記憶する者
ー/ー
朦朧とする意識の中、国綱はその戦いを目に焼き付けていた。思いのほか出血の多い右脚を破れた服で止血し、ヴェローニカに支えられながら何とか倒れずにいる。刀は刃こぼれしてもう到底使い物にならない。歩く度に痛む脚では戦いにも参加できそうになかった。ただ、割り込むことのできない戦いを、国綱は横から眺めていた。
逃げればいいはずなのに、身体は目の前の戦いを見ていたくて仕方がないようだった。国綱はヴェローニカと一緒に離れた場所で体を休め、その戦いをみていた。
300秒のリミットが終わり、ボロボロになった国綱とヴェローニカに変わって旭が悪夢の怪物、『記憶する者』と対峙している。
そして、旭が記憶する者と戦い始めて、10分が経過した。
(戦いが長引きすぎている……! 僕とヴェローニカでようやく稼げた5分、その倍以上の時間戦っている!)
国綱が見たそれは、戦いが長引いている証拠だった。何も事情を知らない国綱に、旭が暴走する焔の魔法によって自傷した傷だと誤認させたものは――
(火傷跡が……もう全身に……!)
それは、旭の身体のすべてを蝕みつつある、『焔の印』だった。10分。たったそれだけの時間は、旭を死に追いやるのに十分すぎるほどだった。
記憶する者と戦い続けている旭は常に息を切らし、滝のように汗を流している。繕ってはいるが、焔も制御がしきれなくなってきている。限界が近いのは明白だった。
「ははっ! あっははは! ははははは!」
狂気じみた高笑いが響く。失血死してもおかしくないようなほどの血を撒き散らしているにも関わらず、旭の勢いは衰えない。ますます火力を増していく焔は旭の身体を更に焼き焦がしていった。
それでも、記憶する者は倒せない。今の旭では、絶対に倒せないと断言できる。これまでの戦いで、旭は記憶する者に何度も焔を使ってきた。もう、記憶する者に焔は効かない。
「そんなこと、関係ねぇんだよバァァカ!!!」
またしても、記憶する者は影を見ていた。かつて自分の命に手をかけた、名を無くした怪物と重なる。目の前の男は、あの怪物と同じ脅威をもたらす者であると、記憶する者の本能が警告した。
(あ……)
悪夢の怪物は本能に従う。脅威と判断した対象を排除する。記憶する者は理解した。目の前の男は危険すぎると。『不死』になり損ねた悪夢の怪物の肉体を持ってしても傷を与える旭の魔法はここで消すべきだと、記憶する者は判断する。その瞬間、反射的に動いた記憶する者の右腕が――
旭の腹を貫いた。
「あっ……が…………あ……」
焔によって内に溜め込まれていた熱が消えていくのを感じる。喉を逆流して口から吐き出される血が、負った傷の酷さを物語る。貫かれた腹からはドクドクと血が溢れ出る。飛ばされた先の木に身体を預け、旭は悪夢を見上げた。
勝利を確信した記憶する者は笑う。徐々に呼吸が激しくなっていく旭を見下して、記憶する者は楽しそうに笑っている。それが、記憶する者の性分だからだ。
かつての記憶する者は弱者を虐げることで快楽を得る異常者だった。いたぶって、嬲り、痛めつける。それだけが、唯一記憶する者の欲を埋めるものだった。
「あはっ……タノシイ! タノシイ!?」
記憶する者は身動きの取れない旭を何度も殴打し、踏みつけた。その度に旭は身体中から出血させる。旭の目にはもう光は宿っておらず、生きているのか死んでいるのかすら分からない。そんな状態の旭を、記憶する者は嬉々として虐げ続ける。
見るに堪えない酷い惨状に、国綱は動けずにいた。勝てないと悟ったからではない。例え絶対に勝てない相手であっても、国綱は旭を助けるために動いただろう。国綱が動けなかったのは……いや、動かなかったのは、旭はもう、死んでいると判断したからだ。
「……ヴェローニカ。君の力で、死者を生き返らせることは……」
「それは……できません。死と生は不可逆的な在り方です。死んでしまったものが蘇ることは……」
「…………そうか」
ただ、祈るしかなかった。旭が生きていることを。生きて、記憶する者を倒すのだということを。
「イタイ……イタイ? シヌ?」
確かめるように問いかける記憶する者の言葉に、旭は答えなかった。虐げ、その反応を見ることを至上の愉悦としている記憶する者は、その時点で旭に興味を失った。何の反応も示さないオモチャで遊んだところで面白くない。泣いて、喚いて、命乞いをする。そんな生を藻掻く言葉が、行動が記憶する者の加虐心をくすぐる。
それがなくなったオモチャはもう要らないと、記憶する者は旭に背を向けて、今度は隠れている国綱たちを探し始めた。
それは、記憶する者が初めて見せた隙だった。
(…………こんな所で、死ぬのか?)
