愛する少女の叫び ―2―
ー/ー
メモリア・ビアスは完璧主義者だ。自分や他者の欠陥や欠点といったものを許せない。失敗など以ての外だ。妥協はありえない。目指すのは常に完璧、自らが望む理想。その在り方は、図らずともモニカと同じようなものだった。だが唯一、たった一つモニカとメモリアに違いがあるとするなら、それは『愛』なのだろう。
他者のために自らを犠牲にし、破滅的な献身でその身を削り続ける『無償の愛』。対して、自身にとっての完璧を追い求めるメモリアは『自己愛』だ。ならば、ソフィアにできることは一つしかない。ただ、メモリアに触れる。それだけで、ソフィアはメモリアを理解できる。『愛の魔法』とは、そういう魔法なのだ。
(届けッ……!)
風に揺れたメモリアの短い髪がソフィアの指に触れる。相手はもう目と鼻の先だ。この距離なら、ソフィアだって魔法は外さない。ソフィアは決死の覚悟でメモリアに触れようとその身を投げ出した。
これが、ソフィアの弄した最大限の小細工。メモリアに一矢報いるために、全身全霊を懸けた一手。その、運命の糸を手繰り、ようやく掴み取った勝機でさえ――
「そんな魔法が」
メモリア・ビアスには、無慈悲にも届きはしない。
「私に届くと思った?」
ひたりとソフィアの首元に何かが這う。冷たく、今まで感じていた恐怖とは別次元の感情すら抱かせる得体の知れない何かが、ソフィアを離れようとしない。これは、恐怖だ。それも、ただの恐れなどではない。目の前の1人の魔法使いを、メモリア・ビアスという存在に向けられた恐怖。ソフィアの培ってきたこれまでの魔法使いとしてのすべてが、その経験が、細胞が、大声で警告するのだ。
『恐れよ』、と。
首から下の感覚がなかった。手で首元に触れてみると、そこにはしっかりと首と胴体が繋がっていた。けれど、そんなことはもはやソフィアの眼中にはなかった。ただ、目の前で繰り広げるられている理解できない光景を、何とか飲み込もうと必死だった。
「…………そん、な」
ありえないことではない。だが、それはほとんど不可能に近いことだ。けれど、先程までソフィアの感じていたものが、それを確信へと導く。
魔法使いは、幼少期に自分の最も得意とする魔法を見つける。そして、その魔法を鍛え、自分の形にして、究めていくのだ。継承魔法など、多少のイレギュラーはあれど、最終的に魔法使いは、たった1つの魔法しか使わなくなる。獄蝶のジョカがいい例だろう。
しかし、メモリアは違ったのだ。
「侮ってるわけじゃないけど、貴方はそこまで強くない」
メモリアが継承した魔法、『識』。記憶と意識を司る継承魔法。ビアス家は代々この魔法を当主に受け継いできた。記憶と意識、と表現しても理解には及ばないだろう。つまり簡単な話、『識』の魔法は現実の改編が可能なのだ。記憶を切り取り、存在しない記憶を植え付けることはもちろん、記憶の忘却も、相手の意識から自分を消し去ることも容易だ。五感で感じるすべてを、メモリアは支配できるのだ。ここまでは、ソフィアも飲み込むことができる。けれど、肝心なことはここではないのだ。
メモリアの得意とする魔法は『鏡』だ。学園序列第二位の実力を誰もが噂している。八重との戦いで見せた鏡の魔法は、正しく学園序列第二位に相応しい練度だった。そのはずだった。
(…………『氷』?)
あまりにも美しく、グラスのような氷が、薄氷のようにソフィアの視界を覆う。
凍えた。背筋を凍てつかせるのは本当に悪寒だったのだろうか。ふわりと、服の隙間を吹き抜ける冷たい風が、ソフィアの心に突き刺さった光すらも途絶えさせる。
震えた。最初から、踊らされていた。筋書き動く姿はさぞ滑稽に見えただろう。ソフィアはまるで手のひらで踊るマリオネットだ。何もかもすべて、支配されていた。
「”絶対零度”」
心臓まで凍っていく。光の見えない真っ暗な空は白く覆われていた。もう温度も感じられはしない。当然、身体にも力なんて入らなかった。心が、もう諦めきってしまっている。
(一体……何が本当の『メモリア・ビアス』なの?)
