戦いの後 ―2―
ー/ー 国綱たちと別れてから、旭はずっと空を見ていた。景色の変わらない空を眺める度に、旭は自分の身体の違和感に感づいていく。ため息をついて、青い芝生に倒れ込む。まだ疲れが取り切れていない身体は休眠を欲しているようで、野ざらしの野原であってもどこか心地よく感じて眠たくなってしまう。
仰向けになって空を見ても、やはり景色は変わらない。つい数日までは見えていたものが、そこになかった。何度目をこすってみても、何も変わらない。
(星が……)
燦然と輝きを見せていたはずの星が、旭の視界から忽然と姿を消した。代わりに、青々とした深い夜の空には、月がいつもより一層輝いて浮かんでいる。吹く風の音に紛れるように、どこからともなく芝生を踏む足音が聞こえてくる。嫌な予感に気づきながらも、旭はその人物に目を向ける。正体は何となくわかっていた。
「久しぶり。寂しかった?」
「……魔女、じゃねぇんだったな」
「わ、覚えててくれてたんだね」
どこからともなく現れて、女は満悦そうに笑った。寝そべる旭の隣に腰を下ろし、寄り添うように密着する。絶対に何かを企んでいる女を少し不気味に思いながらも、旭はそれを受け入れた。
記憶する者との戦いの中、重傷を負って死の淵に追いやられた旭の前に女は現れた。死の刻限はもう必要なくなったと、八重が旭に付与した呪いを解き放ち、致死の傷を治してみせた正体の分からない女。それから、『焔の印』は旭の身体から消えて、焔を使う度に感じていた痛みもなくなっていた。
「お前は、一体何者だ?」
ただ1つ。唯一理解できないのは、女の正体だった。未だかつて、魔法が意思を持って現れるなんて見たことも聞いたこともことはなかった。旭の師である獄蝶のジョカからは『魔法との対話』について教えられていたが、こんな直接的な意味ではないことは馬鹿でも分かる。目の前の女がもし仮に『焔』だったとしても、どうしても拭えない違和感があった。
焔は、旭の『固有魔法』ではないのだ。
「『焔』は師匠の獄蝶を元に改造した魔法だ。俺の魔法じゃない」
言ってしまえば、旭は獄蝶のジョカの魔法を使っているに過ぎない。旭に合わせて進化、変質しているのは確かだが、元を辿れば『焔』は獄蝶のジョカの魔法だ。女が焔の魔法の具現化だというのなら、旭の前に現れるのはおかしい。
だが、女はその言葉を聞いてクスリと笑うだけだった。バカにされているような気がしてふくれた顔をした旭の頬をつついて、女は言った。
「君の言う通り、私は『焔』じゃない。けれど、私は君の魔法だ。正真正銘、君に宿った魔法だよ。なんでこうやって君の前に姿を見せられているのか、気になる?」
女はあっさりと自分の正体を明かすつもりのようで、躊躇いなく言葉を続ける。
「私は神の鍵、『救世の鍵』から分かたれた能力の一つ。その名は――」
世界の理。そのうちの一つである『救世の鍵』の断片。世を救い、人々を苦悩から解放する根源の力。その鍵を持つ者は人の世、人類の救世主たる力と精神の持ち主である。神の鍵。強大な力のその断片。『救世の鍵』の一欠片が旭の魔法。
「『希望』だよ」
例外はあれど、神の鍵はいくつもの能力が統合されて1つの力になっている。もちろん、『救世の鍵』も例外ではない。
「『救世の鍵』は強力すぎたんだよ。今までの使用者の中で、私たちを完全に使いこなせていたやつは一人しかいない」
強力すぎる力に、器が耐えきれなかったのだ。何百、何千、何億もの人間が試した。しかし、その誰もが、『救世』の力に耐えきれず死んでいった。それでもいつか、いつか必ず『救世の鍵』を使いこなす人物が現れると信じて、無為に在り続けた結果が今の世界だった。たった一人の救世主は現れなかった。ただ一人、それに近しかった人物は力を手放した。
だから、『救世の鍵』は自らの意思で力を分けた。分散させ、『救世』という1つの力をいくつかの力に細分化させ、選ばれし者を長い時間の中で待ち続けた。
「そして、私は君を選び、君は私を欲した。必要だったんだろう? 絶望を切り裂く希望が、闇を照らす光が」
