5 幸せ

ー/ー



 最後の日は昼食を終えると、二人で川沿いを歩いた。
 鉄柵越しの川は、太陽の光を反射して輝いている。水面は浅く、泥が隆起して幾筋もの流れを形成していた。

 無言で歩く。言葉を発しない、居心地の悪さはなかった。私は鉄柵の縦棒に指を当てて歩く。旋律を奏でるように、指が棒の上で、跳ねた。
 ぽちゃん、と蛙が川に飛び込み、流れに任せて泳ぎ始めた。

「流れた川の水は、元には戻せませんね」
 リオさんが静かに言った。
 蛙は川底に潜り、どこかへ行ってしまった。

 誰かが作った笹船が二艘流れてきた。船は、ゆっくり歩く私たちを追い抜き、泥で分岐した流れに沿って、二手に分かれ別方向へと進んだ。

 そう。流れた水は戻らない。従うだけ。
 でも、一つだけ思うことがある。

「私はこうも思うんです」
 少し歩く速度を速めた。
 水嵩が増し、泥の隆起がなくなった。分かれていた笹船が合流した。
 船はぶつかり、渦に巻き込まれたかと思うと、浮上し、寄り添うように水面を進む。

「意志があれば、新たな流れに乗ることも、もしかして、できるんじゃいかって」
「意志、ですか」
 リオさんは笹船を眩しそうに見送り、鉄柵に腕を預けた。

「俺はきっと、流れに身を委ねること自体を拒絶していたんです。幸せなんてものは与えられるものでなく、自分の手で掴み取るものだと思ってたから」
 体を反転させ、リオさんは鉄柵にもたれた。

「でも、流れに飛び込んだうえで、掴み取れば、それは与えられたものじゃない。自分の手で掴み取ったものだって」
 自虐的に笑い、リオさんは私の瞳を探るように覗く。

「もう意志が届かないくらいに遠いところまで、流れて行ってしまったのかな」
 その言葉は私に訊ねているのか、それとも独り言なのか、そんな曖昧な響きを持っていた。
 だから私もリオさんを見返して、曖昧に答える。

「意志を持つことに遅すぎる、なんてことはないと思います」
 私の言葉にどういう感情を持ったのか。
 確かめる前に、リオさんが深く笑った。

「こうなると思ってた」

 さっきまでの静かな世界での笑顔ではない。もっと獰猛な笑い、仕掛けた罠に嵌まった獲物を見た、狩人のような満足感が彼の表情に浮かんだ。

「今日で良かったです」
 リオさんが囁いて、私の視界を塞ぐ。彼の大きな背中が、私を隠した。

「あの時、言ったな。ここから先は、俺とお前のケンカだってな」
 先ほどまでの優しい声とは変わって、鋭い声が飛んだ。

 私は息を飲んだ。
 リオさんの影の中で、男の人たちの声が聞こえた。
 あいつだ、と察した。私がギルドに駆け込む原因となった、あの男の人だ。しかも複数人いる。先日の仕返しに来たんだ。

 いくらなんでも危険だ。私が原因なのに、こんなことにリオさんを巻き込めない。
 私は彼の袖を引っ張った。

「逃げましょう」
「ここで逃げてもあいつらは、またやってくる。この場で終わらせるべきだ」
「だったら、リオさんだけでも逃げてください」
「何言ってるんです、これは仕事……」

 言葉を切り、リオさんは袖を掴む私の拳にそっと指を入れる。
 親指が、ほどける。
 リオさんの無骨な指が私の拳を、崩した。

「これは俺の意志なんです。俺が掴み取るべきものなんだ」
 肩を押された。
 リオさんは男たちへと一歩踏み出した。

「さあ、教えてくれるか。どれくらい痛めつければ、お前たちは諦める?」
 男が飛びかかってきた。リオさんはその腕を捉えて体を反転させる。地面に叩きつけられ、男の体が跳ね上がった。

