出題編3-1
ー/ー 翌朝も、私の目を覚まさせたのは、電話の呼び出し音だった。流行りのポップ音楽は寝起きの耳で聞くには少しつらいので、後で適当なクラシックにでも変更しておこうと心に決めた。
「もう、こっちが何回コールしたと思ってるのよ」
開口一番、電話口でそんな風に怒られても、怒鳴り返すどころか返事する気力すら湧いてこない。まだ日が昇って数分。時刻は午前五時にもなっていない。しっかりと眠ることができたのはおよそ四時間ほどだろうか。
私はなぜ、電話口の相手がここまで元気なのかを訝しんでいる。
「はい……すみません。でも、少し落ち着いてください」
眠い目を擦りながら、あくび交じりに返事をする。ここまで、電話の時間だけは一般常識の範囲を守っていたのに。こんな時間に元気いっぱいで電話されるのは、正直に言って辛い。思ったより体にも心にも疲れがたまっているらしく、起き上がった瞬間に体がぼきぼきと鳴った。
「まあ、いいわ。とにかく、第二の殺人は解決したわ」
私の脳がその言葉を一文字ずつ、まるで順番にパズルをはめるように理解していく。その途中くらいで、私の意識は覚醒した。眠いとか、だるいとかの感情はどこかへ消し飛び、今は驚きしか残っていない。
「ど、どういうことだったんですか。いったい、誰が」
まだうまく回らない舌を懸命に動かして文章を作る。
「落ち着いてって言ったのはそっちじゃない」
探偵さんは溜息交じりにそう言った。それがとてもじれったい。もう少し融通を聞かせてくれてもいいのに。しかし、そんなことを言っている場合じゃない。もう、私の好奇心はとどまるところを知らなかった。
「そんなことはいいんです。それより、早く犯人を教えてください」
私の質問から数秒ほど間が開いて、探偵さんは残念そうに言った。
「犯人はわからないわ」
わからないとはどういうことだろうか。第二の殺人は解決したと言ったのに。
「少なくとも、現時点では犯人を特定する証拠が一つもない。物的証拠どころか、私の得ている情報では状況証拠すらもないわ。だから、誰が犯人かもわからない。それに、このトリックなら誰にでも実行できるのと証拠も残らないせいで、ここを掘り続けても何かがわかることも無いと思うわ」
なら、どうやって謎を解いたのだろう。トリックがわかれば普通は犯人もわかるんじゃないだろうか。ミステリなんて読んだことも無い私にはわからないけれども。
「まあ、俗っぽく言うなら完全犯罪よね。ただ、完全犯罪には二つの種類があるわ。一つは、大量の証拠品が見つかったり、容疑者が多すぎたりして犯人の特定ができないパターン。有名ものだと三億円事件よね。もう一つは、証拠品が状況、物的ともに一切ない状態。つまり、仮に犯人が自白してもそれを司法が裁けないパターン。今回のものは、後者ね。でも、大丈夫よ。人を殺害して、犯人どころか疑わしい人物が一人も捜査線上にあがらないなんてことはありえないわ。だからいずれ、この事件は何らかの形で解決される。だけど、その前に犯人がもう一人を殺害に動くかもしれない。なら、それを食い止めるのが私の仕事」
なるほど。私は感心していた。その間を埋めるように探偵さんは続ける。
「トリック自体は実に単純よ。それこそ、このトリックに関する知識があれば半日くらいで思いつくんじゃないかしら」
一応、私は知識があるほうに含まれるだろうか。それでもさすがに半日は無理な気がするけど。まあ、天才の考えることなんて常人には理解できない。
「時限装置だったんですか、それとも煙草に細工されていたとか」
「煙草に関しては違うわ。西野博士の奥さんに旦那さんが亡くなった事を伝えるついでに聞いてもらったんだけど、西野博士は喫煙者どころか煙草は生まれてこの方吸ったことが無かったそうよ」
そして、探偵さんは第二の殺人、西野幸助殺しの謎を明かしてくれた。
「そんなことだったんですね」
私はその完璧なロジックにもはや呆れることしかできなかった。
確かにそれは説明されればなんてことのない単純な方法だった。まるで数学の文章題みたいだ。知識があればさして難しいことではないし、その知識はこれまで探偵さんとの会話に出てきている。私に足りなかったのは、発想の転換、ひらめきの力だけだ。
