出題編2-5
ー/ー 私は言われたとおりに電話画面を隠してベッドの上に置いた。少し驚いた後は冷静になって、ドアスコープを覗く。
そこには、荷物を抱えた副島さんが立っていた。それを見て無意識のうちに安心したのか、ドアスコープを覗くために背伸びしていた足が緩んだ。そのまま私は前に倒れて、ドアに勢い良くぶつかる。ゴンと大きな音がする。
「渡橋様! 大丈夫ですか?」
ドアと私のぶつかった音を聞いた副島さんは、慌ててドアを激しくノックする。
「だ、大丈夫です。すぐに開けます」
私はドアノブに手をかけて、つまみをひねった。後から考えれば、ドアが内開きでなければ私はそのまま倒れていただろう。
「し、失礼します」
ドアのつまみを捻った音を聞いた副島さんは、私ごとドアを押して部屋の中に入ってきた。再び、私は倒れそうになる。副島さんが警戒してドアを半分ほどしか開かなかったのが幸運だった。
「渡橋様? そこで何をされてるんですか?」
ちょうどドアと下駄箱の間に挟まれるように立っている私を、副島さんはまるで変なものを見るような目で伺っている。まあ、変なのは間違いないので否定しない。
「な、なんでもないです」
そういうだけで精いっぱいだった。副島さんは少し納得のいかない表情をしている。
「それで副島さんはどうして私の部屋に?」
「いえ、なんてことはないけど、替えのシーツやタオルを持ってきました。もしも怖くなったら外に出てくる必要が無いようにと思いまして。一応、全部の部屋に配ってあるものは統一しているんですけども特に欲しいものがあれば、可能な限りは準備させてもらいます」
「ありがとうございます。すみません、副島さんたちだって大変なのに」
これからどれくらいここに拘束されるかわからないが、気遣いがありがたい。私はさっと副島さんが両手に抱えるシーツを受け取った。すると、その下には高級料理店で見るようなクローシュを載せた皿があった。
「それって、なんですか?」
副島さんの華奢な体にはシーツとタオルでいっぱいだろう。それにも関わらずにわざわざクローシュを載せてまで料理を運んできたのだろうか。
「実は、渡橋さんと一緒に飲みたいと思って」
私がシーツをベッドの方に投げて、タオルを受けとる。空いた左手で副島さんがクローシュをとるとそこにはワイングラスが二つと、これまた高そうなワインが寝かされていた。そのワインはついさっきまで冷やされていたのだろう。瓶には結露した水滴がびっしりとついており、より美味しそうに見えた。
「もちろん、いただきたいんですけれども。いいんですか?」
いろいろやることがありそうなのにと、他人事のようにそんなことを思ってしまう。
「ええ、他の人は岩塚君と小野君がやっておいてくれるそうなので。二人とも、優しいから気を使ってくれたんだと思います。甲斐博士も一人で大丈夫と仰っていたので、少しはゆっくりできる時間がもらえました。なので、できれば年も近くて話しやすい渡橋さんとゆっくり話でもしてリラックスしたいと思ったんですけれども。よろしいですか?」
私に、それを断る理由はどれだけ探しても微塵も無かった。
「ぜひ、いただきます。座るところ……ベッドでいいですか?」
私はベッドを軽くぱんぱんと払った。そこに手を添えて副島さんを促す。
「もちろん、渡橋様が良ければ」
私がそれに頷くと、副島さんは笑って私の手が指し示す先に腰を下ろした。私もワインの乗るお皿が間にちょうど入るくらいのところに腰を下ろす。
「じゃ、さっそくだけどワインを開けますね。特に割るための飲み物は準備していないんですが、大丈夫ですか?」
副島さんはそう言いながらコルクを外す。まるでバーテンダーのように様になっている。
「大丈夫です。お酒は得意なので。ですけど……」
ちらっと見えたラベルには、十五パーセントと書かれていた。それくらいなら、問題ないはずだ。だけど、私には気にかかることがあった。私がそこを濁したので、副島さんは私の顔を覗き込んでくる。続きを促しているのだと思って私は話した。
