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16話 土地神様と体育祭 その七

ー/ー





『───……は?』


 目の前の女性の言葉に、全員が固まった。

 ダンタリオン・ゲームって、キリさんが持ってる同人誌の原作……だったわよね。
 金髪の青年と黒髪の執事の二人を主人公としたバディもので、四年前に連載を開始したにも関わらず、テレビアニメ、実写映画、そしてアニメ映画……と、かなりの速度で様々なメディア展開を成し遂げている人気漫画だ。
 アタシも四月にキリさんの同人誌探しを手伝った時に少しだけ読んだけど、人気作と呼ばれるのも納得な作品だったことは記憶に新しいけれど……。

「気軽にボンチョさんと呼んで……どうかしたのかい?」

 そんな名作の原作者を名乗る存在……目の前の三つ編みの女性は、何も言わずに凝視しているアタシ達を見て首を傾げた。
 どうかした、どころの話ではない。原作者が目の前に現れるなんて、予想外にもほどがあるわよ。

「はっ、もしや疑われている? ええっと、証拠、証拠……あ、そうだ。これ、当方のSNSアカウントだ。これで証明になるかな」
「別に疑ってるわけじゃ……うわ本物だわ」

 スマホの画面を見せられ、思わず呟いた。
 画面上に映るアカウントのホームには、自分のアカウントから見ないと現れない表示が浮かんでいる。間違いなく本物の人気漫画家……盆提灯先生その人だった。

「スッゴ───イッ!! ホンモノだ! スゴイヨキリチャン!!」
「……むぅ」

 堰を切ったようにサラが叫び、キリさんの肩を掴んで揺らす。が、当のキリさんは逆に不服そうな顔つきでマトイさんを見つめていた。
 身体をガクンガクンと揺らされながら頬を少し膨らませている。この神様にしては珍しい表情だけど……分かりやすく嫉妬してるわねぇ。

「ドシタノ? 嬉しソーじゃナイネ?」
「嬉しくはあるんじゃけど……うむむ……」
「……本当に驚いたな。姉さんは読み切りの時からのファンだし、嬉しいんじゃ……姉さん?」
「いyぇ?hNmの歩んTTnぁえmしyYm?」
「姉さん? せめて人間(バラル)の言葉で話してくれないか」

 キリさんの頬が膨れている一方で、西雪さんは許容量過多状態(キャパオーバー)を起こして言語がバグり散らかしている。
 まあ、古参ファンだというのならこの反応も仕方ない気がする。多分。

「Hey,ボンチョサン。サインをクダサイナ!」
「アタシもいいですか?」
「いいとも。書くものは……ページも余ってるしこれでいいか。お名前は?」
「サラ、言うますデス!」
「井櫻(イザクラ)です」
「OK、ちょっと待ってねー」

 停止している二人を余所にサラとアタシがサインをねだると、盆提灯先生は慣れた手つきで自分の持っていたスケッチブックにペンを走らせ、ページを二枚破ってこちらに渡してきた。
 受け取った紙にはサインとアタシ達の宛名が綴ってある。凄い、本物の漫画家のサインだ。
 読めるんだか読めないんだか分からないサインに感動するミーハーなアタシ達の隣でマトイさんが西雪さんにこっそりと話しかけた。

「ニシユキサン、驚かせてごめんなさいね? まさか同人誌の制作者がいるとは思わなくてサ」
「はっ!? い、いえ、少し……いやかなり驚いただけですので、はい。大丈夫です、はい。……あ、あの! 自分、盆提灯先生の大ファンで……! 自分もサインを頂いてもよろしい、でしょうか!? あ、ええと自分はニシユキと言って……あ、ちょうど色紙があるのでこちらに……!」
「準備がいいね。喜んで書かせてもらおう」

 なんとか少しだけ正気を取り戻した西雪さんはしどろもどろになりながらも自分の鞄から白い色紙を取り出した。
 なんでそんなもの持ってるんだろう……って突っ込むのは野暮か。
 とにかくサインをもらった西雪さんは本当に嬉しそうに色紙を抱きしめ、声にならない声を漏らしている。

