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エール

ー/ー



 私は覚悟を決めた。
 自分の正しさを証明するために、この身を重くする呪いを振り払うために、夏芽と玲の恋を成就させる。
 樋渡綾と喫茶店で話した翌日、私は玲と落ち合う算段を立てて、普段よりも少し早めに学校に向かった。誰もいない中庭のベンチで玲を待ちながら、このこともあのシスコン野郎は姉に話すのかな、と考える。
 それでも、玲しかいないんだ。私は自分に言い聞かせる。あいつがシスコンだろうが、陰キャだろうが、よりによってあの樋渡綾の弟だろうが、関係ない。互いを思い、適切に仲を深めているのであれば、私は二人に結ばれてほしい。
「お、おはようございます」
 顔を上げると、半袖の開襟シャツ姿の玲が立っていた。鬱陶しく伸びた髪がぬるい風に吹かれて、私たちは一瞬だけ目が合う。乱された前髪が元に戻るより先に、玲の目が明後日の方向を向いてしまう。
「あんた、こないだ夏芽と蛍観たんだって?」
 玲がベンチに座る前から、私は訊ねる。彼は完全に腰を下ろし切る前に空気椅子みたいな姿勢で固まって、それから少しだけ私の方に首を向けながらそろそろと座った。
「和久井先輩から、聞いたんですか」
 私はその問いには答えず、状況を説明せよと促した。玲はなにかを諦めたようなため息をついて、土曜日に起こったことを話してくれた。大筋は夏芽から聞いた内容と変わらない。やはりこの二人は暗い林道で手を繋いだのだ。
 そして、そのことをきっかけとして、夏芽の中に恋心が萌そうとしている。
「今週の金曜が夏芽の誕生日だってことは知ってる?」
 と私は訊ねる。
「はい」
「その日に告っちゃおう」
 勝算はあるから、と私は続けた。案の定と言うべきか、玲はすぐには頷かず、逡巡する様子を見せる。その煮え切らない姿が、以前ほど癇に障らなくなった気がする。
「あ、あと三日後じゃないですか。全然、心の準備ができてませんよ」
「じゃあ、その心の準備とやらはいつ整うの」
 間髪入れずに私は問い詰める。玲は口ごもって俯いてしまう。
「そ、それは」
「あんたもしかして、自分がちょっと夏芽と仲良くなったからって、余裕こいてんじゃない?」
「そんなわけないじゃないですか」
 背後から注ぐ朝の日差しが、彼の飛ばす唾の飛沫を鮮明に映す。ああ、こいつは本気で夏芽が好きなんだ、と私は実感する。そして、ここまで真っ直ぐに誰かを思えるその姿を、素直にすごいと思った。玲にあって、私にないものがたしかに存在している。けれど、それが具体的にどういうものなのか、今の私は一言で言い表すことができない。
「ねえ、あんたって、これまで誰かに告ったことはある?」
「ない、です」
 不承不承といった感じで、玲は認める。
「だったら教えたげる。告白する上で一番大切なのは、タイミングだから。わかる? 告白はゼロから一を生み出す行為なんかじゃない。言ってしまえば単なる確認行為で、事務作業みたいなものなの。だから、大事なのはいかにその作業感を繕えるかってこと。今回の場合、夏芽の誕生日っていう絶好のタイミングがある。逆に言えば、このタイミングを逃しちゃったら、心の準備がどうのこうの抜かしてあんたがいつまでもひよってる未来がありありと見えるね」
 よくもまあ、ここまで適当な言葉を並び立てられるなと、自分自身に感心してしまう。
「お、小瀬先輩は、あの人が俺を受け入れてくれると思いますか」
 いやいや、さっき私、勝算はあるからってちゃんと伝えただろ。普段なら、きっとそう突っ掛からずにはいられなかっただろう。けれど今の私は、やっぱり穏やかな心で玲を受け入れられる。きっと緊張でうまく言葉が届かなかったんだろうな、と理解を示してやれる。
「大丈夫。私を信じて」
 でも、最終的に信じるのは自分自身だよ――そんな言葉を飲み込む。さすがにそこまで言ってしまうとクサすぎる。
「わかり、ました。明後日、和久井先輩に告白します」
 玲が、慎重に宣言した。私は、彼の背中をぽんと叩いた。そっけない先輩からの無言のエール、みたいな感じで。
 あともう少し、と私は自分に言い聞かせる。あともう少しで夏芽と玲は結ばれる。夏芽は、生まれ変わるんだ。
 ――とってもピュアなんだね。
 樋渡綾が最後に言い放った、あの忌まわしい時間を象徴するような言葉が、今も耳にこびりついて離れない。
 樋渡綾という存在を、私は常に疑って観察し続けていた。それゆえに、その言葉の意図が読みとれてしまう。揶揄されたのではない。いや、揶揄の意味合いも含まれていたのかもしれないけれど、それはメッセージの核ではなかった。
 あれはきっと、樋渡綾の本心から出た表現だった。彼女の視点から見れば、夏芽ではなく、私の方こそが純粋無垢に映っていたということだ。
 そんな価値観を、今の私が受け入れられるはずがなかった。


