居間のテーブルの上に、私が炊いた米と春美が作ったパフェがある。私はコーヒーと麦茶を持って居間に入り、春美に麦茶を渡す。パフェの写真を色んな角度から撮る私を、春美はなぜか恥ずかしそうに見ていた。
「え、お客さんもみんな撮ってるでしょ? パフェって」
「そうですけど、目の前で撮られると違うんですよー」
パフェの出来はとてもよかった。何より苺から濃厚な糖度を感じられて幸せだった。甘くてひんやりとしたパフェは、スプーンで掬って食べれば食べるほど幸せが増幅していくようで、手が止まらなかった。
「桃花先輩、幸せそう」
「幸せだよー! ありがとう、本当に」
あっという間に食べきってしまう。春美もご飯を一杯食べ終えている。ごちそうさまでした、と手を合わせて流しに運ぶ。洗い物はあとでやるとして、
「ね、私がおつまみ作るからちょっと呑まない? ワインあるんだけど」
と提案してみる。
「え? いいんですか」
「春美がいいなら」
私は冷蔵庫からモヤシとしいたけとベーコンを取り出してバターで炒めて黒コショウを振り、チーズかまぼこを別の皿に盛ってテーブルに置く。それから未開栓の赤ワインをひと瓶と、ふたつのシャンパングラスを持ってくる。
「高そうなワイン。本当にいいんですか?」
「もらいものだし。先月、友達と久しぶりに会ったんだけど、持て余してるからっていわれて」
コルクを抜いてグラスに注ぐ。
「じゃ、再会を祝して乾杯」
と私がいうと、春美はおずおずとグラスを合わせた。
「……ワインって割と渋いんですね」
「え? もしかして、初ワイン?」
「はい、カシオレとかしか飲んだことなくって」
「そっか。無理はしないでね」
「ありがとうございます。……バター炒め美味しい」
「そう? よかった」
「桃花先輩、これで、百点ですか? 今年」
「え?」
「うちの店でぶつぶついってたじゃないですか、八十点の年になるとかどうとか……」
「あれ、声に出てた!?」
後輩のバイト先でネガティブを撒き散らしていたと思うと、なんだか恥ずかしいというか、申し訳がなかった。頭を抱える私の前で、春美はくすくす笑う。
「どうなんですか、先輩」
「……おかげさまで、百二十点くらい」
「え?」
「ここ三週間くらい、いいことなくって鬱々としてたからさ。春美と久しぶりに出会えて、おしゃべりしたり買い物したりできて、なんていうか嬉しかった。こんなふうに春を終えられるなら、いい年だったなって思うよ」
もっとも、ここから先何か酷いことが起こってしまったら満点の一年とはいかないかもしれないけれど。そんなことはいわずに、私は笑顔で、ありがとう、といった。
春美は、
「よかった。勇気出して声かけて、パフェの提案をして」
と微笑んだ。
「勇気って」
「だって顔も変わりましたし、六年も時間が空きましたし。ひょっとしたら桃花先輩が、あたしを他人として扱うんじゃないかって」
「ええ? 声でわかったよちゃんと。ネガティブだねえ」
「あたし、根っこはずっとネガティブですよ。桃花先輩と出会ってなかったら、なんにもできないままだったかもしれない」
「……私が何かしたの?」
「高校生のとき、あたしが自分で曲を作ったことがあったじゃないですか」
と春美にいわれて、私は思い出す。春美が作曲作詞をした曲を聞かせてくれたことがあった。たしか、結構いい曲だった。
「文化祭のライブで、二年生バンドのボーカルに立候補してこの曲をやるつもりで作ったってあたしがいったら、桃花先輩が応援してくれて。でも、実際に決める時期が近づいてきたら、あたし、怖気づいたでしょう」
「あったね、そんなこと」
自分なんかがボーカルをやって失敗してしまったらどうしよう、みんなが知っている曲だけを演奏したほうが盛り上がるに決まってる。そんな弱音を、春美は夜中にメッセージアプリで送ってきた。
「そしたら桃花先輩が、絶対にやるべきだって返してくれましたよね。いまでも覚えていますよ。『上手くいかなかったとしても、悲しいとか恥ずかしいって気持ちはいつか薄れる。でも生きていくなかで何を選んだかって事実は忘れないし、死んでも消えない。ここで諦めた、ってことを春美は一生忘れられないよ。逃げることを選んだって事実をずっと背負っていくんだよ。春美、あんたそれでいいの?』って」
私は頬が熱くなっていくのを感じる。酔いが回ったわけではなく。
「そのおかげであたし、初めて不安を乗り越えることができたし、心残りのない文化祭ライブをすることができました。そして、それからも、不安になったら桃花先輩の言葉を思い出して、踏み出せるようになったんです。整形だって直前は怖かったけど、せっかくお金も貯めてきたしって、勇気を出してコンプレックスなところを消すことができました。そのおかげで面接とかも苦じゃなかったんです」
全部あのときの桃花先輩の言葉のおかげです、ありがとうございます。
と春美は笑う。
私は春美の顔を真っすぐ見られない。
だって、それは。
「春美、あのさ、一個謝っていいかな」
「なんでしょうか」
「実はそれ、弟の部屋にあった『熾探偵セラ』って少年漫画のセリフの受け売り」
「えっ!?」
春美は本気で驚く。私だって春美からいわれて思い出して驚いているところだ。高校生の頃の私、何をしているんだ? 後輩の背中を押すために少年漫画のセリフを盗用するとか、そんな恥ずかしいことを!
