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およう(2)

ー/ー



 おようと共に過ごす何気ない日々は、私を少しずつ変えていった。
 この世は金と思い定めたこの心が、いつの間にか金では買えぬもので満たされていく。
 「検校様。お顔付きが大分お変わりになりましたね」
 たまに顔を合わせる大尽にそんなことを言われ、私は大いに照れたものだ。
 
 
 だが。
 そんな穏やかな日々は、長くは続かなかった。
 私は、「暴利をむさぼり、悪辣非道な取り立てを行った」との咎で、官金を営んでいた他の検校たちと共に捕らえられたのだ。
 我々の後ろ盾だった筈の幕府の突然の掌返しに、私は怒りで身体を震わせた。
 ――散々我々のやり方を見逃してきたくせに、今更罪に問うとはどういうことだ!
 
 そして私は、築き上げた全財産と検校の地位を取り上げられ、江戸からも追い払われることになった。
 幕府の役人からは、落ち着き先が見つかるまでの当座の資金として、金3両を握らされた。
 だが――私には、それは体の良い手切れ金としか思えなかった。
 「……っ」
 私は、突き上げる感情をどうにか奥歯で噛み殺し、ただ深々と首を垂れるより他になかった。

 私はふらふらと江戸の町をゆく。
 よれよれであちこち薄汚れたみすぼらしい盲人に、江戸の町は冷たかった。
 ――これが、あの鳥山検校のなれの果てか。
 何処からともなくそんな嘲笑が聞こえた気がして、私は力なく崩れ落ちた。

 そんな私の鼻に、ふわっといい香りが届いた。
 「旦那様!」
 おようの声だ。
 「およう――およう!」
 私はその名を呼びながら、声のした方に震える手を伸ばす。
 やがて、優しくたおやかな手が、私の腕を掴んだ。
 「ああっ、旦那様……なんておいたわしい」
 おようは悲痛な声を上げると、私の額をそっと拭ってくれた。
 「およう、およう……私は……」
 私は、壊れそうな心を剥き出しに、我知らず彼女にしがみついていた。
 「大丈夫ですよ、旦那様……大丈夫」
 おようは、そっと私の身体を抱き締めてくれた。まるで幼子をあやすような、優しい声音で。

 おように抱き締められながら、私は少しだけ落ち着きを取り戻した。
 ――おようだけは、守らなくては。
 私はごくりと唾を飲むと、役人に押し付けられた金をおようの手に押し込んだ。
 「旦那様、これは――?」
 戸惑うおよう。
 「およう。ここに、3両ある」
 私はおようの腕を掴むと、万感の思いを込めて彼女の方へと顔を向けた。
 「お前は自由だ。何処へなりとも好きな所に行きなさい」
 
 この時、私の脳裏には、瀬川だった頃の彼女が時折見せていた、あの物憂げな吐息が蘇っていた。
 ――およう。お前には、好いた男が居たのだろう?その男の所に行って、どうか、幸せに――。

 「……嫌です」
 おようの、振り絞るような声。
 「えっ」
 私は見えぬ目を見開いた。
 「私は、この江戸に身寄りもなければ、何処にも行くところなんかありません――旦那様。私も連れて行って下さい!」
 普段のおようからは想像もつかぬ程、その言葉は力強いものだった。
 私は、この頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
 「だけど……だけど、およう。私は全てを失ったし、江戸からも追い出されたんだよ。私はただの惨めな盲人で、お前に何もしてやれない――この先、お前に迷惑しかかけないような男なんだよ」
 私は、戸惑いのままにうろうろと言葉を繋いだ。
 ――私は、おようの足手まといにはなりたくない……。

 おようは「ふ」と小さな息をつくと、ぱっと華やいだ。
 「迷惑だなんて、そんな。この先どうなろうとも、二人で居れば、何とかやっていけます」
 おようのこの一言は、私の心に沁みた。

 「ああっ……!」
 私の盲いた目から、ぼろぼろと涙が零れ落ちた。
 おようは、こんなにも深い心で、私を見ていてくれたのか。

 おように背中をさすられながら、私は確信する。
 ああ、おようはやはり、芙蓉の花だ。
 陽の光を存分に浴びて、悠然と空へと顔を向け、大きな花びらを広げて美しく咲き誇る。
 それが、おようという女の有り様なのだ。

 
 江戸を離れた私たちは、やがてとある宿場町に行きついた。
 私は得意の三味線を片手に旅籠を回り、おようはその宿場随一の旅籠の女中として働き始めた。
 花魁だったおようは芸妓としても十分やっていけるのだが、彼女はそれを望まなかった。
 やはり「着飾るのはもうこりごり」ということなのだろう。

 私たちの住まいは、宿場の外れにある粗末な東屋だ。
 時々酒を買って、おようが作ったつまみを肴に一杯やる。それが今の私のささやかな楽しみだ。
 「ねえ、およう。鳥山検校とは一体何だったんだろうねえ」
 ほろ酔い気分の私は、我知らずそんなことを呟いた。
 「そうですねえ――」
 おようは、ふっ、と息をつく。
 そして、こくり、と酒を喉に流す音。
 「お前様が鳥山検校様でなかったら、私はきっと、今も吉原に」
 「そうか。……では、悪名高い鳥山検校も、少しは良いことをしたのかな」
 おようの言葉に、私はしみじみとした笑みを浮かべた。
 
