「瑠菜、本当に大丈夫?」
「もちろん。」
瑠菜とナコは空を木でおおわれた山奥に来ていた。
あたりは暗く、気を抜いてしまえば木の根に足を引っかけて転んでしまいそうだ。
ナコと瑠菜はそんな中を器用に進んでいた。
「る、瑠菜!」
「ん?……ナコ?」
ナコは急に瑠菜へ縋り付くように抱き着いた。
その目はうるんでいて泣きそうだ。
「瑠菜、やっぱり行くのやめよう。危ないよ。」
「何言ってるの?」
「来るなら、ほかにも人を連れてきてからでもいいじゃない。」
「それは……。」
「とにかく、今日は帰ろう。ね?」
「それは困るなぁ。」
ナコはその声を聞いてぎょっとした。
今まで自分が従ってきた声。
それは、ナコに恐怖を与えるには十分だった。
「逃げよう。」
「え?瑠菜?」
瑠菜はナコの様子を見て近くにあった廃工場のほうへと逃げた。
木の根が多いところよりも動きやすい場所のほうが良いと思った。
「こっちに逃げてはいけないことくらいあなたならわかるでしょう?」
「……あなたは、久しぶりね。」
「そうですね。瑠菜さん。」
「私はあなたの本当の名前は知らないのにいい御身分ね。」
「だから、チカでいいですって。そのガキにもこう名乗ってることがばれてしまったようですしね。」
「あんたはチカさんじゃない。今までも、これからも。」
瑠菜はそう言って笑った。
そんな瑠菜を憎ったらしそうに男は見つめる。
不満は多いが、どこから言うべきか悩んでいるらしい。
「なぜそう思うのですか?そのガキが原因ですか?なら、お前のほうが間違っている。そのガキも俺と一緒にコムと名乗って生活していたからな。」
「それは知らなかった。でも、ナコのことを私はコムとは呼ばない。というか、私からしたらだれがどんな名前を名乗っていたって関係ない。」
「そりゃそうでしょうね。だって、あなた自身も瑠菜という名前は偽名なんだもんな。」
男は余裕が出ると同時に顔から安心したような表情がにじみ出る。
そのあおり性能の高い一言一言にナコはいら立ちが隠せないが、すべて瑠菜の背中が受け止めているため男までその気持ちは届かない。
まるでナコは何もしゃべらないでと瑠菜から言われているようだ。
ナコは瑠菜がどんな表情をしているのかとても気になったが、瑠菜の表情は全く見えなかった。
「偽名だと思う?」
「本当の名前ではないのでしょう?瑠菜さん。」
「本当の名前?」
「え、えぇ。そんな偽名を背負っていても生きにくいままでしょう?チカという女の名前をここ最近名乗っていましたが、本名のほうがとても生きやすかったですよ。」
「フッ……ハハハハハ。」
「瑠菜?」
「図星すぎて壊れてしまいましたか。」
瑠菜が笑いだすと、ほか二人は不審者でも見るような目をした。
特にナコは先ほどまでの怒りも忘れて不安や心配をあらわにする。
「私が偽名だって?それはどうかしらね。瑠菜のほかにも大量の名前を名乗って生きてることは認めるけど。でもそれは全部私の名前よ。私は他人の、死んだ人の名前を名乗って生きたりしない。」
「っ……これだからガキは嫌いなんだ。」
「生きにくかったのはあなたの演技力が乏しいからじゃない?」
「……クソガキ。」
「瑠菜!あんまり挑発しないほうが……っ。」
「ナコ!」
周りの物陰から数人の男たちが出てくる。
(……やる気か……。私は何とか相手できるけど……。)
瑠菜はナコのほうを見ながら考えた。
もうすでに男たちは瑠菜とナコを取り押さえようと手を伸ばしている。
瑠菜は何とか避けることができるが、ナコは今にもつかまりそうだった。
「もう無理だな。諦めろ。」
「……何が目的?」
「何も。」
「いくらあなたでもこんな事したらどうなるかわかってんでしょう?」
「残念だね。僕は楽しければそれでいいんだ。」
「簡単に言うとカスだった……と。」
「そうだなぁ。んじゃぁ、そのガキを逃がすのとお前の命を引き換えにしようか。いい案だろ?死にたいとずっと願っていたあなたの望みも叶うのですから。」