「……ふ、ふふふ。あはははは!」
と春美は笑う。
「桃花先輩って、なんか神様みたいな先輩だと思ってたんですけど。普通に学生だったんですね! あはははは! すごい真実!」
「いや、本当、ごめん……所詮は人の子です、ずっと……」
「あははは! まあ別にいいですよ、引用でもチョイスして贈ってくれたのは桃花先輩の性格なんですから」
「漫画のセリフを贈ることを選んだ事実は消えないね……忘れてたけど一生背負うしかない……」
「あはははは!」
春美はげらげら笑いながら本日三杯目のワインを注ぐ。私も注いで、恥ずかしさを押し流すように飲む。
「いやあ、そんな春美にこんなこというのもなんだけど。結局、いつ何が起こるかわかんないし、自分の力にだって限界はあるから。どう頑張ったって向き合ったって、悔いも思いも残るときは残るって、大人になったいまはわかったよ」
「ですねえ。あたしも悔いの残らない内定先を選んだはずなのに倒産しましたもん」
「そうだよそうだよ」
「でも」春美はいった。「頑張って、少しでもマシにできるよう、抗うことだってできるし、誰かのそういう状況を助けることが……すみません、眠く」
「あ、じゃあお酒はここまで。水持ってくるから耐えて」
私は春美のために水を注いで飲ませる。春美はコップ一杯ぶん飲み干す。私は春美をベッドに座らせる。
「眠かったら寝ていいよ。なんなら泊まってく? 明日は予定ある?」
「明日も八時間シフトあります……七時に起きたいです」
「そっか。じゃあアラーム、一応セットしておくね。おやすみ」
春美はベッドの上に横になる。私は布団とタオルケットどっちをかけるか迷った末に、タオルケットを選んだ。もうそろそろ春も終わりかけている。夏の蒸し暑さが這い寄ってきている。私はソファで眠るしかないが、たぶん風邪を引くことはないだろう。
私はワインの残りでおつまみの残りを食べて、シンクにお皿やグラスを置く。
少しアルコールでほわほわした頭で洗い物を始める。パフェを作るために使った様々なものも洗わなければいけなくて、正直ちょっとかったるい……。
お菓子作りは洗い物やゴミが大量に出るから、自宅でやると甘味による幸福感が後始末のダルさでちょっと薄れてしまうところがあって、そこも含めて外注してしまうのが結局は一番ハッピーだよなと思う。
などといっていても洗わなきゃいけない事実は消えないので、私はサブスクで夜都戦慄の曲を最初の一曲目から最新曲まで時系列順に流しながら洗い物を続ける。うん、好きな曲のおかげでダルさが軽減される。
誰かの作った甘いものや作品のおかげで、今日の満足度を下げすぎずにいられるということがときどきある。そしてそれは当たり前のことじゃなく、誰かが不安を乗り越えた結果の成果だったり、誰かのネガティブを助けようという意志による提供だったりする。
そのおかげで私のような不完全なただの人が生きていける。
感謝してもしきれない。
季節の変わり目だけれども、どうかお身体に気をつけて過ごしてほしいものだ。