出題編3-2
ー/ー これ以上、掘り下げても岩塚さんを困らせるだけだと思ったので、少しだけ方向転換をしてみる。
「ここの研究所って、ずいぶんきれいですよね。いつ建設されたんですか?」
「ここですか? ここはまだ五年ほどですね。ただ、僕がここで働き始めたのは三年ほど前ですからそれ以前のことはあまり詳しくないんです」
岩塚さんの言葉に、私は驚いた。てっきり、この研究所が建設されたところで副島さん、岩塚さん、井野さんを雇ってそこから一緒に暮らしているのだと思っていた。
「いえ、僕が三年ほど前で。井野君もそれから少ししてからですね。副島さんは僕たちの中では古株なのでここが建設された時には火野博士の下で働いていたとは思いますよ」
「それは聞きました。ここのデザインが洋式なのは副島さんの希望だと」
私はつい一昨日に聞いたばかりの話を思い出した。あの時の副島さんが見せた嬉しそうな表情が忘れられなかったのだ。その話に、今度は岩塚さんが驚いた表情をする。
「そんなこと、初めて聞きました。どうりでセンスが良いと思ったんですよね」
どういうことだろうか。一昨日はあんなに嬉しそうに、それに自慢げに話していたものだから、来客たちにはもちろん、研究員同士で話しているものだと思っていたけれど、私が研究所内のデザインを特に興味深く観察していたから、わざわざ教えてくれたのだろうか。
「それともう一つ、どうして茶葉を調理場に置かないんですか?」
これも、不思議なことだった。倉庫にはワインやコーヒー豆がたくさん準備されていたが、普段使いをするくらいの分ならば調理場に置いておくほうが、どう考えても便利だ。
「それは、火野博士が決めたルールなんですよ。博士は生活面においてはかなり昭和みたいな考えをする人で、調理をするのは女性の仕事で調理場は女性の領域だから僕たちは立ち入らなかったんです。まあ、違和感はありましたけど別に僕も料理が好きなわけではないので、何も反論はしなかったです。実際、一昨日もワインの準備などは僕と井野君で、料理は全て副島さんでしたから」
そんな古い考えの人が、新技術を生み出すために日夜研究をしているのだから、不思議な話だなと思う。確かに、岩塚さんの言う通りで自分が料理を任されるよりは調理場に入らないだけなら、文句は言わないだろう。
ここまでの話し方で、私は岩塚さんに無難かつ役に立ちそうな事を聞いてみた。
「あの、岩塚さんは科学者として火野博士、西野博士がなぜ亡くなったと思いますか?」
「科学者としての考えですか。難しい質問ですね」
岩塚さんは少し困った顔をしていたが、真摯に答えてくれた。
「日常生活で火が発生する原因とは、思っているよりも多いですからね。それこそ、有名なのは収斂とかトラッキング現象ですね」
「トラッキング現象ってなんですか?」
「そうですね。トラッキングと言うのは電気工学の分野でよく使われる言葉ですね。さしっぱなしにしていたコンセントとプラグの間に埃が溜まって、そこに湿気が加わると火花放電が起こります。その火花がコンセントの絶縁部を加熱して電気の道を作ります。これがトラックと言います。そこから放電して発火する現象ですね」
なるほど、たまにニュースで報道されるコンセントからの発火だが、その名称は知らなかった。確か、医療用語でもあったはずだ。やっぱり、いろいろな視点があると、新しい発見がある。
それから私と岩塚さんは話をそこそこに切り上げて、自室へと戻った。
得た情報は早く伝えて探偵さんが考える時間を少しでも伸ばせればいいと思ったのもあるけれど、お茶がなくなったことで、会話の合間を埋めるのに岩塚さんが苦労しているのを見て取れたからというのもある。私はしっかりとお礼を言ってから、テラスを後にした。
「ご苦労様。動機を考えるのは悪いことじゃないわね。でも、何か西野博士と火野博士の間で隠されていたことがあったのかしら。それこそ、火野博士の脱税なんかに西野博士が関与していたとか」
さっそく、部屋に戻って探偵さんに岩塚さんと話した内容を伝えた。私の伝えた話で引っかかったのは、動機の部分だけだった。倉庫の中にあるものや調理場の話は、どうやら探偵さんにはピンとこなかったらしい。