「せっかくのお酒なのに、敬語を使われるとちょっとお堅い気分と言うか、かしこまってしまって」
副島さんは私の言葉を聞いて少し考えた後。
「なら、この席でだけ友達みたいに話してもいい?」と言った。
その時の笑顔は、先ほどまでの笑顔よりもより柔らかい気がした。
「は、はい。それでお願いします」
私もなんだか嬉しくなってしまう。彼女がどうしても敬語にこだわる人でなくて良かった。私は中学、高校、大学と部活やサークル、生徒会活動に参加してこなかったせいであまり年下の人と接する機会がなかった。それは同時に、敬語を使われることにあまり慣れていないということだ。どうしても、ビジネスライクな関係に聞こえてしまう。それこそ、探偵さんぐらいにフランクな態度のほうが話しやすいのもまた事実だった。
「ちょっと、そっちも敬語は使わないはずでしょ?」
「そうでした……じゃなくて、そうだね」
私がそう言うと、副島さんと視線がぶつかった。そして、二人で大笑いする。なんだか、副島さんの心と通じ合っていると、心に触れられていると感じた。
「いい飲みっぷりだね」
注がれたワインをぐっと飲み干すと、副島さんに褒められた。「うらやましいな。私はあんまりお酒には強くないから」
そう言って副島さんは苦笑する。
昨日は、西野博士に注いでもらったワインも難なく飲んでいたように思えたけれど……
「昨日のちょっとした時間を飲んだだけでも判断力はほとんど無くなっていたわ。でも、あんなことが起こったからね。目も覚めたわ」
確かにそうだ。あんなことがあれば酔いも覚めるだろう。よく、あんな状態の遺体を見ても、体の中にあるものを戻さなかったといった方が正確なほどのことだ。
「でも、今日はやることも終わったからゆっくりできそう。酔っぱらって寝ちゃっても大丈夫だから、いっぱい飲みたいな」
「それはいいけど、全員に食べ物とタオルを配ったのなら副島さん達も部屋でゆっくり休んでもいいんじゃない?」
私の提案に副島さんは意外そうな顔をした、その後に少しだけ悲しそうに笑う。
「気遣いありがとう。ただ、亡くなった博士のためにも実験を続けておかないといけないから、誰かは実験室を定期的に行き来しないといけないの。ご飯はなんとかなるんだけど、実験だけはね」
「そうなんですか、いやそうよね」
私も休みもなく実験を観察して記録を取る必要があったからその辛さはよくわかる。火野博士が最後に遺した研究だというのなら、放り出すことはできないだろう。
「副島さんも若いのに。やっぱりこういう場所で研究できるなんてすごいなあ」
「そんなことないわ。それにやっぱり私には難しい。火野先生の代わりなんてできる気もしない。それは、研究も責任者としても」
「そんなことない。昨日、今日の立ち振る舞いもすごく立派だったよ」
火野博士が亡くなってもいたって冷静に自分のするべきことを考えて行動するその姿は、私の目にはかっこよく映った。
「ありがと。でもそんなに尊敬されることじゃないわ。大学にいたころはやっぱりダメダメだったの」
「え? どういうこと」
私は言っていることがわからなかった。副島さんがダメダメという言葉のイメージにそぐわない。仕事ができる人という言葉の権化みたいな人なのに。
「大学時代は成果発表も上手くいっていなかったし、就活も出来ていたわけじゃないの」
「でも、研究職につけているじゃないですか」
私からすれば、研究職で厳しい環境ながらもそこに身を置けるのは充分に成功であると思えた。今の自分と代わってあげようかと聞かれれば返答には時間を要するけれども、首を縦に振るかもしれない。
「まあ、先生に拾ってもらった身だからね。大学に講義に来てくれた時に交換してもらった名刺に連絡したら、二つ返事でオッケーをしてもらったわ。ここに来てから聞いた話だけども、井野君と岩塚君も同じような状況だったらしいわ」
「そんなことがあるんですね」
