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1話 土地神様と僕らの特訓 その一

ー/ー





 六月最初の土曜日の昼前。
 梅雨の時期ということもあって空気が少しジメジメしていて、空は雲に包まれている。雨が降りそうで降らないくらいの少し不安な空模様である。

 そんな本日の空の下、僕は神社の神木の下で倒れている友人を介抱していた。


「お疲れさん。ほら水水」
「はぁ……はぁ……し、死ぬぅ……」


 足元で寝転んでいる息絶え絶えの女子、井櫻(イザクラ)ことイザへ飲料水の入ったペットボトルを渡す。

 毎週土曜日にルーティンワークとしてこの神社で掃除をしている僕だが、今日はそれを返上して彼女の運動に付き合っていた。
 運動と言っても、実はまだ本格的に何かをしたわけではない。イザがぶっ倒れているせいか、かなりの運動をした後のように思えるけど……実際は準備運動がてら神社までの階段を軽く走って登ってきただけである。

「お前、運動不足ってレベルじゃねえだろ……」
「う、うるさい、わね……。ここの階段、急だし長いのよチクショォゲホッゴホッォォェッ……」

 やだ、見た目が美少女とは思えないほど汚い嗚咽(おえつ)
 たしかにあの階段は多少角度があったり、少し長いとは思うけど……ここまで死にかけるほどのものではない。偏(ひとえ)にコイツの体力の無さが原因だ。
 あれくらいでここまでヘバるって普段の生活どうなってんのこの子?


「──ヤッホー、セッチャンandイザー!」
アポロンの調べが心地良いな(こんにちは)、先輩方! 曇天ながらいい日和だ!」


 未だ体力の戻らない運動不足女を色々と心配していると、後ろから元気のいい声が聞こえてきた。
 振り向くと、赤髪と銀髪の女子二人がこちらに近付いてきている。

「サラ、鈴菊(リンギク)さん。こんにちは。一緒に来たの?」
「家の前でタマタマタマEncountedし(であっ)てネ。一緒に来たノデス」
契りを交わ(待ち合わせを)していないのに出会うなんてね。運命的だと思わないか、先輩方!」

 赤髪と銀髪は簡単に説明すると、二人揃って高らかに笑い始めた。うるせえなこいつら。

 ……英語混じりで喋る赤い髪のポニーテール女子は榎園サラ。僕達のクラスメイトで、この神社の管理をしている人のお孫さんだ。アメリカと日本のハーフで、約一年前に日本へ来たばかりなので時折日本語がたどたどしいところはあるけれど、基本的に明るくて良いアホの子である。

 そしてもう一人、顔の右側に黒い眼帯を着けた変な喋り方の銀髪ウルフカット女子は鈴菊さん。一つ年下の後輩で、今足元に転がっているイザが所属している美術部の部員でもある。

「で、イザが倒れてるケド……先に始めてタノ?」
「いや、僕らも来たばっかだよ。コイツはここまでの階段でこうなった」
「「えっ……」」

 信じられないものを見るようにイザへ視線を送る二人。
 憐れまないでやってほしい。コイツはコイツで真剣だから。

「ハァ……アタシのことはいいのよ。それよりさっきから気になってたんだけど……アレ、なんなの?」

 赤銀の視線がいたたまれなかったのか、イザは上半身を起こして顎で社の方向を指し示した。


「…………はぁぁぁ……」


 イザが言うアレ、というのはおそらく社の前で座って小石に手を翳している白い髪に赤い薔薇の髪飾りをした彼女の事だろう。
 彼女はキリさん。見た目こそ着物に身を包んだアルビノ美少女でしかないが、この神社に祀られている土地神様で、僕らの友達でもある。ボーイズラブ系の本を読むのが趣味で、普段は引っ込み思案で人見知りだけどいざという時は助けてくれる頼もしい神様だ。