 「それにしても、こんなところに鳥山検校と瀬川が腰を落ち着けているとは、誰も思うまいよ」
 「ふふ。私たちだけの秘密ですね」
 
 私とおようは、秋の虫が恋の歌を奏でる様を聞きながら、穏やかに笑顔を交わし合った。
 
 終わり。



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 おようと共に過ごす何気ない日々は、私を少しずつ変えていった。
 この世は金と思い定めたこの心が、いつの間にか金では買えぬもので満たされていく。
 「検校様。お顔付きが大分お変わりになりましたね」
 たまに顔を合わせる大尽にそんなことを言われ、私は大いに照れたものだ。
 だが。
 そんな穏やかな日々は、長くは続かなかった。
 私は、「暴利をむさぼり、悪辣非道な取り立てを行った」との咎で、官金を営んでいた他の検校たちと共に捕らえられたのだ。
 我々の後ろ盾だった筈の幕府の突然の掌返しに、私は怒りで身体を震わせた。
 ――散々我々のやり方を見逃してきたくせに、今更罪に問うとはどういうことだ!
 そして私は、築き上げた全財産と検校の地位を取り上げられ、江戸からも追い払われることになった。
 幕府の役人からは、落ち着き先が見つかるまでの当座の資金として、金3両を握らされた。
 だが――私には、それは体の良い手切れ金としか思えなかった。
 「……っ」
 私は、突き上げる感情をどうにか奥歯で噛み殺し、ただ深々と首を垂れるより他になかった。
 私はふらふらと江戸の町をゆく。
 よれよれであちこち薄汚れたみすぼらしい盲人に、江戸の町は冷たかった。
 ――これが、あの鳥山検校のなれの果てか。
 何処からともなくそんな嘲笑が聞こえた気がして、私は力なく崩れ落ちた。
 そんな私の鼻に、ふわっといい香りが届いた。
 「旦那様!」
 おようの声だ。
 「およう――およう!」
 私はその名を呼びながら、声のした方に震える手を伸ばす。
 やがて、優しくたおやかな手が、私の腕を掴んだ。
 「ああっ、旦那様……なんておいたわしい」
 おようは悲痛な声を上げると、私の額をそっと拭ってくれた。
 「およう、およう……私は……」
 私は、壊れそうな心を剥き出しに、我知らず彼女にしがみついていた。
 「大丈夫ですよ、旦那様……大丈夫」
 おようは、そっと私の身体を抱き締めてくれた。まるで幼子をあやすような、優しい声音で。
 おように抱き締められながら、私は少しだけ落ち着きを取り戻した。
 ――おようだけは、守らなくては。
 私はごくりと唾を飲むと、役人に押し付けられた金をおようの手に押し込んだ。
 「旦那様、これは――?」
 戸惑うおよう。
 「およう。ここに、3両ある」
 私はおようの腕を掴むと、万感の思いを込めて彼女の方へと顔を向けた。
 「お前は自由だ。何処へなりとも好きな所に行きなさい」
 この時、私の脳裏には、瀬川だった頃の彼女が時折見せていた、あの物憂げな吐息が蘇っていた。
 ――およう。お前には、好いた男が居たのだろう?その男の所に行って、どうか、幸せに――。
 「……嫌です」
 おようの、振り絞るような声。
 「えっ」
 私は見えぬ目を見開いた。
 「私は、この江戸に身寄りもなければ、何処にも行くところなんかありません――旦那様。私も連れて行って下さい!」
 普段のおようからは想像もつかぬ程、その言葉は力強いものだった。
 私は、この頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
 「だけど……だけど、およう。私は全てを失ったし、江戸からも追い出されたんだよ。私はただの惨めな盲人で、お前に何もしてやれない――この先、お前に迷惑しかかけないような男なんだよ」
 私は、戸惑いのままにうろうろと言葉を繋いだ。
 ――私は、おようの足手まといにはなりたくない……。
 おようは「ふ」と小さな息をつくと、ぱっと華やいだ。
 「迷惑だなんて、そんな。この先どうなろうとも、二人で居れば、何とかやっていけます」
 おようのこの一言は、私の心に沁みた。
 「ああっ……!」
 私の盲いた目から、ぼろぼろと涙が零れ落ちた。
 おようは、こんなにも深い心で、私を見ていてくれたのか。
 おように背中をさすられながら、私は確信する。
 ああ、おようはやはり、芙蓉の花だ。
 陽の光を存分に浴びて、悠然と空へと顔を向け、大きな花びらを広げて美しく咲き誇る。
 それが、おようという女の有り様なのだ。
 江戸を離れた私たちは、やがてとある宿場町に行きついた。
 私は得意の三味線を片手に旅籠を回り、おようはその宿場随一の旅籠の女中として働き始めた。
 花魁だったおようは芸妓としても十分やっていけるのだが、彼女はそれを望まなかった。
 やはり「着飾るのはもうこりごり」ということなのだろう。
 私たちの住まいは、宿場の外れにある粗末な東屋だ。
 時々酒を買って、おようが作ったつまみを肴に一杯やる。それが今の私のささやかな楽しみだ。
 「ねえ、およう。鳥山検校とは一体何だったんだろうねえ」
 ほろ酔い気分の私は、我知らずそんなことを呟いた。
 「そうですねえ――」
 おようは、ふっ、と息をつく。
 そして、こくり、と酒を喉に流す音。
 「お前様が鳥山検校様でなかったら、私はきっと、今も吉原に」
 「そうか。……では、悪名高い鳥山検校も、少しは良いことをしたのかな」
 おようの言葉に、私はしみじみとした笑みを浮かべた。
 「それにしても、こんなところに鳥山検校と瀬川が腰を落ち着けているとは、誰も思うまいよ」
 「ふふ。私たちだけの秘密ですね」
 私とおようは、秋の虫が恋の歌を奏でる様を聞きながら、穏やかに笑顔を交わし合った。
 終わり。