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第9話 絵美と横浜で2

ー/ー



 お勘定を済ませて、ぼくらは腕を絡ませながら馬車道から中華街に歩いていった。もう、8時半になっていた。コペンハーゲンのドアを開けると、室内から暖かい空気があふれてきた。ミスターヘニングがまた昨日と同じく、コーナーで酒を飲んでいた。

「ハイ!明彦!綺麗な彼女だね?妹さんじゃないだろうね?」と余計なことを言う。
「ミスターヘニング、妹じゃないよ」
「そうだろう、そうだろう、さ、こっちこっち」とカウンターの中央に席を取ってくれる。

 いつも通り、ハイチェアを引いて、絵美を座らせる。でも、ヘニングは絵美のお尻を触らなかった。

「おっかしいな。ヘニング?」
「私のお尻を触らないのが?」
「わかるか・・・わかるんだろうね?なぜかな?」
「だって、私のお尻を触ったら、明彦が怒るから触らないのよ、彼は」
「なるほどな・・・」

 須賀さんがいた。「須賀さん?」
「ハイ、明彦。何、頼む?」
「昨日はどうも。あ、彼女、妹じゃないから・・・」
「わかってます。昨日の女性は妹。今日は彼女ね?」
「そうです」

「じゃ、彼女、何飲む?」と須賀さんが絵美に向かって言った。「あなたが須賀さんなのね?明彦からさっき聞きました。よろしくお願いします。そう、何を飲むかなあ・・・」と絵美は酒棚を見回してこう言った。「レミーのVSOPで、ブランディーサワーを。お願いします」と絵美が言う。

 須賀さんがぼくの方を向いて、「明彦、彼女、あなたくらいにお酒知っているようね?」と言った。「はは、ぼくよりもよく知っているかもね。え~、ぼくは・・・グレンフィディックの12年をダブル、ロックでいただけますか?」「オッケー!」と相変わらず、タバコを横ぐわえしながら、須賀さんは絵美とぼくのドリンクを作ってくれた。「ハイ、ごゆっくり」

「明彦さ、ここキミが好きなのがよくわかるよ。絵美もここが好きだなあ」
「気に入ってくれてありがとう」
「あ!あなた、私の帰る時間を気にしたでしょ、今?大丈夫よ。終電がなくなっても、私、タクシーで帰るから。だから、とことんまで飲んでもいいのよ、今晩。ここの次は、ケーブルカーに行きましょうよ。その後は、ホリデイインのミリ-ラフォーレだったわね?」
「それじゃあ、明日の朝までになっちゃうよ?」
「そう思ったから、母には、朝帰りよ、ともう言ってあるの」

「絵美、キミって・・・」
「テキパキ?そうよ。でもね、私だって、可愛い一面だってあるんだから。誤解しないでよね?」
「どうせ、口調を変えて、甘えっ調子になるんだろうな?・・・あれ、そうなのか?」
「そうよ。変えてもいいわよ」
「おいおい、変えたって、同じ絵美なんだからね・・・」
「でも、それで、明彦の気が済むのなら、絵美は、口調を変えちゃうんだけど、どう思う?」
「まったく、止めてくれよ。考えてみれば、真理子とメグミに対して、ぼくは口調を変えていたけど、それと似たようなものじゃないか?」
「あら、よくわかってるわね?」
「そりゃあ、わかりますとも・・・」
「夜は長い。飲みましょ?明彦?」

「さ、キミの女性関係の話はもういいから、私たちの話をしましょうよ・・・ああ、そうそう・・・ねえねえ、明彦、私たちの話の方が絵美には興味があるの。明彦の女性問題、絵美もわかったわ。でも、私たちの話の方がずっと大事だと思う。そう思わない?」と、上目遣いで絵美が言う。
「また、口調を変えようとして・・・」
「ま!だって、こっちの方が可愛くて、明彦、好きでしょ?ね?私、わかるもん」
「なにか違うなあ・・・」
「そお?こんな風に・・・」と絵美は椅子を寄せてきて、ぼくの肩にしなだれかかって、「甘えた方がいいんじゃない?」

「いや、ぜんぜん、絵美らしくないよ」
「それは、明彦が私に持っているペルソナじゃないの?」
「そうじゃなくって、なんというのかなあ?」
「明彦は、こういう絵美が好きじゃないの?」
「おいおい、ちょっと止めようよ。絵美が『こういう私を好きじゃないの?』なんて言うことを考えるはずがないから・・・そういう考えていないことを言うのは止めましょう」
「わかったわ。元のバージョンに戻せばいいのね」と、背をまっすぐ伸ばして、ぼくをじっと見た。