「キリさんがどうかしたの?」
「いやどうかしてんでしょ。何してんのか知らないけどドでかい溜息吐いてるわよあの神様」

 言われてみれば、たしかにキリさんは項垂れて暗い雰囲気を醸し出している。ただでさえ曇り空の下のジメッとした空気なのに、彼女の周りだけ余計に湿っぽく感じられる。

「キリチャン、家でも最近ずっとあーなってンノヨ」
「お前の家でも?」

 キリさんはサラの家、もとい榎園家で居候している。
 といっても日中は神社で神様としてのお役目があるらしいので、一緒に住ごしているのは夕方以降が多いらしいけどね。

「ウム。ずっとSigh(ためいき)ばかりだわヨ」
「そっか。まあ原因はなんとなく分かるけど……」
「む、ソウビキ先輩は何か思い当たる節があるのか?」

 思い当たることはあるにはある。
 おそらくキリさんが落ち込んでいる原因はほぼ確実にの事だろう。

「マトイさん、だろうなぁ……」
「マトイさんというと……」
「ああ、リンギクさんは知らなかったよね」

 マトイさんというのは、先月知り合った人のことだ。
 顔面に灰色の布を巻いたミイラのような怪しい風貌の不審者なのだが、見た目とは裏腹に凄く紳士的で、土地神様(キリさん)でも手を焼く案件だろうと片付けてしまえる化物じみた人……人? である。
 僕らと今この場にいない親友を助けてくれた恩人でもあり、簡単に言えば色々知ってて色々できる凄くて良い人だ。

「あの人がどうしたのよ?」
「最近姿を見てないというか、前に勉強教えてもらってから会ってないんだよね」
「ふーん。ってことはつまり……」
「ウン。それからキリチャンも会ってナイヨ」
「なるほど、それでアレか」

「はぁぁぁ……」

 そう、それでああなってます。

 マトイさんはキリさんが恋をしている相手なのだ。
 おそらく、というのはキリさんが『恋心』というものを理解しておらず、マトイさんに向けている感情が恋愛的なものか、それとも友人としてなのかといった判断が付いていないという事情があったりする。
 まあ傍から見るとどう考えても恋愛感情にしか見えないんだけどさ。

 そんな推定片想い中の土地神様の話だと、本来マトイさんがここに訪れるのは稀な事らしく、本人はかなり忙しい身なのだという。
 次にいつ来るのか、再会できるのか分からない。そう考えるとキリさんが落ち込んでしまうのも止む無しというわけだ。

「笑うコトも少なくナッチャッテ……あ、でも好きなBook読む時はニヤニヤしてるカモ」
「なるほど案外大丈夫そうだ」
「大丈夫じゃないでしょ多分」

 そうだろうか。
 しかし原因が分かったところで僕らにはどうしようもない問題だ。マトイさんの連絡先は結局訊けてなかったし、あの人と話すことができる手段は今のところない。
 でもイザの言う通り、キリさんをあのままにしておくのもなぁ……。

 そうして皆で落ち込んだままのキリさんを見ながら思案していると──


「こんにちは。……ン? 今日は皆サン動きやすそうな格好してンね」


 背後から覚えのあるくぐもった声が聞こえてきた。
 振り返るとそこにいたのは……布に巻かれた正体不明の不審者、マトイさんその人だった。

「ってマトイさん!?」
「はいマトイさんですよ──

「マトイ───っっ!!!」(ドゴォッッ!!)

 ──ォグゥッ」

 僕らが驚くのも束の間、すっ飛んできたキリさんの頭がマトイさんの鳩尾に深々と突き刺さり、凄まじい勢いで後退っていった。
 しかし流石というか、不意打ちのヘッドアタックにもかかわらずマトイさんは見事にキリさんを受け止めて支えていた。凄い反射神経だ。

「本物!? 本物よね!? なんですぐおらんようなるんよぉ!!」
「待てキリ。話をする前に顔から出てるモンを拭いてくれああもう服に付いてる……」

 マトイさんがキリさんの頭を引き剥がすと、涙と鼻水と涎という神様の顔から出る聖水三連コンボが全てマトイさんの服にくっついていた。きったねえ。

「Hey, Tissues」
「ありがとうサラサン。……アレ? そっちの銀髪の人はたしか……」
「久方ぶりだな、マトイさん! 先月は大変世話になった!」
「え、リンギクさんもマトイさんの事知ってるの?」
「ああ。先月姉さんを助けてもらってな」

 どうやらマトイさんはリンギクさんとも面識があるようで、彼女の方でも人助けをしていたらしい。
 見た目はアレだが、本当に善い人だな。見た目は本当に不審者そのものだけど。

「その節はどォも。それで、なんで全員そんな格好してンの?」
「今度猛き青少年達の祭典(体育祭)があるのでな。その練習のために集まったところだ」
「ほォん。この前の勉強といい、皆サン真面目だねェ」
「そダ! マトチャン、この前はアリガト!」
「あ、そうだった。勉強、教えてくれてありがとうございました」
「いやいや、礼を言われるほどのコトじゃ「マトイぃぃぃ……」一回この神サン置いてきていい?」
「あ、はい」

