出題編2-6
ー/ー「どうしたんですか? 何があったんですか」
爆発音がした場所には既に警官たちが揃っていた。彼らも慌てて階下からやってきたようで、息を切らしている。爆発音がしたと思われる部屋が誰のものなのかはわからない。だけど、先ほどの爆発音と震動からもしも中に人が居れば、無事では済まない事は直感で理解できた。
「とにかく、早く消火器をもってこさせろ!」
そう言って登松刑事が大きな声で怒鳴るように指示を出す。慌てて警官の一人が階下へと降りて行った。部屋の中からぱちぱちと何かが燃える音が聞こえる。警察官たちの頭上には煙があがっていることが見えた。
とにかく、その場は混乱が支配した状況だった。
その騒ぎを聞きつけた副島さん、井野さん、岩塚さんも慌てて階段を上がってきた。その手には、消火器が握られている。
「ちょっと、どいてください!」
岩塚さんが慌てて警察官たちを押しのけて消火器を床に置く。そしてレバーを引くとそこから白い煙が勢いよく噴き出した。その煙は部屋から出て来る煙を押し戻しつつ、その勢いを弱めていく。やがて、煙は収まってなんとか部屋の様子を確認できるようになった。
私はその隙間からわずかに覗けた部屋の中は様々なものが散乱して、そのすべてが跡形もなく散っていた。部屋の手前にはキャリーケースにつけるようのタグが破れて落ちていた。それを見て私は、部屋のドアにつけられた名札の存在を思い出す。私が確認するとそこにはしっかりと名札が付いていた。
そして、そこに書かれてあった名前は、西野幸助。
「西野博士……」
誰かがまるで呼びかけるようにその名を呼んだ。
日本現代化学の父とも呼ばれた男、西野幸助はその化学の力によって命を奪われた。
「ここは我々が保存しますからとりあえずは食堂に集まっていてもらえますか」
すでに研究所内にいる全員が、爆発音を聞きつけて西野博士が泊まっていた部屋の前に集合していた。登松刑事は、すぐに二人の警官に命令して私たちを食堂まで誘導させる。そのまま警察によって現場の保存が行われるようだ。
「と、とりあえず簡単に準備をします。井野君、ついてきて」
警官に誘導されて一階に降りる私たちに先んじて、副島さんは井野さんを連れて慌てて階下へ降りて行った。
残された私たちは、ただ下を向いて固まって歩く。
「まさか、西野博士まで亡くなられるとは」
その場にいる全員が、それを考えていただろう。これで、日本の化学界は大きく成長の足を止めるとともに、もう一つの懸念事項が浮かび上がる。
火野博士と西野博士が二日連続で亡くなった。もう、事故だの自殺だの言っていられる場合じゃない。何者かが明確な意図と殺意を持って、二人を殺害したことは誰の目にも明らかだった。その恐怖がだんだんとしみ込んで、体を重くさせる。
それからどれほどの時間が経っただろうか、部屋の重い扉が開き、登松刑事の率いる警官たちがぞろぞろと食堂になだれ込んできた。登松刑事以外は、部屋の端で待機する姿勢をとる。
「さて、早速ですが西野博士の部屋で爆発があった三十分ほど前から何をしていたか、一人ずつお伺いしてもよろしいですか」
「あの、死因はなんだったんですか?」
私がおずおずと手を挙げて伺うと、登松刑事は面倒くさそうにしながらも教えてくれた。探偵さんの推理を期待するために、少しでも情報を集めておきたい。
「被害者は、おそらく何らかの原因で発生した火が爆発物に引火し、そのまま逃げる間もなく亡くなったのでしょう。スプリンクラーが作動したことも考えれば、ほぼ確定ですね」
スプリンクラー? それがどう関係してくるのか分からなかったけれども、これ以上の質問ははばかられた。
「では、気を取り直してみなさんに何をしていたかお伺いします。もちろん、こちらは各場所に警官を配備していますので嘘などつけばすぐにばれますからね。では、そちらから」
登松刑事が指名したのは、大庭博士だった。彼は前に見た時と同じように挙動不審な態度で何かに怯えているようだった。大庭博士も有名だけど、西野博士や甲斐博士に比べると知名度は少し劣る。
「私は、部屋で夕食を取った後は、論文をまとめていました。証明する方法は、パソコンで論文の編集履歴を見てもらえれば最終記録で時刻が表示されると思います。ちょうど論文を書いていた時に火災が起こってスプリンクラーが作動したので」
