「待たせてごめん」
先輩は、右手で左腕の肘をぎゅっと握って恥ずかしそうに言う。
「いいえ」
看取り人は、そう言って文庫本を閉じてベンチから立ち上がる。
今日はいつものブレザーの制服ではなく、紺のテーラージャケットにその下に白のロングシャツ、黒字のデニムといった出立ちだ。
「特には待ってません」
看取り人と先輩がいるのは彼らが住んでいる市から一駅離れた場所にあるショッピングモールの入口だ。
二人が生まれる少し前に出来たショッピングモールは今では日本でも有数の人気スポットとなり、衣料品店だけでなく雑貨、レストラン、そして県内で最も大きな映画館も備えている。
まさに最強のデートスポットだ。
そんな所に誘われるなんて思ってもいなかった先輩は朝から緊張マックスで寝坊はするは朝ご飯は食べ損ねるは本当は地元から一緒に行くはずだったのに先に出発してもらうは大惨事だった。
その為、後ろめたさとブルーな気持ちで立っているのもやっとな心境だった。
しかし、看取り人は、まったく気にした様子もなく、無表情にじっと先輩を見る。
「可愛いですね」
「ふえっ?」
先輩は、卵形の顔を真っ赤にして間抜けた声を上げる。
彼女も当然、今日はブレザーの制服ではない。
白い厚めのブラウスに同色の長めのスカート、焦茶のブーツに藍色のカーディガンと言うまさに彼女の為に用意されたような綺麗目のファッションだ。
髪だっていつも以上に可愛らしく纏めて結い上げ、どこかのの令嬢と間違えられてもおかしくない。
「いや……あの……」
「叔母さんに選んでもらったんですか?」
「ううんっオミオツケちゃんが……」
先輩は、顔を真っ赤にして俯く。
「デートなんだから可愛くしていきなさいって……」
確かに……あのクールぶったお節介副会長ならいいそうだ、と看取り人は思った。
「ただ、映画見るだけなのに大袈裟だよね」
今日は看取り人に誘われて今週から公開された映画を観にきた。一週間前、彼とお昼ご飯を食べている時に突然、誘われた。映画館自体、行ったことのない先輩は慌ててオミオツケに相談しにいったら「これは戦争よ!」ととんでもなく物騒なことを叫ばれ、その日のうちに服を買いに連れ出された。
そしてコーディネートされたのがこの髪型と服装だ。
「いえ、そんなことはありません」
彼は、抑揚のない声できっぱりと言う。
「これはデートなので」
「えっ?」
先輩は、切長の右目を大きく開く。
「行きましょう」
彼は、前を歩き出す。
我に返った先輩は慌てて付いていく。
「上映時間まで時間がありますけど、どうします?どこか見たいところはありますか?」
「別にそんなところは……」
その瞬間、先輩のぺたんこなお腹が盛大に音を立てた。
先輩は、あまりの恥ずかしさに世界から消えたくなった。
しかし、彼はまったく気にした様子はない。
「ここ……美味しいみそ汁専門店があるんです。今の時間なら朝食セットが食べれたはずです」
彼は、抑揚のない声で淡々と言う。
「行きませんか?僕もお腹空いたので。副会長には怒られそうですけど」
その言葉に先輩は思わず笑いそうになりながら小さく頷いた。
みそ汁定食はとっても美味しかった。
鰹節の効いた出汁にオリジナルの味噌、具材は毎日変わるみたいで今日は豆腐とワカメだったが最強の組み合わせだった。普段は主食扱いなのに付け合わせのように置かれた白米も、翡翠のように輝く浅漬けの胡瓜も美味しく、先輩も嬉しそうに食べてた。
ただ……。
「卵焼きは先輩の方が上ですね」
看取り人がそう言うと先輩は顔を真っ赤にして亀のように頭を引っ込めた。
それから二人は事前受付機にQRコードを照らしてチケットを受け取り、飲み物と定番のキャラメルポップコーンを購入し、受付で案内された五番スクリーンに向かった。
映画館に来るのが初めてな先輩は興味深げに辺りを見回し、キャラメルポップコーンのあまりの美味しさに驚いていた。
上映中は当然だが一言も話さなかった。
先輩は大スクリーンで流れる映像と音にびっくりしていたが直ぐにストーリーにのめり込み、開始三十分で号泣し始めたので看取り人はおろし立てのハンカチを彼女に渡した。