「良かったな、姉さん」
「うん……! ありがとうございます!」
「いやぁ、そう嬉しそうにされると面映ゆいな。こちらこそ読んでくれてありがとう」
「わぁぁ……」

 さらりとまた握手を交わされ、西雪さんは嬉しそうに真っ赤な顔で涙をぼろぼろと流している。
 許容量を超えて限界を迎えたオタクは泣く。当然の帰結と言える。

「ほら、キリもむくれてないで挨拶はキチンとしなさい」
「ぷふ……そ、そうじゃね。ごめんごめん」

 限界オタクが涙を流す傍らで、キリさんはマトイさんに背中を軽く叩かれて白い頬から空気が抜けた。
 それから咳払いを一つして一歩前に出ると、麦わら帽子とサングラスを取った。

「えっと、ご挨拶が遅れてごめんなさい。私はキリとも、申します。よろしくお願いしま──……あれ?」

「なっ……ぁ……っ!?」

 ……ん?
 キリさんが頭を下げて丁寧に挨拶をしている途中、今度は盆提灯先生が驚いた表情で固まってしまった。
 何か衝撃でも受けたかのような様子を見て、キリさんも戸惑ってしまっている。一体何が起こったのかしら。

「あ、あの……盆提灯先生? 私、何か粗相でも──」


「───なんだこの美人は!!!!」


 うわうるさっ!?
 盆提灯先生は周囲の鼓膜を吹き飛ばしそうなほどの大声で叫んだかと思うと、凄まじい剣幕でマトイさんに向き直った。

「ま、マトイ! この方が以前言っていたご友人なんだな!? こんな……こんな当方好みの美人とは聞いていないぞ!?」
「前話した時に言ったわ。つーかうるせェから音量下げ」
「もうこれはヤバイ、ヤバいぞ! 一目見ただけで当方のパンツの中はグッチョングッチョンだぞどうしてくれるんだ!!」
「オイコラ待てそういうコトを大声で言うンじゃな」
「いや待て安心してくれ! マトイ、キミと話している時でも当方の股は常に濡れ──」

「フンッ!!!」(ゴスッッッ!!!)
「ぅごァ!!!」(ドシャァッ!!)

 制止も聞かず、興奮した様子で妙なことを口走る漫画家先生の脳天にマトイさんの手刀が突き刺さった。
 とんでもなく鈍い音と共にうつ伏せにぶっ倒れたんですけど。大丈夫なのコレ?

「ちょぉ!? マトイ、何しとん!?」
「いつものコトだ、気にすンな」
「あ、そうなん?」

 心配して駆け寄るも、マトイさんのため息混じりの言葉に納得して引き下がるキリさん。それでいいのか土地神様。
 それにしても盆提灯先生、今の感じを見るにもしかして……マインドとしてはフキに似てる? いやいや、現役の人気漫画家がそんなわけ──。

「ま、マトイの愛の鞭……すごく、イイ……!」

 うん、どっかの馬鹿と同じだわこの人。
 地に伏せたまま頭を押さえ、恍惚とした笑みを浮かべている様子を見て確信した。……天才肌の人間って大体こうなのかしら。

「……」
「キリチャン、顔赤いワヨ。ところでボンチョサンはさっきナンテ言テタノ? 早口でヨク分かんなかったヨ」
「分からなくていいわよー。……大丈夫ですか?」
「ああ、大事ない。乙女の頭に手刀だなんて酷いじゃないかマトイ。責任を取って結婚を前提に付き合ってくれ」
「!?」
「嫌だ。つーか乙女どうこう言うなら股とかデカい声で言うんじゃありません」

 さらりと求婚する盆提灯先生と、あっさり断るマトイさん。そしてその間で固まるキリさん。
 二人の間で土地神様が目を見開いたり眉根を寄せたりと、表情がころころ変化していて面白いことになっている。表情筋と血流が鍛えられそうね。

「あ、ああああの、い、今結婚って……」
「いつものふざけ合いみたいなモンだからまともに取り合わなくていいって」
「何を言う。当方はいつでも本気だ。その陶器のような白く美しい腕に抱かれて同衾し、鳴かされたいと考えているとも」
「鳴っ……!?」
「む、少し遠回しだったかな。正確にはベッドの中で当方の●●●に●●て●●たところに●●てほしいとぁ痛い!」
「初対面でセクハラすんなド阿呆」

 よく分からないが、盆提灯先生が何か小声でキリさんに話したかと思うとマトイさんが再びその頭頂部に手刀を叩き込んだ。
 後半はよく聞こえなかったけれど、初心な約80歳乙女の神様には刺激の強い言葉だったらしい。顔を真っ赤にして停止して……って、