旭は自分自身に問う。行方のない問いは、意外な人物が答えを出した。その女は、かつて1度だけ旭の前に姿を現したことがあった。赤いワンピースに、黒い傘をさした、不気味な女だった。
「いいわけがないよね。こんな所で、死んでいいはずがない」
(…………魔女、いや――)
魔女と名乗ったその女は、するりと記憶する者の身体をすり抜けて旭に近づく。視線を合わせるように、女はしゃがんで膝にあごを乗せて旭の顔を覗き込む。
かろうじて目線だけは合わせることができた。女と目を合わせた瞬間、旭は確信した。目の前にいるのは魔女ではなく、魔法使いでも、ましてや人間ですらない――
(焔?……)
「……やっと、私のことを見てくれたね」
嬉しそうに女は笑う。女の正体は、ただの幻想だ。どうして女が生まれたのか、理由は何も分からないが、ただ一つだけ言えることがあった。女は間違いなく旭の味方であり、この状況を打破する唯一の希望だ。
「正確には焔じゃないんだけどね。私はまだ役目を果たしてないから、君にも死んでもらっちゃ困る」
(……なんで)
「なんで? 君が私を求めたんだろう?」
ぴたりと、女が旭の肌に触れる。ズキンという激痛と同時に、どこか身体を縛っていたものが解かれているような感覚がした。
「私を見てくれてありがとう。意地悪してごめんね。今度は、ちゃんと君の力になるよ」
旭の身体を蝕んでいた『焔の印』が消えていく。
「さぁ、君の本当の力を解き放ってごらん!」
そして、再び焔は目覚める――
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朦朧とする意識の中、国綱はその戦いを目に焼き付けていた。思いのほか出血の多い右脚を破れた服で止血し、ヴェローニカに支えられながら何とか倒れずにいる。刀は刃こぼれしてもう到底使い物にならない。歩く度に痛む脚では戦いにも参加できそうになかった。ただ、割り込むことのできない戦いを、国綱は横から眺めていた。
逃げればいいはずなのに、身体は目の前の戦いを見ていたくて仕方がないようだった。国綱はヴェローニカと一緒に離れた場所で体を休め、その戦いをみていた。
300秒のリミットが終わり、ボロボロになった国綱とヴェローニカに変わって旭が|悪夢の怪物《ナイトメア》、『|記憶する者《レコーダー》』と対峙している。
そして、旭が|記憶する者《レコーダー》と戦い始めて、10分が経過した。
(戦いが長引きすぎている……! 僕とヴェローニカでようやく稼げた5分、その倍以上の時間戦っている!)
国綱が見た|そ《・》|れ《・》は、戦いが長引いている証拠だった。何も事情を知らない国綱に、旭が暴走する焔の魔法によって自傷した傷だと誤認させたものは――
(|火《・》|傷《・》|跡《・》が……もう全身に……!)