つまり、謎を明かしてもらう前の私でも充分に推理することができた。それが、悔しさを募らせる。私の知らない事実ばかりならば、諦めもつくというものだ。
「これで、第一の殺人に集中できるわ。あと、西野博士が危険物を所持していたかなんて聞かなくていいわよ。すべて、犯人が仕組んだことなんだから」
「じゃあ、何か必要なことはありますか?」
私の問いに、探偵さんは時間を置いてから、
「特にないわ。とにかく、知らないうちに疲れが溜まっていると 思うから身の安全に気を付けて適度にリフレッシュをしていてちょうだい。きっとあなたの力が必要になると思うわ。西野博士殺しだって、あなたの疑問があったから解けたようなものだから」
その言葉を聞いた私の体に力がみなぎってきた。我ながら頼りにされているとわかったとたんに元気になるから、単純だと思う。
私はその電話が終わった後、音のしなくなった電話を見つめて自分にできることを考えた。だけど、私は頭が良いわけじゃない。
ここでいうところの頭が良いというのは学校の成績やテストの点数で測れる類の能力ではない部分だ。学校に一人はいる、成績は別に優れているわけでもないしテストも学年で一番をとるわけじゃない。だけど、その人のいう事にはユーモアと知識がほどよくブレンドされているせいでとても面白い。だから、その話は人を惹きつける。私はそんな人に憧れて勉強を頑張ってきた。自慢じゃないけれど大学も日本国内で五本の指に入るような場所だ。だから、細かい調べものとか地道な作業は得意。そうと決まれば、私は探偵さんとは別方向からのアプローチ。再び、動機の方から探りを入れることにした。
「副島さんですか? ちょっと待ってくださいね」
私が下の階に降りていくとちょうどロビーにいた岩塚さんとばったり遭遇した。岩塚さんは私の姿を見るなり、副島さんに用事があると思ったようで、副島さんの姿を探す。
「違います。特に副島さんに用事があったわけじゃなくて」
「そうなんですね。どうされました? 僕でよければ話を聞かせてもらいますけど」
そう言って岩塚さんは笑った。どこかぎこちなさが感じられるのは、私が女だからだろうか。理系出身はなかなか女子が少ないせいで女の扱いに慣れていないというのは、その通りと言えばその通りではある。
「じゃあ、お願いしてもいいですか。少し気晴らしに海でも見ながらお茶が飲みたくて」
とっさに思いついた誘い文句に、内心では辟易していた。自分がこんなにもあざとくて気色の悪いセリフを吐けるものだと感心さえもした。しかし、こうでもしなければ私が怪しまれるかもしれない。なら、なりふり構っていられなかった。
どうやら岩塚さんも私の演技というには役者に失礼なものを、信じてくれた、あるいは騙されてくれたらしい。
「わかりました。二階にあるテラスにお茶をご用意していきますので、先に行って待っててください。確か、テーブルと椅子が並んでいるはずですので」
そう言って岩塚さんはお茶の準備をしに、調理場とは逆方向へと向かっていった。
「あれ? どうしてそっちに行くんですか?」
調理場とは真反対の方向に行く岩塚さんの行動には違和感を覚えた。
「ああ、紅茶の茶葉をこっちに置いているんですよ」
そういって、岩塚さんはすぐに歩き出す。私もそれに続いて足をぐるぐると回して、歩幅を合わせる。
「いえ、私もお手伝いします。任せっきりなんて申し訳ないですから」
警戒されないように、甘い声を出す。もしも、これをビデオで録画でもされていれば、恥ずかしすぎて三日ほど寝込みそうになると理解しながら、その考えを脳の隅に追いやって続ける。
「いえ、そんなことはありませんよ。では、お願いします」
岩塚さんはどうやら私にたじたじだ。研究ばかりでおしゃれなんてあまり気にしたことのない私でも、まだまだ捨てたものじゃないらしい。なんだか少し、自身が付いた。
「すみません。こういった場には慣れていないせいで、どういった話をすれば喜ばれるのかわからないんです」
それは、私と岩塚さんが二階のテラスについてまだ一分も経たないうちに岩塚さんが発した言葉だ。私はあわてて否定した。
「そ、そんな気を使ってもらわなくても大丈夫ですよ。お茶、すごくおいしいです」
岩塚さんの入れてくれたお茶は、お茶菓子にちゃんと合っていて美味しかった。この研究所ではお茶の淹れ方まで教えてもらっているのかと思うほどだ。