「ちょっ、キリさん溶けてる溶けてる!」
「うわ本当だ! ……いや神様って溶けるんですか!?」
「家でもヨク溶けてるヨ」
「そうなのか……って冷静に話している場合ではないな! どうすればいいんだこれは!?」
「ウチで溶けてる時はバケツに入れて固めてるヨ」
「「そんなプリンみたいに!?」」

 そういえば西雪さん達は液状化したキリさんを見るのは初めてだっけ。
 前に溶けた時は西雪さんと初めて会う直前だったかしら。二ヶ月前のことだけど、もう懐かしい気がしてきたわ……。

「イザクラ先輩、遠い目をして現実から目を背けていないで堰き止めるのを手伝ってくれないか。このままではキリさんがステュクスの如く流れていってしまうぞ」
「あ、ごめん」
「くふ、思った以上に面白い神様だね。当方も手伝おう」

 文字通り傾斜に身を委ねて流れていってしまいそうになる液体様(キリさん)を皆の手で止めていると、隣で盆提灯先生が不敵に笑った。
 おもしれー神様なのはその通りだけど、面白がってる場合じゃ……ってあれ?
 今この人なんて言った?

「え? 盆提灯先生、キリさんが神様なの知ってんの?」
「マトイが話したん?」
「その状態で喋れるんですねキリさん」

 なぜか液状のまま冷静に話しているキリさんに西雪さんが慄いた。正直アタシも怖い。

「いいや、彼女のことは以前から聞き及んでいたよ。マトイは今回来るきっかけというか、興味を引く話を聞かせてくれたというだけだな」
「アレ? ボンチョサン、キリチャンとはハジメマシテだったよネ?」
「コイツ、ウカと前から仲良いからな。情報源はそっち」
「え、ウカって……」
「宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)。コイツと友達なんだよ」

 マトイさんはどこからか取り出したラバーワイパーと蓋付きの塵取りでキリさんを回収しながら、混乱するようなことをシレッと話してきた。
 宇迦之御魂神様。お稲荷様とも呼ばれる有名な日本の女神で、ここにいる土地神様(キリさん)にとっても親類兼上司のような尊い存在でもある。
 要するにとんでもなく偉い神様なわけだけど……この人気漫画家さんが、その友人?

「う、ううウカ様のご友人!? どういうことなん!?」
「どういうことも何も、中学生の時に修学旅行先で偶然会って仲良くなって以来のメル友さ」
「メールで色々相談されてンだったな」
「そうそう、ウカ様は人見知りというか、人付き合いが苦手なようだからな。拙いながらもアドバイスさせて頂いているよ」
「…………」

 次々と明かされる情報の波に飲まれたのか、液神様(in 塵取り)は喋らなくなってしまった。
 色々話してるけど、要するにキリさんの母親と盆提灯先生は以前からの友達だったって話よね。世間って狭いわ……。
 しかしメル友て。メッセージアプリが幅を利かせている現代でなかなか聞かないわよその単語。

「まァその辺の話は一旦置いといて、先に身体を元に戻さないとな。昼飯前に見るモンじゃねェし、向こうでなんとかしてくるわ」
「……」

 塵取りの中から聞こえる声が停止したことに気を留めるでもなく、マトイさんは掃除用具一式を持ってアタシ達から離れていった。
 たしかに、キリさんがあの状態から元に戻る時の変化は食事前に見るものではない。結構グロテスクなのよね、アレ……目玉とか取れるし。

「……土地神様の新しい一面を見た気がするな!」
「ポジティブだねぇ……」
「一面っていうか状態変化じゃないかしら」
「ゲームのデバフのようだな。神様がああなるところは当方も初めて見たぞ」

 そうなった要因の一つはアンタですけどね。

「それにしても……ふむ。あの神様、マトイに対してかなりの情愛を持っていると見た。もしや恋情を抱いておられるとか?」
「レンジョ?」
「恋心のことですね……え、キリさんってマトイさんのことが!?」
「何!? そうなのかイザクラ先輩!」

 盆提灯先生のやけに鋭い指摘に金銀髪の二人が驚いてこちらを見てきた。
 あー……まあ、誤魔化すのも面倒ね。

「当たらずも遠からずって感じかしら。ていうか盆提灯先生、案外鋭いですね」
「ボンチョさんで構わないのだけど……まぁ、観察眼には多少自信があるのでね。しかし、それは彼女には少し酷な話だな」
「酷?」

