おようと共に過ごす何気ない日々は、私を少しずつ変えていった。
この世は金と思い定めたこの心が、いつの間にか金では買えぬもので満たされていく。
「検校様。お顔付きが大分お変わりになりましたね」
たまに顔を合わせる大尽にそんなことを言われ、私は大いに照れたものだ。
だが。
そんな穏やかな日々は、長くは続かなかった。
私は、「暴利をむさぼり、悪辣非道な取り立てを行った」との咎で、官金を営んでいた他の検校たちと共に捕らえられたのだ。
我々の後ろ盾だった筈の幕府の突然の掌返しに、私は怒りで身体を震わせた。
――散々我々のやり方を見逃してきたくせに、今更罪に問うとはどういうことだ!
そして私は、築き上げた全財産と検校の地位を取り上げられ、江戸からも追い払われることになった。
幕府の役人からは、落ち着き先が見つかるまでの当座の資金として、金3両を握らされた。
だが――私には、それは体の良い手切れ金としか思えなかった。
「……っ」
私は、突き上げる感情をどうにか奥歯で噛み殺し、ただ深々と首を垂れるより他になかった。
私はふらふらと江戸の町をゆく。
よれよれであちこち薄汚れたみすぼらしい盲人に、江戸の町は冷たかった。
――これが、あの鳥山検校のなれの果てか。
何処からともなくそんな嘲笑が聞こえた気がして、私は力なく崩れ落ちた。
そんな私の鼻に、ふわっといい香りが届いた。
「旦那様!」
おようの声だ。
「およう――およう!」
私はその名を呼びながら、声のした方に震える手を伸ばす。
やがて、優しくたおやかな手が、私の腕を掴んだ。
「ああっ、旦那様……なんておいたわしい」
おようは悲痛な声を上げると、私の額をそっと拭ってくれた。
「およう、およう……私は……」
私は、壊れそうな心を剥き出しに、我知らず彼女にしがみついていた。
「大丈夫ですよ、旦那様……大丈夫」
おようは、そっと私の身体を抱き締めてくれた。まるで幼子をあやすような、優しい声音で。
おように抱き締められながら、私は少しだけ落ち着きを取り戻した。
――おようだけは、守らなくては。
私はごくりと唾を飲むと、役人に押し付けられた金をおようの手に押し込んだ。
「旦那様、これは――?」
戸惑うおよう。
「およう。ここに、3両ある」
私はおようの腕を掴むと、万感の思いを込めて彼女の方へと顔を向けた。
「お前は自由だ。何処へなりとも好きな所に行きなさい」
この時、私の脳裏には、瀬川だった頃の彼女が時折見せていた、あの物憂げな吐息が蘇っていた。
――およう。お前には、好いた男が居たのだろう?その男の所に行って、どうか、幸せに――。
「……嫌です」
おようの、振り絞るような声。
「えっ」
私は見えぬ目を見開いた。
「私は、この江戸に身寄りもなければ、何処にも行くところなんかありません――旦那様。私も連れて行って下さい!」
普段のおようからは想像もつかぬ程、その言葉は力強いものだった。
私は、この頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
「だけど……だけど、およう。私は全てを失ったし、江戸からも追い出されたんだよ。私はただの惨めな盲人で、お前に何もしてやれない――この先、お前に迷惑しかかけないような男なんだよ」
私は、戸惑いのままにうろうろと言葉を繋いだ。
――私は、おようの足手まといにはなりたくない……。
おようは「ふ」と小さな息をつくと、ぱっと華やいだ。
「迷惑だなんて、そんな。この先どうなろうとも、二人で居れば、何とかやっていけます」
おようのこの一言は、私の心に沁みた。
「ああっ……!」
私の盲いた目から、ぼろぼろと涙が零れ落ちた。
おようは、こんなにも深い心で、私を見ていてくれたのか。
おように背中をさすられながら、私は確信する。
ああ、おようはやはり、芙蓉の花だ。
陽の光を存分に浴びて、悠然と空へと顔を向け、大きな花びらを広げて美しく咲き誇る。
それが、おようという女の有り様なのだ。
江戸を離れた私たちは、やがてとある宿場町に行きついた。
私は得意の三味線を片手に旅籠を回り、おようはその宿場随一の旅籠の女中として働き始めた。
花魁だったおようは芸妓としても十分やっていけるのだが、彼女はそれを望まなかった。
やはり「着飾るのはもうこりごり」ということなのだろう。
私たちの住まいは、宿場の外れにある粗末な東屋だ。
時々酒を買って、おようが作ったつまみを肴に一杯やる。それが今の私のささやかな楽しみだ。
「ねえ、およう。鳥山検校とは一体何だったんだろうねえ」
ほろ酔い気分の私は、我知らずそんなことを呟いた。
「そうですねえ――」
おようは、ふっ、と息をつく。
そして、こくり、と酒を喉に流す音。
「お前様が鳥山検校様でなかったら、私はきっと、今も吉原に」
「そうか。……では、悪名高い鳥山検校も、少しは良いことをしたのかな」
おようの言葉に、私はしみじみとした笑みを浮かべた。
「それにしても、こんなところに鳥山検校と瀬川が腰を落ち着けているとは、誰も思うまいよ」
「ふふ。私たちだけの秘密ですね」
私とおようは、秋の虫が恋の歌を奏でる様を聞きながら、穏やかに笑顔を交わし合った。
終わり。