「そうですか、それは良かったです。それで、何か思い詰めていることがありますか?」
私は思い詰めているつもりは無かったが、岩塚さんにはどうやらそう見えていたらしい。まあ、普通の大学生ならば思いつめたり不安になったりもするだろう。自分が意外と図太い人間であることを知った。
ただ、それを利用しないわけにはいかないので、声を小さく話す。
「それなんですけど、あんまり気にしないようにしても、やっぱり火野博士の事をどうしても考えてしまって……」
私はできるだけ事態を深刻そうに見せる演技をした。こうすれば、より深い部分までの情報が引き出せると思ったからだ。その思惑は見事に成功する。よく言えば良い人、悪く言えばチョロい。
「そうですよね……僕にできることがあれば何でも言ってください」
「ありがとうございます。なら、一つだけ聞いておきたいことがあって」
「聞いておきたいことですか? 僕がわかることであればお答えできるんですけど」
私はその言葉を聞けて、思わず口元が緩んだ。
しかし、それはうまく死角になっていたようで岩塚さんには見えていない。彼は、本気で私のことを心配して力になってくれようとしている。なんだか善心を利用しているみたいで気が引けたけどそんなことを言っている場合じゃない。
「火野博士と西野博士が、共通の知人に恨まれていたみたいな話を聞いたことはありませんか? お金のトラブルとか、女性のトラブルとか。その火野博士の評判があまりよくないって聞いたので」
これは賭けだった。もちろん、岩塚さんが犯人の可能性がある状況で、下手に私が色々と探ろうという意思があることを悟られるだけでも十分に危険だ。
でも、私は少しでも探偵さんの力になりたかった。岩塚さんは少し驚いた後に、顎に右手を当てて考え込む仕草を見せた。ここまで自然な反応なら岩塚さんは犯人じゃないのか?
第二の殺人で使われたトリックから考えると、やはり所員のほうが客人よりも準備が簡単だという事で岩塚さんもどちらかといえば犯人の可能性が高い人物ではある。そう思うと急に怖くなったけど、岩塚さんが特に武器を持っていないことは確認済みだ。
そもそも、ここまで賢い犯人ならば直接、手を下すことはしなさそうだけれども。岩塚さんはかなり長く考えた後に、少し残念そうな顔をした。
「すいません。僕には思い当たることがありません。火野博士ならともかく、西野博士が誰かに恨まれているというのは想像することが難しいです。知ってのとおりに、悪い噂なんて無縁の人ですから」
それは私も同意見だ。火野博士は、同業者からあまりよく思われていないのは新見博士からも聞いていたけれども、部下である岩塚さんにも言われるのは相当なのだろうか。
一般人から見たイメージでの火野は、優秀な研究者である。若いころから夕方の全国放送ニュースにも取り上げられるような成果を出してきたおかげで研究者にしては知名度が高いし、話がうまいおかげでコメンテーターなどを務めることも多い。
もちろん、その評判には間違いはない。私なんかが評価するのは失礼にあたるが、月並みに凄いとしか言えない程の知識で語っているわけでも無いのだ。年齢もまだ五十路に差し掛かったくらいなので、これからの活躍にも大きな期待を寄せられている。
しかし、それ以上のことを知ろうとすると常に黒い噂が付きまとうのだ。これは、夜のうちに調べただけでもよくわかった。
それも、コメンテーターとして出演したニュース番組での共演から芸能人と不倫関係に発展した事、出版した書籍で得た税金を脱税したりなどスキャンダルの種類は多岐にわたり、週刊誌の喜びそうなネタばかりだ。あくまで携帯でちょっと調べただけなのでソースも何もないのだが、火のないところに煙は立たないという。
もちろん、研究職というのは、基本的にイメージなどはどうでもよく、結果を出せばその評価を得られる世界なので特に痛手は負っていないだろうけど、それでもそう言ったことを、四十を過ぎても繰り返すあたりはよく思われ無くても仕方ないだろう。しかし、それだけで火野博士を殺めるのはやりすぎだと思う。
ならば、私も岩塚さんも知らないような、黒い秘密を抱えているのだろうか。そして、それに西野博士が関わっていた?