今までソフィアが見ていたメモリアは本当に『メモリア・ビアス』だったのだろうか。姿、形、声や感情すらも何もかも同じなだけの偽物だったのではないか。メモリアは、『識』を使ってそう錯覚させていたのではないか。何が本物で、何が嘘なのか全くわからない。あるいは、すべてが真実で、すべてが偽りなのかもしれない。
世界の敵として、今目の前に立っているメモリアでさえ、本物である確信はない。偽物であれば、どれだけ嬉しいことか、計り知れない。ただ、今受け入れなければならない事実は1つ。
(…………私、このまま死ぬな)
もうソフィアには自分の身体がどうなっているのかすら知ることはできない。絶対零度は、対象の身体だけではなく、精神まで凍えさせる氷魔法の最上位魔法だ。ある程度耐性のある魔法使いでも、直撃すれば確実に精神まで凍りつき死に至る。
「私に触れて、何を知ろうとしたの?」
メモリアの問いかけに答えは帰ってこなかった。小刻みに震え、返事もできなくなって倒れているソフィアをメモリアは見下ろす。最期に何か伝えようとしているのか、ソフィアは小さく口を開いた。風にかき消されてしまうほど繊細でか細い声だった。
だが、メモリアはその言葉を聞こうともせず、背を向けて倒れたソフィアから離れていく。その足取りは僅かに速く、忙しなく感じる。肌寒い風に少し体を縮こまらせて、メモリアは闇の向こう側に消えていこうとする。
メモリアの細い首筋をなぞるように風が吹いた。もうすぐ暖かくなる頃だとは思えないほどだ。そんな風に乗って聞こえてきた言葉に、メモリアは耳を疑った。
「…………私の、勝ち……です……」
「―――え?」
確かに、そう聞こえた。繊細で、今にも壊れてしまいそうな美しい声がメモリアの耳に届いた。その声に、なぜだかメモリアは心を奪われた。声の正体は間違いなくソフィアのものだった。メモリアは勢いよく振り返り、ソフィアの姿を確認した。
僅かな腹部の起伏もない、髪は乱れたままで、あどけない寝顔のような表情で横たわっている。どうしてか、メモリアはソフィアから目を離すことができなかった。目を奪われた、とでも言うのだろうか。人形のような横顔から、視線が離れないのだ。
その刹那――
夜の暗闇を切り裂いて、一閃の光が奔った。静かに、それは現れた。
「治せ、1秒でも早く」
「そんなこと分かっています!」
稲妻が、英雄の影を落とす。黒狼が夜を駆け、メモリアの前に立ち塞がった。
「助けに来たぞ、ソフィア」
「レオノール・ブラックハウンド……」
目で追うことすらできない速さで現れたレオノールは2つの人影を両脇に抱えて現れる。迸る雷が暗闇を照らした。激しく荒ぶる雷の光が、レオノールの怒りの表情を浮かび上がらせていた。
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メモリア・ビアスは完璧主義者だ。自分や他者の欠陥や欠点といったものを許せない。失敗など以ての外だ。妥協はありえない。目指すのは常に完璧、自らが望む理想。その在り方は、図らずともモニカと同じようなものだった。だが唯一、たった一つモニカとメモリアに違いがあるとするなら、それは『愛』なのだろう。
他者のために自らを犠牲にし、破滅的な献身でその身を削り続ける『無償の愛』。対して、自身にとっての完璧を追い求めるメモリアは『自己愛』だ。ならば、ソフィアにできることは一つしかない。ただ、メモリアに触れる。それだけで、ソフィアはメモリアを理解できる。『愛の魔法』とは、そういう魔法なのだ。
(届けッ……!)
風に揺れたメモリアの短い髪がソフィアの指に触れる。相手はもう目と鼻の先だ。この距離なら、ソフィアだって魔法は外さない。ソフィアは決死の覚悟でメモリアに触れようとその身を投げ出した。
これが、ソフィアの弄した最大限の小細工。メモリアに一矢報いるために、全身全霊を懸けた一手。その、運命の糸を手繰り、ようやく掴み取った勝機でさえ――
「そんな魔法が」
メモリア・ビアスには、無慈悲にも届きはしない。
「私に届くと思った?」
ひたりとソフィアの首元に何かが這う。冷たく、今まで感じていた恐怖とは別次元の感情すら抱かせる得体の知れない何かが、ソフィアを離れようとしない。これは、|恐《・》|怖《・》だ。それも、ただの恐れなどではない。目の前の1人の魔法使いを、メモリア・ビアスという存在に向けられた恐怖。ソフィアの培ってきたこれまでの魔法使いとしてのすべてが、その経験が、細胞が、大声で警告するのだ。
『恐れよ』、と。
首から下の感覚がなかった。手で首元に触れてみると、そこにはしっかりと首と胴体が繋がっていた。けれど、そんなことはもはやソフィアの眼中にはなかった。ただ、目の前で繰り広げるられている理解できない光景を、何とか飲み込もうと必死だった。
「…………そん、な」
ありえないことではない。だが、それはほとんど不可能に近いことだ。けれど、先程までソフィアの感じていたものが、それを確信へと導く。
魔法使いは、幼少期に自分の最も得意とする魔法を見つける。そして、その魔法を鍛え、自分の形にして、究めていくのだ。継承魔法など、多少のイレギュラーはあれど、最終的に魔法使いは、たった1つの魔法しか使わなくなる。獄蝶のジョカがいい例だろう。
しかし、メモリアは違ったのだ。
「侮ってるわけじゃないけど、貴方はそこまで強くない」
メモリアが継承した魔法、『|識《しき》』。記憶と意識を司る継承魔法。ビアス家は代々この魔法を当主に受け継いできた。記憶と意識、と表現しても理解には及ばないだろう。つまり簡単な話、『識』の魔法は|現《・》|実《・》|の《・》|改《・》|編《・》が可能なのだ。記憶を切り取り、存在しない記憶を植え付けることはもちろん、記憶の忘却も、相手の意識から自分を消し去ることも容易だ。五感で感じるすべてを、メモリアは支配できるのだ。ここまでは、ソフィアも飲み込むことができる。けれど、肝心なことはここではないのだ。
メモリアの得意とする魔法は『鏡』だ。学園序列第二位の実力を誰もが噂している。八重との戦いで見せた鏡の魔法は、正しく学園序列第二位に相応しい練度だった。そのはずだった。
(…………『氷』?)