それはまさにシンデレラストーリーだった。
もちろん、火野博士に認められるにはそれ相応の努力をしたはずだ。チャンスを掴んだ副島さんはやはり優秀だと思う。私が評価するのも失礼だけど。
「先生が言うには、就職なんかで浪人なんて馬鹿らしいって笑ってたわ。だから、三人とも先生には感謝しているのよ。だからこそ……」
「だからこそ?」
私は副島さんが何かを言いたくなっていたけれども、それを飲み込んだように思えた。だから、私は続けるように促した。
「こんなことをした人を許さない。出来る事なら、私が犯人を明かして捕まえてやりたいくらいには、憎んでいるわ」
そういった副島さんの眼差しには、まさに先ほど見た不知火と同じように勢いよく炎がごうごうと唸るように燃えていた。それからは、気を取り直して二人でとりとめのない話をした。
仕事には関係ないような話題を選ぶように心がけたため、私が普段はどんな生活をしているのか、恋人はいるのかなどの、まるでクラス替えで初めて知り合った同級生のような話題で盛り上がった。
「なんだか、新鮮だわ。都会の話って」
副島さんはやはり都会のことは気になるのだろう。ニュースは毎朝しっかりと見ているらしいが、それだけではわからないことのほうが多い。私も普段は大学に入り浸って研究ばかりしているせいであまり詳しくはないけれど、それでもできる限りは伝えようと努力した。私のつたない説明を、副島さんは楽しそうに聞いてくれた。
ワインも話が盛り上がるにつれてどんどんと私と副島さんに飲み込まれていき、やがて準備されたワインは全て無くなった。空になったワインボトルを見ても、酔いは覚めることはない。もうすでに時間はよい時間を迎えていた、すでに夕日は沈もうとしている。水平線に向かって垂直に一本の道が生まれていた。
「なんだろう、かなり酔っているのかも」
そう言いながら、副島さんは笑みを浮かべた。
その視線は窓の外へと向いている。私もそれに合わせて窓から外を見た。
「ねえ、これ以上は何も起こらないよね……」
隣から副島さんの声が聞こえる。
副島さんの言葉は、祈るような言い方だった。私は彼女の言葉を聞きながらも、半ば諦めに近い感情を抱いていた。
「きっと大丈夫ですよ」
気休めの言葉でしかないけれども、そう言うしかなかった。
しかし、その言葉が大きく揺らぐことになる。
「あれ、どうしたんだろう」
外を向いていた副島さんが、眼鏡を外して目を擦る。そして、もういちど外をしっかりと見た瞬間に、それまで酔っぱらってほんのりと赤くなっていた副島さんの顔から色が引いた。
「どうしたんですか?」
窓から外を眺める。すると、すぐに副島さんが何やら怯えている理由がわかった。
私の、そして副島さんの向いている方向。
窓の外には、まるで昨日と同じように海の上で燦然と炎が輝いていたのだ。水面に映る月すらも食らいつくさんとする勢いの炎は、このまま世界が滅びてもこの場で燃え盛っているかのようなほどに幻想的で歪な光景だった。
「……そろそろ戻ろうかしら」
副島さんは、部屋につけられていた時計を見てそうつぶやいた。
もう、どうやら酔いは覚めてしまったらしい。私も窓から入ってくる夜風のせいかあんなに熱かった頬はすでに素面と何も変わらない。
「帰っちゃうの?」
私は、この勢いなら副島さんがこのまま泊まっていくかもしれないかと思っていたから、残念な気持ちを隠せなかった。こんなことを言っても副島さんを困らせるだけなのに。
「明日も早く起きてご飯を準備しないとだからね。実験もあるし」
副島さんはそう言いながら、ワイングラスをてきぱきと片付けていく。私も手伝おうと手を伸ばした時にはすべての片づけは終わっていた。
副島さんの表情にも、残念そうな表情が見えたのは気のせいでは無かっただろうと思う。
「じゃあ、また明日ね。起こしに来るから。晩御飯は井野君がもう少ししたら届けにくるはずだから。気を付けてね」
「はい。おやすみなさい」