 背中に目がついているように左腕を振るう。拳が顔面を捉えた。後方に蹴りだした足が、相手の顎を突き上げる。
 地面に三人の男性が重なって倒れた。

 叫び声を上げて、男がリオさんに掴みかかった。
 指がリオさんに届くより早く、足が男のこめかみを弾いた。
 鈍い音がして、男が崩れ落ちた。

「まだ、続けるのか?」
 リオさんが坊主頭の彼に尋ねる。彼は震える顎を閉じられないまま、空気を欲するように喉を鳴らす。
 襟を破るほどの勢いで、リオさんは彼を胸元に引き上げた。

「答えろよ、まだ続けるのか?」
 坊主頭の彼はかろじて首を横に振った。

「いいか、俺に用があるなら、いつでも来い。ギルドで、リオ=アスターの名前を言えば、いつでも俺に繋がる。分かったか?」
 額をぶつけるほどの勢いでリオさんが叫んだ。坊主頭の彼は、慌てて何度も頷いた。

 リオさんは男を突き放した。坊主頭の男はよろめき、鉄柵に体をぶつける。
 太い指が私の指を包んだ。

「行きましょう」
 走り出した。リオさんは力強く私の手を引く。私は手を握り返した。呼吸が弾む。
 心臓が跳ねるのは、走っているからか、目の前の乱闘に恐怖したからなのか、それとも……

 男たちの姿が見えなくなると、リオさんは足を止めた。手を離す。

「怖いですか、俺のこと?」
 短く刈り込んだ髪。固く握りしめた無骨な拳は、傷だらけだった。
 まっすぐに見つめる瞳は、なぜだか初めて会った店でのことをを思い出させた。

 でも、あの時とは違う。リオさんの目の光は少しぼやけて、拳が、なんだか震えているように見えた。

「不愛想で不器用で、おまけに、真面目すぎ。そして……」
 傷だらけの拳に両手を乗せた。

「冒険者として頑張ってるのが、リオさん……でしょ? 怖いところなんてないですよ」
「その任務も、今日で終わりです。あいつらも、もうあなたのところには来ないでしょう」

 私は依頼主、彼にとって私は護衛対象者。お金でつながる関係は今日でおしまいだ。

「そうですね……」
 私は精一杯笑った。リオさんが私の手を握りしめた。思わず手を引こうとすると、力で封じられた。

「今さら、かもしれません。自分でも、都合がいいな、と思っています」
 不器用ながらも、リオさんは言葉を紡ごうとする。
 私は手の力を抜き言葉を待った。

「もし、迷惑でないなら、明日の午前中、空いてるのでまた買い出し行ってもいいですか? 今度は任務ではなく、お手伝いとして」


-----------


 今日は忙しい。ここ最近で一番忙しい。リオさんと二人の買い出しで、家と市場を何往復しただろう。

 父親たちの歌声とはしゃぎ声が響く。
 肩を組んで、お酒を飲み干し、肉に噛みつく。

 いくら昔ながらの親友同士だからって、あまり長いこと騒がれては近所迷惑だ。
 私は手を打ち鳴らして、お酒も食材も尽きたことを宣言し、お開きを一方的に告げた。

 そんな私を横暴だと、父親たちは言うが、わがままには付き合っていられない。こっちだってすることがあるんだ。

 隣の部屋に移ると、座っていたリオさんが振り返り、一枚の紙を差し出した。
 慎重に紙を受け取った。自然と笑みがこぼれる。
 テーブルが汚れていないか確認して紙を置く。