あまりにも美しく、グラスのような氷が、薄氷のようにソフィアの視界を覆う。
凍えた。背筋を凍てつかせるのは本当に悪寒だったのだろうか。ふわりと、服の隙間を吹き抜ける冷たい風が、ソフィアの心に突き刺さった光すらも途絶えさせる。
震えた。最初から、踊らされていた。筋書き動く姿はさぞ滑稽に見えただろう。ソフィアはまるで手のひらで踊るマリオネットだ。何もかもすべて、支配されていた。
「”|絶対零度《アブソリュート・ゼロ》”」
心臓まで凍っていく。光の見えない真っ暗な空は白く覆われていた。もう温度も感じられはしない。当然、身体にも力なんて入らなかった。心が、もう諦めきってしまっている。
(一体……何が本当の『メモリア・ビアス』なの?)
今までソフィアが見ていたメモリアは本当に『メモリア・ビアス』だったのだろうか。姿、形、声や感情すらも何もかも同じなだけの偽物だったのではないか。メモリアは、『識』を使ってそう錯覚させていたのではないか。何が本物で、何が嘘なのか全くわからない。あるいは、すべてが真実で、すべてが偽りなのかもしれない。
世界の敵として、今目の前に立っているメモリアでさえ、本物である確信はない。偽物であれば、どれだけ嬉しいことか、計り知れない。ただ、今受け入れなければならない事実は1つ。
(…………私、このまま死ぬな)
もうソフィアには自分の身体がどうなっているのかすら知ることはできない。|絶対零度《アブソリュート・ゼロ》は、対象の身体だけではなく、精神まで凍えさせる氷魔法の最上位魔法だ。ある程度耐性のある魔法使いでも、直撃すれば確実に精神まで凍りつき死に至る。
「私に触れて、何を知ろうとしたの?」
メモリアの問いかけに答えは帰ってこなかった。小刻みに震え、返事もできなくなって倒れているソフィアをメモリアは見下ろす。最期に何か伝えようとしているのか、ソフィアは小さく口を開いた。風にかき消されてしまうほど繊細でか細い声だった。
だが、メモリアはその言葉を聞こうともせず、背を向けて倒れたソフィアから離れていく。その足取りは僅かに速く、忙しなく感じる。肌寒い風に少し体を縮こまらせて、メモリアは闇の向こう側に消えていこうとする。
メモリアの細い首筋をなぞるように風が吹いた。もうすぐ暖かくなる頃だとは思えないほどだ。そんな風に乗って聞こえてきた言葉に、メモリアは耳を疑った。
「…………私の、勝ち……です……」
「―――え?」
確かに、そう聞こえた。繊細で、今にも壊れてしまいそうな美しい声がメモリアの耳に届いた。その声に、なぜだかメモリアは心を奪われた。声の正体は間違いなくソフィアのものだった。メモリアは勢いよく振り返り、ソフィアの姿を確認した。
僅かな腹部の起伏もない、髪は乱れたままで、あどけない寝顔のような表情で横たわっている。どうしてか、メモリアはソフィアから目を離すことができなかった。目を奪われた、とでも言うのだろうか。人形のような横顔から、視線が離れないのだ。
その刹那――
夜の暗闇を切り裂いて、一閃の光が奔った。静かに、|そ《・》|れ《・》は現れた。
「治せ、1秒でも早く」
「そんなこと分かっています!」
稲妻が、英雄の影を落とす。黒狼が夜を駆け、メモリアの前に立ち塞がった。
「助けに来たぞ、ソフィア」
「レオノール・ブラックハウンド……」
目で追うことすらできない速さで現れたレオノールは2つの人影を両脇に抱えて現れる。迸る雷が暗闇を照らした。激しく荒ぶる雷の光が、レオノールの怒りの表情を浮かび上がらせていた。