私の返事を聞いて微笑んだ副島さんは、ゆっくりと部屋から出て行った。私はドアが完全に閉まるまで見送ってから、ベッドに寝転んで天井を見上げる。まだ眠くはないけれど、目を閉じればすぐに眠れそうだと思った。
でも、もう少しだけ夜風に拭かれながら火照る体を沈めたくて、そのままの姿勢でぼーっとする。窓から注ぎ込む月明かりが、顔を照らしていた。そんなことをしていると、だんだんと意識が朦朧としてきた。頭がぼうっとしてきて体のコントロールが効かない。指に力が入らないせいで、携帯電話が手の内側から滑り落ちた。ベッドに倒れこんでいるせいか、体全体に酔いが回ってくる。目を閉じようとした、その瞬間だった。突如、部屋の天井に備えられたスプリンクラーから水が放出された。
「何? まさか火事?」
思わず声を出した私の口に天井から降り注ぐ水が入ってくる。私は喉の奥にまで入ってきた水を吐きながら、体を起こした。まだ、自在に手足が動くわけではないけどとにかく状況を確認しようと慌てて部屋の外へ出る。私の脳内には、すぐに不知火が海の上で燃え上がっている光景が浮かんでいた。
「誰かいませんか?」
廊下には私と同じように異常事態であることを察知したほかの客人たちも出て来る。彼らも私と同じように何が起こっているのかとお互いに確認しあい、あたりを見回している。
全員が軽いパニック状態だったところに、階の端から爆発音が響いた。続いて建物全体が震えるような大きな揺れが起こる。私はその揺れで姿勢を崩して壁に手をついた。
「きゃっ!」
酔っぱらっているせいで、足もおぼつかない。それでも、なんとか姿勢を立て直すと爆発音のしたほうへと走った。
「何が起こったの?」
私と同じように皆が声を上げて、連携などとれる状態ではない。私はとにかく何が起こっているのかを確認しようと、探偵さんに厳命された自分の安全を優先することなど忘れていた。さっき副島さんと一緒に見た不知火のことが気にかかって嫌な予感がしたからだ。
その予想は残念ながら、当たってしまうことになる。
そこには、荷物を抱えた副島さんが立っていた。それを見て無意識のうちに安心したのか、ドアスコープを覗くために背伸びしていた足が緩んだ。そのまま私は前に倒れて、ドアに勢い良くぶつかる。ゴンと大きな音がする。
「渡橋様! 大丈夫ですか?」
ドアと私のぶつかった音を聞いた副島さんは、慌ててドアを激しくノックする。
「だ、大丈夫です。すぐに開けます」
私はドアノブに手をかけて、つまみをひねった。後から考えれば、ドアが内開きでなければ私はそのまま倒れていただろう。
「し、失礼します」
ドアのつまみを捻った音を聞いた副島さんは、私ごとドアを押して部屋の中に入ってきた。再び、私は倒れそうになる。副島さんが警戒してドアを半分ほどしか開かなかったのが幸運だった。
「渡橋様? そこで何をされてるんですか?」
ちょうどドアと下駄箱の間に挟まれるように立っている私を、副島さんはまるで変なものを見るような目で伺っている。まあ、変なのは間違いないので否定しない。
「な、なんでもないです」
そういうだけで精いっぱいだった。副島さんは少し納得のいかない表情をしている。
「それで副島さんはどうして私の部屋に?」
「いえ、なんてことはないけど、替えのシーツやタオルを持ってきました。もしも怖くなったら外に出てくる必要が無いようにと思いまして。一応、全部の部屋に配ってあるものは統一しているんですけども特に欲しいものがあれば、可能な限りは準備させてもらいます」
「ありがとうございます。すみません、副島さんたちだって大変なのに」
これからどれくらいここに拘束されるかわからないが、気遣いがありがたい。私はさっと副島さんが両手に抱えるシーツを受け取った。すると、その下には高級料理店で見るようなクローシュを載せた皿があった。
「それって、なんですか?」
副島さんの華奢な体にはシーツとタオルでいっぱいだろう。それにも関わらずにわざわざクローシュを載せてまで料理を運んできたのだろうか。
