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1-2 枯れ木に花を、言の葉を

ー/ー



 小さく吐いたため息が、静寂に溶け込んでいく。空を漂う雲や星の数を数えるのにも飽きてしまった。どれくらいの時間が流れたのだろう。メジロの目覚ましで飛び起きて、お手紙がないことを確認しては、落ち込む日々。ペンを握る習慣がなくなったからか、好きだったはずの詩も、いつしか書くのを辞めてしまった。

「やっぱり、あんなこと書いたから…怒らせちゃったのかな」
 嫌味混じりの嫉妬を書き連ねた文を送りつけられたら、誰だって気を損ねるに決まってる。感情に任せた言葉を投げつけられる痛みは、自分が一番わかっているはずなのに。それでも僕は、あの手紙を送らずにはいられなかった。ひっそり生きる僕にとって、家族以外にありのままの自分でいられるのは、君だけだったから。自分の弱い部分や醜い部分も含めて、君が受け入れてくれることを願ってしまったんだ。
 
「もう寝よう…」
 今更後悔したってもう遅い。一度紡いだ言葉はそう簡単に取り消すことはできないし、刺さった棘を抜くことはできても傷口は残ってしまう。記憶の彼方に置き去りになった紙切れに思いを馳せて、僕は眠りについた。

――
 
「ちぃ! ちぃ!ちぃぃぃ!」
 突然鳴り出したけたたましいアラームに、僕は飛び起きて辺りを見渡す。

「なに⁉︎どうしたの⁉︎」
 澄み渡っていた空は、インクを零したみたいな黒に染まっている。煌めく月も瞬く星も全部塗りつぶされて、その光は届かない。汗が吹き出るような熱と焦げ付いた臭いが、辺りを包み込む。

「火事だ……!」
 家族から話は聞いていたけど、経験するのは初めてだった。想像を絶する光景に足がすくむ。炎を掻い潜ってやってきたメジロの手には、一枚の紙切れが握られていた。

「手紙……届いてる!」
 待ち焦がれていた"お返事"を、急いで確認する。

 "拝啓 見知らぬ貴方へ
 お返事が遅くなってしまいすみません。
 実は、私……病気になってしまって。思うように体が動かなくて、手紙も書けなくて。ごめんなさい。
 会いたいと思ってくださるのは、本当に嬉しいのですが…病に伏した今の私は、髪もボロボロで、こんな醜い姿、貴方に見せたら失望されてしまうでしょう。もう、美しいって褒め称えてくれるひともいなくて、ずっとひとりぼっちなんです。
 貴方は私を人気者だって言うけれど、それは私が花を咲かせているほんの一瞬だけ。少し強い風にさらわれてしまったら最後、私のことを気にかけてくれるひとなんて誰もいない。だからせめてその一瞬だけでも、愛される存在でいようと思っていたのに…こんなになってしまった私には、もう生きていく価値なんてないんです。これもひとつの運命だと思って、このまま朽ち果てていくのを受け入れようと思います。
 貴方は私のことを羨ましいと言ってくれた。でも……私だって、貴方が羨ましい。確かに、一部の誰かからは嫌われてしまうかもしれないけれど……あなたのそばには、いつも仲間がいる。たくさんの言葉に触れて、それを自由に紡ぐことができる。そんな貴方のことが、羨ましくて仕方がないんです。
 ……少し、感情的になってしまいました。もし気分を害していたらごめんなさい。その時は、お返事は書かなくても構いません。今まで、ありがとうございました。
 敬具"
 
「……なんで、そんなこと言うんだ」
 紙切れを握る手に力が込められる。病気になっても、見た目が変わっても、君は君だ。諦めるだなんて、今までありがとうなんて、そんなの嫌だ。
 
「何とかしないと。でも……」
 火を消したくても、君を助けたくても、深く根を張った僕の足は動かない。あちこちで、炎に包まれていく仲間たちの断末魔が聞こえる。黒い煙が、空にごうごうと昇っていく。
 僕の居場所が、ひとつ、またひとつ、灰になって消えていく。

「でも、もう……」
 手紙に紡がれた"運命"の二文字が思考を蝕んでいく。全てを受け入れようと、目を閉じた。


 
 "ちぃ ちぃ ちゅるる ちぃちゅるる"

 
 
 阿鼻叫喚の山中に響いた、朗らかな鳴き声。
 懐かしいその声は、僕の鼓膜を震わせて、記憶の引き出しにかかった鍵をかちゃりと外してくれた。ゆっくりと開いた引き出しから、これまでに拾い集めた言葉が、君からの手紙が、走馬灯のようによみがえってくる。

