昨晩。和泉を自宅まで送った僕は、風呂で気合いを入れてさっぱりした後、早めに就寝しようと部屋へ向かった。でも、その前にリビングで待構えていた薄茶髪の男に呼び止められてしまう。
「ちょっといいか、安芸」
ソファに座るように促す日向に対し、お前も早く寝ろよと思いながらも、僕は仕方なく彼の指示に従った。珍しくテーブルの上には、緑茶の入った二人分の湯飲みが置かれている。
気前が良いな。明日の作戦に不満でもあったのか? まぁ、丸腰で乗り込むという無茶ぶりに、不満が全くないはずもないけど。
「で、何?」
ぶっきらぼうに催促すると、アイツは机の上に組み置かれた手から、ゆっくりと視線を僕に向けた。いつになく真面目な表情だ。それに少しの胸騒ぎを感じる。
「俺は正直……、アイツは〝万全を期して回避〟って言うと思ってた」
「……は?」
アイツとは和泉のことだろうか。確かに、いつも僕らの身を案じてくれる彼女なら、回避という選択をしても不思議ではない。
でも今回彼女は自ら〝奪われた音を取り返したい〟と戦う決意をした。日向は元々回避派だったけれど、彼だってそれに同意したはずだ。
「今更止めようって言うつもりか? いい加減にしろ、腹はとっくに括っただろう」
「そうじゃねぇ、俺だってアイツの意思は尊重する。ただ俺は、もう二度とアイツを死なせたくない」
日向の言葉に僕は違和感を覚えた。〝二度と〟ということは、彼は一度彼女の死に立ち会っていることを示唆していた。今の和泉であるはずがないから、紛れもなく前世の話だろう。
でも、僕らには〝前世の最期の記憶〟がないことは日向にも確認済みだ。それとも彼は嘘を吐いていたとでも言うのだろうか。
「どうゆうこと? 君には最期の記憶があるってことか」
「違う。俺だって前世の俺たちがどうなったかなんて覚えてねぇ。けど何ていうか、アイツの死を思うと気持ちが張り裂けそうになるんだよ。俺の中から、全力で〝嫌だ〟と訴えてきやがる」
……なるほど。
ならそれは、解放されずに日向の中で眠っている、前世の彼の潜在意識か。
ということは、前世で和泉は僕らより先に――。そう思うと、僕の中にも言い様のない絶望感が湧き上がった。まるで閉ざされていた花が開くように。
「止めろよ、縁起でもない! 前世がどうでも、僕は現世で和泉を必ず守り抜く!」
「俺だってそうだ! だが、今回はメストのアジトだぞ? 何が起きるのか分からないのが不測の事態だ。万全を期しても、対処できない可能性はゼロじゃねぇだろうが!?」
次第にヒートアップする僕と日向。近江が起きないかと気になるところだが、アイツは一度寝たら全く起きない性分だから問題ない。それで朝が激弱とくるから困ったものだ。
暫しの睨み合いが続き、部屋には時計の秒針の音だけが響く。
先に視線を外したのは日向だ。ここで揉めても仕方がないと、僕も一旦用意された湯飲みに口を付けた。苦いけど、手慣れてない感が彼らしい。
「……和泉だけは死なせるわけにいかねぇ。それは絶対だ。だから万が一の時は、俺と近江が
心体増強を使って奴らを食い止める」
突然告げられた決断に、僕は耳を疑った。
心体増強は使わないと約束したはずだ。足りない能力を補うために、三人でトレーニングにだって励んできた。
「何を言って――」
「さっき近江と話し合って決めた、異論は認めねぇ。お前は和泉を連れて逃げるんだ。俺の頭じゃ機転は利かねぇが、お前なら上手く立ち回れるだろ」
「ッ、僕の話を聞け!」
折角心を落ち着かせたというのに、再び火を灯らせた僕は思わず立ち上がった。こんなに感情的になるのは久しぶりか。……でも、そうせずにはいられない。
「別に死ぬって言ってるわけじゃねぇよ。スタミナなら俺らのほうが、まだまだ上だ。お前らが逃げ切れたのを確認したら、俺たちも何とかして脱出する。洞窟を崩壊させて、奴らを閉じ込めた後でな。……お前は絶対に
心体増強すんじゃねぇぞ。和泉を任せられるのはお前しかいねぇんだからよ、安芸」
日向は自分の言いたいことだけ言うと、僕が呼び止めるのも聞かずに部屋へと入ってしまった。残された僕は歯を食いしばり、握った拳へ更に力を加えることしかできなかった。
――二人して僕に気を使っているのか? 僕が、和泉のことを好きだから。
確かにそれもあるだろう。でも彼らは、僕だからこそ適任者として選んだんだ。どんなにトレーニングしたって、彼らのパワーやスタミナにはすぐに追いつけやしない。だからもしもの時は、敵を押さえつけられる力を持つ自分たちが犠牲となり、和泉を生かす道を提案した。彼女はブリッランテの命だから。
〝絶対に、皆で帰ろうね〟
金剛玄洞の前でそう言った和泉の顔が浮かぶ。彼女はその願いを心から祈っているだろう。二人の覚悟を知らない君には残酷すぎて、僕は彼女を抱き締めた。
僕が守りたいのは、和泉の命だけじゃない。彼女の温もり、優しさ、その笑顔の全てだ。和泉を守るためなら僕だって何でもするよ。……でも、
友人を犠牲にして、
騎士になんてなれるわけがない。
すっかり遠くなった近江の背中を追いかける。脱出できる保証なんて、どこにあるんだよ。洞窟が崩落すれば自分たちだって危ういだろ。そうでなくとも
心体増強自体が自殺行為だ、只では済まされない。
いいだろう。見捨てる気はないけど、君たちがそう決めたなら僕も覚悟するよ。
ただし、その時が来るなら僕は
騎士ではなく――、悪魔になるから。
◇
男は長い坑道を一人彷徨っていた。追っていた者たちとは違って地図もなく、元々残念な方向感覚の持ち主であり、迷うのも無理はない。
まさかこんな場所に導かれると思っていなかった彼に、ランタンなどの用意もない。頼れる明かりはスマホの小さなライトのみである。
「……くっそ、完全に見失ったっけな」
オレンジメッシュが入った金の、外跳ねヘアがふわりと揺れる。
よく分からず忍び込んだが、彼はここがメストの拠点だということは理解していた。すれ違う者全てがその敵であれば、いくら鈍くても気づくであろうが。
「仕方ねぇし、そろそろ一暴れしてやっか」
手にした自慢の槍で風を切る男は、不敵の笑みを浮べて奥へと進んだ。