 話している途中でマトイさんは顔面ベッチョベチョの土地神様を摘み上げ、社の方へと持っていった。まるで猫の襟首を掴んで運ぶが如しである。

「ええっと……キリさんとマトイさんは一体どういう関係なんだ?」
「見た通りの関係かな」
「ふむ──」


「ぬぁぁぁ! 離してなるものかぁぁぁ!!」
「離せ馬鹿! アンタの鼻水拭くだけだっつの!」
「その隙にまたどっか行くかもしれんじゃんかぁぁぁ!!」
「行かねェから安心し……暴れンな飛び散る汚ェ!」


「───愛玩動物と飼い主。いや、兄妹か親子のような関係か……?」

 ……今のやりとりを見ているとリンギクさんの表現があながち間違ってない気がして否定しづらい。

「まあ、キリさんにとって信頼できる相手って意味じゃ大体合ってるかな」
「成程! 神様の信頼に足るということは、やはり素晴らしい御人なのだな!」

 やだ眩しい笑顔。相変わらず大型犬感が凄いなこの子。

「そーいえば、マトチャンはなんで最近来なかったノデ?」
「用事が色々あってね。それと……この前の柊崎(フキザキ)家の一件があったでしょ? アレの後処理とか色々あってサ」

 柊崎家の件というと、先月僕らが巻き込まれた怪事件のことだろう。
 友達の家の蔵と家の中で立て続けに異変が発生し、偶然来ていた僕らが巻き込まれたのだ。
 原因は二名の付喪神で、サラの魂が抜けたり家の空間がめちゃくちゃになったり……とにかく色々起こった大変な事件だった。

「あの後、何かあったんですか?」
「まァ少し。本来はキリの仕事だったところをほとんどオレがやっちゃったし、付喪神のコトもあったからな。キリに代わってウカに報告したりとかしてたワケよ」

 キリさんの仕事?
 そういえば、本来この町で起きてる怪異関係の事件を解決するのもキリさんの役目の一つとかいう話があったんだっけ。
 それと……ウカっていうのはたしかキリさんの親ないしは上司みたいな神様のことだったな。マトイさんは友達らしいけど……なんでナチュラルに神様とコンタクト取れるんだろうこの人。

「え、じゃあ来れんかったのって私のせい……?」
「いや、オレが勝手にやったコトだしアンタが気にするコトじゃねェよ。どっちにしろあの時はアンタだけだと手に余ってただろうし、人死にがなくてよかったサね」

 ハハハ、とマトイさんは他人事のように笑っているけど、実際この人がいなければ僕らはここにいなかった可能性が高い。
 土地神様(キリさん)も手に負えないレベルの状況だったし、あの時この人がいてくれて良かったと思うよ。マジで。

「それで、マトチャンはコレからどうすンノ?」
「ン、何が?」
「ええっと……キリさんからマトイさんってあまり一つの場所に留まらないって聞いたんですよ。だから、またどこかに行くのか、って事だと思います」
「ホントよくこの子(サラ)の言葉訳せるわねアンタ」

 伊達にこの一年間仲良く過ごしていたわけじゃないからね。

「そのコトか。暫くはこの町の周辺にいるよ」
「えっ!? ほんまに!?」
「あァ。元々ここに来たのは世話ンなった人達への挨拶回りのついでにキリの様子を見に来ただけだったンだが……先月の一件でウカからキリのことを頼まれてな。神通力が上手く使えてないのもちょっと問題だし、短期間限定のサポート役に任命されたンですわ」

 マトイさんは「暴走した時のブレーキ役も兼ねてね」と続けて笑った。正直そっちの方が重要だし、僕としては助かる。この神様、興奮したらすぐに神通力出すし。

「わ、私のせいで縛り付けとるみたいで申し訳ないような、嬉しいような……」
「よく分からないが、一緒にいられるというのなら喜んで良いのではないだろうか?」
「てか、サポート役ってことはマトイさんはキリさんと一緒に住むのかしら?」
「Oh, ホンジャ我が家にお泊まりですカナ?」
「えっ!!!」