「……詩」
 まだ、やり残したことがあった。
 
「…そうだ、お返事だけじゃなくて、詩を添えよう」
 やっと思い出した。残された僕にできること。走馬灯のように、なんて縁起でもない。このままここで終わらせてたまるか。
 覚悟を決めて、メジロの方を向く。
 
「僕の言葉、届けてくれる?」
「ちぃ!」
 白く縁取られた彼の瞳が、きらりと輝いた。

 ――
 
 "はらり はら ひらり ひら"
 
「……違う」

 "きらめく うつくしい そのすがた"
 
「こんなのじゃダメだ」
 全てを薙ぎ払わんと燃え盛る炎。あちこちで上がる悲鳴。木々の焼ける焦げついたにおい。喉はからからに乾いて、うまく声が出せない。五感のドアは閉ざされて、もう言葉を集めることもできない。

「考えろ。もっと。もっとだ」
 ここに根を張った理由を、僕は知らない。身近な存在のはずなのに、みんなからは厄介者扱いされる。少し身じろぎしただけで、動くなと罵られる。根も葉もない噂話も、針みたいに鋭い言葉も全部、否応なしに受け取ってきた。まるで生きる権利すら、奪われているみたいだった。

 でも、そうやって沢山の言葉を投げつけられた僕にしか書けないものがある。言葉の綺麗なところも、汚れたところも知っている僕にしか書けないものがきっとある。一人で凍える君にマフラーをそっとかけてあげるみたいに、届けられる詩がある。

 足元に火が昇ってきた。すすで汚れた頬を、汗が伝う。火はタイムリミットを知らせるようにあちこちへ燃え移って、体がどんどん焼け焦げていく。だけど、不思議と熱さは感じなかった。
 
 誰かの真似事でもいい。どれだけ拙くてもいい。自信がないとか、嫌われたくないとか、そんなことはどうだっていいんだ。
 ただ言葉を並べるんじゃない。自分で磨き直して、形を、色を変えて、紡いでいく。心の奥底でずっとくすぶり続けていた僕の言葉を、願いを、君への想いを、一枚の紙切れにのせて。
 
「できた!」
 書き上げた手紙を、メジロに託す。その尾羽を捕らえようと噴き上がる炎をひらりと躱して、彼は勢いよく飛び立っていく。火の粉と煙が舞う空を切り裂く、黄緑色の羽。小さくも勇敢なその羽ばたきを見届けると同時に、視界は火柱に包まれた。

「…よろしくね」
 引き裂かれるような痛みが全身を駆け巡り、やがて何も感じなくなる。命の灯火はあっけなく飲み込まれ、僕の意識は途絶えた。
 
――
 
 "ちい ちい ちゅるる ちいちゅるる"
 朗らかなメジロの詩が、焼け野原に朝日を注ぎ込む。

「……あぁ、おはよう」
 いつの間にか炎は消えて、朝になっていた。ボロボロに焼けた僕の体は、もうまっすぐ立つことすらままならない。文字通り、燃え尽きてしまった。

「お手紙、届けてくれてありがとう」
 震える手で、紙切れを開く。

 "拝啓 杉の木さま
 昨夜あったことを、メジロから聞きました。貴方の詩も、何度も読み返しました。
 実は私、お手紙では「見知らぬ誰か」なんて書いていたけれど、本当は途中からずっとわかっていたんです。だって、貴方の書いた手紙を開くと……くしゅんっ!……ほら、こうやって、くしゃみが出てしまいますから。樹木なのに花粉症だなんて、おかしなものですよね。
 それでも私、貴方とお話できることが本当に嬉しかったんです。満開の間も、葉桜の間も、葉が落ちた後も……。貴方は、一瞬の輝きが褪せてしまった後も、私を気にかけてくれた。見た目だけではなくて、私そのものに春の陽のような眼差しを向けてくれた。病気になってしまってからも、貴方だけは変わらず私に接してくれた。それも、こんなに素敵な詩まで添えて。
 貴方が私をそんなに想ってくださっていたなんて、考えもしなかった。貴方が、枯れ木の私に、花を……。生きる意味を、咲かせてくれたんです。貴方との手紙も、貴方が綴ってくれた詩も、大切な宝物です。本当にありがとうございます。私も運命だなんて嘆かずに、病気に立ち向かってみようと思います。だからどうか、ご無事でいてください。
 いつか、貴方に会えますように。貴方のそばで、紡がれる詩にふれることができますように。
 愛を込めて 桜の木より"