 アタシが訊き返すと、盆提灯先生は目を丸くした。

「訊いていないのか? マトイは──」


「───おーい!」
「戻ったぞーっと」


 盆提灯先生が何かを言いかけたところで、聞き慣れた男達の声が聞こえてきたのだった。








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 アタシも四月にキリさんの同人誌探しを手伝った時に少しだけ読んだけど、人気作と呼ばれるのも納得な作品だったことは記憶に新しいけれど……。
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 そんな名作の原作者を名乗る存在……目の前の三つ編みの女性は、何も言わずに凝視しているアタシ達を見て首を傾げた。
 どうかした、どころの話ではない。原作者が目の前に現れるなんて、予想外にもほどがあるわよ。
「はっ、もしや疑われている? ええっと、証拠、証拠……あ、そうだ。これ、当方のSNSアカウントだ。これで証明になるかな」
「別に疑ってるわけじゃ……うわ本物だわ」
 スマホの画面を見せられ、思わず呟いた。
 画面上に映るアカウントのホームには、自分のアカウントから見ないと現れない表示が浮かんでいる。間違いなく本物の人気漫画家……盆提灯先生その人だった。
「スッゴ───イッ!! ホンモノだ! スゴイヨキリチャン!!」
「……むぅ」
 堰を切ったようにサラが叫び、キリさんの肩を掴んで揺らす。が、当のキリさんは逆に不服そうな顔つきでマトイさんを見つめていた。
 身体をガクンガクンと揺らされながら頬を少し膨らませている。この神様にしては珍しい表情だけど……分かりやすく嫉妬してるわねぇ。
「ドシタノ? 嬉しソーじゃナイネ?」
「嬉しくはあるんじゃけど……うむむ……」
「……本当に驚いたな。姉さんは読み切りの時からのファンだし、嬉しいんじゃ……姉さん?」
「いyぇ?hNmの歩んTTnぁえmしyYm?」
「姉さん? せめて|人間《バラル》の言葉で話してくれないか」
 キリさんの頬が膨れている一方で、西雪さんは|許容量過多状態《キャパオーバー》を起こして言語がバグり散らかしている。
 まあ、古参ファンだというのならこの反応も仕方ない気がする。多分。
「Hey,ボンチョサン。サインをクダサイナ!」
「アタシもいいですか?」
「いいとも。書くものは……ページも余ってるしこれでいいか。お名前は?」
「サラ、言うますデス!」
「井櫻《イザクラ》です」
「OK、ちょっと待ってねー」
 停止している二人を余所にサラとアタシがサインをねだると、盆提灯先生は慣れた手つきで自分の持っていたスケッチブックにペンを走らせ、ページを二枚破ってこちらに渡してきた。
 受け取った紙にはサインとアタシ達の宛名が綴ってある。凄い、本物の漫画家のサインだ。
 読めるんだか読めないんだか分からないサインに感動するミーハーなアタシ達の隣でマトイさんが西雪さんにこっそりと話しかけた。
「ニシユキサン、驚かせてごめんなさいね? まさか同人誌の制作者がいるとは思わなくてサ」
「はっ!? い、いえ、少し……いやかなり驚いただけですので、はい。大丈夫です、はい。……あ、あの! 自分、盆提灯先生の大ファンで……! 自分もサインを頂いてもよろしい、でしょうか!? あ、ええと自分はニシユキと言って……あ、ちょうど色紙があるのでこちらに……!」
「準備がいいね。喜んで書かせてもらおう」
 なんとか少しだけ正気を取り戻した西雪さんはしどろもどろになりながらも自分の鞄から白い色紙を取り出した。
 なんでそんなもの持ってるんだろう……って突っ込むのは野暮か。
 とにかくサインをもらった西雪さんは本当に嬉しそうに色紙を抱きしめ、声にならない声を漏らしている。
「良かったな、姉さん」
「うん……! ありがとうございます!」
「いやぁ、そう嬉しそうにされると面映ゆいな。こちらこそ読んでくれてありがとう」
「わぁぁ……」
 さらりとまた握手を交わされ、西雪さんは嬉しそうに真っ赤な顔で涙をぼろぼろと流している。
 許容量を超えて限界を迎えたオタクは泣く。当然の帰結と言える。