 受け取ったペンを慎重に動かし、婚姻届にサインをする。

 ライナ=アスター。

 これからお世話になる私の名前だ。

『婚約の件、なかったことにしましょう』

 振り返ってみれば、最悪な初対面だった。
 でも、この言葉がなければ、私はギルドに駆け込むこともなかったし、「リオさん」としての、本当の彼を知ることもなかった。

 きっと、彼だって同じだ。
 川の流れが一つになるように、私たちはまた巡り合った。

 この幸せは、お互いの父親が用意したものじゃない。
 私たち自身が、自分の意志で掴んだ幸せなんだ。


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 最後の日は昼食を終えると、二人で川沿いを歩いた。
 鉄柵越しの川は、太陽の光を反射して輝いている。水面は浅く、泥が隆起して幾筋もの流れを形成していた。
 無言で歩く。言葉を発しない、居心地の悪さはなかった。私は鉄柵の縦棒に指を当てて歩く。旋律を奏でるように、指が棒の上で、跳ねた。
 ぽちゃん、と蛙が川に飛び込み、流れに任せて泳ぎ始めた。
「流れた川の水は、元には戻せませんね」
 リオさんが静かに言った。
 蛙は川底に潜り、どこかへ行ってしまった。
 誰かが作った笹船が二艘流れてきた。船は、ゆっくり歩く私たちを追い抜き、泥で分岐した流れに沿って、二手に分かれ別方向へと進んだ。
 そう。流れた水は戻らない。従うだけ。
 でも、一つだけ思うことがある。
「私はこうも思うんです」
 少し歩く速度を速めた。
 水嵩が増し、泥の隆起がなくなった。分かれていた笹船が合流した。
 船はぶつかり、渦に巻き込まれたかと思うと、浮上し、寄り添うように水面を進む。
「意志があれば、新たな流れに乗ることも、もしかして、できるんじゃいかって」
「意志、ですか」
 リオさんは笹船を眩しそうに見送り、鉄柵に腕を預けた。
「俺はきっと、流れに身を委ねること自体を拒絶していたんです。幸せなんてものは与えられるものでなく、自分の手で掴み取るものだと思ってたから」
 体を反転させ、リオさんは鉄柵にもたれた。
「でも、流れに飛び込んだうえで、掴み取れば、それは与えられたものじゃない。自分の手で掴み取ったものだって」
 自虐的に笑い、リオさんは私の瞳を探るように覗く。
「もう意志が届かないくらいに遠いところまで、流れて行ってしまったのかな」
 その言葉は私に訊ねているのか、それとも独り言なのか、そんな曖昧な響きを持っていた。
 だから私もリオさんを見返して、曖昧に答える。
「意志を持つことに遅すぎる、なんてことはないと思います」
 私の言葉にどういう感情を持ったのか。
 確かめる前に、リオさんが深く笑った。
「こうなると思ってた」
 さっきまでの静かな世界での笑顔ではない。もっと獰猛な笑い、仕掛けた罠に嵌まった獲物を見た、狩人のような満足感が彼の表情に浮かんだ。
「今日で良かったです」
 リオさんが囁いて、私の視界を塞ぐ。彼の大きな背中が、私を隠した。
「あの時、言ったな。ここから先は、俺とお前のケンカだってな」
 先ほどまでの優しい声とは変わって、鋭い声が飛んだ。
 私は息を飲んだ。
 リオさんの影の中で、男の人たちの声が聞こえた。
 あいつだ、と察した。私がギルドに駆け込む原因となった、あの男の人だ。しかも複数人いる。先日の仕返しに来たんだ。
 いくらなんでも危険だ。私が原因なのに、こんなことにリオさんを巻き込めない。
 私は彼の袖を引っ張った。
「逃げましょう」
「ここで逃げてもあいつらは、またやってくる。この場で終わらせるべきだ」
「だったら、リオさんだけでも逃げてください」
「何言ってるんです、これは仕事……」
 言葉を切り、リオさんは袖を掴む私の拳にそっと指を入れる。
 親指が、ほどける。
 リオさんの無骨な指が私の拳を、崩した。
「これは俺の意志なんです。俺が掴み取るべきものなんだ」
 肩を押された。
 リオさんは男たちへと一歩踏み出した。
「さあ、教えてくれるか。どれくらい痛めつければ、お前たちは諦める?」