「もう、こっちが何回コールしたと思ってるのよ」
開口一番、電話口でそんな風に怒られても、怒鳴り返すどころか返事する気力すら湧いてこない。まだ日が昇って数分。時刻は午前五時にもなっていない。しっかりと眠ることができたのはおよそ四時間ほどだろうか。
私はなぜ、電話口の相手がここまで元気なのかを訝しんでいる。
「はい……すみません。でも、少し落ち着いてください」
眠い目を擦りながら、あくび交じりに返事をする。ここまで、電話の時間だけは一般常識の範囲を守っていたのに。こんな時間に元気いっぱいで電話されるのは、正直に言って辛い。思ったより体にも心にも疲れがたまっているらしく、起き上がった瞬間に体がぼきぼきと鳴った。
「まあ、いいわ。とにかく、第二の殺人は解決したわ」
私の脳がその言葉を一文字ずつ、まるで順番にパズルをはめるように理解していく。その途中くらいで、私の意識は覚醒した。眠いとか、だるいとかの感情はどこかへ消し飛び、今は驚きしか残っていない。
「ど、どういうことだったんですか。いったい、誰が」
まだうまく回らない舌を懸命に動かして文章を作る。
「落ち着いてって言ったのはそっちじゃない」
探偵さんは溜息交じりにそう言った。それがとてもじれったい。もう少し融通を聞かせてくれてもいいのに。しかし、そんなことを言っている場合じゃない。もう、私の好奇心はとどまるところを知らなかった。
「そんなことはいいんです。それより、早く犯人を教えてください」
私の質問から数秒ほど間が開いて、探偵さんは残念そうに言った。
「犯人はわからないわ」
わからないとはどういうことだろうか。第二の殺人は解決したと言ったのに。
「少なくとも、現時点では犯人を特定する証拠が一つもない。物的証拠どころか、私の得ている情報では状況証拠すらもないわ。だから、誰が犯人かもわからない。それに、このトリックなら誰にでも実行できるのと証拠も残らないせいで、ここを掘り続けても何かがわかることも無いと思うわ」
なら、どうやって謎を解いたのだろう。トリックがわかれば普通は犯人もわかるんじゃないだろうか。ミステリなんて読んだことも無い私にはわからないけれども。
「まあ、俗っぽく言うなら完全犯罪よね。ただ、完全犯罪には二つの種類があるわ。一つは、大量の証拠品が見つかったり、容疑者が多すぎたりして犯人の特定ができないパターン。有名ものだと三億円事件よね。もう一つは、証拠品が状況、物的ともに一切ない状態。つまり、仮に犯人が自白してもそれを司法が裁けないパターン。今回のものは、後者ね。でも、大丈夫よ。人を殺害して、犯人どころか疑わしい人物が一人も捜査線上にあがらないなんてことはありえないわ。だからいずれ、この事件は何らかの形で解決される。だけど、その前に犯人がもう一人を殺害に動くかもしれない。なら、それを食い止めるのが私の仕事」
なるほど。私は感心していた。その間を埋めるように探偵さんは続ける。
「トリック自体は実に単純よ。それこそ、このトリックに関する知識があれば半日くらいで思いつくんじゃないかしら」
一応、私は知識があるほうに含まれるだろうか。それでもさすがに半日は無理な気がするけど。まあ、天才の考えることなんて常人には理解できない。
「時限装置だったんですか、それとも煙草に細工されていたとか」
「煙草に関しては違うわ。西野博士の奥さんに旦那さんが亡くなった事を伝えるついでに聞いてもらったんだけど、西野博士は喫煙者どころか煙草は生まれてこの方吸ったことが無かったそうよ」
そして、探偵さんは第二の殺人、西野幸助殺しの謎を明かしてくれた。
「そんなことだったんですね」
私はその完璧なロジックにもはや呆れることしかできなかった。
確かにそれは説明されればなんてことのない単純な方法だった。まるで数学の文章題みたいだ。知識があればさして難しいことではないし、その知識はこれまで探偵さんとの会話に出てきている。私に足りなかったのは、発想の転換、ひらめきの力だけだ。
つまり、謎を明かしてもらう前の私でも充分に推理することができた。それが、悔しさを募らせる。私の知らない事実ばかりならば、諦めもつくというものだ。