 複雑そうな顔から一転、土地神様の顔が華やいだ。しかし、

「いや、隣町に別の拠点があるから基本そっちにいるよ。こっちになるべく顔出すくらいのモンサね」
「あぁ……」

 マトイさんの住むところが決まっていると分かるや否や、キリさんのテンションが露骨に下がった。なんて分かりやすい神様だ。

「キリさんは本当にマトイさんの事が気に入っておられるのだな」
「そうねー」
「イザ、なんか雑でナイ?」
「てか練習しなくていいの?」
「あ、そうだった」

 マトイさんに言われてハッとした。
 そういえばその為に集まったんだった……イザ、舌打ちすんな。お前が一番鍛えないといけないんだからな。

「皆頑張ってね。……あれ? でも去年はこんなんしとらんかったよね。なんで今年はそんなに準備しよん?」
「今年はちょっと特別でして。頑張らないといけないんですよ」
「Grill...BBQがワレワレを待ってるからネ!」
「びいびい、きゅう?」
「なんにせよやる気があンのは良いコトだな」

 各々が自由に柔軟と軽い準備運動をしながら会話する。
 そう、全ては肉のため。
 まさにOne for all All for one。1人は全員のために、全員は1つの目標()のために、だ。

「アタシは頑張りたくないし、そこまでやる気もないんだけど……」
「イザクラちゃん、運動嫌いじゃもんね」
「でも、今回集まったのってコイツの提案なんですよ」
「あ、そうなんじゃ」

 イザは気だるげにしているが、今回僕らが集まったのはコイツに声を掛けられたからだ。
 明らかにクラスの足を引っ張るのはアタシだから、と自ら協力を仰いできたのである。
 当然、僕らは二つ返事で了承。仲の良い後輩であるリンギクさんも巻き込んで練習会となったのだが……。

「まさかイザクラ先輩から誘いが来るとは思っていなかったからな……正直、ボクも驚いたぞ」
「そうだね。本当に立派になって……!」
「ホントーに、スゴイ成長ブリだワ……!」
「初めて立った子供を見た親かアンタら」

