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2話

ー/ー



「斉藤です。よろしくお願いします」
 初めて、新人職員の指導係になった。
 挨拶をしてきたその声はか細く、震える声に泳いだ目。
 頼りなさを感じつつ、私もそうだったのだろうと、あの日の自分を見たような気がした。

「おい! 飯は!」
 突然の怒鳴り声にビクンとなる。
 木下さんだ。また、ご飯を食べてないと思っているみたいで、すごく機嫌悪い。
 オロオロとしている私に。
「すみません。今、用意していますのでお茶でもどうですか?」
 スッと、彼が入って対応してくれた。

 新人が上手くやってるのに、私は何なんだ? 情けないな。本当に。
「……悪いな。私、嘘とか下手で……」
 バツが悪くて目を逸らし、小さな声でしか言えない。これで指導係か。みっともない。
「違いますよ。俺が男だから、上手くいっただけです。どうしても、女性相手だと強くなる人居ますから。いいじゃないですか嘘吐くのが上手いより、よっぽど」
 そう言い、仕事に戻る彼。

 今、起きていることを正直に言う。
 心臓の鼓動が異常なぐらい速い。
 いやいやいや。相手五つ下だし、後輩だしあり得ないだろ?
 私が就職した二十歳の時、こいつは高校生だぞ? ないないない!
 そう思い、この気持ちは勘違いだと記憶の闇にポイっと投げ捨てた。

 そんなこんなで、また春が来る。
 彼は二年目になり、指導係と後輩の関係ではなくなった。
 しかし私はこいつを「斉藤」と呼び、斉藤も私を「先輩」と呼んできて、相談とかも一番にしてくれる。
 私とこいつは先輩後輩。それ以上でも以下でもない。今も、これからも。
 そう思っていたのに、徹底的なことが起きてしまった。

 仕事中に体がふらついた私は、慌てて両手と両膝をついて前方に倒れ込む。
 なんてことない。女性特有のものだ。
 年に一、二度、これぐらい酷い時があり、ただやり過ごすしかない為、めまいが落ち着くのを待つしかなかった。

「先輩?」
 それを見かけた斉藤が、私の元に駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか!」
「悪い。すぐ落ち着くから」
 男のこいつに話せるはずもなく、笑ってやり過ごす。……つもりだったのに。

 ふわっ。
 私の体が突如、浮いた。
 え? え!

「はあああー! ふざけるな! 降ろせよ!」
「休憩室で横になった方が良いですよ。リーダーに休ませて欲しいと頼みますから」
「大したことじゃないし!」
「顔、真っ青ですから」
 そう言い、こいつは私を抱き抱えたまま真剣な表情を向けてきた。
 斉藤のくせに。私と同じぐらいの背丈のくせに。五歳も年下のくせに。入社した時、あんなにナヨナヨしてたくせに。
 何で、こんなに力あるんだよ? 何で、こんな男みたいなことしてくるんだよ?
 こいつ、ふざけるなよ。マジで。
 ずっと心に蓋をしてごまかしてきたのに、なんてことしてくれたんだよ。
 好きだ、斉藤が。理屈じゃなくて。


「先輩、大丈夫ですか?」
「ああ。迷惑かけたな」
 休憩室で横になったおかげかだいぶ楽になり、体を起こせるぐらいになっていた。
 斉藤をチラッと見ると、そこには男の腕。
 さっき、私はこの腕に……。
 心臓がバクバクとうるさく、何か話して掻き消さないといけないと思い、咄嗟に言葉が出る。
「お前、彼女とか居るのか?」
 と。
「……え?」
 こいつの間抜けた表情に、自分が放った言葉の重さに気付かされる。
 何聞いているんだー!
 より心臓が鳴る中、それと同時に自分が望んだ返事が返ってくることだけを願った。

「居ませんよ」
 本来ならその返答に胸をときめかせるのだろうが、一瞬見せた表情を見逃さなかった私は、込み上げてくるものを必死に抑えていた。
 人は、もう二度と会えない人を思い浮かべる時、あれほど悲しい表情をするのだと私は知っている。
 好きな人いるんだ。そして、それは私ではない。
 胸が痛い。すごく苦しい。
 この締め付けられる感覚に私は身を縮め、また目を閉じた。


「好きな人居るだろ? どんな人だ?」
 体調がすっかり落ち着いた、数日後の昼休憩。
 私は軽い世間話を装い、話しかけた。
「あ……、もう会えない人なので」
 やっぱり、そうゆうことか。