看取り人は、背もたれに寄りかかり、ポップコーンを齧りながらスクリーンを見る。と、言うよりもスクリーンに映った一人の女の子を目で追い、アップルジュースを祈るように飲んだ。
映画が終わった後も先輩は目を真っ赤にして涙を流していた。
「そんなに感動しました?」
看取り人は、三白眼を細めて先輩を見る。
空になったポップコーンのケースを捨て、飲みかけのレモンティーを先輩に渡す。
「うんっ」
先輩は、ハンカチで涙を拭きながら頷く。
ストーリー自体は良くあるものだった。
実の母が逝去し、実父が再婚した継母とその間に生まれた優秀な異母妹に虐げられながらも運命の男性と出会い、恋に落ち、様々な弊害を乗り越えながら結ばれるシンデレラストーリー。
投稿サイトに流星よりも多く落ちている、上場の出版業界が喜ぶテンプレートのようなストーリー。
しかし、そんなストーリーがこれだけ人の心を揺り動かしているのだから素晴らしいというしかない。
「ヒロインに共感しました?」
看取り人は、口にしてから言葉の選択が間違ったことに気付く。
この話しのヒロインと先輩の境遇には共通点が被るところがある。幼い頃に虐待を受けていたり、助けてくれる叔母がいたり、そして最後には自分の力で困難を乗り越えられる強さも。
しかし、それはあくまで看取り人の主観。
彼女がそれをプラスに感じているとは限らない。
しかし……。
「いや、まさか……」
先輩は、慌てて両手を振る。
「私、あんな綺麗じゃないもの……共感なんて畏れ多い……」
本当に自分のことが分かってない。
「でも、本当にいいお話しだよね。オミオツケちゃんがキュンキュンするラブストーリーだよって言ってのが分かる気がする」
「副会長がそんなことを?」
「うんっオミオツケちゃんラブコメとか可愛い女の子のアニメ大好きだから……」
看取り人の脳裏にクールな表情のままラブコメのラノベや漫画を読んで涎を垂らし、女の子のフィギュアやぬいぐるみに頬を擦り付けてる姿が浮かぶ。
「本当キャラ詐欺ですね。あの人」
「ヤンデレだしね」
そう言って先輩はくすりっと笑う。
そこは笑うところなのだろうか?
まぁ、彼女の恋人であるレンレン先輩の圧倒的抱擁力なら受け止められるか……。
そんなことを考えてると先輩が五番スクリーンの入口に飾られた映画のパネルを目を向ける。
「サブヒロインの子……亡くなっちゃったんだよね」
先輩の言葉に看取り人の三白眼が小さく震える。
サブヒロインの女優が病気で亡くなったことはテレビで広く放送され、映画の最後にもテロップで流れた。
「うちの学校の生徒だったんだよね」
「同じクラスでした」
「知ってる。彼女が登校すると男の子達が一目見ようと騒いでたから」
「みたいですね。あまり相手にしてなかったみたいですけど」
「君の飲んでるアップルジュース、この子がCMやってた」
「らしいですね。テレビ見ないので良く知らなかったんですが」
「私ね。この子に一度会ったことがあるの」
「どこでです?」
「登校中。前を歩いてた彼女がいきなりこっちを見たかと思ったら急に倒れそうになって……」
「先輩が助けたんですか?」
「支えただけだよ」
先輩は、苦笑し、パネルをじっと見る。
「今、思うとその頃から体調が良くなかったのかもね」
「そうかもしれないですね」
看取り人は、三白眼を細めてパネルをじっと見る。
先輩は、看取り人の顔を見上げる。
「仲良かったの?」
「……なんでそう思うんです?」
「声のトーンが少し変わったから」
看取り人の三白眼が大きく見開く。
先輩は、看取り人から借りたハンカチを見る、
「このハンカチ……自分で買ったの?」
「いえ、もらいました」
「そうなんだ。女性?」
「男性です」
「お洒落だね。黒で素朴だけど鮮やかな刺繍が模様されてて……君に良く似合ってる」
「ありがとうございます」
「君を褒めてないよ」
先輩は、珍しく冷たい声で言ってハンカチを看取り人に返す。
「君を想って買った人を褒めたの」
「……」
看取り人は、ハンカチを見る。
"これを受け取ってくれないか?"