 僕とサラが軽く泣きそうになっていると、イザが何やら文句がありそうな目を向けてきた。実際お前はそのくらいの感動を与えているんだ。自分を誇れ。

 そんな話をしているうちに準備は完了。
 キリさんとマトイさんに見送られながら僕らは神社を出発したのだった。




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 六月最初の土曜日の昼前。
 梅雨の時期ということもあって空気が少しジメジメしていて、空は雲に包まれている。雨が降りそうで降らないくらいの少し不安な空模様である。
 そんな本日の空の下、僕は神社の神木の下で倒れている友人を介抱していた。
「お疲れさん。ほら水水」
「はぁ……はぁ……し、死ぬぅ……」
 足元で寝転んでいる息絶え絶えの女子、井櫻《イザクラ》ことイザへ飲料水の入ったペットボトルを渡す。
 毎週土曜日にルーティンワークとしてこの神社で掃除をしている僕だが、今日はそれを返上して彼女の運動に付き合っていた。
 運動と言っても、実はまだ本格的に何かをしたわけではない。イザがぶっ倒れているせいか、かなりの運動をした後のように思えるけど……実際は準備運動がてら神社までの階段を軽く走って登ってきただけである。
「お前、運動不足ってレベルじゃねえだろ……」
「う、うるさい、わね……。ここの階段、急だし長いのよチクショォゲホッゴホッォォェッ……」
 やだ、見た目が美少女とは思えないほど汚い嗚咽《おえつ》。
 たしかにあの階段は多少角度があったり、少し長いとは思うけど……ここまで死にかけるほどのものではない。偏《ひとえ》にコイツの体力の無さが原因だ。
 あれくらいでここまでヘバるって普段の生活どうなってんのこの子?
「──ヤッホー、セッチャンandイザー!」
「|アポロンの調べが心地良いな《こんにちは》、先輩方! 曇天ながらいい日和だ!」
 未だ体力の戻らない運動不足女を色々と心配していると、後ろから元気のいい声が聞こえてきた。
 振り向くと、赤髪と銀髪の女子二人がこちらに近付いてきている。
「サラ、鈴菊《リンギク》さん。こんにちは。一緒に来たの?」
「家の前でタマタマタマ|Encountedし《であっ》てネ。一緒に来たノデス」
「|契りを交わ《待ち合わせを》していないのに出会うなんてね。運命的だと思わないか、先輩方!」
 赤髪と銀髪は簡単に説明すると、二人揃って高らかに笑い始めた。うるせえなこいつら。
 ……英語混じりで喋る赤い髪のポニーテール女子は榎園サラ。僕達のクラスメイトで、この神社の管理をしている人のお孫さんだ。アメリカと日本のハーフで、約一年前に日本へ来たばかりなので時折日本語がたどたどしいところはあるけれど、基本的に明るくて良いアホの子である。
 そしてもう一人、顔の右側に黒い眼帯を着けた変な喋り方の銀髪ウルフカット女子は鈴菊さん。一つ年下の後輩で、今足元に転がっているイザが所属している美術部の部員でもある。
「で、イザが倒れてるケド……先に始めてタノ?」
「いや、僕らも来たばっかだよ。コイツはここまでの階段でこうなった」
「「えっ……」」
 信じられないものを見るようにイザへ視線を送る二人。
 憐れまないでやってほしい。コイツはコイツで真剣だから。
「ハァ……アタシのことはいいのよ。それよりさっきから気になってたんだけど……アレ、なんなの?」
 赤銀の視線がいたたまれなかったのか、イザは上半身を起こして顎で社の方向を指し示した。
「…………はぁぁぁ……」
 イザが言うアレ、というのはおそらく社の前で座って小石に手を翳している白い髪に赤い薔薇の髪飾りをした彼女の事だろう。
 彼女はキリさん。見た目こそ着物に身を包んだアルビノ美少女でしかないが、この神社に祀られている土地神様で、僕らの友達でもある。ボーイズラブ系の本を読むのが趣味で、普段は引っ込み思案で人見知りだけどいざという時は助けてくれる頼もしい神様だ。
「キリさんがどうかしたの?」
「いやどうかしてんでしょ。何してんのか知らないけどドでかい溜息吐いてるわよあの神様」
 言われてみれば、たしかにキリさんは項垂れて暗い雰囲気を醸し出している。ただでさえ曇り空の下のジメッとした空気なのに、彼女の周りだけ余計に湿っぽく感じられる。
「キリチャン、家でも最近ずっとあーなってンノヨ」
「お前の家でも?」
 キリさんはサラの家、もとい榎園家で居候している。
 といっても日中は神社で神様としてのお役目があるらしいので、一緒に住ごしているのは夕方以降が多いらしいけどね。
「ウム。ずっと|Sigh《ためいき》ばかりだわヨ」
「そっか。まあ原因はなんとなく分かるけど……」
「む、ソウビキ先輩は何か思い当たる節があるのか?」
 思い当たることはあるにはある。
 おそらくキリさんが落ち込んでいる原因はほぼ確実に《《あの人》》の事だろう。
「マトイさん、だろうなぁ……」
「マトイさんというと……」
「ああ、リンギクさんは知らなかったよね」