数人のガタイの良い男たちから逃げながらも瑠菜はチカと名乗っている男との会話をしている。
ひらりひらりとよけながらもギリギリだ。
あと数秒早く男が動けば捕まってしまう。
瑠菜はそんな中でも周りをしっかりと見てにやりと笑った。
それはそれは、男たちにも負けないほどの不気味な笑顔で。
「そんな素敵な誘い、あと数か月早く来てくれたなら乗ったのに。」
「よい案でしょう?」
「瑠菜、ダメ!」
ナコの叫び声すらも瑠菜の耳には入ってこない。
いや、入ってきても無視を通していた。
一か月前の瑠菜は確かに、死ぬ準備ともいえることをしていた。
楓李がいなくなってから、サクラに仕事をすべて教えこんだ。
サクラが仕事を忘れてしまったときようにメモまで書いた。
みなこの人形に楓李への手紙を残した。
一言しか出てこなかったのは、本当に楓李が読んでくれるかわからなかったから。
それでもきっと、楓李なら瑠菜の葬式にくらいは来るだろう。
その時にでもみなこが渡してくれればよい。
コムの真似をしたと言えばそうだ。
瑠菜はずっとコムの後ろを追いかけ続けていた。
一か月前までは。
「置いてったり見捨てた過去を作るより一緒に死んだほうがマシでしょう?っていうか、それを一番よくわかっているのは私よりあなただと思うけど。」
瑠菜はとても強気だった。
怒るでも、嘲笑うでもなく真剣に周囲へ響く声で言う。
瑠菜からしたら、まだまだ先の長いナコに後悔という気持ちをこれ以上背負ってほしくはなかった。
「勝手だな。そのほうがこちらとしても楽しいのですが。」
「どっちが勝手なの?」
「……どこかに連絡しようとしてたな?お前。」
瑠菜がスマホに触れるのを見て、一番近くにいた巨体の男がスマホを取り上げる。
カシャンという音とともに瑠菜から遠くの位置に飛ばされたスマホは、今の瑠菜には取りに行くことすらもできなさそうだ。
「あーあ、飛んでっちゃった。……ねぇ、ナコ。もしよければ会社に戻ってこない?」
「え?今?」
「うん、今。返事聞かせてあげてよ。私、思いついたら即行動するから。」
「えっと……いや、うん。瑠菜がいいって言ってくれるなら。」
「私の弟子になる?」
「まぁ、一から誰か探すのは難しそうだし。」
「じゃあ、そうしようか。」
「その代わり、私より先に死なないでよ?」
「……そうね。」
瑠菜はそう言ってナコに笑いかけた。
こんな会話をしているほどの余裕は二人にはなかったはずだ。
ナコはそれでも、何か話していないと気が狂いそうだった。
瑠菜もそんなナコに気が付いて話しかけたのだ。
「っ……うるっせぇな。」
「ナコ!」
そんな二人に怒りがこみ上げたのか、チカを名乗っていた男はナコに襲い掛かった。
地面には仲間がくたばって倒れこんでいるのにもかかわらず、男はそれを踏みながら近づく。
命までは取らない瑠菜にとってその行動はあり得ないことであり、興味をそそられた。
今まで見たことがない人種、とでもいうべきだろうか。
瑠菜にとって襲い掛かってきた男たちが普通で回りと変わりない人たちだったからこその面白みのある人間だった。
「あっ……。」
「ガキ一匹。あと一人か……。」
「っえ、それはちょっとなぁ。」
ボキっという音とともにナコの小さな悲鳴が上がる。
瑠菜はぐったりしているナコから離れてチカと名乗る男をあらためて見た。
少し刃渡りの長い小刀を瑠菜に向けている。
「お前を殺すのに何も持ってきていないと思ったか?残念だったな。」
「ま、待って、待って!ヒール折れちゃったから。」
「そんなので許すか、ボケ。」
「許してよぉー。」
瑠菜はそう言いながら小刀をよける。
どうにかして小刀を手放させなければいけないと考えながら。
(……ガチで殺されるって、これ。)
瑠菜はそう思いながら廃工場の壁に手をついた。
入口付近で横たわっているナコの近くは行くことができない。
ナコに外傷は見られないが、骨は折られているのだろう。
瑠菜はナコの心配をしながらも、自分のほうが危険だなと思い直した。
