黒狼 ―3―
ー/ー
雪が降っている。そう勘違いしてしまうほど辺りが白く感じた。目の前が霧がかかったように霞む。数秒前まではメモリアを見据えていたはずの視界がぐらりと歪んだ。次第に呼吸が荒くなり、自分の吐く息の白さにレオノールは眉をひそめた。その直後、レオノールはようやく自分の身体の異常に気がつく。
(…………冷たい)
指先が言うことを聞かない。まるで脳からの司令に応えようとしない身体はもはや温度を感じ取ることもできないほど冷えきっていた。つい先程までの焼けるような痛みが嘘のように冷たい。そして、芯まで凍りきって動かない手足とは対照的に、妙に右脇腹が熱い。不思議な感覚だ。身体は冷たいのに、全身は痺れるように痛い。そして、1箇所だけ燃えるような熱さと痛みに襲われている。レオノールがそこに目をやると、そこにはあったのは致命傷と言うには生ぬるいほど、ドクドクと赤黒い血を垂れ流し続ける、氷槍が突き刺さったままの自分の腹部だった。
「…………が…………ごほッ……」
熱いのか、寒いのか、もう訳がわからないほど酷い痛みだ。レオノールは思い切り舌を噛み、朦朧としている意識を必死に途切れないように繋ぎ止める。痛みは増すばかりで、他で上書きなどできそうになかった。だか、まだもう少し、意識を保つことはできるようだった。
「…………は……ぁあ…………まだ、まだぁ……」
「やめておいた方がいい。今動いたら本気で死んじゃうよ」
レオノールは数秒前の出来事を思い返す。ガクガクと震えておぼつかない手足を無理やり動かしてレオノールは立ち上がった。ボタボタと血が氷槍を伝って垂れている。レオノールは氷槍が溶かし、向こう側が見える自分の右脇腹の状態を確認した。不幸中の幸いと言うべきか、傷口が凍っているのか、出血は思っていたよりも少ない。
「まだ……動ける…………戦える……」
一歩一歩を踏みしめて歩く。その状況に1番驚いているのはレオノール本人ではなくメモリアだった。ゆっくり、半歩にも満たないほどゆっくりと、レオノールは歩を進める。ぼそぼそとうわ言をつぶやきながら、光のない目でメモリアを見ている。確実に致死の一撃を与えたはずのメモリアはその姿を見て思わず身を退かせた。
レオノールの速さはたとえ慣れたとしても到底追いつけるものではない。では、なぜメモリアは最高速度のレオノールに合わせてカウンターの一撃を与えることができたのか。正解は、レオノールの意識を歪ませて、バレないように周囲の気温を下げていたからだ。その上で最も厄介だったのは帯電によるレオノールの体温の上昇だったが、それも結果としてプラスに働いた。
筋肉硬直。寒さによって筋肉は冷えて硬くなり、運動能力が著しく低下する。レオノールは超帯電状態によって内側だけは温まり、外気にさらされた外側の状況を正確に判断することができなかったというわけだ。あとは、識の魔法を使ってレオノールに射程距離を誤認させて、氷槍を使って道筋を限定させれば、速さには追いつけなくとも相手から接近してきてくれる。
メモリアが恐ろしいのは、その強力な識の魔法を使いつつも、その存在を悟らせずに、自分に有利な展開に誘い込むところだ。レオノールもまんまとメモリアの手のひらの上で踊らされたことになった。
(それなのに、まだ……)
だが、レオノールは折れなかった。致命の一撃を与えられてなお、立ち上がった。ボロボロになったレオノールを見て、メモリアはわずかに攻撃を躊躇う。これでは死体撃ちと同じだ。これ以上、何をせずともレオノールは倒れるはずだ。そのはずなのに――
「こないのか……なら、こっちから行くぞ……」
レオノールの眼光は、まだ燃えている。傷だらけ、血だらけになりながらも、黒狼は吠えた。その目に闘志を抱き、勝ち目のない敵を前にしてまだその牙を、爪を研いでいるのだ。