「実は、渡橋さんと一緒に飲みたいと思って」
私がシーツをベッドの方に投げて、タオルを受けとる。空いた左手で副島さんがクローシュをとるとそこにはワイングラスが二つと、これまた高そうなワインが寝かされていた。そのワインはついさっきまで冷やされていたのだろう。瓶には結露した水滴がびっしりとついており、より美味しそうに見えた。
「もちろん、いただきたいんですけれども。いいんですか?」
いろいろやることがありそうなのにと、他人事のようにそんなことを思ってしまう。
「ええ、他の人は岩塚君と小野君がやっておいてくれるそうなので。二人とも、優しいから気を使ってくれたんだと思います。甲斐博士も一人で大丈夫と仰っていたので、少しはゆっくりできる時間がもらえました。なので、できれば年も近くて話しやすい渡橋さんとゆっくり話でもしてリラックスしたいと思ったんですけれども。よろしいですか?」
私に、それを断る理由はどれだけ探しても微塵も無かった。
「ぜひ、いただきます。座るところ……ベッドでいいですか?」
私はベッドを軽くぱんぱんと払った。そこに手を添えて副島さんを促す。
「もちろん、渡橋様が良ければ」
私がそれに頷くと、副島さんは笑って私の手が指し示す先に腰を下ろした。私もワインの乗るお皿が間にちょうど入るくらいのところに腰を下ろす。
「じゃ、さっそくだけどワインを開けますね。特に割るための飲み物は準備していないんですが、大丈夫ですか?」
副島さんはそう言いながらコルクを外す。まるでバーテンダーのように様になっている。
「大丈夫です。お酒は得意なので。ですけど……」
ちらっと見えたラベルには、十五パーセントと書かれていた。それくらいなら、問題ないはずだ。だけど、私には気にかかることがあった。私がそこを濁したので、副島さんは私の顔を覗き込んでくる。続きを促しているのだと思って私は話した。
「せっかくのお酒なのに、敬語を使われるとちょっとお堅い気分と言うか、かしこまってしまって」
副島さんは私の言葉を聞いて少し考えた後。
「なら、この席でだけ友達みたいに話してもいい?」と言った。
その時の笑顔は、先ほどまでの笑顔よりもより柔らかい気がした。
「は、はい。それでお願いします」
私もなんだか嬉しくなってしまう。彼女がどうしても敬語にこだわる人でなくて良かった。私は中学、高校、大学と部活やサークル、生徒会活動に参加してこなかったせいであまり年下の人と接する機会がなかった。それは同時に、敬語を使われることにあまり慣れていないということだ。どうしても、ビジネスライクな関係に聞こえてしまう。それこそ、探偵さんぐらいにフランクな態度のほうが話しやすいのもまた事実だった。
「ちょっと、そっちも敬語は使わないはずでしょ?」
「そうでした……じゃなくて、そうだね」
私がそう言うと、副島さんと視線がぶつかった。そして、二人で大笑いする。なんだか、副島さんの心と通じ合っていると、心に触れられていると感じた。
「いい飲みっぷりだね」
注がれたワインをぐっと飲み干すと、副島さんに褒められた。「うらやましいな。私はあんまりお酒には強くないから」
そう言って副島さんは苦笑する。
昨日は、西野博士に注いでもらったワインも難なく飲んでいたように思えたけれど……
「昨日のちょっとした時間を飲んだだけでも判断力はほとんど無くなっていたわ。でも、あんなことが起こったからね。目も覚めたわ」
確かにそうだ。あんなことがあれば酔いも覚めるだろう。よく、あんな状態の遺体を見ても、体の中にあるものを戻さなかったといった方が正確なほどのことだ。
「でも、今日はやることも終わったからゆっくりできそう。酔っぱらって寝ちゃっても大丈夫だから、いっぱい飲みたいな」
「それはいいけど、全員に食べ物とタオルを配ったのなら副島さん達も部屋でゆっくり休んでもいいんじゃない?」
私の提案に副島さんは意外そうな顔をした、その後に少しだけ悲しそうに笑う。