「ほら、キリもむくれてないで挨拶はキチンとしなさい」
「ぷふ……そ、そうじゃね。ごめんごめん」
 限界オタクが涙を流す傍らで、キリさんはマトイさんに背中を軽く叩かれて白い頬から空気が抜けた。
 それから咳払いを一つして一歩前に出ると、麦わら帽子とサングラスを取った。
「えっと、ご挨拶が遅れてごめんなさい。私はキリとも、申します。よろしくお願いしま──……あれ?」
「なっ……ぁ……っ!?」
 ……ん?
 キリさんが頭を下げて丁寧に挨拶をしている途中、今度は盆提灯先生が驚いた表情で固まってしまった。
 何か衝撃でも受けたかのような様子を見て、キリさんも戸惑ってしまっている。一体何が起こったのかしら。
「あ、あの……盆提灯先生? 私、何か粗相でも──」
「───なんだこの美人は!!!!」
 うわうるさっ!?
 盆提灯先生は周囲の鼓膜を吹き飛ばしそうなほどの大声で叫んだかと思うと、凄まじい剣幕でマトイさんに向き直った。
「ま、マトイ! この方が以前言っていたご友人なんだな!? こんな……こんな当方好みの美人とは聞いていないぞ!?」
「前話した時に言ったわ。つーかうるせェから音量下げ」
「もうこれはヤバイ、ヤバいぞ! 一目見ただけで当方のパンツの中はグッチョングッチョンだぞどうしてくれるんだ!!」
「オイコラ待てそういうコトを大声で言うンじゃな」
「いや待て安心してくれ! マトイ、キミと話している時でも当方の股は常に濡れ──」
「フンッ!!!」(ゴスッッッ!!!)
「ぅごァ!!!」(ドシャァッ!!)
 制止も聞かず、興奮した様子で妙なことを口走る漫画家先生の脳天にマトイさんの手刀が突き刺さった。
 とんでもなく鈍い音と共にうつ伏せにぶっ倒れたんですけど。大丈夫なのコレ?
「ちょぉ!? マトイ、何しとん!?」
「いつものコトだ、気にすンな」
「あ、そうなん?」
 心配して駆け寄るも、マトイさんのため息混じりの言葉に納得して引き下がるキリさん。それでいいのか土地神様。
 それにしても盆提灯先生、今の感じを見るにもしかして……マインドとしてはフキに似てる? いやいや、現役の人気漫画家がそんなわけ──。
「ま、マトイの愛の鞭……すごく、イイ……!」
 うん、どっかの馬鹿と同じだわこの人。
 地に伏せたまま頭を押さえ、恍惚とした笑みを浮かべている様子を見て確信した。……天才肌の人間って大体こうなのかしら。
「……」
「キリチャン、顔赤いワヨ。ところでボンチョサンはさっきナンテ言テタノ? 早口でヨク分かんなかったヨ」
「分からなくていいわよー。……大丈夫ですか?」
「ああ、大事ない。乙女の頭に手刀だなんて酷いじゃないかマトイ。責任を取って結婚を前提に付き合ってくれ」
「!?」
「嫌だ。つーか乙女どうこう言うなら股とかデカい声で言うんじゃありません」
 さらりと求婚する盆提灯先生と、あっさり断るマトイさん。そしてその間で固まるキリさん。
 二人の間で土地神様が目を見開いたり眉根を寄せたりと、表情がころころ変化していて面白いことになっている。表情筋と血流が鍛えられそうね。
「あ、ああああの、い、今結婚って……」
「いつものふざけ合いみたいなモンだからまともに取り合わなくていいって」
「何を言う。当方はいつでも本気だ。その陶器のような白く美しい腕に抱かれて同衾し、鳴かされたいと考えているとも」
「鳴っ……!?」
「む、少し遠回しだったかな。正確にはベッドの中で当方の●●●に●●て●●たところに●●てほしいとぁ痛い!」
「初対面でセクハラすんなド阿呆」
 よく分からないが、盆提灯先生が何か小声でキリさんに話したかと思うとマトイさんが再びその頭頂部に手刀を叩き込んだ。
 後半はよく聞こえなかったけれど、初心な約80歳乙女の神様には刺激の強い言葉だったらしい。顔を真っ赤にして停止して……って、
「ちょっ、キリさん溶けてる溶けてる!」
「うわ本当だ! ……いや神様って溶けるんですか!?」
「家でもヨク溶けてるヨ」
「そうなのか……って冷静に話している場合ではないな! どうすればいいんだこれは!?」
「ウチで溶けてる時はバケツに入れて固めてるヨ」