「っ……これ……。」
「あぁ、そうだよ。お前の愛する師匠の血だ。そいつもなかなかお前の情報を落とさなくてな。苦労したよ。」
「へ?」
「お、知らねぇのか?なら教えてやろう。お前の師匠はお前をかばって死んだんだ。」
「あぁ、そういうことね。」
男は瑠菜を見てバカにしたように笑う。
しかし、当の瑠菜は笑顔でその血を見た。
もう黒くなり、血だったことも言われないと気付かない。
だが、瑠菜はそれを見てすぐに気づいた。
これがコムの血だということを。
何の確証もなかったが、本能的にそう思った。
「俺が憎いか?いいんだぞ、周りのすべてを殺しても。」
「……。」
「お前ならできるだろ?そういう血が入っているんだから。」
「……えぇ、できるわよ。」
瑠菜は笑って言った。
先ほどよりも美しく笑って。
そして、いつもと同じ口調で話しだした。
「でも、やらないわ。そんなお下品なこと。」
「は?」
「私は、あんたたちを殺したりしない。だって、私の周りの人たちならきっとそうしたから。」
瑠菜はそう言いながら男の手にあった小刀を的確に蹴り上げた。
そして、小刀から手が離れると同時に瑠菜はまたくるりと回りながら男の腹部にこぶしを入れる。
しかし、小さい瑠菜のこぶしがどれほど弱いかは瑠菜が一番わかっている。
その証拠に、男は少しよろけただけで全く問題なさそうだ。
なので、瑠菜はそのまま足を蹴り上げた。
瑠菜の行動が全く予測できなかった男はよろけながらほかの男たちを下敷きにして倒れる。
グヘッという声が数人からした。
「雪紀兄さんから鍛えられている私をなめんじゃないわよ。」
瑠菜はあくまで笑顔のまま言う。
すると、後ろのほうからガラスの割れる音が響いた。
「瑠菜!大丈夫か?」
「かえ……お兄たちも。あぁーもう。遅いよ。」
ケイが入り口に倒れているナコに駆け寄り、息があるか確かめる。
雪紀は周りを警戒しながら警察に電話している。
そして、楓李は瑠菜に駆け寄りぎゅっと抱きしめた。
「瑠菜、なんともないか?」
「ヒール折れちゃった。」
「それくらいまた買えばいいだろ……。怪我は?」
「……ふふ。大丈夫。」
瑠菜は笑って言いながらも涙をぽろぽろと流していた。
別に怖かったわけでもないのに、なぜか出てくる涙に瑠菜はどうすることもできなかった。
「ゆき、この子。」
「……車まで運べ。」
「ごめん、運んでもらっていい?僕にはちょっと無理だね。」
「はいはい。」
ケイは雪紀に何かを訴えようとしたが、雪紀はナコを車まで運ぶように指示した。
しかし、ケイの力では怪我人一人も運ぶのはきついため、雪紀は面倒くさそうに返事をしてからナコを抱き上げる。
「骨折れてたのか……。」
「かえ、ナコが私の弟子になるって。」
「あぁ、聞いてた。本当に良かったな、ヒカルに感謝しとかねぇと。」
「二回タッチ出来てたんだ。ギリダメだと思ってた。」
楓李は雪紀とケイの会話を聞いてから瑠菜に話しかけた。
瑠菜は少しも疲れていないようで、楽しそうに話している。
「ねぇ、スマホの電源入れてGPSで場所を知らせる。いい方法でしょう?」
「まぁ、そうだな。」
「みんなにもこうしなさいって言っておかないとね。」
「お前ってやつは……。」
「あとねっ……。」
グサッという音が廃工場の中に響き渡る。
赤い液体が瑠菜を通して楓李の手にも数滴ついた。
「っ瑠菜。おい……。」
「アハハ、やっとだ。これでやっと復讐できた。お前らは欠陥品なんだよ。誰一人として守れない。そうだ、欠陥品なんだよ。」
次の瞬間。
パンッという音が鳴り、男がどさっと倒れこんだ。
どこかからか、銃か何かが撃たれたようだ。
だが、楓李にはだれが撃ったのかはわからなかった。
わかったのは、男の背後にあった廃工場の屋根近くにある小窓に腰かける髪の長い女性の影がちらりと見えたくらいだ。
その見た目はパッと見た感じ……ピンク。
何がとは言いきれないが、ピンク色が目に入ってきた。
「最高。……コムさんと同じ場所で死ねるのとか。」