 マトイさんというのは、先月知り合った人のことだ。
 顔面に灰色の布を巻いたミイラのような怪しい風貌の不審者なのだが、見た目とは裏腹に凄く紳士的で、土地神様《キリさん》でも手を焼く案件だろうと片付けてしまえる化物じみた人……人? である。
 僕らと今この場にいない親友を助けてくれた恩人でもあり、簡単に言えば色々知ってて色々できる凄くて良い人だ。
「あの人がどうしたのよ?」
「最近姿を見てないというか、前に勉強教えてもらってから会ってないんだよね」
「ふーん。ってことはつまり……」
「ウン。それからキリチャンも会ってナイヨ」
「なるほど、それでアレか」
「はぁぁぁ……」
 そう、それでああなってます。
 マトイさんは《《おそらく》》キリさんが恋をしている相手なのだ。
 おそらく、というのはキリさんが『恋心』というものを理解しておらず、マトイさんに向けている感情が恋愛的なものか、それとも友人としてなのかといった判断が付いていないという事情があったりする。
 まあ傍から見るとどう考えても恋愛感情にしか見えないんだけどさ。
 そんな推定片想い中の土地神様の話だと、本来マトイさんがここに訪れるのは稀な事らしく、本人はかなり忙しい身なのだという。
 次にいつ来るのか、再会できるのか分からない。そう考えるとキリさんが落ち込んでしまうのも止む無しというわけだ。
「笑うコトも少なくナッチャッテ……あ、でも好きなBook読む時はニヤニヤしてるカモ」
「なるほど案外大丈夫そうだ」
「大丈夫じゃないでしょ多分」
 そうだろうか。
 しかし原因が分かったところで僕らにはどうしようもない問題だ。マトイさんの連絡先は結局訊けてなかったし、あの人と話すことができる手段は今のところない。
 でもイザの言う通り、キリさんをあのままにしておくのもなぁ……。
 そうして皆で落ち込んだままのキリさんを見ながら思案していると──
「こんにちは。……ン? 今日は皆サン動きやすそうな格好してンね」
 背後から覚えのあるくぐもった声が聞こえてきた。
 振り返るとそこにいたのは……布に巻かれた正体不明の不審者、マトイさんその人だった。
「ってマトイさん!?」
「はいマトイさんですよ──
「マトイ───っっ!!!」(ドゴォッッ!!)
 ──ォグゥッ」
 僕らが驚くのも束の間、すっ飛んできたキリさんの頭がマトイさんの鳩尾に深々と突き刺さり、凄まじい勢いで後退っていった。
 しかし流石というか、不意打ちのヘッドアタックにもかかわらずマトイさんは見事にキリさんを受け止めて支えていた。凄い反射神経だ。
「本物!? 本物よね!? なんですぐおらんようなるんよぉ!!」
「待てキリ。話をする前に顔から出てるモンを拭いてくれああもう服に付いてる……」
 マトイさんがキリさんの頭を引き剥がすと、涙と鼻水と涎という神様の顔から出る聖水三連コンボが全てマトイさんの服にくっついていた。きったねえ。
「Hey, Tissues」
「ありがとうサラサン。……アレ? そっちの銀髪の人はたしか……」
「久方ぶりだな、マトイさん! 先月は大変世話になった!」
「え、リンギクさんもマトイさんの事知ってるの?」
「ああ。先月姉さんを助けてもらってな」
 どうやらマトイさんはリンギクさんとも面識があるようで、彼女の方でも人助けをしていたらしい。
 見た目はアレだが、本当に善い人だな。見た目は本当に不審者そのものだけど。
「その節はどォも。それで、なんで全員そんな格好してンの?」
「今度|猛き青少年達の祭典《体育祭》があるのでな。その練習のために集まったところだ」
「ほォん。この前の勉強といい、皆サン真面目だねェ」
「そダ! マトチャン、この前はアリガト!」
「あ、そうだった。勉強、教えてくれてありがとうございました」
「いやいや、礼を言われるほどのコトじゃ「マトイぃぃぃ……」一回この神サン置いてきていい?」
「あ、はい」
 話している途中でマトイさんは顔面ベッチョベチョの土地神様を摘み上げ、社の方へと持っていった。まるで猫の襟首を掴んで運ぶが如しである。
「ええっと……キリさんとマトイさんは一体どういう関係なんだ?」
「見た通りの関係かな」
「ふむ──」
「ぬぁぁぁ! 離してなるものかぁぁぁ!!」
「離せ馬鹿! アンタの鼻水拭くだけだっつの!」
「その隙にまたどっか行くかもしれんじゃんかぁぁぁ!!」
「行かねェから安心し……暴れンな飛び散る汚ェ!」
「───愛玩動物と飼い主。いや、兄妹か親子のような関係か……?」
 ……今のやりとりを見ているとリンギクさんの表現があながち間違ってない気がして否定しづらい。
「まあ、キリさんにとって信頼できる相手って意味じゃ大体合ってるかな」
「成程! 神様の信頼に足るということは、やはり素晴らしい御人なのだな!」
 やだ眩しい笑顔。相変わらず大型犬感が凄いなこの子。
「そーいえば、マトチャンはなんで最近来なかったノデ?」
「用事が色々あってね。それと……この前の柊崎《フキザキ》家の一件があったでしょ? アレの後処理とか色々あってサ」