「わかりました。今から確認させてもらってもいいですか?」
そのまま大庭博士と警官一人がパソコンを取りに二階へと上がっていった。
「じゃあ、パソコンを取りに行っている間に次、そこの人」
指名されたのは、片山博士だった。
「私は、生徒からのレポートを確認していました。システムから、その画面を開いていたことは証明できます」
「僕は、家内と連絡を取っていました。電話などではありませんが、それなりに長文を高頻度で返していたので、その時間帯は両手が空くことはありませんでしたね」
長岡博士の言うことはアリバイには弱かったけれど、警察はグレーの位置に長岡博士を置くようだ。仮に全員が確固たるアリバイを持っていれば話は別だっただろうけど、現時点では誰を疑って話を進めていいのかもわからない。
そのまま全員のアリバイを聞いていたが、アリバイが証明されたのは大庭博士と片山博士、長岡博士だけだった。それも、極端な話だがパソコンだけ持ち込んで殺害も不可能ではない。潔白を証明できる人はいない。他の人はみな各自で本を読んでいるか、シャワーを浴びていたなど明確にその人がその時間に部屋にいて、何をしていたかの証明はできなかった。
ただ、少なくとも西野博士の部屋を訪れたり、その前で長時間にわたって立ち止まったりしていた人はいないことが、二階を見張っていた警官の証言によってわかった。
そして、それは私も同じだった。警察がどれくらいの時間で西野博士殺害の準備をしたと考えているのかわからないが、私と副島さんも長岡博士よりは黒いグレーのような扱いだった。一応、副島さんと一緒にいた証明になるかもしれないワイングラスは、警察が回収していた。
「それで、西野博士の部屋で何が起こったんですか? かなりすごい音が響きましたけど。爆発物があれば、気が付くはずでは」
一通り、警察からの質問が終わったところで今度はこちらの番だ。ぱっと見た限りでは、西野博士の部屋でいったい何が起こったのかわからない。
「さあ、犯人が何か爆発物を持ち込んだのかわかりませんが……」
部屋の中は私が見た限りではボロボロで、爆発物の特定も難しそうだった。
「研究員の皆様はどのようにお考えですか。この研究所内には原因となりそうな物質はいくらでもあるでしょうが、爆発の特徴からして何か思い当たることはありますか」
「爆発の前にスプリンクラーが作動したので、おそらく西野博士の部屋で何かしら火の手があがったんでしょう。そして、それが爆発物に引火した」
副島さんの見解はその通りだった。しかし、ちょうど疑問に思っていたところだ。私は全員に問いかけるようにそれを聞くことにした。
「どうして、西野博士の部屋で起こった火災なのに私の部屋までスプリンクラーが作動したんですか?」
その疑問は普通だと思ったんだけれど、どうやら違うらしい。岩塚さんが答えてくれた。
「こういう研究所や倉庫などでは、非常に危険な物質やどういったものかわからないものがあるので一気に火の手が広がる可能性があります。なので、どこかで火の気が感知されるとあらかじめ決められた区間内で同時にスプリンクラーが作動するようになっているんですよ。そうすれば、火の手が広がるのを防ぐことができます」
「なるほど」
実は私が知らないだけで、大学の防火設備もそんなふうになっているのだろうか。実家のスプリンクラーは火があがったその部屋でしか作動しないので、どこも同じだろうと思っていた。自分の勉強不足を恥じる。
「とにかく、流れとしては何者かが西野博士の部屋に火をつけて、それによってスプリンクラーが作動。しかし、その水だけではどうにもならずに部屋にあった爆発物に引火して西野博士の部屋を吹き飛ばした」
登松刑事が簡単にまとめてくれた。確かに、それが自然が考え方だろう。
「その通りだと思います。ここに保管してある液体などは全て提出したノートに記してありますが、それらを合成したり分解したりすれば生成できる爆発物なんていくらでもあります」
その意見は、登松刑事もわかっていたのか顔をしかめた。
「とにかく、問題は西野博士の部屋でどうして火の手が上がったか。犯人が放火したに決まっているが、それを誰も目撃していない以上はどうしようもない」