「……どうしてまだ立ち上がるの? もう限界でしょ? 諦めた方がずっと楽になれる」
「……そっか、あんたには…………わかんねぇよなぁ」
疑問で仕方がなかったことをメモリアは口にした。これ以上は戦いにもならない。命を投げ捨てて稼いだ数秒も意味はないのだ。なのに、なぜまだ戦おうとするのか。それが理解できない。そんなメモリアの問いかけに、レオノールは当然だと言わんばかりに笑いながら答えるのだ。
「あんたは強いから……わかんねぇんだよ。意地になってでも、何も無くても、戦わなくちゃいけない時があるんだ……」
「……それは何? それが今なの?」
レオノールが負けたら、メモリアは迷わずその先に進む。メルティやヨナにも躊躇はしない。最悪の場合、レオノールよりも酷いことになるかもしれない。どう転んでも、メモリアの目的は変わらずソフィアを殺すことなのは変わらない。
ここですべてが変わる。変わってしまう。負けられない理由は十分だ。負けられない。負けたくない。死なせない。必ず守る。そう1度決めたのなら、もう退くことはしない。絶対に諦めない。
「背中に、女3人背負ってんだ。男がこんなところで負けられるかよ」
「…………君は、本当に最高だね」
「かっこいいとこ……見せなくっちゃなァ!」
牙は砕けていない。爪は折れていない。まだやれる。戦える。極限の集中。レオノールは痛みで脳がクリアになって妙に冴えた感覚がしていた。蛮勇ではない確信。『今ならできる』と、全細胞が訴えかける。身体に魔力が巡る感覚を全身で感じ取ることができる。まるで世界と一体となったように、全身ですべてを感じる。
そして至るは魔法使いの極み。無駄な集中を、意識を、動きを。何もかもすべてを削ぎ落とし、最後に残った一閃の雷光。闇夜を切り裂く雷電がほとばしる。
「最終演目!」
覚醒前夜。黒き狼は吠える。
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雪が降っている。そう勘違いしてしまうほど辺りが白く感じた。目の前が霧がかかったように霞む。数秒前まではメモリアを見据えていたはずの視界がぐらりと歪んだ。次第に呼吸が荒くなり、自分の吐く息の白さにレオノールは眉をひそめた。その直後、レオノールはようやく自分の身体の異常に気がつく。
(…………冷たい)
指先が言うことを聞かない。まるで脳からの司令に応えようとしない身体はもはや温度を感じ取ることもできないほど冷えきっていた。つい先程までの焼けるような痛みが嘘のように冷たい。そして、芯まで凍りきって動かない手足とは対照的に、妙に右脇腹が熱い。不思議な感覚だ。身体は冷たいのに、全身は痺れるように痛い。そして、1箇所だけ燃えるような熱さと痛みに襲われている。レオノールがそこに目をやると、そこにはあったのは致命傷と言うには生ぬるいほど、ドクドクと赤黒い血を垂れ流し続ける、氷槍が突き刺さったままの自分の腹部だった。
「…………が…………ごほッ……」
熱いのか、寒いのか、もう訳がわからないほど酷い痛みだ。レオノールは思い切り舌を噛み、朦朧としている意識を必死に途切れないように繋ぎ止める。痛みは増すばかりで、他で上書きなどできそうになかった。だか、まだもう少し、意識を保つことはできるようだった。
「…………は……ぁあ…………まだ、まだぁ……」
「やめておいた方がいい。今動いたら本気で死んじゃうよ」
レオノールは数秒前の出来事を思い返す。ガクガクと震えておぼつかない手足を無理やり動かしてレオノールは立ち上がった。ボタボタと血が氷槍を伝って垂れている。レオノールは氷槍が溶かし、向こう側が見える自分の右脇腹の状態を確認した。不幸中の幸いと言うべきか、傷口が凍っているのか、出血は思っていたよりも少ない。
「まだ……動ける…………戦える……」