「これで、第一の殺人に集中できるわ。あと、西野博士が危険物を所持していたかなんて聞かなくていいわよ。すべて、犯人が仕組んだことなんだから」
「じゃあ、何か必要なことはありますか?」
私の問いに、探偵さんは時間を置いてから、
「特にないわ。とにかく、知らないうちに疲れが溜まっていると 思うから身の安全に気を付けて適度にリフレッシュをしていてちょうだい。きっとあなたの力が必要になると思うわ。西野博士殺しだって、あなたの疑問があったから解けたようなものだから」
その言葉を聞いた私の体に力がみなぎってきた。我ながら頼りにされているとわかったとたんに元気になるから、単純だと思う。
私はその電話が終わった後、音のしなくなった電話を見つめて自分にできることを考えた。だけど、私は頭が良いわけじゃない。
ここでいうところの頭が良いというのは学校の成績やテストの点数で測れる類の能力ではない部分だ。学校に一人はいる、成績は別に優れているわけでもないしテストも学年で一番をとるわけじゃない。だけど、その人のいう事にはユーモアと知識がほどよくブレンドされているせいでとても面白い。だから、その話は人を惹きつける。私はそんな人に憧れて勉強を頑張ってきた。自慢じゃないけれど大学も日本国内で五本の指に入るような場所だ。だから、細かい調べものとか地道な作業は得意。そうと決まれば、私は探偵さんとは別方向からのアプローチ。再び、動機の方から探りを入れることにした。
「副島さんですか? ちょっと待ってくださいね」
私が下の階に降りていくとちょうどロビーにいた岩塚さんとばったり遭遇した。岩塚さんは私の姿を見るなり、副島さんに用事があると思ったようで、副島さんの姿を探す。
「違います。特に副島さんに用事があったわけじゃなくて」
「そうなんですね。どうされました? 僕でよければ話を聞かせてもらいますけど」
そう言って岩塚さんは笑った。どこかぎこちなさが感じられるのは、私が女だからだろうか。理系出身はなかなか女子が少ないせいで女の扱いに慣れていないというのは、その通りと言えばその通りではある。
「じゃあ、お願いしてもいいですか。少し気晴らしに海でも見ながらお茶が飲みたくて」
とっさに思いついた誘い文句に、内心では辟易していた。自分がこんなにもあざとくて気色の悪いセリフを吐けるものだと感心さえもした。しかし、こうでもしなければ私が怪しまれるかもしれない。なら、なりふり構っていられなかった。
どうやら岩塚さんも私の演技というには役者に失礼なものを、信じてくれた、あるいは騙されてくれたらしい。
「わかりました。二階にあるテラスにお茶をご用意していきますので、先に行って待っててください。確か、テーブルと椅子が並んでいるはずですので」
そう言って岩塚さんはお茶の準備をしに、調理場とは逆方向へと向かっていった。
「あれ? どうしてそっちに行くんですか?」
調理場とは真反対の方向に行く岩塚さんの行動には違和感を覚えた。
「ああ、紅茶の茶葉をこっちに置いているんですよ」
そういって、岩塚さんはすぐに歩き出す。私もそれに続いて足をぐるぐると回して、歩幅を合わせる。
「いえ、私もお手伝いします。任せっきりなんて申し訳ないですから」
警戒されないように、甘い声を出す。もしも、これをビデオで録画でもされていれば、恥ずかしすぎて三日ほど寝込みそうになると理解しながら、その考えを脳の隅に追いやって続ける。
「いえ、そんなことはありませんよ。では、お願いします」
岩塚さんはどうやら私にたじたじだ。研究ばかりでおしゃれなんてあまり気にしたことのない私でも、まだまだ捨てたものじゃないらしい。なんだか少し、自身が付いた。
「すみません。こういった場には慣れていないせいで、どういった話をすれば喜ばれるのかわからないんです」
それは、私と岩塚さんが二階のテラスについてまだ一分も経たないうちに岩塚さんが発した言葉だ。私はあわてて否定した。
「そ、そんな気を使ってもらわなくても大丈夫ですよ。お茶、すごくおいしいです」
岩塚さんの入れてくれたお茶は、お茶菓子にちゃんと合っていて美味しかった。この研究所ではお茶の淹れ方まで教えてもらっているのかと思うほどだ。
「そうですか、それは良かったです。それで、何か思い詰めていることがありますか?」