それからも一時間ほど警察に拘束されて根掘り葉掘り聞かれたが、何もヒントになるようなことは聞けなかったらしい。私は不知火のことを副島さんとともに伝えたが、やはり警察は不知火のことをそこまで重くは捉えていないようだ。
私は、部屋に戻るとすぐに携帯電話を取り出した。電話を掛ける先はもちろん、一つだ。
「もしもし、こんな遅い時間にどうしたの?」
ワンコールも鳴りやまないうちに、電話口に人が出た。既に夜は深けて常識で電話をかけてもいい時間を過ぎていると思うのだが、これまでずっと推理をしていたのだろうか。
私は事件の顛末を事細かに説明した。西野博士が殺された事、爆発が起こった事、爆発物の特定はできていないことなど。
「なるほど。やっぱり、一筋縄じゃいかないわよね」
探偵さんはまるで予測がついていたようにそう言った。ここまで大がかりな事をしているのだから、探偵さんはすでに連続殺人が起こることも危惧していたのだろう。残念ながらそれは現実となった。
そこで私は、捜査のカギになるかもしれない要素について説明しようと考えた。
「あの、スプリンクラーなんですけど」
しかし、私が言うよりも早く探偵さんは、私の話そうとしたことを続ける。
「開放型スプリンクラーヘッドだったんでしょ。」
「え、どうしてそれを知っているんですか?」
もうすでに警察内部から探偵さんに情報が行くほどに連携が取れているのだろうか。
「この状況でスプリンクラーについて話すなんてそれくらいしか思い当たらないからよ。そもそも一般的な家庭につけられているスプリンクラーは、部品の一部が火災によって反応した熱によって溶けることで、水が溢れ出すようになっているわ。この仕組みなら、火災の発生したその部屋でのみ消火活動が行われるし、何より安上がりだわ」
確かに、いちいち火災報知機をつけてそれをシステムで管理するというのは一般家庭にはそぐわない。そもそも、部屋の数が管理するほどないだろう。
「ま、あなたの部屋と西野博士の部屋はスプリンクラーの設定では同じ区画にされていたってことよ。だから、西野博士の部屋で火災が起きればあなたの部屋でスプリンクラーが作動したし、逆もまたしかりってこと」
なるほど、きっとここの建物は少なくとも客室はすべてスプリンクラーの一区間にまとめられているのだろう。だからこそ、私の質問もスムーズに通ったのだ。
「じゃあ、火元に関しては何か心当たりがありますか?」
スプリンクラーのしくみはよくわかった。これが事件の真相に関係があるのかわからないので、とりあえずは西野博士殺しについて話を進めることにしよう。
「まず考えられるのは、放火ね。聞いたところ、アリバイはほとんどの人にないようだし。ただ、部屋の前にはそれらしきあとはなかったんでしょう?」
確かに、火元は西野博士の部屋であるとすれば、発生源は部屋の中。警察が念入りに調べたが、外から何か細工をほどこしたとは考えにくいらしい。見落としは、ここでは考慮しないことにしよう。それが、探偵さんの考え方だ。
「なら、部屋の中で放火してそのまま部屋を出たか、もしくは時限装置か遠隔装置のようなものを使用したかのどちらかよね」
確かに、部屋があの惨状ならばそんな装置があってもきれいさっぱり木っ端みじんだろう。警察もその線で考えているらしい。しかし、その説を採用すると大庭博士たちのアリバイも全く意味を成さなくなる。
しかし、装置を設置する必要があるのが難点だ。警官が西野博士の部屋を見張っていなかったのはわずかな間で、少なくとも一時間以上の間は誰も近寄ってすらいない。西野博士だって前日に殺人事件が起こったかもしれないのにのこのこと自室で二人きりになるようなへまはおかさないだろう。
よほどの信頼を得ている人間にしかできないことだが、西野博士とそういった関係にある人物がこの中にいるのだろうか。あくまで昨日の食事会で感じた雰囲気でしかないが、全員がそれぞれビジネスでのつながりしか持っていないように感じた。ならば、事前に装置を仕込んでおいたと考えるのが自然だ。だだ、それも説としては苦しいと言わざるを得ない。そこまで警戒しているなら、部屋の中になにか怪しいものがそれを調べるだろう。犯人なら、どうする?