「「そんなプリンみたいに!?」」
 そういえば西雪さん達は液状化したキリさんを見るのは初めてだっけ。
 前に溶けた時は西雪さんと初めて会う直前だったかしら。二ヶ月前のことだけど、もう懐かしい気がしてきたわ……。
「イザクラ先輩、遠い目をして現実から目を背けていないで堰き止めるのを手伝ってくれないか。このままではキリさんがステュクスの如く流れていってしまうぞ」
「あ、ごめん」
「くふ、思った以上に面白い神様だね。当方も手伝おう」
 文字通り傾斜に身を委ねて流れていってしまいそうになる液体様《キリさん》を皆の手で止めていると、隣で盆提灯先生が不敵に笑った。
 おもしれー神様なのはその通りだけど、面白がってる場合じゃ……ってあれ?
 今この人なんて言った?
「え? 盆提灯先生、キリさんが神様なの知ってんの?」
「マトイが話したん?」
「その状態で喋れるんですねキリさん」
 なぜか液状のまま冷静に話しているキリさんに西雪さんが慄いた。正直アタシも怖い。
「いいや、彼女のことは以前から聞き及んでいたよ。マトイは今回来るきっかけというか、興味を引く話を聞かせてくれたというだけだな」
「アレ? ボンチョサン、キリチャンとはハジメマシテだったよネ?」
「コイツ、ウカと前から仲良いからな。情報源はそっち」
「え、ウカって……」
「宇迦之御魂神《ウカノミタマノカミ》。コイツと友達なんだよ」
 マトイさんはどこからか取り出したラバーワイパーと蓋付きの塵取りでキリさんを回収しながら、混乱するようなことをシレッと話してきた。
 宇迦之御魂神様。お稲荷様とも呼ばれる有名な日本の女神で、ここにいる土地神様《キリさん》にとっても親類兼上司のような尊い存在でもある。
 要するにとんでもなく偉い神様なわけだけど……この人気漫画家さんが、その友人?
「う、ううウカ様のご友人!? どういうことなん!?」
「どういうことも何も、中学生の時に修学旅行先で偶然会って仲良くなって以来のメル友さ」
「メールで色々相談されてンだったな」
「そうそう、ウカ様は人見知りというか、人付き合いが苦手なようだからな。拙いながらもアドバイスさせて頂いているよ」
「…………」
 次々と明かされる情報の波に飲まれたのか、液神様(in 塵取り)は喋らなくなってしまった。
 色々話してるけど、要するにキリさんの母親と盆提灯先生は以前からの友達だったって話よね。世間って狭いわ……。
 しかしメル友て。メッセージアプリが幅を利かせている現代でなかなか聞かないわよその単語。
「まァその辺の話は一旦置いといて、先に身体を元に戻さないとな。昼飯前に見るモンじゃねェし、向こうでなんとかしてくるわ」
「……」
 塵取りの中から聞こえる声が停止したことに気を留めるでもなく、マトイさんは掃除用具一式を持ってアタシ達から離れていった。
 たしかに、キリさんがあの状態から元に戻る時の変化は食事前に見るものではない。結構グロテスクなのよね、アレ……目玉とか取れるし。
「……土地神様の新しい一面を見た気がするな!」
「ポジティブだねぇ……」
「一面っていうか状態変化じゃないかしら」
「ゲームのデバフのようだな。神様がああなるところは当方も初めて見たぞ」
 そうなった要因の一つはアンタですけどね。
「それにしても……ふむ。あの神様、マトイに対してかなりの情愛を持っていると見た。もしや恋情を抱いておられるとか?」
「レンジョ?」
「恋心のことですね……え、キリさんってマトイさんのことが!?」
「何!? そうなのかイザクラ先輩!」
 盆提灯先生のやけに鋭い指摘に金銀髪の二人が驚いてこちらを見てきた。
 あー……まあ、誤魔化すのも面倒ね。
「当たらずも遠からずって感じかしら。ていうか盆提灯先生、案外鋭いですね」
「ボンチョさんで構わないのだけど……まぁ、観察眼には多少自信があるのでね。しかし、それは彼女には少し酷な話だな」
「酷?」
 アタシが訊き返すと、盆提灯先生は目を丸くした。
「訊いていないのか? マトイは──」
「───おーい!」
「戻ったぞーっと」
 盆提灯先生が何かを言いかけたところで、聞き慣れた男達の声が聞こえてきたのだった。