「そうなんですかね。火野博士はともかく、西野博士のイメージにはそぐわないですけど」
「人間なんて裏で何をやっているかわかったものじゃないわよ。現にあなたの周りで何喰わない顔をして二人を殺害した人物がいるんだから」
それを聞いて、私の背筋はゾクッとした。そのことを、失念していたのだ。どこかまだ、現実の事として考えられないでいる。それは、自分が安全圏にいると思っているからだろうか。もう少し気をつけるべきだと気合を入れる。
「怖いことを言わないでくださいよ。せっかく、忘れてたのに」
「今になっていうのもなんだけど、あなたって凄く肝が座ってるわよね」
そう言って苦笑する探偵さん。確かに、私は昔から度胸があると言われてきた。そして、今もそれを実感しているところだ。
「だって、私が襲われる心配がないって言ったのは探偵さんじゃないですか」
「その通りよ。それはあなたが無駄に犯人を怖がって神経をすり減らすことがないようにっていう私なりの気遣いだったんだけど、効果があるみたいなら何よりだわ。それより、一つだけ聞きたいことがあるんだけど、あなたは火野博士の遺体を目撃したのよね?」
「はい、しっかりと観察したわけじゃないですけども。思い出せるくらいには」
「現地で見た印象を教えてほしいわ。実は、私のほうにも警察が撮影した写真はいくつか回ってきているんだけど、遺体がなんだか不自然なのよね」
不自然という言葉は、遺体の、それも焼死体に使われることは珍しい。あまり見慣れないものだと思うけど、探偵さんはやっぱりそういう事件も公になっていないだけでたくさん解決し、その過程で焼死体をいくつも見ているのだろうか。
私は思い出すのもあまり気乗りしないが、懸命に火野響介の遺体がどのような様子であったかを伝えた。皮膚はどろどろと溶けだし、骨は焼かれ過ぎた影響か色を変えていた。不謹慎ではあるが少し宝石の様だった。
「宝石みたいになった骨……なんだかファラリスの牡牛みたいな話ね」
探偵さんの口から、また聞いたことのない単語が飛び出す。この人と会話をしているだけで、自分の知らない世界がどんどんと広がっていく。……って、あれ?
「ファラリスの牡牛! そうです、それです」
突然、叫びだした私に探偵さんは面倒そうに話す。
「何よ。急にはしゃいで。あんまり名前を聞いてはしゃぐようなものでもないと思うけど」
「その言葉を誰かが牛の剥製を見た時に言っていたんですよ」
私がそう言うと、探偵さんは話すのを少しやめた。
「なんでそれを早く言わないの!」
「わあ、すいません。でも、ファラリスの牡牛ってなんのことですか?」
「古代ギリシアで使用された拷問器具の名前よ。その拷問にかけられた罪人の骨は宝石のようで、ブレスレットなどに使われたという話もあるわ」
その瞬間、再び背筋が凍る。拷問器具だなんて。
「そのファラリスの牡牛っていう拷問器具はどんな仕組みで人の体を燃やすんですか?」
「牛の形をした真鍮製の入れ物に罪人を閉じ込めて、その下から火を焚いて炙るのよ。そうする牛の鼻から煙と罪人の叫び声が聞こえてくるってわけね。それが牛の鳴き声に聞こえるように空気穴にも細工されていたらしいわ」
その拷問器具の説明は、私にはあまりにも恐ろしかった。人間はどうやればこんなに恐ろしいことを考えることができるんだろう。それを考え付いた人間の思考は、私には想像もつかない。仮に罪人が拷問を受けるようなことをしたとしても、あまりにやりすぎだと思った。
「ただ、それには火と真鍮ではなくてもいいから何か入れ物が必要だわ。ただ、火なんて起こしていれば、誰かが部屋の前を通った時に気が付くはずよ。しかも、ファラリスの牡牛は拷問器具なんだから、叫び声が聞こえてくるはずよ」
「そこなんですよね」
火野博士が焼かれている間に、部屋の前を通る人たちに気づかれることなく焼き切る方法。しかも、ファラリスの牡牛を使っての殺害ならば牛の鳴き声みたいな叫び声を聞くはずだ。なら、私たちが想定しているより遥かに大きな火力でものの数秒くらいで意識を奪ったのだろうか?