「それに、西野博士の部屋には鍵がかかっていたらしいんですよ。吹き飛ばされたドアには鍵が閉まっていた痕跡が残っていたらしくて。だからこそより、外部からの直接的な放火っていう線が薄いんです」
警察が時限装置説を中心に捜査をしているのもその影響が大きい。もしも西野博士を眠らせるなりしても、そこから火を放って密室にするというのは納得がいかない部分も多い。火を使った殺人において、密室殺人にする必要なんてあるのだろうか。
「ないわね。そもそも密室殺人は事故かあるいは自殺に見せかけて、そもそも捜査を始めさせないために行われる手法よ。第一の殺人で用いるのならばまだしも、ここまで不可思議な状況でわざわざ密室を作る意味もない。それに、不知火を発生させることは犯行予告と同義だからね」
不知火はこれまでに二度。一回目は火野博士が亡くなったことを全員で確認にいくときに窓の外を覗いた私が発見した。二回目は私が副島さんとワインを片付けているところで副島さんが窓の外でごうごうと燃える炎を見つけて、その後に西野博士が亡くなった。
しかし、ここまでして不知火を発生させることにこだわる理由は何だろうか。探偵さんはその理由こそがこの事件を解決するカギになると考えている。私もそれには同感だった。ここまで警察と探偵さんを相手にトリックどころかその尻尾すらも掴ませていないほど賢くて狡猾な人間が、無意味に犯行予告などをする必要がないだろう。もしも恐怖心を煽って判断力を鈍らせるのなら私や副島さんだけではなくて全員に周知されなければいけない。
「とにかく、その不知火が何を意味しているのかを考えることを最優先。その次に西野博士殺害の方法ね。時限装置や遠隔装置を作ることは別に難しくはないだろうけども、それらしき部品の残骸も見つかってないのよね」
「はい、登松刑事がいうには部屋に何も怪しいものはなかったそうです。ただ、爆発の勢いは相当なものだったので跡形もなく吹き飛ばされた可能性もありますけど」
「ほかの可能性としてはタバコじゃないかしら。西野博士が喫煙していたのかは存じ上げないけども。吸った瞬間にその炎に反応してドカン! みたいな」
喫煙……少なくとも私の前でタバコを吸ってはいなかったが、それは西野博士の配慮かもしれない。近年は煙草に対する世間の風当たりも強くなっているから、それだけ吸う分には周りに気をつかう必要がある。
「あとは、バックドラフトかしら」
「そうですねえ。バックドラフトだと爆発音も納得できますし」
バックドラフトは、密閉された場所で不完全燃焼となって、可燃性の一酸化炭素ガスがたまった状態で換気などを行うと急速に酸素と結びついて二酸化炭素への急激な反応を引き起こして爆発を起こす現象だ。映画にもなったことで、かなり有名である。
「それか、西野博士が何かしら危険な物質を持ち込んでいた可能性だけど。これは研究所の責任者に確認しておいてくれる? 危険物を持ち込むのだとすれば、事前に断りをいれているだろうから」
「わかりました」
私はあわてて、メモ帳に副島さんに聞くべきことを書き留めた。
「あとは……リュックの乾燥剤に引火した可能性くらいかしら。荷物に何が入っているか少しでもわかればもっといろんな方法を考えられるんだけど」
「乾燥剤!」
思わず、私は大きな声を出してベッドの上で少し飛び上がってしまった。
「あなた、もう夜は十二時を過ぎているのよ。いくらそっちの防音性が高くても限度があるんじゃない?」
「すいません、つい……」
難しい数学の問題が解けた時に、大きな声が出てしまう現象と同じだ。何かを学ぶことの喜びは、この興奮を味わうためだと私は思っている。
「ただ、当たり前だけど生石灰だけでは発火してスプリンクラーが作動までにはいたらないのよね。何かしらその付近に爆発物がないと」
乾燥剤に使われる中でも、生石灰という物質は水に反応して発熱する特徴がある。それを生かして、熱を発生させることはできないだろうか?
