ボールのように弾き飛んだ安芸は、苦しそうに浅い呼吸を繰り返していた。蹴られた脇腹と、打ち付けた背中を負傷したのだろう。顰め面がなんとも痛々しい。
奴は己を吹っ飛ばした人物を睨み、奥歯を強く噛み締めた。『和泉を守るため』という名目で特訓しているだけに、あっさりと敗れた屈辱の思いが眼光に滲んでいる。
安芸の様子を見て、吹き飛ばした本人――近江は気まずそうに視線を逸らした。互いに〝本気で〟と挑発し合ったのだから謝ることはしないが、身内を傷つけることは気分の良いものではないのだろう。だが今は、その感情をグッと押し殺している。
スピードで近江と互角に渡り合っていた安芸に、もはや全速力は期待できない。よってパワーと併せて高い反射神経を持つ近江にとって、アイツは脅威でなくなったわけだ。
とくれば、次の狙いは当然……。そう思った瞬間、近江の視線が俺へと突き刺さる。
途端に全身が震え上がった。まさか怖いのか? 安芸を相手にした時も、俺はアイツの気迫に押されていた。こうしてコイツらと剣を交えるのは初めてだが、敵として対峙する親友に圧倒されっぱなしだ。
――否。考え方を改めろ、これは武者震いだ。もし近江が本当に敵ならば、仲間を傷つけられて許すはずがねぇ。実戦と捉えて怒りを力に変えるんだ! そう心を奮い立たせ、柄を握る両手に力を込める。
そうだ。俺にだって、
和泉を守る力は……ある!
「はぁあああああッ!」
「おぉおおおおお……ッ!」
どちらともなく唸り声を上げ、互いの意志がぶつかるかのように踏み込んだ。
俺は上段から切っ先を頭上で大きく旋回させての振り下ろし、近江は右下からスライドさせるような切り込みで衝突。鈍い金属音を轟かせた後、軽い火花が散った。
近江が重心を引いたことで剣は離れるが、すぐに奴は前へ乗り出し突きの一撃。湾曲した剣先が肩口を狙って迫る。しかしロングソードを強く右へ引き直したことで、十字の鍔に引っかけて阻止。服の端を裂くに留まった。
やるな、と言わんばかりに近江の目が細められ、俺も微笑を返す。刹那、右足のスネへ近江の蹴りを受け、地味な痛みに思わず後退。だがサーベルが光の弧を描き追撃をしてくる。
痛みを堪えて歯噛みした俺は、後方へ一歩滑りながら片足で体勢を踏み直した。正面突破してくる近江は、真っ直ぐにサーベルを突き出している。それなら力業で弾き返してやるまでと、右へ大きく振りかぶ――。
「ッ……!?」
俺の剣は虚しく空を切った。〝突き〟と読んだ切っ先は僅かに揺れ、一歩手前で急停止。近江は華麗にサイドステップへ切り替えた。
真横へ飛び出た奴は右足を軸に旋回し、刃で俺の背中を強打したのだ。
「あがっ――」
くそ、フェイントか……! まんまと引っかかっちまった。
幸い峰打ちにされ胴体が分かれることはなかったが、息もできない衝撃と激痛に襲われた。軽く吹き飛んだ俺は腐葉土の上へ俯せで転がり、酸素を求めて大きく呼吸を繰り返す。あのヤロ、力いっぱい殴りやがって。
「アホか、
俺の動きを信用しすぎだ。今頃死んでるぞ、日向」
背後で呆れたように吐き捨てる近江。当然イラッとしたが、その声に荒い呼吸が混ざっているのを俺は逃さなかった。
安芸との一戦から奴は常に動きっぱなしだ。息が上がるのも無理はねぇ。
唯一、そこに勝機を見出す。
なかなか起き上がらない俺を心配したのか、近江の足音が徐々に近づいてくる。実際、息をするたび背中は悶絶しそうに痛ぇ。
ギリギリまで引き寄せ……痛みを押し殺して飛び起き、剣の柄で奴の額を打ち抜いた。
「ゴッ……!?」
「おぉおおおッ!」
皮膚が裂け、近江の顔面に一筋の血が伝う。それでも顔色も変えず、冷静な奴は構えることを忘れなかった。
罪悪感を振り切るように気合の声を張り、ロングソードの長さを活かした距離で一気に攻める。近江が安芸との戦いで魅せた、息つく間もない連撃だ。しかも俺のは一撃が重く、受ける相手の手首に負担を掛ける。振り回すこっちも体力を消耗するが、持久力だけは負けない自信があった。つまりスタミナ勝負だ。
反撃の機会を狙う近江だが、なかなか斬撃の構えを見せないのは、手を切られるリスクを懸念しているからだろう。得意のステップにもキレがなくなってきた。この辺が潮時か。
激戦の末、ついに俺の剛剣がサーベルを叩き飛ばす。それは銀筋を描き、数メートル先の地面へと突き刺さった。
この機を逃さず、奴の膝へお返しの蹴りを入れ、体勢を崩す。
ロングソードを左へ構え。
バックハンドで、風を切る――!
一瞬、瞳へ敗北の影を映した近江の表情が目に入った。剣は奴の首元を見事に切り裂……くと死んじまうから、直前で止める。
どうだ、完封だろ? と得意げに見下ろしたが、何故か奴の鋭い眼光に睨まれた。よく見れば、顔面と同じ赤い雫が首にも流れている。
「げっ、悪ぃ!」
「……お前、ブチ殺されたいのか?」
悍ましい言葉を吐く近江。終わったと思ったのに、一気に緊張感が引き戻る。
だが奴は、すぐに苦笑を浮かべて両手を挙げながら、その場に座り込んだ。どうやら負けを認めてくれたらしい。
午前9時。鍛錬として始まった同士との戦いは、無事に終局を迎えた。
何より大きな怪我がなかったことに、俺は安堵の溜め息を吐く。次は真剣じゃなくて、ダミーを使うことにしよう。手加減が難しすぎる。
かなり濃い試合だったが、開始からまだ1時間ほどしか経っていなかった。これなら楽団の練習までに治癒の時間も十分あるだろう。場所を移動しようと近江に提案し、大木の麓で座りっぱなしの安芸にも声をかけた。
すると安芸は返事をしたが、動こうとした瞬間に苦痛の表情を浮かべた。もしかして、コイツは重症なんじゃ……。
「安芸、大丈夫か?」
不安になりアイツの目の前でしゃがむ。
――と。
「!?」
急に視界が反転し、気づいたらまた腐葉土に転がされていた。顎が痛く、頭がクラクラする。……何が起こった?
霞んだ景色にキラリと湾曲の切っ先が映る。それは〝安芸の傍に突き刺さっていた〟近江のサーベル。
「これで僕の勝ちだね、日向」
そう言って安芸は満面の笑顔を浮かべた。
――やっぱ、真剣で鍛錬なんてするもんじゃねぇ。