それも、理屈は通っているように思う。
「一瞬で高温を発生させて、火野博士をすぐに殺害したというのは考えられませんか?」
「そうねえ。でも、そこまでの高温ならば痕跡を残さない方が難しいと思うんだけど、例えばフラッシュオーバー現象を応用すれば一気に千度近い炎を作り出すことができるけれども、それにしてはあまりに痕跡が残らなさすぎるのよね」
フラッシュオーバーは室内で発生した火災で可燃物が熱分解して、可燃性のガスを発生させる。もしくは、建物の内装に使われていた可燃性素材が太陽光や機械の発する熱によって発火し一気に火災が広がる現象の名前だ。
しかし、その勢いから火の手が広がるスピードがあまりにも早く消化するのはそれこそ消防車でも連れてこない限りは不可能である。しかも、そこまで大きな火災が発生すればそれこそ副島さんや岩塚さんが気づかないわけがない。
「次に考えられる可能性は人体ろうそく化かしら」
「人体ろうそく化?」
私は聞きなれない単語に、オウム返しをすることしかできない。
「あら、聞いたことがないかしら。じゃあ、人体自然発火現象は?」
「ごめんなさい、それもわかりません」
電話口からため息が聞こえる。そして、探偵さんはあきれたように言った。
「あなた、もう少し一般常識を身に着けた方がいいわよ」
そう言った後に、探偵さんは人体ろうそく化現象と人体自然発火現象の説明を始めた。
「まずは人体ろうそく化ね。ろうそくの仕組みは知っている?」
「ええ、芯にともされた炎がろうを溶かして、それが吸い上げられる。そのろうを燃やし続けることで火を持続させるんですよね」
探偵さんはうんうんと言っている。どうやら、間違っていないみたいだ。しかし、ろうそくの仕組みを説明できる一般人なんて、どれくらいいるのだろう。
「人体ろうそく化は、衣服や髪に発生した炎が人の脂肪をろうのように溶かして吸い上げることで、遺体が炭化するまで燃やし続けることよ。別にタバコだったり、日光を金魚鉢で焦点を合わせたり衣服が発火することは珍しいことじゃないからね」
「それが、人体発火現象と何の関係があるんですか?」
「人体発火現象、通称SHCは周りに火の気がない状態、つまり人体が自ら発火したとしか思えない状況で遺体が見つかったことを、誰かがそう名付けたのよ。かなり昔からあったらしいけど、有名なのはメアリー・リーサーの事例ね」
「メアリー・リーサー? 海外の方ですか」
「日本では過去に一件しか報告されていないわ。ともかく、メアリー・リーサーの息子がメアリーの住むマンションを訪れると、メアリーはスリッパを履いた足など体の一部を残して焼け死んでいたの」
「別に、そこまでは珍しいことじゃないですよね?」
珍しいことであってほしいのだが。
「ええ、でもね。不思議なことはメアリーの座っていたと推測される椅子やカーペットなどがほとんど燃えていなかったの。もちろん、人も有機物だけどカーペットや椅子などよりはよっぽど燃えにくいわ」
「それが、人体ろうそく化現象ですか」
「もちろん、いろいろな推測がされているわ。体内にあるアルコール分に引火した可能性や、体内にある黄リンが発火した可能性みたいなね」
確かに、黄リンは体内に存在する物質で、常温で発火する代表格だがリンが体内で発火するなんて聞いたことがない。それに、これからパーティーもあるというのに、お酒を摂取しているとも考えづらい。
「そうよ。それにアルコール摂取をしない被害者もいたし、過去には二百件も人体自然発火現象と位置付けられた事件とも事故とも言えない報告がされているから、その全てに共通することは現在も見つかっていないのよ。理解できた?」
「なんだか混乱してきました」
私の脳は、すでにショート寸前だった。
「いいのよ。考えるのは私の仕事。でも、あなたの言葉がヒントになっているのも事実よ。ここで大事なのは第一の殺人と第二の殺人では明らかに手の凝りようが違う。それに、もしも想像通りにファラリスの牡牛と同じようなものを作って、それで火野博士を殺害したのだとすれば相当な恨みを感じられるわ。そして、ここまで大がかりな殺害方法を行ったのなら、西野博士殺しとは違って火野博士を殺害した犯人を特定できれば、おのずと事件は解決するはず」
その言葉は、とても力強くて頼もしかった。確かに、説明されれば簡単だったが西野博士を殺害したトリックは私が自力で答えを導き出すことは私には不可能だっただろう。それをたった一晩で解き明かす人なら、必ず火野博士を殺害したトリックも暴いてくれるはず。
私は、そう強く確信した。
電話が切れた後、私は廊下を散歩していた。自分の考えをまとめるのと、熱くなった脳を休ませるためだ。窓から吹き込む風は、火照る脳を直接冷やしてくれる気がする。ふんわりと、潮風に揺れて髪がなびく。
『いいのよ。考えるのは私の仕事』
探偵さんのその言葉が、耳に残っている。
それは重々承知しているが、少しでもヒントになるようなことがないのかと考えた。果たして、残されたファラリスの牡牛を想起させるメッセージ、あれはいったい何を表しているのか。
そして、そのメッセージが直接的に殺害方法を示すものならば、過去の拷問方法を持ち出してまで殺害手段に選んだという事はどれほどまでに強い恨みを抱いていたのだろうか。私は、人に対してプラスだとしてもマイナスだとしてもそこまで大きな感情を抱いたことはないのかもしれない。その時だった。
もしもひらめきの神様がいるのなら舞い降りたという表現が正しいほど唐突に、ある疑問とその答えが浮かんだ。なぜ、火野博士の体は皮膚が溶けるほど焼く必要があったのか?