「無理ね。リュックや配られたパンの中に乾燥剤が入っていてもおかしくないけども、それが生石灰を利用したものである可能性はとても低い。リュックなんて雨の中で背負う事もあるだろうし、水筒の液体がふとした拍子にリュックの中で漏れるなんてこともある。それらはパンもしかりよ。そんな商品の乾燥剤を生石灰にするような企業はないでしょ」
私が電話をしながら調べると、副島さんにもらったパンに使用されていたものは全て、乾燥剤ではなく脱酸素剤だった。脱酸素剤も発熱するが、火が発生するにはあまりにも熱量が少なすぎる。
「とにかく、まとめると一時間ほどの間は西野博士以外には誰もその部屋に近づいていないこと。そして、明確な爆発物が発見されていないこと」
「そうですね。それは間違いないと思います」
少しの間、電話から沈黙が流れた。おそらく、ものすごいスピードで思考をまとめているのだろう。
「とにかく一晩、しっかりと考えてみるわ。また、明日の朝には連絡する。今日はゆっくり休んで」
「わかりました。おやすみなさい」
電話が切れた後、私は何も考えずに目を閉じた。いつの間にか、意識はどこかへ飛んでいた。きっと、探偵さんなら何かを解き明かしてくれるはずだ。
爆発音がした場所には既に警官たちが揃っていた。彼らも慌てて階下からやってきたようで、息を切らしている。爆発音がしたと思われる部屋が誰のものなのかはわからない。だけど、先ほどの爆発音と震動からもしも中に人が居れば、無事では済まない事は直感で理解できた。
「とにかく、早く消火器をもってこさせろ!」
そう言って登松刑事が大きな声で怒鳴るように指示を出す。慌てて警官の一人が階下へと降りて行った。部屋の中からぱちぱちと何かが燃える音が聞こえる。警察官たちの頭上には煙があがっていることが見えた。
とにかく、その場は混乱が支配した状況だった。
その騒ぎを聞きつけた副島さん、井野さん、岩塚さんも慌てて階段を上がってきた。その手には、消火器が握られている。
「ちょっと、どいてください!」
岩塚さんが慌てて警察官たちを押しのけて消火器を床に置く。そしてレバーを引くとそこから白い煙が勢いよく噴き出した。その煙は部屋から出て来る煙を押し戻しつつ、その勢いを弱めていく。やがて、煙は収まってなんとか部屋の様子を確認できるようになった。
私はその隙間からわずかに覗けた部屋の中は様々なものが散乱して、そのすべてが跡形もなく散っていた。部屋の手前にはキャリーケースにつけるようのタグが破れて落ちていた。それを見て私は、部屋のドアにつけられた名札の存在を思い出す。私が確認するとそこにはしっかりと名札が付いていた。
そして、そこに書かれてあった名前は、西野幸助。
「西野博士……」
誰かがまるで呼びかけるようにその名を呼んだ。
日本現代化学の父とも呼ばれた男、西野幸助はその化学の力によって命を奪われた。
「ここは我々が保存しますからとりあえずは食堂に集まっていてもらえますか」
すでに研究所内にいる全員が、爆発音を聞きつけて西野博士が泊まっていた部屋の前に集合していた。登松刑事は、すぐに二人の警官に命令して私たちを食堂まで誘導させる。そのまま警察によって現場の保存が行われるようだ。
「と、とりあえず簡単に準備をします。井野君、ついてきて」
警官に誘導されて一階に降りる私たちに先んじて、副島さんは井野さんを連れて慌てて階下へ降りて行った。
残された私たちは、ただ下を向いて固まって歩く。
「まさか、西野博士まで亡くなられるとは」
その場にいる全員が、それを考えていただろう。これで、日本の化学界は大きく成長の足を止めるとともに、もう一つの懸念事項が浮かび上がる。
火野博士と西野博士が二日連続で亡くなった。もう、事故だの自殺だの言っていられる場合じゃない。何者かが明確な意図と殺意を持って、二人を殺害したことは誰の目にも明らかだった。その恐怖がだんだんとしみ込んで、体を重くさせる。
それからどれほどの時間が経っただろうか、部屋の重い扉が開き、登松刑事の率いる警官たちがぞろぞろと食堂になだれ込んできた。登松刑事以外は、部屋の端で待機する姿勢をとる。
「さて、早速ですが西野博士の部屋で爆発があった三十分ほど前から何をしていたか、一人ずつお伺いしてもよろしいですか」
「あの、死因はなんだったんですか?」
私がおずおずと手を挙げて伺うと、登松刑事は面倒くさそうにしながらも教えてくれた。探偵さんの推理を期待するために、少しでも情報を集めておきたい。
「被害者は、おそらく何らかの原因で発生した火が爆発物に引火し、そのまま逃げる間もなく亡くなったのでしょう。スプリンクラーが作動したことも考えれば、ほぼ確定ですね」