私は思い詰めているつもりは無かったが、岩塚さんにはどうやらそう見えていたらしい。まあ、普通の大学生ならば思いつめたり不安になったりもするだろう。自分が意外と図太い人間であることを知った。
ただ、それを利用しないわけにはいかないので、声を小さく話す。
「それなんですけど、あんまり気にしないようにしても、やっぱり火野博士の事をどうしても考えてしまって……」
私はできるだけ事態を深刻そうに見せる演技をした。こうすれば、より深い部分までの情報が引き出せると思ったからだ。その思惑は見事に成功する。よく言えば良い人、悪く言えばチョロい。
「そうですよね……僕にできることがあれば何でも言ってください」
「ありがとうございます。なら、一つだけ聞いておきたいことがあって」
「聞いておきたいことですか? 僕がわかることであればお答えできるんですけど」
私はその言葉を聞けて、思わず口元が緩んだ。
しかし、それはうまく死角になっていたようで岩塚さんには見えていない。彼は、本気で私のことを心配して力になってくれようとしている。なんだか善心を利用しているみたいで気が引けたけどそんなことを言っている場合じゃない。
「火野博士と西野博士が、共通の知人に恨まれていたみたいな話を聞いたことはありませんか? お金のトラブルとか、女性のトラブルとか。その火野博士の評判があまりよくないって聞いたので」
これは賭けだった。もちろん、岩塚さんが犯人の可能性がある状況で、下手に私が色々と探ろうという意思があることを悟られるだけでも十分に危険だ。
でも、私は少しでも探偵さんの力になりたかった。岩塚さんは少し驚いた後に、顎に右手を当てて考え込む仕草を見せた。ここまで自然な反応なら岩塚さんは犯人じゃないのか?
第二の殺人で使われたトリックから考えると、やはり所員のほうが客人よりも準備が簡単だという事で岩塚さんもどちらかといえば犯人の可能性が高い人物ではある。そう思うと急に怖くなったけど、岩塚さんが特に武器を持っていないことは確認済みだ。
そもそも、ここまで賢い犯人ならば直接、手を下すことはしなさそうだけれども。岩塚さんはかなり長く考えた後に、少し残念そうな顔をした。
「すいません。僕には思い当たることがありません。火野博士ならともかく、西野博士が誰かに恨まれているというのは想像することが難しいです。知ってのとおりに、悪い噂なんて無縁の人ですから」
それは私も同意見だ。火野博士は、同業者からあまりよく思われていないのは新見博士からも聞いていたけれども、部下である岩塚さんにも言われるのは相当なのだろうか。
一般人から見たイメージでの火野は、優秀な研究者である。若いころから夕方の全国放送ニュースにも取り上げられるような成果を出してきたおかげで研究者にしては知名度が高いし、話がうまいおかげでコメンテーターなどを務めることも多い。
もちろん、その評判には間違いはない。私なんかが評価するのは失礼にあたるが、月並みに凄いとしか言えない程の知識で語っているわけでも無いのだ。年齢もまだ五十路に差し掛かったくらいなので、これからの活躍にも大きな期待を寄せられている。
しかし、それ以上のことを知ろうとすると常に黒い噂が付きまとうのだ。これは、夜のうちに調べただけでもよくわかった。
それも、コメンテーターとして出演したニュース番組での共演から芸能人と不倫関係に発展した事、出版した書籍で得た税金を脱税したりなどスキャンダルの種類は多岐にわたり、週刊誌の喜びそうなネタばかりだ。あくまで携帯でちょっと調べただけなのでソースも何もないのだが、火のないところに煙は立たないという。
もちろん、研究職というのは、基本的にイメージなどはどうでもよく、結果を出せばその評価を得られる世界なので特に痛手は負っていないだろうけど、それでもそう言ったことを、四十を過ぎても繰り返すあたりはよく思われ無くても仕方ないだろう。しかし、それだけで火野博士を殺めるのはやりすぎだと思う。
ならば、私も岩塚さんも知らないような、黒い秘密を抱えているのだろうか。そして、それに西野博士が関わっていた?
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