 その相手は五歳下の幼馴染だった隣人。
 互いに母親を亡くし幼い隣の子を世話していたが、自分も淋しかったから支えられており、兄妹みたいな関係だったらしい。
 だけど彼女は、父親の都合で急遽引っ越しとなる。
 斉藤は十五歳。その子は十歳だった。

 見せてくれたのは一枚の写真。
 こいつは学生服姿で、隣に写っているのは幼さが残る女の子。当時小学五年生だったと言われても小さすぎて納得出来ず、そして服はあまり綺麗ではない。
 こいつは言わないが、夜逃げ同然だったのではないかと邪推してしまう。
 だから家族ぐるみの付き合いだったのに、引っ越し先や連絡先を知らないのではないか?
 それが理由で再会は叶わないだろうと。
 こんな悲しい初恋の話を聞いて、感じたのは苛立ちだった。
 この写真。互いに手を握り、泣き腫らした赤い目をしている。
 そして分かる。この子も、こいつのことが好きだと。
 七年前の写真だから、この子は現在十七歳の高校生だろう。
 こいつのことなんて忘れていて、新たな出会いがあると考えるものだ。
 バカだろ。ずっと、そんな思いに縛られている気か?
 こいつの一途な性格は分かっている。だからこのまま、想い続けるだろう。
 気付けば私は、十歳も年下の子供に嫉妬していた。

 また季節は巡っていき、二十八歳の春。
 こいつは就職して二年が経ち、なかなか頼りになってきた。
 私達は家が近いことから、仕事上がりに近所の定食屋で共に食事をすることも増え、仕事以外でも同じ時間を過ごすようになってきた。

「彼女から連絡とか来ないのか?」
 定食を食べながら、興味ないフリをして呟く。
「ないですね……」
 こいつが無理に笑っているのに、それを心で喜んでしまう私は、性格が捻じ曲がっていると思う。

「……なあ、私と付き合わないか?」
「え?」
 抑えていた気持ちを、初めてぶつけた。
「いや、それは! えっと」
 すると、明らかに狼狽える こいつ。
 その様子に。
「嘘に決まってるだろう! 今日はエイプリルフールなんだから!」
 にやけた表情を浮かべてそう放つ。

「あ、そっか!」
「嘘、上手くなっただろう?」
「確かに! 本気にして恥ずかしいです!」
 そう笑うこいつから、安堵の感情がヒシヒシと伝わってくる。
 私は、そうゆう対照ではない。彼女のことがなくても、こっちを見ることはない。そう、態度に告げられた。
 エイプリルフール。
 私はそのイベントが昔から嫌いで、なくなれば良いといつも考えていた。
 だけど、今日ばかりは感謝した。
 おかけでこいつの、本心を知ることが出来た。

 もう、やめよう。こんな想い。
 あいつはこっち見ない。不毛過ぎするだろう?
 何度も自分にそう言い聞かせた。
 
 しかし私は相当なバカなのか、消しても消しても溢れてくる想いに襲われて、またどうしようもない一年を過ごし、また春がきた。

 異動して四年。あいつも就職して三年となった。
 現在は斉藤と夜勤中で、時刻は二十二時を過ぎ。詰所で待機の時間だった。
 今日付けで異動していった同僚のことを話し、自分達もそろそろだろうと話す。
 斉藤はどこまで本心か知らないが、私と離れるのが淋しいと言ってくれる。
 だから、私は思わず。
「好きだ」
 そう呟いてしまった。
「え……?」
 本気だった。もう、抑えられなかった。
 カチカチカチと詰所にある時計だけが、ただ静かに時を刻んでいく。

「俺も好きです」
 しばらく何かを考えているような表情を浮かべた斉藤は、私に笑いかけてきた。
「付き合いましょう、先輩」
 私を見つめて笑いかけてくるこいつに、私は。

 ピリリリリ。ピリリリリ。
 しかし、その音に私の胸の高鳴りは掻き消された。
 これは利用者さんからのコール。

「木下さんだ。行ってきます」
「あ、ありがとう」
 いつも通り、仕事に戻るあいつ。
 え、さっきの話は現実だよな?
 これって、付き合っているってことだよな!
 どうしよう! いやいや仕事中だろ! しっかりしないと!

 この優しい目も、ふわふわな髪も、この大きな手も、全て私のものなんだ。
 うわあ。考え、やば!
 だけど、そうゆうことなんだよな?
 私は熱くなる頬を、ただ感じていた。


 桜の花びらが散り、若葉が風の音を知らせてくれる初夏。あいつの様子が変わった。
 以前は、仕事でもそれ以外でも気軽に話しかけてきたが、私をスッと避けるようになり、目を合わせてこなくなった。
 どっか行きたいと言ったから?
 休みの日に会いたいと言ったから?
 手を握ってしまったから?
 ……全てなのか?