「しゃべんな。」
「……かえ、さすがにもたないよ。」
「しゃべんなって。」
「ねぇ、……これだけ言わせて。」
「やめろ。」
「かえ、大好き。」
瑠菜はそう言って、自分の背後に刺さっていた小刀を引き抜いた。
「瑠菜っ……瑠菜って。」
「楓李、これ。」
雪紀はそう言ってタオルを一枚楓李に投げつける。
これでは足りないことなどわかっているが、もう一人の重傷者を優先したのだ。
それからは一瞬だった。
救急車が来て瑠菜が連れていかれるまで。
楓李は真剣に瑠菜の血を止めようとしたが無理だった。
もちろん、救急車に乗ったのは雪紀一人だけだ。
子供である楓李は当たり前のように救急隊員に止められてしまったのだ。
そして、その日。
雪紀は帰ってこなかった。
「瑠菜、お見舞いの花早く見とかねぇと枯れちゃうぞ。この果物も。」
楓李はそう言いながら病室のカーテンを開けた。
瑠菜が刺されてから二週間、楓李は毎日ここへ来て瑠菜に話しかけている。
もちろん、瑠菜からの返答などない。
そんな時、ガチャンッと扉が開いた。
「楓李さん……すみませんでした。」
「……お前がいなければ。」
「っ……。」
「なんて言ったらこいつに怒られちまうな。」
入口で下を向くナコに楓李はそう言って笑った。
ナコはそれを聞いてもなお、安心しきれない様子だ。
左足と左腕の骨を折ってしまったナコも、瑠菜と同じ病院に入院していた。
雪紀からリモコン式の車いすを渡され看護師の監視の下、今日から病室から出てもよいと言われたらしい。
「ナコ、果物いるか?」
「え?でも……。」
「最近少しずつ暖かくなってきたし、ここに置いてても食べる奴いねぇからな。」
楓李はそう言ってフルーツの入ったかごを看護師に渡した。
桜のつぼみが膨らみ始めていて、外はもう暖かくなってきている。
果物ももう熟しに熟していてこれ以上ここにおいておけば腐れてしまうだろう。
「楓李さん……大丈夫ですか?無理は……。」
「……大丈夫だ。」
「でも……。」
「……逆に聞こう。大丈夫に見えるか?」
楓李はそう言って少し笑った。
不安と心配が表情と声に表れている。
少なくとも大丈夫には見えない。
しかし、楓李のその目はこれ以上言うなと無言でナコに訴えていた。
瑠菜をあの場所へ連れて行ったのはナコだ。
ナコの怪我と瑠菜の今の状況は同じようで全く違う。
きっと周りは何も言わないが、ナコが悪いと思っていることだろう。
「……ごめんなさい。私……自分の病室に戻ります。」
「あぁ、悪いな。」
ナコがいなくなった後も、楓李は瑠菜のベッドの横にいすを置いて座っていた。
瑠菜の真っ白な細い手を握って、無音の時間が流れる。
(……生きてんだったら何か言え。)
あったかい瑠菜の手をなでながら楓李は涙を流した。
今の状況をどうすればよいのか楓李にはわからない。
ナコにどんな表情で向き合えばよいのかわからない。
いつもなら手を握れば少しだけ握り返してくれるのに、それも今はない。
「何泣いてんだ、バカ。」
「っ痛い……。」
雪紀にはたかれた頭を抱えながら楓李は一言いう。
「はい。何も飲んでねぇんだろ?やさしい師匠でよかったな。」
「優しかったらたたかねぇんじゃ。」
「愛情として受け取れ。」
雪紀はそう言いながら楓李にペットボトルを渡す。
楓李は不服そうにはしながらもペットボトルを受け取った。
「お茶か。」
「ジュースがよかったか?カフェイン完全抜きじゃないだけありがたく思え。」
「自分はコーヒー飲んでるくせに。」
「寝てねぇお前とは立場が違うからな。」
雪紀は楓李の目の下にある濃いクマを見てニッと笑った。
そして、瑠菜の様子を見ながら残りのコーヒーを飲み切る。
缶コーヒーを飲みながらここまで来たのだろう。
「どうだって?犯人。」
「……あの二日後には息引き取った。ほかは普通に逮捕だな。」
「そうか。」
即死でもよかったレベルだと、前にも説明したはずだがと思いながら雪紀は説明した。