私が直感で最も疑問に思ったのは、この点だった。ここまで狡猾な犯人が、自分の感情を優先するだろうか。私に殺人鬼の心理はわからないけれども、皮膚を焼いて殺害するには何らかの理由があると考えるほうが自然な気がする。
不知火の伝説になぞらえるなら、二人目の犠牲者である西野博士も同じように体を焼き切って殺害するはずだ。もちろん、警察は焼死をさせようとした途中で何らかの物質に引火して爆発した可能性も考慮に入れているが、少なくともスプリンクラーが正常に作動している時点で、人の体をこんなに広い部屋で皮膚が溶けるまで焼き切ることはできない。
なら……本当は伝承になぞらえることも意味はないんじゃないか?
私の頭は、探偵さんと別方向の推理へと傾いてきた。
どんどん、その方向に頭が働く。なぜ、不知火を見せる必要があったのか。火野博士が残したと思われるメッセージ。皮膚がどろどろに溶けた遺体。不可解な状況での殺人。研究室の前を通りかかった岩塚さん。
「ここの研究所って、ずいぶんきれいですよね。いつ建設されたんですか?」
「ここですか? ここはまだ五年ほどですね。ただ、僕がここで働き始めたのは三年ほど前ですからそれ以前のことはあまり詳しくないんです」
岩塚さんの言葉に、私は驚いた。てっきり、この研究所が建設されたところで副島さん、岩塚さん、井野さんを雇ってそこから一緒に暮らしているのだと思っていた。
「いえ、僕が三年ほど前で。井野君もそれから少ししてからですね。副島さんは僕たちの中では古株なのでここが建設された時には火野博士の下で働いていたとは思いますよ」
「それは聞きました。ここのデザインが洋式なのは副島さんの希望だと」
私はつい一昨日に聞いたばかりの話を思い出した。あの時の副島さんが見せた嬉しそうな表情が忘れられなかったのだ。その話に、今度は岩塚さんが驚いた表情をする。
「そんなこと、初めて聞きました。どうりでセンスが良いと思ったんですよね」
どういうことだろうか。一昨日はあんなに嬉しそうに、それに自慢げに話していたものだから、来客たちにはもちろん、研究員同士で話しているものだと思っていたけれど、私が研究所内のデザインを特に興味深く観察していたから、わざわざ教えてくれたのだろうか。
「それともう一つ、どうして茶葉を調理場に置かないんですか?」
これも、不思議なことだった。倉庫にはワインやコーヒー豆がたくさん準備されていたが、普段使いをするくらいの分ならば調理場に置いておくほうが、どう考えても便利だ。
「それは、火野博士が決めたルールなんですよ。博士は生活面においてはかなり昭和みたいな考えをする人で、調理をするのは女性の仕事で調理場は女性の領域だから僕たちは立ち入らなかったんです。まあ、違和感はありましたけど別に僕も料理が好きなわけではないので、何も反論はしなかったです。実際、一昨日もワインの準備などは僕と井野君で、料理は全て副島さんでしたから」
そんな古い考えの人が、新技術を生み出すために日夜研究をしているのだから、不思議な話だなと思う。確かに、岩塚さんの言う通りで自分が料理を任されるよりは調理場に入らないだけなら、文句は言わないだろう。
ここまでの話し方で、私は岩塚さんに無難かつ役に立ちそうな事を聞いてみた。
「あの、岩塚さんは科学者として火野博士、西野博士がなぜ亡くなったと思いますか?」
「科学者としての考えですか。難しい質問ですね」
岩塚さんは少し困った顔をしていたが、真摯に答えてくれた。
「日常生活で火が発生する原因とは、思っているよりも多いですからね。それこそ、有名なのは収斂とかトラッキング現象ですね」