旭は深く考え込む。酷く顔を歪ませ、どこか身体の調子でも悪いのかと思ってしまうほど深刻そうな表情で激しく息を切らしていた。1つの考えが、旭の脳裏によぎる。
この女なら、知っているのではないか。
ずっと前から、何かがおかしいと思っていた。何かが違う、何かが足りない。真っ白なパズルの一欠片がハマらない。埋まらない空白は八重の存在でもなければ、国綱でも、焔でもなかった。ただひたすらに心を駆り立てる焦燥感と、そこにいたあったはずの記憶の欠片が漂泊している。
「私は知ってるよ。君から消えてしまった記憶を」
そんな旭に、女は言った。それが女の甘言であることは承知の上で、旭は女を問い詰める。野原に押し倒し、抵抗しようとする両手を押さえ込んで、旭は女の上に跨った。蕩けるような顔を浮かべている女を睨みつけ、旭は脅すように言った。
「教えろ、今すぐだ。俺は何を忘れた。何を失くした!」
「あはっ。君って案外攻めっけがあるじゃないか。もっと強く押し倒してくれてもよかったんだぞ?」
しかし、女は怯むことなく、逆に旭の焦燥感を煽るように口を開いた。女の細腕を抑える旭の手の力が強まる。小さく顔を歪ませる女の表情が旭の目に映った。
ぐわんと、旭の視界が歪む。こんな状況でも笑ってしまえる女に驚いたのではない。痛みで顔を歪ませ、抵抗しようとする女を見て、トラウマが蘇った。
ふと、女を抑える力が弱まる。それに勘づいた女はムスッとした顔をして、動揺している旭を逆に押し倒してしまった。仰向けになって再び目に映った藍色の空に、星はなかった。
「何を躊躇っているんだ」
女は深淵のように深い眼差しで旭を見つめる。吸い込まれるような、光のひとつもない目をしていた。
「手段も、方法も選ぶなよ。私を殺してでも、絶望の中で必死に抗ってみせろ」
それがお前だろう?――
月が陰る。辺りは女の表情が見えなくなるほど暗くなっていく。絶望に飲まれていくような感覚が旭を襲う。今まで何度も経験したことがある。逆境や死なんて生易しいものではない。
少しでも意識を手放せばこの世から自分の存在ごと消えてなくなってしまいそうな感覚。黒より昏い夜に溺れていくように、旭は闇に飲み込まれていった。
仰向けになって空を見ても、やはり景色は変わらない。つい数日までは見えていたものが、そこになかった。何度目をこすってみても、何も変わらない。
(星が……)
燦然と輝きを見せていたはずの星が、旭の視界から忽然と姿を消した。代わりに、青々とした深い夜の空には、月がいつもより一層輝いて浮かんでいる。吹く風の音に紛れるように、どこからともなく芝生を踏む足音が聞こえてくる。嫌な予感に気づきながらも、旭はその人物に目を向ける。正体は何となくわかっていた。
「久しぶり。寂しかった?」
「……魔女、じゃねぇんだったな」
「わ、覚えててくれてたんだね」
どこからともなく現れて、女は満悦そうに笑った。寝そべる旭の隣に腰を下ろし、寄り添うように密着する。絶対に何かを企んでいる女を少し不気味に思いながらも、旭はそれを受け入れた。
記憶する者との戦いの中、重傷を負って死の淵に追いやられた旭の前に女は現れた。死の刻限はもう必要なくなったと、八重が旭に付与した呪いを解き放ち、致死の傷を治してみせた正体の分からない女。それから、『焔の印』は旭の身体から消えて、焔を使う度に感じていた痛みもなくなっていた。
「お前は、一体何者だ?」
ただ1つ。唯一理解できないのは、女の正体だった。未だかつて、魔法が意思を持って現れるなんて見たことも聞いたこともことはなかった。旭の師である獄蝶のジョカからは『魔法との対話』について教えられていたが、こんな直接的な意味ではないことは馬鹿でも分かる。目の前の女がもし仮に『焔』だったとしても、どうしても拭えない違和感があった。
焔は、旭の『固有魔法』ではないのだ。
「『焔』は師匠の獄蝶を元に改造した魔法だ。俺の魔法じゃない」
言ってしまえば、旭は獄蝶のジョカの魔法を使っているに過ぎない。旭に合わせて進化、変質しているのは確かだが、元を辿れば『焔』は獄蝶のジョカの魔法だ。女が焔の魔法の具現化だというのなら、旭の前に現れるのはおかしい。