 
「……えへへ」
 ずっと待ち侘びた、綺麗な文字と柔らかな言葉遣い。手紙に添えられた甘い香りを漂わせる桜の花びらに、笑みがこぼれる。
 
「ねえ、見てよ。僕の詩、褒められちゃった…!それに、"愛を込めて"だって!もしかして、両想いってことかなぁ」
「ちぃ」
 にやけ顔の僕に、メジロは体を震わせて小さく返事をする。呆れられても構わない。君に想いが伝わった、それだけで僕は最高に幸せなんだ。
 
「お返事、書かなきゃね…でも、ちょっと眠いや…」
 起き上がってペンを取ろうとするが、身体が上手く動かせない。バランスを崩したその時、吹き抜ける風に足元をすくわれて、ふわりと宙に浮くような感覚がした。
 
「わっ」
 深く根を張っていた重たい体は、大地から離れて、どんどん軽くなって、そのまま高く舞い上がっていく。
 
「すごいや!飛んでる!空を飛んでるよ!」
 綿雲を掴んでみたり、その場で宙返りをしてみたり…手に入れた自由を噛み締めながら、ずっと見上げるだけだった空を飛び回り、春風と戯れる。

「ちぃ!」
 高らかな鳴き声が僕を呼んだ。
 レールも道路もない大空を、迷いなく進んでいくメジロ。言われなくても、どこへ向かおうとしているのかわかった。

「そっか……やっと、会いに行けるんだ」
 君からの返事を握りしめる。変わり果てた今の姿では、もう気づいてもらえないだろうけど、それでも、君のもとへ。


 
 "ちぃ ちぃ ちゅるる ちぃちゅるる
 あさのひかりを ひとすくい
 
 ひら ひら ひらり ひらひらり
 いくえもかかる くもこえて

 きら きら きらり しゅうしゅるる
 しじまのもりに ほしながる
 
 めら めら あちち あちちのち
 てんにもゆるは このおもい

 ぽつ ぽつ ふわり ぽっぽっぽっ
 るいじつのふみ はなひらく

 きみのひとみを そめあげて
 かれきにはなを ことのはを"


  
 澄み渡る空。君に贈った(うた)を、口ずさむ。
 最期まで、元気な姿で君に会うことは叶わなかったけど。僕と君との間には、言葉がある。ずっと書き続けてきた、かけがえのない日々がある。もし君がひとりで寂しい思いをしていたら、その時は僕がまた、お手紙を出すから。輪っかを幾重にも重ねるみたいに、何度だって、君にたくさんの詩を届けてみせるから。
 