スプリンクラー? それがどう関係してくるのか分からなかったけれども、これ以上の質問ははばかられた。
「では、気を取り直してみなさんに何をしていたかお伺いします。もちろん、こちらは各場所に警官を配備していますので嘘などつけばすぐにばれますからね。では、そちらから」
登松刑事が指名したのは、大庭博士だった。彼は前に見た時と同じように挙動不審な態度で何かに怯えているようだった。大庭博士も有名だけど、西野博士や甲斐博士に比べると知名度は少し劣る。
「私は、部屋で夕食を取った後は、論文をまとめていました。証明する方法は、パソコンで論文の編集履歴を見てもらえれば最終記録で時刻が表示されると思います。ちょうど論文を書いていた時に火災が起こってスプリンクラーが作動したので」
「わかりました。今から確認させてもらってもいいですか?」
そのまま大庭博士と警官一人がパソコンを取りに二階へと上がっていった。
「じゃあ、パソコンを取りに行っている間に次、そこの人」
指名されたのは、片山博士だった。
「私は、生徒からのレポートを確認していました。システムから、その画面を開いていたことは証明できます」
「僕は、家内と連絡を取っていました。電話などではありませんが、それなりに長文を高頻度で返していたので、その時間帯は両手が空くことはありませんでしたね」
長岡博士の言うことはアリバイには弱かったけれど、警察はグレーの位置に長岡博士を置くようだ。仮に全員が確固たるアリバイを持っていれば話は別だっただろうけど、現時点では誰を疑って話を進めていいのかもわからない。
そのまま全員のアリバイを聞いていたが、アリバイが証明されたのは大庭博士と片山博士、長岡博士だけだった。それも、極端な話だがパソコンだけ持ち込んで殺害も不可能ではない。潔白を証明できる人はいない。他の人はみな各自で本を読んでいるか、シャワーを浴びていたなど明確にその人がその時間に部屋にいて、何をしていたかの証明はできなかった。
ただ、少なくとも西野博士の部屋を訪れたり、その前で長時間にわたって立ち止まったりしていた人はいないことが、二階を見張っていた警官の証言によってわかった。
そして、それは私も同じだった。警察がどれくらいの時間で西野博士殺害の準備をしたと考えているのかわからないが、私と副島さんも長岡博士よりは黒いグレーのような扱いだった。一応、副島さんと一緒にいた証明になるかもしれないワイングラスは、警察が回収していた。
「それで、西野博士の部屋で何が起こったんですか? かなりすごい音が響きましたけど。爆発物があれば、気が付くはずでは」
一通り、警察からの質問が終わったところで今度はこちらの番だ。ぱっと見た限りでは、西野博士の部屋でいったい何が起こったのかわからない。
「さあ、犯人が何か爆発物を持ち込んだのかわかりませんが……」
部屋の中は私が見た限りではボロボロで、爆発物の特定も難しそうだった。
「研究員の皆様はどのようにお考えですか。この研究所内には原因となりそうな物質はいくらでもあるでしょうが、爆発の特徴からして何か思い当たることはありますか」
「爆発の前にスプリンクラーが作動したので、おそらく西野博士の部屋で何かしら火の手があがったんでしょう。そして、それが爆発物に引火した」
副島さんの見解はその通りだった。しかし、ちょうど疑問に思っていたところだ。私は全員に問いかけるようにそれを聞くことにした。
「どうして、西野博士の部屋で起こった火災なのに私の部屋までスプリンクラーが作動したんですか?」
その疑問は普通だと思ったんだけれど、どうやら違うらしい。岩塚さんが答えてくれた。
「こういう研究所や倉庫などでは、非常に危険な物質やどういったものかわからないものがあるので一気に火の手が広がる可能性があります。なので、どこかで火の気が感知されるとあらかじめ決められた区間内で同時にスプリンクラーが作動するようになっているんですよ。そうすれば、火の手が広がるのを防ぐことができます」
「なるほど」
実は私が知らないだけで、大学の防火設備もそんなふうになっているのだろうか。実家のスプリンクラーは火があがったその部屋でしか作動しないので、どこも同じだろうと思っていた。自分の勉強不足を恥じる。
「とにかく、流れとしては何者かが西野博士の部屋に火をつけて、それによってスプリンクラーが作動。しかし、その水だけではどうにもならずに部屋にあった爆発物に引火して西野博士の部屋を吹き飛ばした」
登松刑事が簡単にまとめてくれた。確かに、それが自然が考え方だろう。