"あの子がいつの間にか買ってたんだ。震える手でラッピングして。あげたい人がいるからって……"
"君が受け取ってくれたら……きっとあの子は喜ぶと思うんだ"
「大切にしてあげて」
「えっ?」
看取り人は、先輩を見る。
先輩の切長の右目が小さく震える。
「よく分かってないけど……そのハンカチ、大切にしてあげて」
「……はいっ」
看取り人は、ハンカチをポケットにしまう。
先輩は、ハンカチのしまわれたポケットを見る、
「いきましょうか?」
「うんっ」
二人は、肩を並べ合って映画館を後にする。
二人の横を女の子が一人通り過ぎる。
看取り人のクラスメイトの女の子。
面識はあるけどお互いに話したことはない。
しかし、女の子はそんな看取り人の背中をじっと見つめる。
「来てくれて……良かったね」
女の子は、小さく呟くと五番スクリーンに入っていった。
その後、二人はショッピングモールの中をブラブラとウィンドウショッピングした。本屋によって看取り人は好きな作家の新刊を買い、先輩は雑貨屋で藍色に金糸の施された着物生地をアレンジしたシュシュを買った。カフェに入って少し遅めの昼食を食べ、午後の三時を回った頃に帰路に着いた。
先輩の家の近くの最寄りでバスを降りる。
先輩は、そのまま解散になると思ったのだが、意外なことに看取り人は「もう少し歩きませんか?」と提案してきた。
正直、少し疲れていたので家で休みたいという思いはあったが、彼からの誘いを断るなんて先輩には出来ず、ショッピングモールの時のように一緒に肩を並べて歩き出す。
日が傾き出す。
二人は、公園の中に入る。
地元で最も大きな森林公園。
幼い頃に二人が出会った公園。
自然と先輩の胸が高鳴る。
看取り人の横顔はまるで変わらない。
看取り人は人気のないベンチを見つけると先輩に座らないかと聞く。
先輩は頷く。
二人は、肩を並べて座る。
先輩はベンチの先にある小さな森を見る。
その先には二人が出会った大きな木が今もある。
彼はもう覚えていないはずなのに……なんで……?
先輩の心臓の音がさらに激しく鳴る。
看取り人は、夕暮れの空を見上げる。
「逢魔時」
看取り人がぽそりと呟く。
「えっ?」
「この黄昏の時間を逢魔時って言うんです。この世とあの世の境目に通じて、妖怪や幽霊がこっちにやってくるとか言われてます」
「なんか怖いね」
普段、見慣れてるはずの夕暮れがそんな話しを聞いた途端に異界に堕ちたような恐怖を覚える。
「でも、言い換えるなら最も見て欲しい人に見てもらえる時間でもあるとも言えます」
「見て欲しい人?」
先輩は、首を傾げる。
「誰に何を見てもらうの?」
刹那。
看取り人の両腕が先輩の細い身体を抱きしめた。
「……!」
先輩は、何が起きたか分からず混乱する。
彼の顔が、彼の吐息が、彼の匂いが、彼の温もりが先輩を激しく刺激する。
「すいません。先輩」
看取り人は、彼女の耳元に吐息と一緒に囁く。
「少しだけ……少しの間だけこのままでいさせて下さい」
彼が何を言ってるのか?先輩は理解できなかった。
理解出来なかったけど……。
「いいよ」
先輩は、彼の背中に手を回す。
「好きなだけ……こうしてて」
看取り人は、きゅっと先輩の身体を抱く手に力を込めた。
「最後に一つ……お願いを聞いてくれる?」
ベッドに伏した彼女は弱々しい声で言う。
「願いですか?」
「うんっ」
彼女は、頷くと悪戯っぼい笑みを浮かべる。
出会った時のような余裕のある笑み。
「貴方がイチャイチャじでる姿を私に見ぜで」
「えっ?」
「私が天国で思いぎり嫉妬して……ごんな奴なんで好きになっだんだろうって思えるくらいイチャイチャした姿を私に見ぜて」
「それは……なんで……」
「言っだでしょう?」
彼女は笑う。
「来世に繋がる失恋を私にちょうだいって。それを見れば私も踏ん切りがつく。来世に進むことが出来る」
「……」
「あっでも……誰でもいいわけじゃないよ」
彼女は、じっと看取り人を見る。
「貴方が今……頭に浮かんだ人。その人にやって」
頭に浮かんだ人……。
「でも……僕は……」
「恋とか愛じゃなくていいよ」
彼女は、ふうっと息を吐き出す。
「愛の形なんて人それぞれだもん。私みたいに一目惚れする人もいればじんわりと育てる人もいる。大切なのは今の気持ちを伝えることだよ」
「伝える……」
「小説家でしょ?そのくらい分かるよね?」
彼女は再び小さな笑みを浮かべる。
「今、頭に浮かんだ人に今の君の気持ぢを伝えて。そしてしっがりと私を振って……お願いね」
「……はいっ」
「先輩……」
看取り人は綺麗に整えられた彼女の髪を撫でる。
身体中の熱を明け渡すようにぎゅっと彼女の身体を抱きしめる。
「大好きです……先輩」
それは愛の告白ではない。
だだ好きなものを好きと伝える子どものような……いつもと変わらない抑揚のない声。
しかし……それでも……。
先輩の切長の右目から涙が一筋流れる。
「うんっ」
先輩は、きゅっと彼の身体を抱きしめる。
「私も……大好きだよ」
夕日が重なり合った二人の身体を優しく照らし続けた。