楓李自身、瑠菜が死んでからまともな生活は送っていないし脳に問題が起きていてもおかしくはない。
「瑠菜が刺されていなけりゃ、今頃あいつらはそこまでの罪には問われていなかったけどな。」
「あとは目を覚ますだけか。」
「ま、そういうことだな。」
雪紀と楓李はしんみりと話をした。
かみ合っていないのはどちらもあまり頭が回っていないためだろう。
それでも、お互いに一人でいるよりも良かった。
無駄に多くのことを考えずに済むから。
「なぁ、瑠菜の手術はうまくいったんだよな?」
「刺された箇所が運がよかったからな。失敗してたら医者が相当なへたくそだってことだな。」
「じゃあ、なんでこんなに目を覚まさねぇんだ?」
「……さぁな。こいつのことだからまだ寝てたいんじゃねぇの?」
「そういうことがあるのか?」
「ないとは言い切れねぇだろ?安心しろ。骨にも内臓にも傷一つなかったんだから。」
楓李の何度目かもわからない質問に雪紀は丁寧に答える。
ここ二週間、楓李を含めた何人もの人にこの説明をしてきた。
普通ならこの説明をすることすらもうざく感じてしまうかもしれないが、雪紀は全くそうは感じなかった。
特に楓李に説明するときは。
この説明で楓李が少しでも安心するなら、何度でも説明する勢いだ。
それに、今までの瑠菜の周りを見てきたら、今の瑠菜がどれだけ愛されているのか嫌でもわかる。
いや、思い知らされえるのだ。
瑠菜を心配しているのは病室に毎日のように来ている雪紀や楓李だけではない。
サクラやリナ、みおりの三人からちびっ子たち、それから会社のまだ瑠菜に会っていない新社長までもが瑠菜の心配をしている。
今まで馬鹿にされ続けられていたとは思えないくらいだ。
「お前、今日はもう帰れ。」
「え?……いや、俺が引き受けたことだし。」
「病院に泊まってる瑠菜を見とくくらい俺にもできる。お前はベッドでゆっくり寝ろ。」
「でも……。」
「命令だ。」
雪紀はそう言って楓李を追い出した。
もともとそのつもりで来たらしい。
楓李はとても不満そうだったが、命令と言われてしまえばしょうがない。
雪紀がしぶしぶと帰っていく楓李を見てから瑠菜を見るとなんだか不機嫌そうに見えた。
いや、表情が変わったとは思えない。
全く変わっていない……と思う。
しかしその時、雪紀には少しだけ不機嫌そうに見えた。
「……悪かったな、今日は俺で。でもあいつをこのままにしてたら倒れるぞ。」
「……。」
「ずっと一緒にいたければさっさと目覚めるんだな。」
「また、一週間が経ったぞ。今日も暖かいな。」
「……。」
雪紀が楓李の代わりに病院に泊まったのは一回のみだった。
そのあとは、楓李も瑠菜が元気だったころと変わらない量の食事をとったり、生活ができるようになったからだろう。
そして、瑠菜の病室には前までの数倍くらいの量のお見舞い品が届いていた。
毎日一つずつ増えていると言ってもよいだろう。
もちろん、果物以外にはだれも手を付けないためお菓子類のみがどんどんたまっている。
花も枯れるたびに新しいものが増える。
最近では花と一緒に花瓶も持ってきてもらわなければいけないという状況になっている。
「瑠菜、早く目覚めねぇとサクラが元気なくなってきたぞ。」
「……。」
「ナコがいるから少しは大丈夫だが、仕事は溜まってる。」
「……。」
「もうナコは退院して元気にやってるぞ。お前もそろそろ……。」
「……、んっ。」
楓李がいつも通りお見舞い品の片づけをしていると、後ろから声がした。
後ろにはベッドで寝ている瑠菜しかいないはずだ。
そのはずなのにもかかわらず、いつも通りの安心できる声。
いつも通りの目。
そして、いつも通り。
「る、な……?」
「あなたは……誰?」
瑠菜は自分に抱き着く自分よりもに十センチほど大きい男にそう聞いた。
急なことに驚き、焦っている。
男はそれを見てすぐに瑠菜から離れて言った。
「悪い。なぁ……今からお前の日記を見ながらお前が過ごした、お前の弟子ができてからの数年間について話そうか。」