「その通りだと思います。ここに保管してある液体などは全て提出したノートに記してありますが、それらを合成したり分解したりすれば生成できる爆発物なんていくらでもあります」
その意見は、登松刑事もわかっていたのか顔をしかめた。
「とにかく、問題は西野博士の部屋でどうして火の手が上がったか。犯人が放火したに決まっているが、それを誰も目撃していない以上はどうしようもない」
それからも一時間ほど警察に拘束されて根掘り葉掘り聞かれたが、何もヒントになるようなことは聞けなかったらしい。私は不知火のことを副島さんとともに伝えたが、やはり警察は不知火のことをそこまで重くは捉えていないようだ。
私は、部屋に戻るとすぐに携帯電話を取り出した。電話を掛ける先はもちろん、一つだ。
「もしもし、こんな遅い時間にどうしたの?」
ワンコールも鳴りやまないうちに、電話口に人が出た。既に夜は深けて常識で電話をかけてもいい時間を過ぎていると思うのだが、これまでずっと推理をしていたのだろうか。
私は事件の顛末を事細かに説明した。西野博士が殺された事、爆発が起こった事、爆発物の特定はできていないことなど。
「なるほど。やっぱり、一筋縄じゃいかないわよね」
探偵さんはまるで予測がついていたようにそう言った。ここまで大がかりな事をしているのだから、探偵さんはすでに連続殺人が起こることも危惧していたのだろう。残念ながらそれは現実となった。
そこで私は、捜査のカギになるかもしれない要素について説明しようと考えた。
「あの、スプリンクラーなんですけど」
しかし、私が言うよりも早く探偵さんは、私の話そうとしたことを続ける。
「開放型スプリンクラーヘッドだったんでしょ。」
「え、どうしてそれを知っているんですか?」
もうすでに警察内部から探偵さんに情報が行くほどに連携が取れているのだろうか。
「この状況でスプリンクラーについて話すなんてそれくらいしか思い当たらないからよ。そもそも一般的な家庭につけられているスプリンクラーは、部品の一部が火災によって反応した熱によって溶けることで、水が溢れ出すようになっているわ。この仕組みなら、火災の発生したその部屋でのみ消火活動が行われるし、何より安上がりだわ」
確かに、いちいち火災報知機をつけてそれをシステムで管理するというのは一般家庭にはそぐわない。そもそも、部屋の数が管理するほどないだろう。
「ま、あなたの部屋と西野博士の部屋はスプリンクラーの設定では同じ区画にされていたってことよ。だから、西野博士の部屋で火災が起きればあなたの部屋でスプリンクラーが作動したし、逆もまたしかりってこと」
なるほど、きっとここの建物は少なくとも客室はすべてスプリンクラーの一区間にまとめられているのだろう。だからこそ、私の質問もスムーズに通ったのだ。
「じゃあ、火元に関しては何か心当たりがありますか?」
スプリンクラーのしくみはよくわかった。これが事件の真相に関係があるのかわからないので、とりあえずは西野博士殺しについて話を進めることにしよう。
「まず考えられるのは、放火ね。聞いたところ、アリバイはほとんどの人にないようだし。ただ、部屋の前にはそれらしきあとはなかったんでしょう?」
確かに、火元は西野博士の部屋であるとすれば、発生源は部屋の中。警察が念入りに調べたが、外から何か細工をほどこしたとは考えにくいらしい。見落としは、ここでは考慮しないことにしよう。それが、探偵さんの考え方だ。
「なら、部屋の中で放火してそのまま部屋を出たか、もしくは時限装置か遠隔装置のようなものを使用したかのどちらかよね」
確かに、部屋があの惨状ならばそんな装置があってもきれいさっぱり木っ端みじんだろう。警察もその線で考えているらしい。しかし、その説を採用すると大庭博士たちのアリバイも全く意味を成さなくなる。
しかし、装置を設置する必要があるのが難点だ。警官が西野博士の部屋を見張っていなかったのはわずかな間で、少なくとも一時間以上の間は誰も近寄ってすらいない。西野博士だって前日に殺人事件が起こったかもしれないのにのこのこと自室で二人きりになるようなへまはおかさないだろう。
よほどの信頼を得ている人間にしかできないことだが、西野博士とそういった関係にある人物がこの中にいるのだろうか。あくまで昨日の食事会で感じた雰囲気でしかないが、全員がそれぞれビジネスでのつながりしか持っていないように感じた。ならば、事前に装置を仕込んでおいたと考えるのが自然だ。だだ、それも説としては苦しいと言わざるを得ない。そこまで警戒しているなら、部屋の中になにか怪しいものがそれを調べるだろう。犯人なら、どうする?