 私は一つの可能性に気付いていたけど、それを否定し続けた。だって、それを認めるということは……。
 結局、私は何をするでもなく、斉藤と距離を取ることにした。


 初雪が降った、十二月。
 スーパーで買い物を終えた私は、突然降り出した雪に傘を持ってないと溜息を漏らすが、目の前に居たのは傘を持った斉藤。
 こちらを見て、笑いかけてきた。
 その笑顔があまりにも柔らかで、輝いていて、私は思わずあいつの元に駆け寄ろうとした時。

「健太郎!」
 私の後ろにいた小柄な女の子が、あいつの元に駆けて行った。
 ……え?
 傘を渡して、買い物袋を持ち、顔を見合わせて笑う姿はあまりにも仲睦まじく、昨日今日の関係ではないと一目で分かる。

 そっか。あの子、帰ってきたんだ。
 当たり前だが大人になっていて、私なんかが着ない白いふわふわなコートに、黒くて長いストレートヘア。
 小柄で可愛いくて、守ってあげないといけないような、私より十歳年下の女の子。
 あいつは、私が見たことのない顔をしていて。
 なんだよ。最初から勝ち目なんてないじゃないかよ。

 最近、あいつはやたら ふにゃふにゃした表情をしていたけど、そうゆうことだった。
 やっぱりそうか。本当は気付いていた。
 あれは、私の勘違いだったんだ。
 あの時は気付いていなかったが、告白した日は四月一日。エイプリルフールだった。
 去年、表向きに揶揄ったのだからあいつは考えるだろう。
 また引っかけてくるって。だから、「付き合おう」の返事は嘘。冗談だったんだ。

 あの時、コールが鳴ったから種明かしが出来ないまま終わってしまったのだろう。
 なのに私は勘違いして。
 あいつをデートに誘って。手まで握って。
 だから、あいつは私の気持ちに……。
 バカだな。救いようのない、大バカだ。
 距離を取ってくれたのは、誠意だったのに。そんなことにも気付かず。