「気遣いありがとう。ただ、亡くなった博士のためにも実験を続けておかないといけないから、誰かは実験室を定期的に行き来しないといけないの。ご飯はなんとかなるんだけど、実験だけはね」
「そうなんですか、いやそうよね」
私も休みもなく実験を観察して記録を取る必要があったからその辛さはよくわかる。火野博士が最後に遺した研究だというのなら、放り出すことはできないだろう。
「副島さんも若いのに。やっぱりこういう場所で研究できるなんてすごいなあ」
「そんなことないわ。それにやっぱり私には難しい。火野先生の代わりなんてできる気もしない。それは、研究も責任者としても」
「そんなことない。昨日、今日の立ち振る舞いもすごく立派だったよ」
火野博士が亡くなってもいたって冷静に自分のするべきことを考えて行動するその姿は、私の目にはかっこよく映った。
「ありがと。でもそんなに尊敬されることじゃないわ。大学にいたころはやっぱりダメダメだったの」
「え? どういうこと」
私は言っていることがわからなかった。副島さんがダメダメという言葉のイメージにそぐわない。仕事ができる人という言葉の権化みたいな人なのに。
「大学時代は成果発表も上手くいっていなかったし、就活も出来ていたわけじゃないの」
「でも、研究職につけているじゃないですか」
私からすれば、研究職で厳しい環境ながらもそこに身を置けるのは充分に成功であると思えた。今の自分と代わってあげようかと聞かれれば返答には時間を要するけれども、首を縦に振るかもしれない。
「まあ、先生に拾ってもらった身だからね。大学に講義に来てくれた時に交換してもらった名刺に連絡したら、二つ返事でオッケーをしてもらったわ。ここに来てから聞いた話だけども、井野君と岩塚君も同じような状況だったらしいわ」
「そんなことがあるんですね」
それはまさにシンデレラストーリーだった。
もちろん、火野博士に認められるにはそれ相応の努力をしたはずだ。チャンスを掴んだ副島さんはやはり優秀だと思う。私が評価するのも失礼だけど。
「先生が言うには、就職なんかで浪人なんて馬鹿らしいって笑ってたわ。だから、三人とも先生には感謝しているのよ。だからこそ……」
「だからこそ?」
私は副島さんが何かを言いたくなっていたけれども、それを飲み込んだように思えた。だから、私は続けるように促した。
「こんなことをした人を許さない。出来る事なら、私が犯人を明かして捕まえてやりたいくらいには、憎んでいるわ」
そういった副島さんの眼差しには、まさに先ほど見た不知火と同じように勢いよく炎がごうごうと唸るように燃えていた。それからは、気を取り直して二人でとりとめのない話をした。
仕事には関係ないような話題を選ぶように心がけたため、私が普段はどんな生活をしているのか、恋人はいるのかなどの、まるでクラス替えで初めて知り合った同級生のような話題で盛り上がった。
「なんだか、新鮮だわ。都会の話って」
副島さんはやはり都会のことは気になるのだろう。ニュースは毎朝しっかりと見ているらしいが、それだけではわからないことのほうが多い。私も普段は大学に入り浸って研究ばかりしているせいであまり詳しくはないけれど、それでもできる限りは伝えようと努力した。私のつたない説明を、副島さんは楽しそうに聞いてくれた。
ワインも話が盛り上がるにつれてどんどんと私と副島さんに飲み込まれていき、やがて準備されたワインは全て無くなった。空になったワインボトルを見ても、酔いは覚めることはない。もうすでに時間はよい時間を迎えていた、すでに夕日は沈もうとしている。水平線に向かって垂直に一本の道が生まれていた。
「なんだろう、かなり酔っているのかも」
そう言いながら、副島さんは笑みを浮かべた。
その視線は窓の外へと向いている。私もそれに合わせて窓から外を見た。
「ねえ、これ以上は何も起こらないよね……」
隣から副島さんの声が聞こえる。
副島さんの言葉は、祈るような言い方だった。私は彼女の言葉を聞きながらも、半ば諦めに近い感情を抱いていた。