「それに、西野博士の部屋には鍵がかかっていたらしいんですよ。吹き飛ばされたドアには鍵が閉まっていた痕跡が残っていたらしくて。だからこそより、外部からの直接的な放火っていう線が薄いんです」
警察が時限装置説を中心に捜査をしているのもその影響が大きい。もしも西野博士を眠らせるなりしても、そこから火を放って密室にするというのは納得がいかない部分も多い。火を使った殺人において、密室殺人にする必要なんてあるのだろうか。
「ないわね。そもそも密室殺人は事故かあるいは自殺に見せかけて、そもそも捜査を始めさせないために行われる手法よ。第一の殺人で用いるのならばまだしも、ここまで不可思議な状況でわざわざ密室を作る意味もない。それに、不知火を発生させることは犯行予告と同義だからね」
不知火はこれまでに二度。一回目は火野博士が亡くなったことを全員で確認にいくときに窓の外を覗いた私が発見した。二回目は私が副島さんとワインを片付けているところで副島さんが窓の外でごうごうと燃える炎を見つけて、その後に西野博士が亡くなった。
しかし、ここまでして不知火を発生させることにこだわる理由は何だろうか。探偵さんはその理由こそがこの事件を解決するカギになると考えている。私もそれには同感だった。ここまで警察と探偵さんを相手にトリックどころかその尻尾すらも掴ませていないほど賢くて狡猾な人間が、無意味に犯行予告などをする必要がないだろう。もしも恐怖心を煽って判断力を鈍らせるのなら私や副島さんだけではなくて全員に周知されなければいけない。
「とにかく、その不知火が何を意味しているのかを考えることを最優先。その次に西野博士殺害の方法ね。時限装置や遠隔装置を作ることは別に難しくはないだろうけども、それらしき部品の残骸も見つかってないのよね」
「はい、登松刑事がいうには部屋に何も怪しいものはなかったそうです。ただ、爆発の勢いは相当なものだったので跡形もなく吹き飛ばされた可能性もありますけど」
「ほかの可能性としてはタバコじゃないかしら。西野博士が喫煙していたのかは存じ上げないけども。吸った瞬間にその炎に反応してドカン! みたいな」
喫煙……少なくとも私の前でタバコを吸ってはいなかったが、それは西野博士の配慮かもしれない。近年は煙草に対する世間の風当たりも強くなっているから、それだけ吸う分には周りに気をつかう必要がある。
「あとは、バックドラフトかしら」
「そうですねえ。バックドラフトだと爆発音も納得できますし」
バックドラフトは、密閉された場所で不完全燃焼となって、可燃性の一酸化炭素ガスがたまった状態で換気などを行うと急速に酸素と結びついて二酸化炭素への急激な反応を引き起こして爆発を起こす現象だ。映画にもなったことで、かなり有名である。
「それか、西野博士が何かしら危険な物質を持ち込んでいた可能性だけど。これは研究所の責任者に確認しておいてくれる? 危険物を持ち込むのだとすれば、事前に断りをいれているだろうから」
「わかりました」
私はあわてて、メモ帳に副島さんに聞くべきことを書き留めた。
「あとは……リュックの乾燥剤に引火した可能性くらいかしら。荷物に何が入っているか少しでもわかればもっといろんな方法を考えられるんだけど」
「乾燥剤!」
思わず、私は大きな声を出してベッドの上で少し飛び上がってしまった。
「あなた、もう夜は十二時を過ぎているのよ。いくらそっちの防音性が高くても限度があるんじゃない?」
「すいません、つい……」
難しい数学の問題が解けた時に、大きな声が出てしまう現象と同じだ。何かを学ぶことの喜びは、この興奮を味わうためだと私は思っている。
「ただ、当たり前だけど生石灰だけでは発火してスプリンクラーが作動までにはいたらないのよね。何かしらその付近に爆発物がないと」
乾燥剤に使われる中でも、生石灰という物質は水に反応して発熱する特徴がある。それを生かして、熱を発生させることはできないだろうか?
「無理ね。リュックや配られたパンの中に乾燥剤が入っていてもおかしくないけども、それが生石灰を利用したものである可能性はとても低い。リュックなんて雨の中で背負う事もあるだろうし、水筒の液体がふとした拍子にリュックの中で漏れるなんてこともある。それらはパンもしかりよ。そんな商品の乾燥剤を生石灰にするような企業はないでしょ」
私が電話をしながら調べると、副島さんにもらったパンに使用されていたものは全て、乾燥剤ではなく脱酸素剤だった。脱酸素剤も発熱するが、火が発生するにはあまりにも熱量が少なすぎる。
「とにかく、まとめると一時間ほどの間は西野博士以外には誰もその部屋に近づいていないこと。そして、明確な爆発物が発見されていないこと」
「そうですね。それは間違いないと思います」
少しの間、電話から沈黙が流れた。おそらく、ものすごいスピードで思考をまとめているのだろう。
「とにかく一晩、しっかりと考えてみるわ。また、明日の朝には連絡する。今日はゆっくり休んで」
「わかりました。おやすみなさい」
電話が切れた後、私は何も考えずに目を閉じた。いつの間にか、意識はどこかへ飛んでいた。きっと、探偵さんなら何かを解き明かしてくれるはずだ。
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