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「斉藤です。よろしくお願いします」
 初めて、新人職員の指導係になった。
 挨拶をしてきたその声はか細く、震える声に泳いだ目。
 頼りなさを感じつつ、私もそうだったのだろうと、あの日の自分を見たような気がした。
「おい! 飯は!」
 突然の怒鳴り声にビクンとなる。
 木下さんだ。また、ご飯を食べてないと思っているみたいで、すごく機嫌悪い。
 オロオロとしている私に。
「すみません。今、用意していますのでお茶でもどうですか?」
 スッと、彼が入って対応してくれた。
 新人が上手くやってるのに、私は何なんだ? 情けないな。本当に。
「……悪いな。私、嘘とか下手で……」
 バツが悪くて目を逸らし、小さな声でしか言えない。これで指導係か。みっともない。
「違いますよ。俺が男だから、上手くいっただけです。どうしても、女性相手だと強くなる人居ますから。いいじゃないですか嘘吐くのが上手いより、よっぽど」
 そう言い、仕事に戻る彼。
 今、起きていることを正直に言う。
 心臓の鼓動が異常なぐらい速い。
 いやいやいや。相手五つ下だし、後輩だしあり得ないだろ?
 私が就職した二十歳の時、こいつは高校生だぞ? ないないない!
 そう思い、この気持ちは勘違いだと記憶の闇にポイっと投げ捨てた。
 そんなこんなで、また春が来る。
 彼は二年目になり、指導係と後輩の関係ではなくなった。
 しかし私はこいつを「斉藤」と呼び、斉藤も私を「先輩」と呼んできて、相談とかも一番にしてくれる。
 私とこいつは先輩後輩。それ以上でも以下でもない。今も、これからも。
 そう思っていたのに、徹底的なことが起きてしまった。
 仕事中に体がふらついた私は、慌てて両手と両膝をついて前方に倒れ込む。
 なんてことない。女性特有のものだ。
 年に一、二度、これぐらい酷い時があり、ただやり過ごすしかない為、めまいが落ち着くのを待つしかなかった。
「先輩?」
 それを見かけた斉藤が、私の元に駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか!」
「悪い。すぐ落ち着くから」
 男のこいつに話せるはずもなく、笑ってやり過ごす。……つもりだったのに。
 ふわっ。
 私の体が突如、浮いた。
 え? え!
「はあああー! ふざけるな! 降ろせよ!」
「休憩室で横になった方が良いですよ。リーダーに休ませて欲しいと頼みますから」
「大したことじゃないし!」
「顔、真っ青ですから」
 そう言い、こいつは私を抱き抱えたまま真剣な表情を向けてきた。
 斉藤のくせに。私と同じぐらいの背丈のくせに。五歳も年下のくせに。入社した時、あんなにナヨナヨしてたくせに。
 何で、こんなに力あるんだよ? 何で、こんな男みたいなことしてくるんだよ?
 こいつ、ふざけるなよ。マジで。
 ずっと心に蓋をしてごまかしてきたのに、なんてことしてくれたんだよ。
 好きだ、斉藤が。理屈じゃなくて。
「先輩、大丈夫ですか?」
「ああ。迷惑かけたな」
 休憩室で横になったおかげかだいぶ楽になり、体を起こせるぐらいになっていた。
 斉藤をチラッと見ると、そこには男の腕。
 さっき、私はこの腕に……。
 心臓がバクバクとうるさく、何か話して掻き消さないといけないと思い、咄嗟に言葉が出る。
「お前、彼女とか居るのか?」
 と。
「……え?」
 こいつの間抜けた表情に、自分が放った言葉の重さに気付かされる。
 何聞いているんだー!
 より心臓が鳴る中、それと同時に自分が望んだ返事が返ってくることだけを願った。
「居ませんよ」
 本来ならその返答に胸をときめかせるのだろうが、一瞬見せた表情を見逃さなかった私は、込み上げてくるものを必死に抑えていた。
 人は、もう二度と会えない人を思い浮かべる時、あれほど悲しい表情をするのだと私は知っている。
 好きな人いるんだ。そして、それは私ではない。
 胸が痛い。すごく苦しい。
 この締め付けられる感覚に私は身を縮め、また目を閉じた。
「好きな人居るだろ? どんな人だ?」
 体調がすっかり落ち着いた、数日後の昼休憩。
 私は軽い世間話を装い、話しかけた。
「あ……、もう会えない人なので」
 やっぱり、そうゆうことか。
 その相手は五歳下の幼馴染だった隣人。
 互いに母親を亡くし幼い隣の子を世話していたが、自分も淋しかったから支えられており、兄妹みたいな関係だったらしい。
 だけど彼女は、父親の都合で急遽引っ越しとなる。
 斉藤は十五歳。その子は十歳だった。
 見せてくれたのは一枚の写真。
 こいつは学生服姿で、隣に写っているのは幼さが残る女の子。当時小学五年生だったと言われても小さすぎて納得出来ず、そして服はあまり綺麗ではない。
 こいつは言わないが、夜逃げ同然だったのではないかと邪推してしまう。
 だから家族ぐるみの付き合いだったのに、引っ越し先や連絡先を知らないのではないか?
 それが理由で再会は叶わないだろうと。
 こんな悲しい初恋の話を聞いて、感じたのは苛立ちだった。
 この写真。互いに手を握り、泣き腫らした赤い目をしている。
 そして分かる。この子も、こいつのことが好きだと。
 七年前の写真だから、この子は現在十七歳の高校生だろう。
 こいつのことなんて忘れていて、新たな出会いがあると考えるものだ。