「トラッキング現象ってなんですか?」
「そうですね。トラッキングと言うのは電気工学の分野でよく使われる言葉ですね。さしっぱなしにしていたコンセントとプラグの間に埃が溜まって、そこに湿気が加わると火花放電が起こります。その火花がコンセントの絶縁部を加熱して電気の道を作ります。これがトラックと言います。そこから放電して発火する現象ですね」
なるほど、たまにニュースで報道されるコンセントからの発火だが、その名称は知らなかった。確か、医療用語でもあったはずだ。やっぱり、いろいろな視点があると、新しい発見がある。
それから私と岩塚さんは話をそこそこに切り上げて、自室へと戻った。
得た情報は早く伝えて探偵さんが考える時間を少しでも伸ばせればいいと思ったのもあるけれど、お茶がなくなったことで、会話の合間を埋めるのに岩塚さんが苦労しているのを見て取れたからというのもある。私はしっかりとお礼を言ってから、テラスを後にした。
「ご苦労様。動機を考えるのは悪いことじゃないわね。でも、何か西野博士と火野博士の間で隠されていたことがあったのかしら。それこそ、火野博士の脱税なんかに西野博士が関与していたとか」
さっそく、部屋に戻って探偵さんに岩塚さんと話した内容を伝えた。私の伝えた話で引っかかったのは、動機の部分だけだった。倉庫の中にあるものや調理場の話は、どうやら探偵さんにはピンとこなかったらしい。
「そうなんですかね。火野博士はともかく、西野博士のイメージにはそぐわないですけど」
「人間なんて裏で何をやっているかわかったものじゃないわよ。現にあなたの周りで何喰わない顔をして二人を殺害した人物がいるんだから」
それを聞いて、私の背筋はゾクッとした。そのことを、失念していたのだ。どこかまだ、現実の事として考えられないでいる。それは、自分が安全圏にいると思っているからだろうか。もう少し気をつけるべきだと気合を入れる。
「怖いことを言わないでくださいよ。せっかく、忘れてたのに」
「今になっていうのもなんだけど、あなたって凄く肝が座ってるわよね」
そう言って苦笑する探偵さん。確かに、私は昔から度胸があると言われてきた。そして、今もそれを実感しているところだ。
「だって、私が襲われる心配がないって言ったのは探偵さんじゃないですか」
「その通りよ。それはあなたが無駄に犯人を怖がって神経をすり減らすことがないようにっていう私なりの気遣いだったんだけど、効果があるみたいなら何よりだわ。それより、一つだけ聞きたいことがあるんだけど、あなたは火野博士の遺体を目撃したのよね?」
「はい、しっかりと観察したわけじゃないですけども。思い出せるくらいには」
「現地で見た印象を教えてほしいわ。実は、私のほうにも警察が撮影した写真はいくつか回ってきているんだけど、遺体がなんだか不自然なのよね」
不自然という言葉は、遺体の、それも焼死体に使われることは珍しい。あまり見慣れないものだと思うけど、探偵さんはやっぱりそういう事件も公になっていないだけでたくさん解決し、その過程で焼死体をいくつも見ているのだろうか。
私は思い出すのもあまり気乗りしないが、懸命に火野響介の遺体がどのような様子であったかを伝えた。皮膚はどろどろと溶けだし、骨は焼かれ過ぎた影響か色を変えていた。不謹慎ではあるが少し宝石の様だった。
「宝石みたいになった骨……なんだかファラリスの牡牛みたいな話ね」
探偵さんの口から、また聞いたことのない単語が飛び出す。この人と会話をしているだけで、自分の知らない世界がどんどんと広がっていく。……って、あれ?