「そうそう、それそれ」
「じゃあ、メグミさんバージョンは封印しましょ」
「なんだ?メグミバージョンしていたのか?」
「そうよ。私、悲しいけれど、好きになっちゃったからしょうがないでしょ?でも、友達の彼氏だから、好きとか嫌いでアプローチしたくないから、セックスだけでアプローチすれば、恋愛感情もない、だれかが傷つく心配はない。明彦もそういう部分は優柔不断だから、ズルズルとその関係がいつまでも続けばいいなあ・・・、という思考をする女の子だとこういう話し方かな?と思ってそうしたの」
「絵美、ズバッと言い切りすぎ」
「事実よ。まあ、いいわ。私たち、山の上ホテルのバーで、『ペルソナ』の話をしたでしょ?」
「うん、したな」

「私は、誰かが私に期待する外面的人格というのを無意識に演じてしまう、ということは嫌い。私は私のイメージする内面的人格そのものをだしたいの。私は私の内部にいて、私の外面が他人にどう写るか、想像するしかない。ある男性なら、私のことをカワイコちゃんと見るでしょうし、ある男性なら私のことをキツい女と見るでしょう。でも、それは私じゃなくて、彼らが私に見るペルソナ。それを私は彼らのイメージ、私の鏡像として感じる。そのイメージをフォローして、私が無意識的、意識的にそれを演じるのは嫌い、ということ」

「ぼくはそれができていないな」
「だから、キミの女性関係に戻れば、三人の登場人物のみながみな、お互いのペルソナに翻弄されている。キミはキミで、真理子さんとメグミさんに対して、なんとかいい男の子を演じたいと思って、それで問題が錯綜する。真理子さんは、普通の女の子と男の子の関係というのはこういうものなんだろうな?と淡々と思っていて、明彦を欲しいのに、自分の思い描くイメージ通りじゃなかったから言い出せなかった。メグミさんは、自分の欲求に忠実ではあったけれど、その根底にあった、本来的に好きだからセックスするんだ、という感情を封印していた、とそういうことだと思うのね。男と女、それにセックスが介在して、所有、非所有の感情が生まれて、こうなっちゃったのよ。真理子さんは明彦の一部所有の権利留保、という技を使って、解決したと思っているけど、根底にあるまだ明彦を好きなんだ、という感情は封印したのね。ケーススタディーとしては面白いわ」

「ちょっと、ぼくの問題をケーススタディーにするなよ」
「興味深い、ということ。それでは、私は?というと、キミ、私を女性関係の優先順位のトップに据えたよね?それはリップサービスではなくて、本当にそう感じた、というのはわかる。ただし、それをどう行動に移すか、私は知らない。それを束縛したくもない。それに、私はセックスを介在してキミとつき合いたくない、今のところは。だから、私がキミを欲しくなったら、そのときはもらうわ。それだけ。キミがどこでどうお茶目しても気にしないわ。でも、どうせ、キミはそのことをみんな私に話す。違う?」
「違わない。そうすると思うよ」

「もちろん、私は、私の所有感を封印しているわけね。キミは私のもの、ブラブラブラ・・・、なんていう感情はある。他の女の子と、このバカ、遊びやがって、チクショウ、という感情があるのは認めるけれど、それを敷衍していくと、私の内面的な感情まで崩壊するから、それは封印しましょ、ということです。でもね・・・」
「なに?」
「このバカ、明彦、他の女の子と遊びやがって。コンチクショウ!バカ!アホウ!・・・ああ、気が済んだ・・・」
「なんだ、そういうカタルシスもするの?」

「私だって、ロボットじゃないもの。でも、しょうがないわね。私たちが知り合ってまだ五日しか経ってないのよ。その前のことを考えたって、取り返せるわけでもない。明彦、このバカ!バカを好きになる私もバカだわ」
「なんだ、それがペルソナじゃない絵美の内面的人格の考えていることなのか?」
「私って、正直でしょ?」
「自分で言ってはおしまいだ」
「だから、明彦は私の昔を知りたくない、ということね」
「知りたくないね。絵美と同じで、それで、キミはぼくのもの、なんて考え出すと大変だからね。ぼくには絵美みたいに器用に封印できないと思う。それで、特に、絵美とぼくの間でそんな感情が出たら、真理子やメグミの比ではない状態になりそうな気がする」

「よく自分のことを知っているのね」
「絵美が相手だと、なぜか、すべてが整理されてくるんだよ。他の人間では整理されないことまでもね」
「だって、相手が私だもの」
「ぼくは、絵美と話していると、不思議の国のアリスのような絵美の世界に紛れ込んだような気がする」
「さしずめ、マッドハターとチェシャ猫なんでしょうね、明彦は」
「絵美は、アリスであると同時に赤の女王なんだろうね」
「それって、絶対矛盾の自己同一なの?」
「西田哲学持ち出すの?」
「なんとなく、語感がピッタリすると思っただけ」