 バカだろ。ずっと、そんな思いに縛られている気か?
 こいつの一途な性格は分かっている。だからこのまま、想い続けるだろう。
 気付けば私は、十歳も年下の子供に嫉妬していた。
 また季節は巡っていき、二十八歳の春。
 こいつは就職して二年が経ち、なかなか頼りになってきた。
 私達は家が近いことから、仕事上がりに近所の定食屋で共に食事をすることも増え、仕事以外でも同じ時間を過ごすようになってきた。
「彼女から連絡とか来ないのか?」
 定食を食べながら、興味ないフリをして呟く。
「ないですね……」
 こいつが無理に笑っているのに、それを心で喜んでしまう私は、性格が捻じ曲がっていると思う。
「……なあ、私と付き合わないか?」
「え?」
 抑えていた気持ちを、初めてぶつけた。
「いや、それは! えっと」
 すると、明らかに狼狽える こいつ。
 その様子に。
「嘘に決まってるだろう! 今日はエイプリルフールなんだから!」
 にやけた表情を浮かべてそう放つ。
「あ、そっか!」
「嘘、上手くなっただろう?」
「確かに! 本気にして恥ずかしいです!」
 そう笑うこいつから、安堵の感情がヒシヒシと伝わってくる。
 私は、そうゆう対照ではない。彼女のことがなくても、こっちを見ることはない。そう、態度に告げられた。
 エイプリルフール。
 私はそのイベントが昔から嫌いで、なくなれば良いといつも考えていた。
 だけど、今日ばかりは感謝した。
 おかけでこいつの、本心を知ることが出来た。
 もう、やめよう。こんな想い。
 あいつはこっち見ない。不毛過ぎするだろう?
 何度も自分にそう言い聞かせた。
 しかし私は相当なバカなのか、消しても消しても溢れてくる想いに襲われて、またどうしようもない一年を過ごし、また春がきた。
 異動して四年。あいつも就職して三年となった。
 現在は斉藤と夜勤中で、時刻は二十二時を過ぎ。詰所で待機の時間だった。
 今日付けで異動していった同僚のことを話し、自分達もそろそろだろうと話す。
 斉藤はどこまで本心か知らないが、私と離れるのが淋しいと言ってくれる。
 だから、私は思わず。
「好きだ」
 そう呟いてしまった。
「え……?」
 本気だった。もう、抑えられなかった。
 カチカチカチと詰所にある時計だけが、ただ静かに時を刻んでいく。
「俺も好きです」
 しばらく何かを考えているような表情を浮かべた斉藤は、私に笑いかけてきた。
「付き合いましょう、先輩」
 私を見つめて笑いかけてくるこいつに、私は。
 ピリリリリ。ピリリリリ。
 しかし、その音に私の胸の高鳴りは掻き消された。
 これは利用者さんからのコール。
「木下さんだ。行ってきます」
「あ、ありがとう」
 いつも通り、仕事に戻るあいつ。
 え、さっきの話は現実だよな?
 これって、付き合っているってことだよな!
 どうしよう! いやいや仕事中だろ! しっかりしないと!
 この優しい目も、ふわふわな髪も、この大きな手も、全て私のものなんだ。
 うわあ。考え、やば!
 だけど、そうゆうことなんだよな?
 私は熱くなる頬を、ただ感じていた。
 桜の花びらが散り、若葉が風の音を知らせてくれる初夏。あいつの様子が変わった。
 以前は、仕事でもそれ以外でも気軽に話しかけてきたが、私をスッと避けるようになり、目を合わせてこなくなった。
 どっか行きたいと言ったから?
 休みの日に会いたいと言ったから?
 手を握ってしまったから?
 ……全てなのか?
 私は一つの可能性に気付いていたけど、それを否定し続けた。だって、それを認めるということは……。
 結局、私は何をするでもなく、斉藤と距離を取ることにした。
 初雪が降った、十二月。
 スーパーで買い物を終えた私は、突然降り出した雪に傘を持ってないと溜息を漏らすが、目の前に居たのは傘を持った斉藤。
 こちらを見て、笑いかけてきた。
 その笑顔があまりにも柔らかで、輝いていて、私は思わずあいつの元に駆け寄ろうとした時。
「健太郎!」
 私の後ろにいた小柄な女の子が、あいつの元に駆けて行った。
 ……え?
 傘を渡して、買い物袋を持ち、顔を見合わせて笑う姿はあまりにも仲睦まじく、昨日今日の関係ではないと一目で分かる。
 そっか。あの子、帰ってきたんだ。
 当たり前だが大人になっていて、私なんかが着ない白いふわふわなコートに、黒くて長いストレートヘア。
 小柄で可愛いくて、守ってあげないといけないような、私より十歳年下の女の子。
 あいつは、私が見たことのない顔をしていて。
 なんだよ。最初から勝ち目なんてないじゃないかよ。
 最近、あいつはやたら ふにゃふにゃした表情をしていたけど、そうゆうことだった。
 やっぱりそうか。本当は気付いていた。
 あれは、私の勘違いだったんだ。
 あの時は気付いていなかったが、告白した日は四月一日。エイプリルフールだった。
 去年、表向きに揶揄ったのだからあいつは考えるだろう。
 また引っかけてくるって。だから、「付き合おう」の返事は嘘。冗談だったんだ。
 あの時、コールが鳴ったから種明かしが出来ないまま終わってしまったのだろう。
 なのに私は勘違いして。
 あいつをデートに誘って。手まで握って。
 だから、あいつは私の気持ちに……。
 バカだな。救いようのない、大バカだ。
 距離を取ってくれたのは、誠意だったのに。そんなことにも気付かず。