 この桜色の思い出は、ずっと色褪せはしない。
 君の枝先に、いつまでも、たくさんの言の葉を宿して。

 ―了―


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「やっぱり、あんなこと書いたから…怒らせちゃったのかな」
 嫌味混じりの嫉妬を書き連ねた文を送りつけられたら、誰だって気を損ねるに決まってる。感情に任せた言葉を投げつけられる痛みは、自分が一番わかっているはずなのに。それでも僕は、あの手紙を送らずにはいられなかった。ひっそり生きる僕にとって、家族以外にありのままの自分でいられるのは、君だけだったから。自分の弱い部分や醜い部分も含めて、君が受け入れてくれることを願ってしまったんだ。
「もう寝よう…」
 今更後悔したってもう遅い。一度紡いだ言葉はそう簡単に取り消すことはできないし、刺さった棘を抜くことはできても傷口は残ってしまう。記憶の彼方に置き去りになった紙切れに思いを馳せて、僕は眠りについた。
――
「ちぃ! ちぃ!ちぃぃぃ!」
 突然鳴り出したけたたましいアラームに、僕は飛び起きて辺りを見渡す。
「なに⁉︎どうしたの⁉︎」
 澄み渡っていた空は、インクを零したみたいな黒に染まっている。煌めく月も瞬く星も全部塗りつぶされて、その光は届かない。汗が吹き出るような熱と焦げ付いた臭いが、辺りを包み込む。
「火事だ……!」
 家族から話は聞いていたけど、経験するのは初めてだった。想像を絶する光景に足がすくむ。炎を掻い潜ってやってきたメジロの手には、一枚の紙切れが握られていた。
「手紙……届いてる!」
 待ち焦がれていた"お返事"を、急いで確認する。
 "拝啓 見知らぬ貴方へ
 お返事が遅くなってしまいすみません。
 実は、私……病気になってしまって。思うように体が動かなくて、手紙も書けなくて。ごめんなさい。
 会いたいと思ってくださるのは、本当に嬉しいのですが…病に伏した今の私は、髪もボロボロで、こんな醜い姿、貴方に見せたら失望されてしまうでしょう。もう、美しいって褒め称えてくれるひともいなくて、ずっとひとりぼっちなんです。
 貴方は私を人気者だって言うけれど、それは私が花を咲かせているほんの一瞬だけ。少し強い風にさらわれてしまったら最後、私のことを気にかけてくれるひとなんて誰もいない。だからせめてその一瞬だけでも、愛される存在でいようと思っていたのに…こんなになってしまった私には、もう生きていく価値なんてないんです。これもひとつの運命だと思って、このまま朽ち果てていくのを受け入れようと思います。
 貴方は私のことを羨ましいと言ってくれた。でも……私だって、貴方が羨ましい。確かに、一部の誰かからは嫌われてしまうかもしれないけれど……あなたのそばには、いつも仲間がいる。たくさんの言葉に触れて、それを自由に紡ぐことができる。そんな貴方のことが、羨ましくて仕方がないんです。
 ……少し、感情的になってしまいました。もし気分を害していたらごめんなさい。その時は、お返事は書かなくても構いません。今まで、ありがとうございました。
 敬具"
「……なんで、そんなこと言うんだ」
 紙切れを握る手に力が込められる。病気になっても、見た目が変わっても、君は君だ。諦めるだなんて、今までありがとうなんて、そんなの嫌だ。
「何とかしないと。でも……」
 火を消したくても、君を助けたくても、深く根を張った僕の足は動かない。あちこちで、炎に包まれていく仲間たちの断末魔が聞こえる。黒い煙が、空にごうごうと昇っていく。
 僕の居場所が、ひとつ、またひとつ、灰になって消えていく。
「でも、もう……」
 手紙に紡がれた"運命"の二文字が思考を蝕んでいく。全てを受け入れようと、目を閉じた。
 "ちぃ ちぃ ちゅるる ちぃちゅるる"
 阿鼻叫喚の山中に響いた、朗らかな鳴き声。
 懐かしいその声は、僕の鼓膜を震わせて、記憶の引き出しにかかった鍵をかちゃりと外してくれた。ゆっくりと開いた引き出しから、これまでに拾い集めた言葉が、君からの手紙が、走馬灯のようによみがえってくる。
「……詩」
 まだ、やり残したことがあった。
「…そうだ、お返事だけじゃなくて、詩を添えよう」
 やっと思い出した。残された僕にできること。走馬灯のように、なんて縁起でもない。このままここで終わらせてたまるか。
 覚悟を決めて、メジロの方を向く。
「僕の言葉、届けてくれる?」
「ちぃ!」
 白く縁取られた彼の瞳が、きらりと輝いた。
 ――
 "はらり はら ひらり ひら"
「……違う」
 "きらめく うつくしい そのすがた"
「こんなのじゃダメだ」
 全てを薙ぎ払わんと燃え盛る炎。あちこちで上がる悲鳴。木々の焼ける焦げついたにおい。喉はからからに乾いて、うまく声が出せない。五感のドアは閉ざされて、もう言葉を集めることもできない。
「考えろ。もっと。もっとだ」
 ここに根を張った理由を、僕は知らない。身近な存在のはずなのに、みんなからは厄介者扱いされる。少し身じろぎしただけで、動くなと罵られる。根も葉もない噂話も、針みたいに鋭い言葉も全部、否応なしに受け取ってきた。まるで生きる権利すら、奪われているみたいだった。