 男が飛びかかってきた。リオさんはその腕を捉えて体を反転させる。地面に叩きつけられ、男の体が跳ね上がった。
 背中に目がついているように左腕を振るう。拳が顔面を捉えた。後方に蹴りだした足が、相手の顎を突き上げる。
 地面に三人の男性が重なって倒れた。
 叫び声を上げて、男がリオさんに掴みかかった。
 指がリオさんに届くより早く、足が男のこめかみを弾いた。
 鈍い音がして、男が崩れ落ちた。
「まだ、続けるのか?」
 リオさんが坊主頭の彼に尋ねる。彼は震える顎を閉じられないまま、空気を欲するように喉を鳴らす。
 襟を破るほどの勢いで、リオさんは彼を胸元に引き上げた。
「答えろよ、まだ続けるのか?」
 坊主頭の彼はかろじて首を横に振った。
「いいか、俺に用があるなら、いつでも来い。ギルドで、リオ=アスターの名前を言えば、いつでも俺に繋がる。分かったか?」
 額をぶつけるほどの勢いでリオさんが叫んだ。坊主頭の彼は、慌てて何度も頷いた。
 リオさんは男を突き放した。坊主頭の男はよろめき、鉄柵に体をぶつける。
 太い指が私の指を包んだ。
「行きましょう」
 走り出した。リオさんは力強く私の手を引く。私は手を握り返した。呼吸が弾む。
 心臓が跳ねるのは、走っているからか、目の前の乱闘に恐怖したからなのか、それとも……
 男たちの姿が見えなくなると、リオさんは足を止めた。手を離す。
「怖いですか、俺のこと?」
 短く刈り込んだ髪。固く握りしめた無骨な拳は、傷だらけだった。
 まっすぐに見つめる瞳は、なぜだか初めて会った店でのことをを思い出させた。
 でも、あの時とは違う。リオさんの目の光は少しぼやけて、拳が、なんだか震えているように見えた。
「不愛想で不器用で、おまけに、真面目すぎ。そして……」
 傷だらけの拳に両手を乗せた。
「冒険者として頑張ってるのが、リオさん……でしょ? 怖いところなんてないですよ」
「その任務も、今日で終わりです。あいつらも、もうあなたのところには来ないでしょう」
 私は依頼主、彼にとって私は護衛対象者。お金でつながる関係は今日でおしまいだ。
「そうですね……」
 私は精一杯笑った。リオさんが私の手を握りしめた。思わず手を引こうとすると、力で封じられた。
「今さら、かもしれません。自分でも、都合がいいな、と思っています」
 不器用ながらも、リオさんは言葉を紡ごうとする。
 私は手の力を抜き言葉を待った。
「もし、迷惑でないなら、明日の午前中、空いてるのでまた買い出し行ってもいいですか? 今度は任務ではなく、お手伝いとして」
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 今日は忙しい。ここ最近で一番忙しい。リオさんと二人の買い出しで、家と市場を何往復しただろう。
 父親たちの歌声とはしゃぎ声が響く。
 肩を組んで、お酒を飲み干し、肉に噛みつく。
 いくら昔ながらの親友同士だからって、あまり長いこと騒がれては近所迷惑だ。
 私は手を打ち鳴らして、お酒も食材も尽きたことを宣言し、お開きを一方的に告げた。
 そんな私を横暴だと、父親たちは言うが、わがままには付き合っていられない。こっちだってすることがあるんだ。
 隣の部屋に移ると、座っていたリオさんが振り返り、一枚の紙を差し出した。
 慎重に紙を受け取った。自然と笑みがこぼれる。
 テーブルが汚れていないか確認して紙を置く。
 受け取ったペンを慎重に動かし、婚姻届にサインをする。
 ライナ=アスター。
 これからお世話になる私の名前だ。
『婚約の件、なかったことにしましょう』
 振り返ってみれば、最悪な初対面だった。
 でも、この言葉がなければ、私はギルドに駆け込むこともなかったし、「リオさん」としての、本当の彼を知ることもなかった。
 きっと、彼だって同じだ。
 川の流れが一つになるように、私たちはまた巡り合った。
 この幸せは、お互いの父親が用意したものじゃない。
 私たち自身が、自分の意志で掴んだ幸せなんだ。