――エクアドル地球連邦軍本部
深夜を過ぎた時間にも関わらず、エクアドル地球連邦軍本部の司令室は、怒号と耳障りな警告音が絶え間なく飛び交い、戦場さながらの混乱に陥っていた。オペレーターたちは青ざめた顔でモニターを睨みつけ、懸命にキーボードを叩いている。
「ゼータ・プライムからの違法な信号を追跡しろ! 発信源はどこだ!」
「太平洋上の無人環礁が消滅! 衝撃波による津波が発生、周辺航路に警報を!」
「緊急会議のメンバーはまだそろわないのか!」
「こんな時に、悠長なことを言っている場合か!」
制服を着た士官たちが、怒鳴り合うように報告を交わしていた。
世界中のモニターが、ローウェル・ケインと名乗る男によってジャックされ、彼が軌道上から行った「デモンストレーション」という名の破壊行為を見せつけられたのだ。世界は、たった一人の男によって、再び軌道戦争時代の恐怖へと引きずり込まれようとしていた。
そんなパニックの最中、一人のレーダー監視員が、信じられないといった声で叫んだ。
「ゼータ・プライムからの信号が……途絶! 発信が停止しました!」
さらに、量子インターネット回線を監視していた職員も、驚きの声を上げる。
「旧時代の兵器ネットワークへの、ゼータ・プライムからの不正なアクセスも、全て停止しました!」
「……何が起きたんだ? ……まさか、奇跡でも起きたというのか……?」
司令室の誰もが、何が起こったのか理解できず、ただ沈黙したモニターを見つめるしかなかった。
――同時刻、低層ステーション・宇宙港
俺とイリスは、管制室の巨大な窓から、静かに浮かぶ青い地球を、ただ黙って眺めていた。
「ザック……。これで、うまく行ったのかしら?」イリスが、不安そうに俺の横顔を見上げた。
「さあな、でも地球を見る限り、まだ派手な戦争は起きてないようだ」
俺は、蒼く美しい地球を見ていると、なぜか、エイダのあの蒼い瞳を思い出し、ふと涙がこぼれそうになった。
どれだけそうしていただろう。大した時間ではないのかもしれない。しかし、ふと気づくと、地球の縁がゆっくりと白み始め、眩い太陽の光が、漆黒の宇宙を引き裂いて差し込んできていた。夜明けだ。
その神々しい光景に、俺とイリスは、ただ黙って見入っていた。過酷な戦い、多くの犠牲、そして辛い別れ。その全てを浄化するような、あまりにも美しい夜明けだった。
どちらからともなく、俺たちは自然と手を伸ばし、その手を固く繋ぎ合っていた。 向き合ったイリスの瞳には、昇り始めたばかりの朝日が反射して、まるで黄金の宝石のようにきらきらと輝いている。その吸い込まれそうなほど美しい瞳に見つめられ、俺は衝動のままに彼女の身体を引き寄せ、壊れ物を抱きしめるように、しかし力強く、きつく抱きしめた。イリスも、驚いたように一瞬だけ身を固くしたが、すぐにその腕に力を込め、応えるように俺の背中に手を回した。お互いの鼓動が、息遣いが、そして安堵と、言葉にならない温かい感情が、触れ合った身体を通して伝わってくる。そして、俺たちは、まるで世界の全てがこの瞬間のために存在していたかのように、自然と顔を近づけ、唇を重ねた。
「あら、お二人さん? こんな特等席で日の出を見て、お熱いことしてるじゃないの」
背後から、マダム・プラムの甲高い、しかしどこか楽しそうな声がした。俺とイリスは、慌てて身体を離す。
「ち、違う! これは、その……!」イリスが、顔を真っ赤にしてしどろもどろになっている。
「プラム、もう身体は大丈夫なのか」俺は、照れ隠しにぶっきらぼうに言った。
「おかげさまで。だいぶマシになったわ。……ところで、エイダはどうなったの?」
「あの子は、自分の記憶と引き換えに、人類を守ってくれたよ」
「エイダが、ゼータ・プライムを止めてくれたのよ。ただ、その代償として、彼女の頭部のメモリは……リセットされてしまったの」イリスが、俺の言葉を補足してくれた。
「そう……」プラムは、一瞬だけ何かを考えるような表情を見せたが、すぐにいつもの笑みを浮かべた。
「じゃあ、あのアンドロイドは、ザッキーのことも忘れてるのね。なら、今度は私がもらってもいいわよね?」
「いいえ、今度こそ、地球再生局で厳重に監理します」イリスは、プラムの軽口に、アサルトライフルを突きつけながら答えた。
「じょ、じょ、冗談よう! イリスちゃん!」プラムは慌てて両手を上げる。
「私だって事がこれだけ大きくなったら、あのアンドロイドを持ち出すなんて出来そうにないことぐらい分かってるって……」
「どうだか?」イリスは呆れたように返す。
俺たちは、今はもう何も語らず、ただ静かに眠るエイダと共に、エレベータで地上へと降りていった。
途中の階で、ジンとガシュレーが待っていた。
「ガシュレー、無事だったか」
「そっちこそ、うまく行ったようだな」
「ジンはどうした?」
「あいつなら、多分向こうで寝てる」
その言葉通り、ジンはブラックアウトを倒した後、疲労のため、近くの部屋で大の字になって眠ってしまっていたそうだ。
そうして、ジンとガシュレーを加え、俺たちは再び長い時間をかけて、地上へと降りていった。
軌道エレベータの麓、1Fの発着場まで降りると、ライカーとソーニャを始めとしたイージス・セキュリティの部下たちが、俺たちを出迎えてくれた。彼らも皆無事で、ガシュレーとの再会を心から喜んでいるようだった。
イリスは、傍らで静かに佇むエイダに向き直ると、その手を取った。
「エイダ、行きましょう。あなたの新しい『家』へ」
そして、イリスは俺の方を振り返り、悪戯っぽく、しかし有無を言わせぬ力強い目で言った。
「ザック、アナタも来なさい。これから地球再生局で、今回の件について、たっぷりと事情聴取が待ってるわ」
「げっ……勘弁してくれよ」
「いいから来なさい!」
有無を言わさず俺の腕を引くイリスと、それに従うしかない俺、そしてその二人についていくエイダ。その三人の後ろ姿を、マダム・プラムが、やれやれといった様子で見送っていた。
「何だか、あの三人、親子みたいね」
プラムの呟きに、隣にいたガシュレーやジンたちが、思わず笑みをこぼした。
ザックの新たな、そして本当の冒険は、この夜明けの光の中から、今、始まろうとしていた。