一歩一歩を踏みしめて歩く。その状況に1番驚いているのはレオノール本人ではなくメモリアだった。ゆっくり、半歩にも満たないほどゆっくりと、レオノールは歩を進める。ぼそぼそとうわ言をつぶやきながら、光のない目でメモリアを見ている。確実に致死の一撃を与えたはずのメモリアはその姿を見て思わず身を退かせた。
レオノールの速さはたとえ慣れたとしても到底追いつけるものではない。では、なぜメモリアは最高速度のレオノールに合わせてカウンターの一撃を与えることができたのか。正解は、レオノールの|意《・》|識《・》|を《・》|歪《・》|ま《・》|せ《・》|て《・》、バレないように周囲の気温を下げていたからだ。その上で最も厄介だったのは帯電によるレオノールの体温の上昇だったが、それも結果としてプラスに働いた。
筋肉硬直。寒さによって筋肉は冷えて硬くなり、運動能力が著しく低下する。レオノールは超帯電状態によって|内《・》|側《・》だけは温まり、外気にさらされた外側の状況を正確に判断することができなかったというわけだ。あとは、識の魔法を使ってレオノールに射程距離を誤認させて、氷槍を使って道筋を限定させれば、速さには追いつけなくとも相手から接近してきてくれる。
メモリアが恐ろしいのは、その強力な識の魔法を使いつつも、その存在を悟らせずに、自分に有利な展開に誘い込むところだ。レオノールもまんまとメモリアの手のひらの上で踊らされたことになった。
(それなのに、まだ……)
だが、レオノールは折れなかった。致命の一撃を与えられてなお、立ち上がった。ボロボロになったレオノールを見て、メモリアはわずかに攻撃を躊躇う。これでは死体撃ちと同じだ。これ以上、何をせずともレオノールは倒れるはずだ。そのはずなのに――
「こないのか……なら、こっちから行くぞ……」
レオノールの眼光は、まだ燃えている。傷だらけ、血だらけになりながらも、黒狼は吠えた。その目に闘志を抱き、勝ち目のない敵を前にしてまだその牙を、爪を研いでいるのだ。
「……どうしてまだ立ち上がるの? もう限界でしょ? 諦めた方がずっと楽になれる」
「……そっか、あんたには…………わかんねぇよなぁ」
疑問で仕方がなかったことをメモリアは口にした。これ以上は戦いにもならない。命を投げ捨てて稼いだ数秒も意味はないのだ。なのに、なぜまだ戦おうとするのか。それが理解できない。そんなメモリアの問いかけに、レオノールは当然だと言わんばかりに笑いながら答えるのだ。
「あんたは強いから……わかんねぇんだよ。意地になってでも、何も無くても、戦わなくちゃいけない時があるんだ……」
「……それは何? それが今なの?」
レオノールが負けたら、メモリアは迷わずその先に進む。メルティやヨナにも躊躇はしない。最悪の場合、レオノールよりも酷いことになるかもしれない。どう転んでも、メモリアの目的は変わらずソフィアを殺すことなのは変わらない。
ここですべてが変わる。変わってしまう。負けられない理由は十分だ。負けられない。負けたくない。死なせない。必ず守る。そう1度決めたのなら、もう退くことはしない。絶対に諦めない。
「背中に、女3人背負ってんだ。男がこんなところで負けられるかよ」
「…………君は、本当に最高だね」
「かっこいいとこ……見せなくっちゃなァ!」
牙は砕けていない。爪は折れていない。まだやれる。戦える。極限の集中。レオノールは痛みで脳がクリアになって妙に冴えた感覚がしていた。蛮勇ではない確信。『今ならできる』と、全細胞が訴えかける。身体に魔力が巡る感覚を全身で感じ取ることができる。まるで世界と一体となったように、全身ですべてを感じる。
そして至るは魔法使いの極み。無駄な集中を、意識を、動きを。何もかもすべてを削ぎ落とし、最後に残った一閃の雷光。闇夜を切り裂く雷電がほとばしる。
「|最終演目《ラストリゾート》!」
覚醒前夜。黒き狼は吠える。