 柊崎家の件というと、先月僕らが巻き込まれた怪事件のことだろう。
 友達の家の蔵と家の中で立て続けに異変が発生し、偶然来ていた僕らが巻き込まれたのだ。
 原因は二名の付喪神で、サラの魂が抜けたり家の空間がめちゃくちゃになったり……とにかく色々起こった大変な事件だった。
「あの後、何かあったんですか?」
「まァ少し。本来はキリの仕事だったところをほとんどオレがやっちゃったし、付喪神のコトもあったからな。キリに代わってウカに報告したりとかしてたワケよ」
 キリさんの仕事?
 そういえば、本来この町で起きてる怪異関係の事件を解決するのもキリさんの役目の一つとかいう話があったんだっけ。
 それと……ウカっていうのはたしかキリさんの親ないしは上司みたいな神様のことだったな。マトイさんは友達らしいけど……なんでナチュラルに神様とコンタクト取れるんだろうこの人。
「え、じゃあ来れんかったのって私のせい……?」
「いや、オレが勝手にやったコトだしアンタが気にするコトじゃねェよ。どっちにしろあの時はアンタだけだと手に余ってただろうし、人死にがなくてよかったサね」
 ハハハ、とマトイさんは他人事のように笑っているけど、実際この人がいなければ僕らはここにいなかった可能性が高い。
 土地神様《キリさん》も手に負えないレベルの状況だったし、あの時この人がいてくれて良かったと思うよ。マジで。
「それで、マトチャンはコレからどうすンノ?」
「ン、何が?」
「ええっと……キリさんからマトイさんってあまり一つの場所に留まらないって聞いたんですよ。だから、またどこかに行くのか、って事だと思います」
「ホントよく|この子《サラ》の言葉訳せるわねアンタ」
 伊達にこの一年間仲良く過ごしていたわけじゃないからね。
「そのコトか。暫くはこの町の周辺にいるよ」
「えっ!? ほんまに!?」
「あァ。元々ここに来たのは世話ンなった人達への挨拶回りのついでにキリの様子を見に来ただけだったンだが……先月の一件でウカからキリのことを頼まれてな。神通力が上手く使えてないのもちょっと問題だし、短期間限定のサポート役に任命されたンですわ」
 マトイさんは「暴走した時のブレーキ役も兼ねてね」と続けて笑った。正直そっちの方が重要だし、僕としては助かる。この神様、興奮したらすぐに神通力出すし。
「わ、私のせいで縛り付けとるみたいで申し訳ないような、嬉しいような……」
「よく分からないが、一緒にいられるというのなら喜んで良いのではないだろうか?」
「てか、サポート役ってことはマトイさんはキリさんと一緒に住むのかしら?」
「Oh, ホンジャ我が家にお泊まりですカナ?」
「えっ!!!」
 複雑そうな顔から一転、土地神様の顔が華やいだ。しかし、
「いや、隣町に別の拠点があるから基本そっちにいるよ。こっちになるべく顔出すくらいのモンサね」
「あぁ……」
 マトイさんの住むところが決まっていると分かるや否や、キリさんのテンションが露骨に下がった。なんて分かりやすい神様だ。
「キリさんは本当にマトイさんの事が気に入っておられるのだな」
「そうねー」
「イザ、なんか雑でナイ?」
「てか練習しなくていいの?」
「あ、そうだった」
 マトイさんに言われてハッとした。
 そういえばその為に集まったんだった……イザ、舌打ちすんな。お前が一番鍛えないといけないんだからな。
「皆頑張ってね。……あれ? でも去年はこんなんしとらんかったよね。なんで今年はそんなに準備しよん?」
「今年はちょっと特別でして。頑張らないといけないんですよ」
「Grill...BBQがワレワレを待ってるからネ!」
「びいびい、きゅう?」
「なんにせよやる気があンのは良いコトだな」
 各々が自由に柔軟と軽い準備運動をしながら会話する。
 そう、全ては肉のため。
 まさにOne for all All for one。1人は全員のために、全員は1つの目標《肉》のために、だ。
「アタシは頑張りたくないし、そこまでやる気もないんだけど……」
「イザクラちゃん、運動嫌いじゃもんね」
「でも、今回集まったのってコイツの提案なんですよ」
「あ、そうなんじゃ」
 イザは気だるげにしているが、今回僕らが集まったのはコイツに声を掛けられたからだ。
 明らかにクラスの足を引っ張るのはアタシだから、と自ら協力を仰いできたのである。
 当然、僕らは二つ返事で了承。仲の良い後輩であるリンギクさんも巻き込んで練習会となったのだが……。
「まさかイザクラ先輩から誘いが来るとは思っていなかったからな……正直、ボクも驚いたぞ」
「そうだね。本当に立派になって……!」
「ホントーに、スゴイ成長ブリだワ……!」
「初めて立った子供を見た親かアンタら」
 僕とサラが軽く泣きそうになっていると、イザが何やら文句がありそうな目を向けてきた。実際お前はそのくらいの感動を与えているんだ。自分を誇れ。
 そんな話をしているうちに準備は完了。
 キリさんとマトイさんに見送られながら僕らは神社を出発したのだった。