――数年後。
「とうちゃん! とうちゃん! おはなし、きかせて!」
小さな手が、俺の服の裾をくいくいと引っ張る。ベッドに入る時間だというのに、息子のアレックスは、キラキラした目で俺を見上げていた。今日はたっぷり昼寝をしたらしく、夜だというのに元気いっぱいだ。
「……アレックス、悪いけど今日は父ちゃん、疲れてるんだよ」
俺、ザック・グラナードは、苦笑しながら息子の頭を撫でた。
あの軌道エレベーターでの事件から、色々あった。イリスからの強い推薦もあり、俺はかつて敵対した地球再生局の、今ではその一員……査察官として世界中を飛び回っている。昨日までアフリカでとある「遺物」絡みの事件を追っていて、今日、二週間ぶりに我が家に帰ってきたばかりなのだ。身体の節々が、休息を求めて悲鳴を上げていた。
「アレックス、お父さんは帰ってきたばかりなんだから、お話は明日にしなさい」
キッチンから、妻になったイリスの声がした。彼女にそう言われ、アレックスは少しだけ不満そうに唇を尖らせたが、すぐに何かを思いついたように顔を輝かせた。
「じゃあ、あしたね! あした、また、えいだのおはなし、きかせて!」
「……ああ、分かったよ」その無邪気な言葉に、俺は胸の奥が少しだけチクリと痛むのを感じながら、それでも笑顔で頷いた。アレックスは、俺が時折話して聞かせる、銀色の髪と蒼い瞳を持つ、勇敢で心優しいアンドロイドのお話が大好きなのだ。「明日、必ずお話を聞かせてやるから、今日はもう寝なさい」
「やったぁ!」
アレックスは満足そうに笑うと、自分の部屋へと駆けていった。
静かになったリビングで、俺は使い慣れた革張りのソファに深く身を沈めた。床には、アレックスが遊びっぱなしにしたのだろう、ブロックの玩具がいくつか転がっている。イリスが、温かいコーヒーの香りと共にマグカップを二つ持ってきて、俺の隣にそっと腰を下ろした。
「お疲れ様、ザック」
「ああ、ただいま」
俺たちは、多くを語らず、ただ静かにコーヒーを飲んだ。大きな窓の外には、ジャンクション・セブンのようなけばけばしいネオンはない、穏やかで温かい街の灯りが、まるで星屑のように広がっている。
エイダ。
彼女が自らの記憶と引き換えに守ってくれた、この平和な日常。俺は、それを守るために、今も戦い続けているのかもしれない。借金のためでも、一攫千金のためでもなく。
腕の中に、今も時折、彼女を抱きしめた時の、あの重さと、そして温かさを思い出す。
俺は、隣に座るイリスの肩を、そっと引き寄せた。
こうして、グラナード家の夜は、静かに更けていく。この穏やかな時間が、一日でも長く続くことを祈りながら。