
 だが今の朱廻に自滅を待っている余裕はなかった。ルチアを助けるには、一刻も早く王都で医師に見せなくてはならないのだ。
 大きく息を吸い、吐き出す。手早く息を整え、正面から突きこむ。
 気合一閃。目前に迫っていた巨大な腕を弾き返し、間断なくくり出される、冷気を凝縮し、真空の刃とした攻撃をぎりぎりでかわしながらじりじりと近付く。振り切った剣が胸部を捕らえたと思った瞬間、冰巳の姿は残像のように宙に掻き消えた。
「遅い遅い。そんな剣では、何度試そうが私を捉えることなどできぬわ。
 くくっ。厄介なのは、痛みを負わねばならぬその身よな。満足な治癒もままならぬ不自由な体で、よくも私に闘いを挑もうなどと思いついたものよ。足下を這う虫けらですら、かなわぬ敵と出会えば逆らうなどという愚かな真似はしない。
 見苦しくあがくのは己を知らぬ人間と、その下僕であるおまえたちぐらいのものだ。
 幾千年とくり返し、それに気付かぬだけでおまえたちは十分愚かだが……そうでなくば面白くもない。だからこそ、私もこうして遊戯を楽しめるというものだからな」
「遊戯とは、またずいぶんと大語を吐くものだ。だが、豪語するには少しばかり遅かったようだぞ。
 そんな醜い姿に成り果てた身で、そんな|戯言《ざれごと》を私に本気で信じさせるには値しないものだ」
 うっすらとではあったが、笑いを浮かべる。それだけの見栄を張る余裕は、まだあった。
 そうして自分と同じくらい、切り裂かれた傷口から噴き出した黒い血にその身を黒く染めた冰巳を見据える。特に右腕が肘から下をきれいに失っているのは、朱廻の剣によるものだ。
 じわじわとだが治癒しているようで、明るい色をした新しい肉が盛り上がって形を取り始めているが、疲労が激しいのか、勢いが今までに比べて格段に落ちているのが見て取れる。
 朱廻の手にしている剣は、下級退魔師の持つ剣。下級魅魎であれば断つことのできる破魔の剣なのだから、魎鬼相手にこのようなことは起こり得ないはずなのだが、冰巳は根本的に魎鬼ではないのが問題だった。
 魔断の剣なしで元が魘魅である彼女を倒すには、魅妖に与えられた力を蓄えている依り代を一撃で砕かなくてはいけない。
 場所はもう分かっているのだが、水路すれすれまであるあの上背と長い腕、その先にある3本の碗曲した鋭利な爪が、それを阻んでいた。
 生半可な攻撃では通用しない。かといって、いつまでもこうして睨み合いを続けているわけにもいかない。
 ともに疲れている今こそが、互いにとって最大の危機であり、絶好の機会。死と生が背中合わせのように、危険とチャンスは表裏一体なのだ。
「醜い……醜いだと!? この冰巳に向かって、よくもそのようなことを……!!」
 激怒した冰巳により、背後から鞭のようにしなった左腕が大上段からふりおろされるのを一瞬遅れて剣の腹で受ける。倍の長さに伸びた爪先が触れただけで頬肉はぱっくりと口を割り、そこからどくどくと血があふれた。
 |渾身《こんしん》の力で弾き飛ばし、血をぬぐうことも傷の具合をはかることもせず、即、攻撃へと移る。
 次の手を警戒し、痛みにためらっている時間はない。こうしている間にも、ルチアの体は着実に死へと近付いている。
 しかしその闘いへと集中できないあせりが一番の枷となっているのは間違いなかった。
 むなしく宙を薙ぐだけの攻撃が続く。
「どうした? 魔断め。少しもあの力を使わぬではないか」
 せせら笑う姿に、柄を握りしめた朱廻の指が反応する。が、それだけは自重しなくてはならなかった。
 まだ自分はルチアとの誓約を破棄していない。まだ、自分は彼の魔断なのだ。
 その大部分の力を彼に依存する身では、力を奮えば少なからず、負担はルチアにもかかる。
 それだけは、だめだ。
 疲労のせいもあって、たやすく熱くなりかける頭を冷ますように二度、振る。
「するまでもない。主に見捨てられた魘魅、いや、そうなってはただの醜い魎鬼だな。こんな水路を俳徊してネズミを狩るぐらいしか能のない化物だ。
 そんな輩を相手にするほど、わたしの火炎は低級ではない」
 あからさまな挑発。
 その言葉に、冰巳はすうっと表情を失った。
 闇の中、白く浮き上がった細い腕。均整の取れたなまめかしい体躯。|射干玉《ぬばたま》の髪。竪琴の音のようだと言われていた|声音《こわね》。
 |数多《あまた》いる従者たちの中でも特に美しいと絶賛されてきたこの冰巳の、その総てを奪ったもののくせに、醜いと言うのか!
「……おのれぇっ……!!」
 獣のように吼えた冰巳の全身から細い白光が幾筋も放たれる。
 かわしきれず、手足を貫かれた激痛が、朱廻の面を歪ませた。してやったりとばかりに笑みを浮かべた冰巳は、間断なく白光を発射する。
 糸のように細く、速いそれらは水蛇が身をよじるように自在に宙を流れて朱廻を追いつめ、傷つけた。
「そうして逃げるしか能がないのか? 口先だけのクズが。きさまなど、この薄汚い地下水路で無様に血肉をまき散らして死ねばいいのだ!!」
 高くふりかざされた掌上に白球が形成され、それが朱廻へ向けて放たれたとき。冰巳の面には、勝利を確信した者特有の、陶酔の笑みが広がっていた。
 水路の側壁を蹴り、水中を走り。次々と放たれる凍気の白球を避け続ける朱廻。どうしても避けきれない白球は剣を使ってはじいたが、その剣も、触れた箇所が凍りついていた。
「どうした? あのような大口をたたいておきながら、無様に逃げ回っているだけではないか。少しは反撃してみたらどうだ。逃げるだけでは私は倒せぬぞ」
 嘲弄する、冰巳の口から白濁した消化液が飛ぶ。先からの凍気による攻撃もあり、動きが制限される水路の中では完全にかわし切れず、袖の一端を溶かした熱が肌へ伝わり、朱廻の面を歪ませる。
 それを見逃さず、にい、と冰巳が下卑た笑みを浮かべた。
 再び開始された闘いの中、次々と吐き出される強力な酸の攻撃を、限られた空間の中でどうにかかわしながら、朱廻は鎖骨近くに視える依り代を、確実に砕ける隙をうかがっていた。
 その気のあせりが知らぬうち視野を狭め、朱廻を危うくさせる。
 冰巳の凍気攻撃によって水の中に生まれた氷塊の1つに足を取られたのだ。
 冰巳の手が再び高く振り上げられる。
「死ね!」
 傾いだ体をそのまま水面すれすれまで下げ、ここぞとばかりに伸びてきた腕の下をかいくぐった朱廻の手が、剣を切り上げる。けれども冰巳の反応は朱廻が想定していたより早く、やすやすと刃は防がれた。
 冰巳の手が、視界の端をかすめて朱廻の体を捕える。
「愚かものめ!」
 腕を巻きこみ、己の自由を奪ったそれが、急速再生した冰巳のもう一つの腕であると朱廻が気付いたときには、彼の体は側壁へと叩きつけられていた。