「ファラリスの牡牛! そうです、それです」
突然、叫びだした私に探偵さんは面倒そうに話す。
「何よ。急にはしゃいで。あんまり名前を聞いてはしゃぐようなものでもないと思うけど」
「その言葉を誰かが牛の剥製を見た時に言っていたんですよ」
私がそう言うと、探偵さんは話すのを少しやめた。
「なんでそれを早く言わないの!」
「わあ、すいません。でも、ファラリスの牡牛ってなんのことですか?」
「古代ギリシアで使用された拷問器具の名前よ。その拷問にかけられた罪人の骨は宝石のようで、ブレスレットなどに使われたという話もあるわ」
その瞬間、再び背筋が凍る。拷問器具だなんて。
「そのファラリスの牡牛っていう拷問器具はどんな仕組みで人の体を燃やすんですか?」
「牛の形をした真鍮製の入れ物に罪人を閉じ込めて、その下から火を焚いて炙るのよ。そうする牛の鼻から煙と罪人の叫び声が聞こえてくるってわけね。それが牛の鳴き声に聞こえるように空気穴にも細工されていたらしいわ」
その拷問器具の説明は、私にはあまりにも恐ろしかった。人間はどうやればこんなに恐ろしいことを考えることができるんだろう。それを考え付いた人間の思考は、私には想像もつかない。仮に罪人が拷問を受けるようなことをしたとしても、あまりにやりすぎだと思った。
「ただ、それには火と真鍮ではなくてもいいから何か入れ物が必要だわ。ただ、火なんて起こしていれば、誰かが部屋の前を通った時に気が付くはずよ。しかも、ファラリスの牡牛は拷問器具なんだから、叫び声が聞こえてくるはずよ」
「そこなんですよね」
火野博士が焼かれている間に、部屋の前を通る人たちに気づかれることなく焼き切る方法。しかも、ファラリスの牡牛を使っての殺害ならば牛の鳴き声みたいな叫び声を聞くはずだ。なら、私たちが想定しているより遥かに大きな火力でものの数秒くらいで意識を奪ったのだろうか?
それも、理屈は通っているように思う。
「一瞬で高温を発生させて、火野博士をすぐに殺害したというのは考えられませんか?」
「そうねえ。でも、そこまでの高温ならば痕跡を残さない方が難しいと思うんだけど、例えばフラッシュオーバー現象を応用すれば一気に千度近い炎を作り出すことができるけれども、それにしてはあまりに痕跡が残らなさすぎるのよね」
フラッシュオーバーは室内で発生した火災で可燃物が熱分解して、可燃性のガスを発生させる。もしくは、建物の内装に使われていた可燃性素材が太陽光や機械の発する熱によって発火し一気に火災が広がる現象の名前だ。
しかし、その勢いから火の手が広がるスピードがあまりにも早く消化するのはそれこそ消防車でも連れてこない限りは不可能である。しかも、そこまで大きな火災が発生すればそれこそ副島さんや岩塚さんが気づかないわけがない。
「次に考えられる可能性は人体ろうそく化かしら」
「人体ろうそく化?」
私は聞きなれない単語に、オウム返しをすることしかできない。
「あら、聞いたことがないかしら。じゃあ、人体自然発火現象は?」
「ごめんなさい、それもわかりません」
電話口からため息が聞こえる。そして、探偵さんはあきれたように言った。
「あなた、もう少し一般常識を身に着けた方がいいわよ」
そう言った後に、探偵さんは人体ろうそく化現象と人体自然発火現象の説明を始めた。
「まずは人体ろうそく化ね。ろうそくの仕組みは知っている?」
「ええ、芯にともされた炎がろうを溶かして、それが吸い上げられる。そのろうを燃やし続けることで火を持続させるんですよね」
探偵さんはうんうんと言っている。どうやら、間違っていないみたいだ。しかし、ろうそくの仕組みを説明できる一般人なんて、どれくらいいるのだろう。
「人体ろうそく化は、衣服や髪に発生した炎が人の脂肪をろうのように溶かして吸い上げることで、遺体が炭化するまで燃やし続けることよ。別にタバコだったり、日光を金魚鉢で焦点を合わせたり衣服が発火することは珍しいことじゃないからね」
「それが、人体発火現象と何の関係があるんですか?」
「人体発火現象、通称SHCは周りに火の気がない状態、つまり人体が自ら発火したとしか思えない状況で遺体が見つかったことを、誰かがそう名付けたのよ。かなり昔からあったらしいけど、有名なのはメアリー・リーサーの事例ね」
「メアリー・リーサー? 海外の方ですか」