「きっと大丈夫ですよ」
気休めの言葉でしかないけれども、そう言うしかなかった。
しかし、その言葉が大きく揺らぐことになる。
「あれ、どうしたんだろう」
外を向いていた副島さんが、眼鏡を外して目を擦る。そして、もういちど外をしっかりと見た瞬間に、それまで酔っぱらってほんのりと赤くなっていた副島さんの顔から色が引いた。
「どうしたんですか?」
窓から外を眺める。すると、すぐに副島さんが何やら怯えている理由がわかった。
私の、そして副島さんの向いている方向。
窓の外には、まるで昨日と同じように海の上で燦然と炎が輝いていたのだ。水面に映る月すらも食らいつくさんとする勢いの炎は、このまま世界が滅びてもこの場で燃え盛っているかのようなほどに幻想的で歪な光景だった。
「……そろそろ戻ろうかしら」
副島さんは、部屋につけられていた時計を見てそうつぶやいた。
もう、どうやら酔いは覚めてしまったらしい。私も窓から入ってくる夜風のせいかあんなに熱かった頬はすでに素面と何も変わらない。
「帰っちゃうの?」
私は、この勢いなら副島さんがこのまま泊まっていくかもしれないかと思っていたから、残念な気持ちを隠せなかった。こんなことを言っても副島さんを困らせるだけなのに。
「明日も早く起きてご飯を準備しないとだからね。実験もあるし」
副島さんはそう言いながら、ワイングラスをてきぱきと片付けていく。私も手伝おうと手を伸ばした時にはすべての片づけは終わっていた。
副島さんの表情にも、残念そうな表情が見えたのは気のせいでは無かっただろうと思う。
「じゃあ、また明日ね。起こしに来るから。晩御飯は井野君がもう少ししたら届けにくるはずだから。気を付けてね」
「はい。おやすみなさい」
私の返事を聞いて微笑んだ副島さんは、ゆっくりと部屋から出て行った。私はドアが完全に閉まるまで見送ってから、ベッドに寝転んで天井を見上げる。まだ眠くはないけれど、目を閉じればすぐに眠れそうだと思った。
でも、もう少しだけ夜風に拭かれながら火照る体を沈めたくて、そのままの姿勢でぼーっとする。窓から注ぎ込む月明かりが、顔を照らしていた。そんなことをしていると、だんだんと意識が朦朧としてきた。頭がぼうっとしてきて体のコントロールが効かない。指に力が入らないせいで、携帯電話が手の内側から滑り落ちた。ベッドに倒れこんでいるせいか、体全体に酔いが回ってくる。目を閉じようとした、その瞬間だった。突如、部屋の天井に備えられたスプリンクラーから水が放出された。
「何? まさか火事?」
思わず声を出した私の口に天井から降り注ぐ水が入ってくる。私は喉の奥にまで入ってきた水を吐きながら、体を起こした。まだ、自在に手足が動くわけではないけどとにかく状況を確認しようと慌てて部屋の外へ出る。私の脳内には、すぐに不知火が海の上で燃え上がっている光景が浮かんでいた。
「誰かいませんか?」
廊下には私と同じように異常事態であることを察知したほかの客人たちも出て来る。彼らも私と同じように何が起こっているのかとお互いに確認しあい、あたりを見回している。
全員が軽いパニック状態だったところに、階の端から爆発音が響いた。続いて建物全体が震えるような大きな揺れが起こる。私はその揺れで姿勢を崩して壁に手をついた。
「きゃっ!」
酔っぱらっているせいで、足もおぼつかない。それでも、なんとか姿勢を立て直すと爆発音のしたほうへと走った。
「何が起こったの?」
私と同じように皆が声を上げて、連携などとれる状態ではない。私はとにかく何が起こっているのかを確認しようと、探偵さんに厳命された自分の安全を優先することなど忘れていた。さっき副島さんと一緒に見た不知火のことが気にかかって嫌な予感がしたからだ。
その予想は残念ながら、当たってしまうことになる。
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