次のエピソードへ進む 恋心


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 私は覚悟を決めた。
 自分の正しさを証明するために、この身を重くする呪いを振り払うために、夏芽と玲の恋を成就させる。
 樋渡綾と喫茶店で話した翌日、私は玲と落ち合う算段を立てて、普段よりも少し早めに学校に向かった。誰もいない中庭のベンチで玲を待ちながら、このこともあのシスコン野郎は姉に話すのかな、と考える。
 それでも、玲しかいないんだ。私は自分に言い聞かせる。あいつがシスコンだろうが、陰キャだろうが、よりによってあの樋渡綾の弟だろうが、関係ない。互いを思い、適切に仲を深めているのであれば、私は二人に結ばれてほしい。
「お、おはようございます」
 顔を上げると、半袖の開襟シャツ姿の玲が立っていた。鬱陶しく伸びた髪がぬるい風に吹かれて、私たちは一瞬だけ目が合う。乱された前髪が元に戻るより先に、玲の目が明後日の方向を向いてしまう。
「あんた、こないだ夏芽と蛍観たんだって?」
 玲がベンチに座る前から、私は訊ねる。彼は完全に腰を下ろし切る前に空気椅子みたいな姿勢で固まって、それから少しだけ私の方に首を向けながらそろそろと座った。
「和久井先輩から、聞いたんですか」
 私はその問いには答えず、状況を説明せよと促した。玲はなにかを諦めたようなため息をついて、土曜日に起こったことを話してくれた。大筋は夏芽から聞いた内容と変わらない。やはりこの二人は暗い林道で手を繋いだのだ。
 そして、そのことをきっかけとして、夏芽の中に恋心が萌そうとしている。
「今週の金曜が夏芽の誕生日だってことは知ってる?」
 と私は訊ねる。
「はい」
「その日に告っちゃおう」
 勝算はあるから、と私は続けた。案の定と言うべきか、玲はすぐには頷かず、逡巡する様子を見せる。その煮え切らない姿が、以前ほど癇に障らなくなった気がする。
「あ、あと三日後じゃないですか。全然、心の準備ができてませんよ」
「じゃあ、その心の準備とやらはいつ整うの」
 間髪入れずに私は問い詰める。玲は口ごもって俯いてしまう。
「そ、それは」
「あんたもしかして、自分がちょっと夏芽と仲良くなったからって、余裕こいてんじゃない?」
「そんなわけないじゃないですか」
 背後から注ぐ朝の日差しが、彼の飛ばす唾の飛沫を鮮明に映す。ああ、こいつは本気で夏芽が好きなんだ、と私は実感する。そして、ここまで真っ直ぐに誰かを思えるその姿を、素直にすごいと思った。玲にあって、私にないものがたしかに存在している。けれど、それが具体的にどういうものなのか、今の私は一言で言い表すことができない。
「ねえ、あんたって、これまで誰かに告ったことはある?」
「ない、です」
 不承不承といった感じで、玲は認める。
「だったら教えたげる。告白する上で一番大切なのは、タイミングだから。わかる? 告白はゼロから一を生み出す行為なんかじゃない。言ってしまえば単なる確認行為で、事務作業みたいなものなの。だから、大事なのはいかにその作業感を繕えるかってこと。今回の場合、夏芽の誕生日っていう絶好のタイミングがある。逆に言えば、このタイミングを逃しちゃったら、心の準備がどうのこうの抜かしてあんたがいつまでもひよってる未来がありありと見えるね」
 よくもまあ、ここまで適当な言葉を並び立てられるなと、自分自身に感心してしまう。
「お、小瀬先輩は、あの人が俺を受け入れてくれると思いますか」
 いやいや、さっき私、勝算はあるからってちゃんと伝えただろ。普段なら、きっとそう突っ掛からずにはいられなかっただろう。けれど今の私は、やっぱり穏やかな心で玲を受け入れられる。きっと緊張でうまく言葉が届かなかったんだろうな、と理解を示してやれる。
「大丈夫。私を信じて」
 でも、最終的に信じるのは自分自身だよ――そんな言葉を飲み込む。さすがにそこまで言ってしまうとクサすぎる。
「わかり、ました。明後日、和久井先輩に告白します」
 玲が、慎重に宣言した。私は、彼の背中をぽんと叩いた。そっけない先輩からの無言のエール、みたいな感じで。
 あともう少し、と私は自分に言い聞かせる。あともう少しで夏芽と玲は結ばれる。夏芽は、生まれ変わるんだ。
 ――とってもピュアなんだね。
 樋渡綾が最後に言い放った、あの忌まわしい時間を象徴するような言葉が、今も耳にこびりついて離れない。
 樋渡綾という存在を、私は常に疑って観察し続けていた。それゆえに、その言葉の意図が読みとれてしまう。揶揄されたのではない。いや、揶揄の意味合いも含まれていたのかもしれないけれど、それはメッセージの核ではなかった。
 あれはきっと、樋渡綾の本心から出た表現だった。彼女の視点から見れば、夏芽ではなく、私の方こそが純粋無垢に映っていたということだ。
 そんな価値観を、今の私が受け入れられるはずがなかった。