「日本では過去に一件しか報告されていないわ。ともかく、メアリー・リーサーの息子がメアリーの住むマンションを訪れると、メアリーはスリッパを履いた足など体の一部を残して焼け死んでいたの」
「別に、そこまでは珍しいことじゃないですよね?」
珍しいことであってほしいのだが。
「ええ、でもね。不思議なことはメアリーの座っていたと推測される椅子やカーペットなどがほとんど燃えていなかったの。もちろん、人も有機物だけどカーペットや椅子などよりはよっぽど燃えにくいわ」
「それが、人体ろうそく化現象ですか」
「もちろん、いろいろな推測がされているわ。体内にあるアルコール分に引火した可能性や、体内にある黄リンが発火した可能性みたいなね」
確かに、黄リンは体内に存在する物質で、常温で発火する代表格だがリンが体内で発火するなんて聞いたことがない。それに、これからパーティーもあるというのに、お酒を摂取しているとも考えづらい。
「そうよ。それにアルコール摂取をしない被害者もいたし、過去には二百件も人体自然発火現象と位置付けられた事件とも事故とも言えない報告がされているから、その全てに共通することは現在も見つかっていないのよ。理解できた?」
「なんだか混乱してきました」
私の脳は、すでにショート寸前だった。
「いいのよ。考えるのは私の仕事。でも、あなたの言葉がヒントになっているのも事実よ。ここで大事なのは第一の殺人と第二の殺人では明らかに手の凝りようが違う。それに、もしも想像通りにファラリスの牡牛と同じようなものを作って、それで火野博士を殺害したのだとすれば相当な恨みを感じられるわ。そして、ここまで大がかりな殺害方法を行ったのなら、西野博士殺しとは違って火野博士を殺害した犯人を特定できれば、おのずと事件は解決するはず」
その言葉は、とても力強くて頼もしかった。確かに、説明されれば簡単だったが西野博士を殺害したトリックは私が自力で答えを導き出すことは私には不可能だっただろう。それをたった一晩で解き明かす人なら、必ず火野博士を殺害したトリックも暴いてくれるはず。
私は、そう強く確信した。
電話が切れた後、私は廊下を散歩していた。自分の考えをまとめるのと、熱くなった脳を休ませるためだ。窓から吹き込む風は、火照る脳を直接冷やしてくれる気がする。ふんわりと、潮風に揺れて髪がなびく。
『いいのよ。考えるのは私の仕事』
探偵さんのその言葉が、耳に残っている。
それは重々承知しているが、少しでもヒントになるようなことがないのかと考えた。果たして、残されたファラリスの牡牛を想起させるメッセージ、あれはいったい何を表しているのか。
そして、そのメッセージが直接的に殺害方法を示すものならば、過去の拷問方法を持ち出してまで殺害手段に選んだという事はどれほどまでに強い恨みを抱いていたのだろうか。私は、人に対してプラスだとしてもマイナスだとしてもそこまで大きな感情を抱いたことはないのかもしれない。その時だった。
もしもひらめきの神様がいるのなら舞い降りたという表現が正しいほど唐突に、ある疑問とその答えが浮かんだ。なぜ、火野博士の体は皮膚が溶けるほど焼く必要があったのか?
私が直感で最も疑問に思ったのは、この点だった。ここまで狡猾な犯人が、自分の感情を優先するだろうか。私に殺人鬼の心理はわからないけれども、皮膚を焼いて殺害するには何らかの理由があると考えるほうが自然な気がする。
不知火の伝説になぞらえるなら、二人目の犠牲者である西野博士も同じように体を焼き切って殺害するはずだ。もちろん、警察は焼死をさせようとした途中で何らかの物質に引火して爆発した可能性も考慮に入れているが、少なくともスプリンクラーが正常に作動している時点で、人の体をこんなに広い部屋で皮膚が溶けるまで焼き切ることはできない。
なら……本当は伝承になぞらえることも意味はないんじゃないか?
私の頭は、探偵さんと別方向の推理へと傾いてきた。
どんどん、その方向に頭が働く。なぜ、不知火を見せる必要があったのか。火野博士が残したと思われるメッセージ。皮膚がどろどろに溶けた遺体。不可解な状況での殺人。研究室の前を通りかかった岩塚さん。
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