 でも、そうやって沢山の言葉を投げつけられた僕にしか書けないものがある。言葉の綺麗なところも、汚れたところも知っている僕にしか書けないものがきっとある。一人で凍える君にマフラーをそっとかけてあげるみたいに、届けられる詩がある。
 足元に火が昇ってきた。すすで汚れた頬を、汗が伝う。火はタイムリミットを知らせるようにあちこちへ燃え移って、体がどんどん焼け焦げていく。だけど、不思議と熱さは感じなかった。
 誰かの真似事でもいい。どれだけ拙くてもいい。自信がないとか、嫌われたくないとか、そんなことはどうだっていいんだ。
 ただ言葉を並べるんじゃない。自分で磨き直して、形を、色を変えて、紡いでいく。心の奥底でずっとくすぶり続けていた僕の言葉を、願いを、君への想いを、一枚の紙切れにのせて。
「できた!」
 書き上げた手紙を、メジロに託す。その尾羽を捕らえようと噴き上がる炎をひらりと躱して、彼は勢いよく飛び立っていく。火の粉と煙が舞う空を切り裂く、黄緑色の羽。小さくも勇敢なその羽ばたきを見届けると同時に、視界は火柱に包まれた。
「…よろしくね」
 引き裂かれるような痛みが全身を駆け巡り、やがて何も感じなくなる。命の灯火はあっけなく飲み込まれ、僕の意識は途絶えた。
――
 "ちい ちい ちゅるる ちいちゅるる"
 朗らかなメジロの詩が、焼け野原に朝日を注ぎ込む。
「……あぁ、おはよう」
 いつの間にか炎は消えて、朝になっていた。ボロボロに焼けた僕の体は、もうまっすぐ立つことすらままならない。文字通り、燃え尽きてしまった。
「お手紙、届けてくれてありがとう」
 震える手で、紙切れを開く。
 "拝啓 杉の木さま
 昨夜あったことを、メジロから聞きました。貴方の詩も、何度も読み返しました。
 実は私、お手紙では「見知らぬ誰か」なんて書いていたけれど、本当は途中からずっとわかっていたんです。だって、貴方の書いた手紙を開くと……くしゅんっ!……ほら、こうやって、くしゃみが出てしまいますから。樹木なのに花粉症だなんて、おかしなものですよね。
 それでも私、貴方とお話できることが本当に嬉しかったんです。満開の間も、葉桜の間も、葉が落ちた後も……。貴方は、一瞬の輝きが褪せてしまった後も、私を気にかけてくれた。見た目だけではなくて、私そのものに春の陽のような眼差しを向けてくれた。病気になってしまってからも、貴方だけは変わらず私に接してくれた。それも、こんなに素敵な詩まで添えて。
 貴方が私をそんなに想ってくださっていたなんて、考えもしなかった。貴方が、枯れ木の私に、花を……。生きる意味を、咲かせてくれたんです。貴方との手紙も、貴方が綴ってくれた詩も、大切な宝物です。本当にありがとうございます。私も運命だなんて嘆かずに、病気に立ち向かってみようと思います。だからどうか、ご無事でいてください。
 いつか、貴方に会えますように。貴方のそばで、紡がれる詩にふれることができますように。
 愛を込めて 桜の木より"
「……えへへ」
 ずっと待ち侘びた、綺麗な文字と柔らかな言葉遣い。手紙に添えられた甘い香りを漂わせる桜の花びらに、笑みがこぼれる。
「ねえ、見てよ。僕の詩、褒められちゃった…!それに、"愛を込めて"だって!もしかして、両想いってことかなぁ」
「ちぃ」
 にやけ顔の僕に、メジロは体を震わせて小さく返事をする。呆れられても構わない。君に想いが伝わった、それだけで僕は最高に幸せなんだ。
「お返事、書かなきゃね…でも、ちょっと眠いや…」
 起き上がってペンを取ろうとするが、身体が上手く動かせない。バランスを崩したその時、吹き抜ける風に足元をすくわれて、ふわりと宙に浮くような感覚がした。
「わっ」
 深く根を張っていた重たい体は、大地から離れて、どんどん軽くなって、そのまま高く舞い上がっていく。
「すごいや!飛んでる!空を飛んでるよ!」
 綿雲を掴んでみたり、その場で宙返りをしてみたり…手に入れた自由を噛み締めながら、ずっと見上げるだけだった空を飛び回り、春風と戯れる。
「ちぃ!」
 高らかな鳴き声が僕を呼んだ。
 レールも道路もない大空を、迷いなく進んでいくメジロ。言われなくても、どこへ向かおうとしているのかわかった。
「そっか……やっと、会いに行けるんだ」
 君からの返事を握りしめる。変わり果てた今の姿では、もう気づいてもらえないだろうけど、それでも、君のもとへ。
 "ちぃ ちぃ ちゅるる ちぃちゅるる
 あさのひかりを ひとすくい
 ひら ひら ひらり ひらひらり
 いくえもかかる くもこえて
 きら きら きらり しゅうしゅるる
 しじまのもりに ほしながる
 めら めら あちち あちちのち
 てんにもゆるは このおもい
 ぽつ ぽつ ふわり ぽっぽっぽっ
 るいじつのふみ はなひらく
 きみのひとみを そめあげて
 かれきにはなを ことのはを"
 澄み渡る空。君に贈った|詩《うた》を、口ずさむ。
 最期まで、元気な姿で君に会うことは叶わなかったけど。僕と君との間には、言葉がある。ずっと書き続けてきた、かけがえのない日々がある。もし君がひとりで寂しい思いをしていたら、その時は僕がまた、お手紙を出すから。輪っかを幾重にも重ねるみたいに、何度だって、君にたくさんの詩を届けてみせるから。
 この桜色の思い出は、ずっと色褪せはしない。
 君の枝先に、いつまでも、たくさんの言の葉を宿して。
 ―了―