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「ハイ!明彦!綺麗な彼女だね?妹さんじゃないだろうね?」と余計なことを言う。
「ミスターヘニング、妹じゃないよ」
「そうだろう、そうだろう、さ、こっちこっち」とカウンターの中央に席を取ってくれる。
 いつも通り、ハイチェアを引いて、絵美を座らせる。でも、ヘニングは絵美のお尻を触らなかった。
「おっかしいな。ヘニング?」
「私のお尻を触らないのが?」
「わかるか・・・わかるんだろうね?なぜかな?」
「だって、私のお尻を触ったら、明彦が怒るから触らないのよ、彼は」
「なるほどな・・・」
 須賀さんがいた。「須賀さん?」
「ハイ、明彦。何、頼む?」
「昨日はどうも。あ、彼女、妹じゃないから・・・」
「わかってます。昨日の女性は妹。今日は彼女ね?」
「そうです」
「じゃ、彼女、何飲む?」と須賀さんが絵美に向かって言った。「あなたが須賀さんなのね?明彦からさっき聞きました。よろしくお願いします。そう、何を飲むかなあ・・・」と絵美は酒棚を見回してこう言った。「レミーのVSOPで、ブランディーサワーを。お願いします」と絵美が言う。
 須賀さんがぼくの方を向いて、「明彦、彼女、あなたくらいにお酒知っているようね?」と言った。「はは、ぼくよりもよく知っているかもね。え~、ぼくは・・・グレンフィディックの12年をダブル、ロックでいただけますか?」「オッケー!」と相変わらず、タバコを横ぐわえしながら、須賀さんは絵美とぼくのドリンクを作ってくれた。「ハイ、ごゆっくり」
「明彦さ、ここキミが好きなのがよくわかるよ。絵美もここが好きだなあ」
「気に入ってくれてありがとう」
「あ!あなた、私の帰る時間を気にしたでしょ、今?大丈夫よ。終電がなくなっても、私、タクシーで帰るから。だから、とことんまで飲んでもいいのよ、今晩。ここの次は、ケーブルカーに行きましょうよ。その後は、ホリデイインのミリ-ラフォーレだったわね?」
「それじゃあ、明日の朝までになっちゃうよ?」
「そう思ったから、母には、朝帰りよ、ともう言ってあるの」
「絵美、キミって・・・」
「テキパキ?そうよ。でもね、私だって、可愛い一面だってあるんだから。誤解しないでよね?」
「どうせ、口調を変えて、甘えっ調子になるんだろうな?・・・あれ、そうなのか?」
「そうよ。変えてもいいわよ」
「おいおい、変えたって、同じ絵美なんだからね・・・」
「でも、それで、明彦の気が済むのなら、絵美は、口調を変えちゃうんだけど、どう思う?」
「まったく、止めてくれよ。考えてみれば、真理子とメグミに対して、ぼくは口調を変えていたけど、それと似たようなものじゃないか?」
「あら、よくわかってるわね?」
「そりゃあ、わかりますとも・・・」
「夜は長い。飲みましょ?明彦?」
「さ、キミの女性関係の話はもういいから、私たちの話をしましょうよ・・・ああ、そうそう・・・ねえねえ、明彦、私たちの話の方が絵美には興味があるの。明彦の女性問題、絵美もわかったわ。でも、私たちの話の方がずっと大事だと思う。そう思わない?」と、上目遣いで絵美が言う。
「また、口調を変えようとして・・・」
「ま!だって、こっちの方が可愛くて、明彦、好きでしょ?ね?私、わかるもん」
「なにか違うなあ・・・」
「そお?こんな風に・・・」と絵美は椅子を寄せてきて、ぼくの肩にしなだれかかって、「甘えた方がいいんじゃない?」
「いや、ぜんぜん、絵美らしくないよ」
「それは、明彦が私に持っているペルソナじゃないの?」
「そうじゃなくって、なんというのかなあ?」
「明彦は、こういう絵美が好きじゃないの?」
「おいおい、ちょっと止めようよ。絵美が『こういう私を好きじゃないの?』なんて言うことを考えるはずがないから・・・そういう考えていないことを言うのは止めましょう」
「わかったわ。元のバージョンに戻せばいいのね」と、背をまっすぐ伸ばして、ぼくをじっと見た。
「そうそう、それそれ」
「じゃあ、メグミさんバージョンは封印しましょ」
「なんだ?メグミバージョンしていたのか?」
「そうよ。私、悲しいけれど、好きになっちゃったからしょうがないでしょ?でも、友達の彼氏だから、好きとか嫌いでアプローチしたくないから、セックスだけでアプローチすれば、恋愛感情もない、だれかが傷つく心配はない。明彦もそういう部分は優柔不断だから、ズルズルとその関係がいつまでも続けばいいなあ・・・、という思考をする女の子だとこういう話し方かな?と思ってそうしたの」