だが、女はその言葉を聞いてクスリと笑うだけだった。バカにされているような気がしてふくれた顔をした旭の頬をつついて、女は言った。
「君の言う通り、私は『焔』じゃない。けれど、私は君の魔法だ。正真正銘、君に宿った魔法だよ。なんでこうやって君の前に姿を見せられているのか、気になる?」
女はあっさりと自分の正体を明かすつもりのようで、躊躇いなく言葉を続ける。
「私は神の鍵、『救世の鍵』から分かたれた能力の一つ。その名は――」
世界の理。そのうちの一つである『救世の鍵』の断片。世を救い、人々を苦悩から解放する根源の力。その鍵を持つ者は人の世、人類の救世主たる力と精神の持ち主である。神の鍵。強大な力のその断片。『救世の鍵』の一欠片が旭の魔法。
「『希望』だよ」
例外はあれど、神の鍵はいくつもの能力が統合されて1つの力になっている。もちろん、『救世の鍵』も例外ではない。
「『救世の鍵』は強力すぎたんだよ。今までの使用者の中で、私たちを完全に使いこなせていたやつは一人しかいない」
強力すぎる力に、器が耐えきれなかったのだ。何百、何千、何億もの人間が試した。しかし、その誰もが、『救世』の力に耐えきれず死んでいった。それでもいつか、いつか必ず『救世の鍵』を使いこなす人物が現れると信じて、無為に在り続けた結果が今の世界だった。たった一人の救世主は現れなかった。ただ一人、それに近しかった人物は力を手放した。
だから、『救世の鍵』は自らの意思で力を分けた。分散させ、『救世』という1つの力をいくつかの力に細分化させ、選ばれし者を長い時間の中で待ち続けた。
「そして、私は君を選び、君は私を欲した。必要だったんだろう? 絶望を切り裂く希望が、闇を照らす光が」
旭は深く考え込む。酷く顔を歪ませ、どこか身体の調子でも悪いのかと思ってしまうほど深刻そうな表情で激しく息を切らしていた。1つの考えが、旭の脳裏によぎる。
この女なら、知っているのではないか。
ずっと前から、何かがおかしいと思っていた。何かが違う、何かが足りない。真っ白なパズルの一欠片がハマらない。埋まらない空白は八重の存在でもなければ、国綱でも、焔でもなかった。ただひたすらに心を駆り立てる焦燥感と、そこにいたあったはずの記憶の欠片が漂泊している。
「私は知ってるよ。君から消えてしまった記憶を」
そんな旭に、女は言った。それが女の甘言であることは承知の上で、旭は女を問い詰める。野原に押し倒し、抵抗しようとする両手を押さえ込んで、旭は女の上に跨った。蕩けるような顔を浮かべている女を睨みつけ、旭は脅すように言った。
「教えろ、今すぐだ。俺は何を忘れた。何を失くした!」
「あはっ。君って案外攻めっけがあるじゃないか。もっと強く押し倒してくれてもよかったんだぞ?」
しかし、女は怯むことなく、逆に旭の焦燥感を煽るように口を開いた。女の細腕を抑える旭の手の力が強まる。小さく顔を歪ませる女の表情が旭の目に映った。
ぐわんと、旭の視界が歪む。こんな状況でも笑ってしまえる女に驚いたのではない。痛みで顔を歪ませ、抵抗しようとする女を見て、トラウマが蘇った。
ふと、女を抑える力が弱まる。それに勘づいた女はムスッとした顔をして、動揺している旭を逆に押し倒してしまった。仰向けになって再び目に映った藍色の空に、星はなかった。
「何を躊躇っているんだ」
女は深淵のように深い眼差しで旭を見つめる。吸い込まれるような、光のひとつもない目をしていた。
「手段も、方法も選ぶなよ。私を殺してでも、絶望の中で必死に抗ってみせろ」
それがお前だろう?――
月が陰る。辺りは女の表情が見えなくなるほど暗くなっていく。絶望に飲まれていくような感覚が旭を襲う。今まで何度も経験したことがある。逆境や死なんて生易しいものではない。
少しでも意識を手放せばこの世から自分の存在ごと消えてなくなってしまいそうな感覚。黒より昏い夜に溺れていくように、旭は闇に飲み込まれていった。
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