それは、旭の身体のすべてを蝕みつつある、『焔の印』だった。10分。たったそれだけの時間は、旭を死に追いやるのに十分すぎるほどだった。
|記憶する者《レコーダー》と戦い続けている旭は常に息を切らし、滝のように汗を流している。繕ってはいるが、焔も制御がしきれなくなってきている。限界が近いのは明白だった。
「ははっ! あっははは! ははははは!」
狂気じみた高笑いが響く。失血死してもおかしくないようなほどの血を撒き散らしているにも関わらず、旭の勢いは衰えない。ますます火力を増していく焔は旭の身体を更に焼き焦がしていった。
それでも、|記憶する者《レコーダー》は倒せない。今の旭では、|絶《・》|対《・》|に《・》倒せないと断言できる。これまでの戦いで、旭は|記憶する者《レコーダー》に何度も焔を使ってきた。もう、|記憶する者《レコーダー》に焔は効かない。
「そんなこと、関係ねぇんだよバァァカ!!!」
またしても、|記憶する者《レコーダー》は影を見ていた。かつて自分の命に手をかけた、名を無くした怪物と重なる。目の前の男は、あの怪物と同じ脅威をもたらす者であると、|記憶する者《レコーダー》の本能が警告した。
(あ……)
|悪夢の怪物《ナイトメア》は本能に従う。脅威と判断した対象を排除する。|記憶する者《レコーダー》は理解した。目の前の男は危険すぎると。『不死』になり損ねた|悪夢の怪物《ナイトメア》の肉体を持ってしても傷を与える旭の魔法はここで消すべきだと、|記憶する者《レコーダー》は判断する。その瞬間、反射的に動いた|記憶する者《レコーダー》の右腕が――
旭の腹を貫いた。
「あっ……が…………あ……」
焔によって内に溜め込まれていた熱が消えていくのを感じる。喉を逆流して口から吐き出される血が、負った傷の酷さを物語る。貫かれた腹からはドクドクと血が溢れ出る。飛ばされた先の木に身体を預け、旭は悪夢を見上げた。
勝利を確信した|記憶する者《レコーダー》は笑う。徐々に呼吸が激しくなっていく旭を見下して、|記憶する者《レコーダー》は楽しそうに笑っている。それが、|記憶する者《レコーダー》の性分だからだ。
かつての|記憶する者《レコーダー》は弱者を虐げることで快楽を得る異常者だった。いたぶって、嬲り、痛めつける。それだけが、唯一|記憶する者《レコーダー》の欲を埋めるものだった。
「あはっ……タノシイ! タノシイ!?」
|記憶する者《レコーダー》は身動きの取れない旭を何度も殴打し、踏みつけた。その度に旭は身体中から出血させる。旭の目にはもう光は宿っておらず、生きているのか死んでいるのかすら分からない。そんな状態の旭を、|記憶する者《レコーダー》は嬉々として虐げ続ける。
見るに堪えない酷い惨状に、国綱は動けずにいた。勝てないと悟ったからではない。例え絶対に勝てない相手であっても、国綱は旭を助けるために動いただろう。国綱が動けなかったのは……いや、動かなかったのは、旭はもう、死んでいると判断したからだ。
「……ヴェローニカ。君の力で、死者を生き返らせることは……」
「それは……できません。死と生は不可逆的な在り方です。死んでしまったものが蘇ることは……」
「…………そうか」
ただ、祈るしかなかった。旭が生きていることを。生きて、|記憶する者《レコーダー》を倒すのだということを。
「イタイ……イタイ? シヌ?」
確かめるように問いかける|記憶する者《レコーダー》の言葉に、旭は答えなかった。虐げ、その反応を見ることを至上の愉悦としている|記憶する者《レコーダー》は、その時点で旭に興味を失った。何の反応も示さないオモチャで遊んだところで面白くない。泣いて、喚いて、命乞いをする。そんな生を藻掻く言葉が、行動が|記憶する者《レコーダー》の加虐心をくすぐる。
それがなくなったオモチャはもう要らないと、|記憶する者《レコーダー》は旭に背を向けて、今度は隠れている国綱たちを探し始めた。
それは、|記憶する者《レコーダー》が初めて見せた隙だった。
(…………こんな所で、死ぬのか?)
旭は自分自身に問う。行方のない問いは、意外な人物が答えを出した。その女は、かつて1度だけ旭の前に姿を現したことがあった。赤いワンピースに、黒い傘をさした、不気味な女だった。
「いいわけがないよね。こんな所で、死んでいいはずがない」
(…………魔女、いや――)
魔女と名乗ったその女は、するりと|記憶する者《レコーダー》の身体をすり抜けて旭に近づく。視線を合わせるように、女はしゃがんで膝にあごを乗せて旭の顔を覗き込む。
かろうじて目線だけは合わせることができた。女と目を合わせた瞬間、旭は確信した。目の前にいるのは魔女ではなく、魔法使いでも、ましてや人間ですらない――
(焔?……)
「……やっと、|私《・》のことを見てくれたね」
嬉しそうに女は笑う。女の正体は、ただの幻想だ。どうして女が生まれたのか、理由は何も分からないが、ただ一つだけ言えることがあった。女は間違いなく旭の味方であり、この状況を打破する唯一の|希《・》|望《・》だ。
「正確には焔じゃないんだけどね。私はまだ役目を果たしてないから、君にも死んでもらっちゃ困る」
(……なんで)
「なんで? 君が私を求めたんだろう?」
ぴたりと、女が旭の肌に触れる。ズキンという激痛と同時に、どこか身体を縛っていたものが解かれているような感覚がした。
「私を見てくれてありがとう。意地悪してごめんね。今度は、ちゃんと君の力になるよ」
旭の身体を蝕んでいた『焔の印』が消えていく。
「さぁ、君の本当の力を解き放ってごらん!」
そして、再び焔は目覚める――