「絵美、ズバッと言い切りすぎ」
「事実よ。まあ、いいわ。私たち、山の上ホテルのバーで、『ペルソナ』の話をしたでしょ?」
「うん、したな」
「私は、誰かが私に期待する外面的人格というのを無意識に演じてしまう、ということは嫌い。私は私のイメージする内面的人格そのものをだしたいの。私は私の内部にいて、私の外面が他人にどう写るか、想像するしかない。ある男性なら、私のことをカワイコちゃんと見るでしょうし、ある男性なら私のことをキツい女と見るでしょう。でも、それは私じゃなくて、彼らが私に見るペルソナ。それを私は彼らのイメージ、私の鏡像として感じる。そのイメージをフォローして、私が無意識的、意識的にそれを演じるのは嫌い、ということ」
「ぼくはそれができていないな」
「だから、キミの女性関係に戻れば、三人の登場人物のみながみな、お互いのペルソナに翻弄されている。キミはキミで、真理子さんとメグミさんに対して、なんとかいい男の子を演じたいと思って、それで問題が錯綜する。真理子さんは、普通の女の子と男の子の関係というのはこういうものなんだろうな?と淡々と思っていて、明彦を欲しいのに、自分の思い描くイメージ通りじゃなかったから言い出せなかった。メグミさんは、自分の欲求に忠実ではあったけれど、その根底にあった、本来的に好きだからセックスするんだ、という感情を封印していた、とそういうことだと思うのね。男と女、それにセックスが介在して、所有、非所有の感情が生まれて、こうなっちゃったのよ。真理子さんは明彦の一部所有の権利留保、という技を使って、解決したと思っているけど、根底にあるまだ明彦を好きなんだ、という感情は封印したのね。ケーススタディーとしては面白いわ」
「ちょっと、ぼくの問題をケーススタディーにするなよ」
「興味深い、ということ。それでは、私は?というと、キミ、私を女性関係の優先順位のトップに据えたよね?それはリップサービスではなくて、本当にそう感じた、というのはわかる。ただし、それをどう行動に移すか、私は知らない。それを束縛したくもない。それに、私はセックスを介在してキミとつき合いたくない、今のところは。だから、私がキミを欲しくなったら、そのときはもらうわ。それだけ。キミがどこでどうお茶目しても気にしないわ。でも、どうせ、キミはそのことをみんな私に話す。違う?」
「違わない。そうすると思うよ」
「もちろん、私は、私の所有感を封印しているわけね。キミは私のもの、ブラブラブラ・・・、なんていう感情はある。他の女の子と、このバカ、遊びやがって、チクショウ、という感情があるのは認めるけれど、それを敷衍していくと、私の内面的な感情まで崩壊するから、それは封印しましょ、ということです。でもね・・・」
「なに?」
「このバカ、明彦、他の女の子と遊びやがって。コンチクショウ!バカ!アホウ!・・・ああ、気が済んだ・・・」
「なんだ、そういうカタルシスもするの?」
「私だって、ロボットじゃないもの。でも、しょうがないわね。私たちが知り合ってまだ五日しか経ってないのよ。その前のことを考えたって、取り返せるわけでもない。明彦、このバカ!バカを好きになる私もバカだわ」
「なんだ、それがペルソナじゃない絵美の内面的人格の考えていることなのか?」
「私って、正直でしょ?」
「自分で言ってはおしまいだ」
「だから、明彦は私の昔を知りたくない、ということね」
「知りたくないね。絵美と同じで、それで、キミはぼくのもの、なんて考え出すと大変だからね。ぼくには絵美みたいに器用に封印できないと思う。それで、特に、絵美とぼくの間でそんな感情が出たら、真理子やメグミの比ではない状態になりそうな気がする」
「よく自分のことを知っているのね」
「絵美が相手だと、なぜか、すべてが整理されてくるんだよ。他の人間では整理されないことまでもね」
「だって、相手が私だもの」
「ぼくは、絵美と話していると、不思議の国のアリスのような絵美の世界に紛れ込んだような気がする」
「さしずめ、マッドハターとチェシャ猫なんでしょうね、明彦は」
「絵美は、アリスであると同時に赤の女王なんだろうね」
「それって、絶対矛盾の自己同一なの?」
「西田哲学持ち出すの?」
「なんとなく、語感がピッタリすると思っただけ」